文学理論を批評理論と言い換えたい!

Literary Theoryという表現がおそらく文学理論と翻訳されたのだと思いますが、この理論が次々と現代思想の各流派と手を組み、包括し、進化して今なお巨大な怪物のようにそこにあり続け、嫌悪する人、絶賛する人すべてにとって常にものの見方の自己批判を要求しています。

僕はとてもいいことだと思っています。そして、多くの異なる分野において、離れ離れであったところの発想が、実は結び合わされたときに意外と似たことを言っていたり、相互に補完する内容であったりということもしばしばあります。

ところで、この文学理論という呼び方について、最近僕自身は批評理論という呼び方をするようにつとめています。

なぜかというと、文学理論といったときに、対象とする研究対象をわざわざ文学と限定しているような感があるからです。かといって、カルチュラル・スタディーズや表象文化論という言い換えをすることが望ましいと思っているわけではありません。文学はカルチャーだし、文字は表象であり、かつまたカルチャーでないものは、この人口の楽園にほとんどなく、何がしかの表象によらないものもまた、ないためです。

この二つの用語は、たとえ耳には聞こえが良くとも、あまり重要な内容を伝えていないと思われることがあります。これらの場所で活躍している研究者の方に、文学研究畑で力を持ち余して、より広い世界へ漕ぎ出していった方が多くあることにかんがみても、もはや狭いくくりで自らに鎖をかけることに無意味さを感じたということが窺い知れます。おそらく、それだけのことであって、なにか文学研究とこれまで呼ばれていた世界の上や下にこうした領域があるというわけではありません。

批評理論とそれを呼ぶこともまた、言い換えなのかもしれません。けれど、これから私たちが扱っていく対象はどんどんと広がっていくと思われます。そして、それを力強く分析し、研究していくための理論を、すべて批評と呼ぶ名で呼んでよいのではないか、と感じているのです。

Criticという言葉の語源にCrisisがあること。批評とは解釈にクライシスをもたらすもの。そんなことを思って過ごした週末です。Verde

なぜって、今週これに関係して授業用のレジュメを作らなくてはならないから、というささやかな理由なのですが。長くなってしまってごめんなさい!お付き合いいただいてありがとうございました。

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