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Reseñado por Pérez Magallón en Dieciocho T. 26 (2013).

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Esquer Torres, Ramón. "Las prohibiciones de comedias y autos sacramentales en el siglo XVIII. Clima que rodeó a la Real Orden de 1765." Segismundo. T. II (1965). 187-226.

Esquer Torres, Ramón. "Las prohibiciones de comedias y autos sacramentales en el siglo XVIII. Clima que rodeó a la Real Orden de 1765." Segismundo. T. II (1965). 187-226.

という素晴らしい論考があるが、これを読んでみて分ったのは、18世紀は元来演劇に寛容ではなかったということである。かくして劇場の封鎖、上演の禁止に向けての働きかけという例は枚挙に暇がないのであるが、その根底には風俗の紊乱、学生の遊興放蕩、伝染病の蔓延に対するおそれがある。くわえて、宗教的な主題を「低俗愚鈍」な旅芸人一座が上演することへの教会側の不快感がある。

では、カルロス3世の時代に演劇改革が可能になったのはなぜかというと、王がそもそもこの演劇というジャンルに関心を持たなかったからだろうという。じじつ、先行する二代の王(フェリペ5世、フェルナンド6世)はその締め付けに熱心であったのが、ここで事態が変化を迎え、次の王カルロス4世の時代には劇場の解禁を望む声が高まるのである。

じつに面白い。

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ネットワークがブロードキャストを行ってない場合でも接続する

大変久しぶりにvistaの入ったPCをいじった。デスクトップ環境などはXPのものから移してあるので、使い勝手はそれほど変わらないはず。ところで、無線LANの挙動が変で、理由はFUJITSUの独自アプリケーションでplugfree networkというもののせいらしい。人によっては便利かもしれないが、僕には不要であるばかりか邪魔なのでアンインストール。で、上手くいくかと思いきやそもそもネットワークを検出しないのでつながらない。何でかなあ、と思ったら「ネットワークがブロードキャストを行ってない場合でも接続する」というところにチェックが入っていないせいだった。これ、XPにはなかった項目なので、すべての接続設定がチェックなしになっているのだが、ステルスのLANなんかだとチェックしていないと接続できない。こちらに感謝

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国民年金のこと。

面白い話、かどうかは分からないのだけれど、僕は大学院時代に国民年金保険料の全学免除を申請し許可された。これは単純にお金がなかったからで、どうしようもなかった。大学院に入る前は仕事をしていたので、厚生年金に加入していた。そうそう、住民税は前年の収入を基準にして納税額が決まるので、大学院一年生のときは泣きたかったよ。恥ずかしながら、年金保険料、国民健康保険料、税金、その他もろもろ払った上でちゃんと生活できるようになったのはここ数年のことでしかない。いやはや。

さて、全額にせよ、免除された期間は受給資格を得るための期間には算入されるが、実際受け取る際には、年金保険料を払ってないのだから額は微々たる物になる(それでもゼロではない)。もし免除の申請をせずに払っていなかった(いわゆる未納の)方などは、受給資格を得るための期間に算入されない。で、後からこれを払います、ということが出来る期間は、以前は「過去2年」だった。たとえば、仕事がなくて年金保険料を払えなかった人が、昨年の分を今年頑張って払う、ということが出来た。でも、2年過ぎちゃうと払えなかったのだ。これが平成27年9月までの間、「過去10年」に拡大されています。

誤解があるかもしれないが、国は年金保険料を払ってほしくないはず。なぜなら、数十年後に年金を払わなくてはいけないから。変なことを言っているように聞こえるかもしれないが、年金保険料を払わない、つまり受給資格がない人が多くなれば払うべき年金が減る。なぜ国がそれで嬉しいかというと、年金は国庫負担をしているから(受け取る年金の半分は税金からです)。年金は互助積み立て制度ではなくて、下の世代の年金保険料と、国民の血税を合わせて年金受給者に支払っている。だから、税金は否応なく支払っているのに年金保険料を支払わないのは(受給資格を得ようとしないのは)、はっきりいって損なのだ。

さて、僕は全額免除を申請し許可された期間が5年ある(わーい)。額は書かないが、ちょっとずっこけそうになる金額だ。で、支払期限が3月末。これを支払わないでおくと、来年度(4月以降)支払うとしてもさらに加算額が生じて、月当たり約200円アップ。200×12×5で12000円アップしてしまう。なので3月に払う。なお、この加算額は、年金保険料が毎年280円ずつアップしていくことを考えたら、全然フェアなのだ。

さて、面白い、と僕が思ったのは次のこと。年金や健康保険などは社会保険料といって所得から控除される。所得税はこういったものを差し引いた額について課税される。とすると、僕の冗談みたいな所得から上の後納年金保険料を納めた上、さらに来年度の年金保険料ならびに健康保険料、その他(医療費とか寄付金控除)を控除すると、なんと課税対象額が限りなくゼロに近づくのである。すると、来年確定申告に行くとちょっとびっくりするくらいの還付金が生じた上で、再来年の住民税がびっくりするくらい安い、なんてことになるのかもしれない。

まあ、こんな極端なケースはほとんどないだろうけれど年金保険料は滞納せずに(免除申請せずに)支払ったほうがいいですよ、という話。未納はもってのほか。年金事務所に足を運ぶのも面倒だし。でも、税務署同様年金事務所の人は優しい人が多いです。ほんと。

「公的年金制度の財政基盤及び最低保障機能の強化等のための国民年金法等の一部を改正する法律」(平成24年8月10日成立・22日公布)というのがあって、平成27年10月から施行されます。上に「過去10年」遡って年金保険料を後納できる、と書いたけれど、要するに今まで一度も払っていない人さえ、今から全部払って受給資格を得ることが出来る、というものだ。すごい。

いずれにしても、未納が一番もったいない!!!

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Andioc, René. "El teatro nuevo español, ¿antiespañol?"

Andioc, René. "El teatro nuevo español, ¿antiespañol?" Dieciocho. T. XXII (1999). Núm. 2. 351-371.

1800年に刊行開始されたTeatro nuevo españolという作品がどういうものなのか、僕は現物を見たことがないのだけれど、先の時代からの懸案であるスペインの新しいクラシック(それが新古典)を確立する上で、決して避けては通れない、同時代の演劇のアンソロジということにひとまずはなるだろうか。タイトルをみて、スペインの新しい演劇と題されたものが反スペイン的であったか、ということよりも前に、僕はビセンテ・ガルシア・デ・ラ・ウエルタの編んだTheatro hespañolのことを想起してしまって、勘違いをした。アンディオクは18世紀演劇の研究における第一人者で、とりわけレアンドロ・モラティンの研究で名高いのだが、この論考もやはりモラティン絡み。というのも、この『新しいスペイン演劇』アンソロジの序文をモラティンが書いていると思われているのだが、実際はそうではないだろうということを状況証拠から論じていくもの。

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Aquilar Piñal, Francisco. "Trigueros y García de la Huerta."

Aquilar Piñal, Francisco. "Trigueros y García de la Huerta." Revista de Estudios Extremeños. T. XLIV (1988). Núm. 2. 291-310.

前半はウエルタの生涯についてだがかなり憶測が混じる。この論文に限らずこの著者は講演や論文において、変なへまをやらかすことがおおい。研究者というよりアーキビスト。面と向かってはいえないけど。後半、トリゲロスとの関連が有益。ウエルタがトリゲロスを妬んだ件や、ホベリャーノスがウエルタのこと快く思っていない件、さらにトリゲロスがしれっとウエルタのテアトロ・エスパニョルに反撃している件など。

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Schurlknight, Donald E. "La Raquel de Huerta y su "sistema particular"."

Schurlknight, Donald E. "La Raquel de Huerta y su "sistema particular"." Bulletin hispanique. T. LXXXIII (1981). 65-78.

自身の階級を離れることの不幸、統治能力のないラケルが王座につくときに憶える不安(それゆえに、つねにルベンの助言を求めた)。しかしこれは本質的な問題ではなく、わき道にそれた話題。ただし、Andiocとは解釈を間逆にする箇所があって、"Ella debía llegar a reconoerror, como más tarde Alfonso, pero Huerta, más atraído o interesado en acentuar el aspecto sentimental de la tragedia, no aclarttivamente el aspecto político." (77)とある。僕はアンディオクの読みのほうが魅力的だと思う。Schurlknight(シュールナイト?)はウエルタがラケルによって、従来の悲劇とは少し毛色の違う、センチメンタル演劇を成したと考えているようだ。それはブルジョワ演劇に通底するものかもしれない。しかし、"Es sujje con quien podemos simpatizar, porque todas sus acciones las podemos completar. " (78)がいわゆる悲劇の主人公と異なるかというと、疑問だ。むしろ、悪辣さを前面に出すこと(実際第二幕まではそうだ)で、この違和感が出ているのであって、最後の急転直下こそ、ウエルタ演劇の特質だろう。
まあ、いずれにしても本質的な議論ではない。

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Caso González, José Miguel. "Acercamiento a la historia del texto de la Raquel."

Caso González, José Miguel. "Acercamiento a la historia del texto de la Raquel." Revista de Estudios Extremeños. T. XLIV (1988). Núm. 2. 379-394.

オビエド大学で新しく発見された手稿コピーから、そのテクストの年代推定など。比較対象はBN (ms. 10.931), Oviedo 1 (M-236), Oviedo 2 (P-44), Sancha (Ed. de 1788)。年代順はこのとおりで、最初のものがmotínの前、オビエドの二件はそれ以後。変更に窺われる作品の政治性の変異も指摘できる。最初は貴族が王に反乱しているのだが、後においては民衆が王に反乱している。

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Ríos Carratalá, Juan Antonio. "García de la Huerta y la polémica teatral del siglo XVIII."

Ríos Carratalá, Juan Antonio. "García de la Huerta y la polémica teatral del siglo XVIII." Revista de Estudios Extremeños. T. LIV (1988). Núm. 2. 449-463.

新古典演劇と、それが攻撃の対象とした作品群といったように、明白な二元論的対立、分離があったわけではなく、両者の間には大いに親近性がある。(452-454)そこを理解しないとガルシア・デ・ラ・ウエルタその他の作家の作品のただしい理解は覚束ない。
La consecuencia es que entre el Don Pedro y el Don Eleuterio moratinianos hay toda una escala de situaciones intermedios, que rompe con la imagen de un teatro reformista y neoclásico opuesto a la totalidad del teatro mayoritario (455).
『ラケル』を新古典として読みたいならp. 458は繰り返し読む必要がある。

Tal contradicción [de Raquel] sólo se deriva de la falsedad de un esquema interpretativo que no se ajusta a la realidad de la época." (458)

著者はウエルタで博士論文を提出した(アリカンテ大)第一人者。同論文は1987年にバダホスで出版(購入済み)。カテドラ5番にはかつてJoseph G. Fucillaによるエディションがはいっていたが1998年よりRíos Carrataláのものになっている。なおこの号はウエルタについての学術会議の議事録となっている(特集号だが)。

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Aguilar Piñal, Francisco. "Las primeras representaciones de la "Raquel", de García de la Huerta."

Aguilar Piñal, Francisco. "Las primeras representaciones de la "Raquel", de García de la Huerta." Revista de Literatura. TI. Núms. 63-64 (1967). 133-135.

最後の二段落だけ読めば十分な論文。『ラケル』の上演はマドリーで1778年にあったが、それに先立つ1773年アフリカのオランでも上演されていた。この間を埋めるものとして1774年1月24,25日ならびに1775年1月30日、および1777年1月20日と24日にセビーリャで上演されていた。またバルセロナでも1775年に上演されていたことを報告。

ところで、オランでの上演を最初に突き止めたのは次の論文。Cazenave, Jean. "Première représentation de Raquel." Les Langues Néo-Latines. Núm. 118 (1951). 1-?.とされている。しかし10年ほど経ってAsensio, Jaime. "La tragedia Raquel, de Huerta, fue estrenada en Orán." Miscelánea hispánica. Ontario, Canadá: The University of Ontario. 1967. 239-244.が「大発見!」と同じ情報をあたかも最初であるかのように発表。(書誌情報はAguilar Piñalの注2による。ただし、このMiscelánea hispánicaは同大学のDepartment of Spanish and Italianが刊行した雑誌でそれの記念すべき一号。この表記は正しくない。正しくはT. I (1967). 239-244.)国内での所蔵が確認できない。困る。)

さらに、だ。この(これらの)論考の根拠となる文書はRodríguez Moñino, Antonio. "Catálogo de los manuscritos extremexistentes en la Biblioteca Nacional de París." Revista del centro de estextremeños. T. XV (1941)ですでに発表されていたにもかかわらず、だ。

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