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ウエルタ研究の礎石

しつこいようだが、ビセンテ・ガルシア・デ・ラ・ウエルタの戯曲『ラケル』を扱う章を書き出せずにいる。何度も試みて、失敗しているのだが、その根源にウエルタがあまりにも他の作家たちと違うということがある。とにかく、何につけ矛盾が目に付く。それを自身の中で許容なり納得できていないそのせいで、こんな有様なのだ。

ウエルタは1785年から17巻(だっけ?)に及ぶスペイン演劇アンソロジを組む(Teatro hespañol)。それの序を206ページも書いているのだが、ヴォルテール批判だったり、スペイン演劇アンソロジを編んだ別のフランス人への批判だったり、まあヴォリュームはあるのだが、これをそこで言う必要があったのか?というとはなはだ疑問な議論が展開されている。で、それを読んでいて、やはりウエルタが博学にして明晰な人物であることは間違いなく、かつこういうよく分からんことをしてしまう人物でもあることは、例によって矛盾をきたす。どうにも、食えない。ウエルタ関係の論文は、カダルソ関係についで数多く集めているし、読んでもいるのだが、どうにもそういった沢山の矛盾を飲み込めずにいる。本当に困っている。

Rios

ウエルタ研究の第一人者はアリカンテ大学のRíos Carrataláなのだが、彼が1987年にバダホスで出した、博士論文を基にしたウエルタ研究書がある。ウエルタ研究の基本文献なのだが、これがスペインから届いた(PDFもある)。『ラケル』についても第三章で70ページほど書いている。これを読んでもウエルタを退治できそうな気がしなければ、もはやそれはそれで仕方ないのだろう。そしてその正直な印象というか、あまりにも矛盾に満ちているということを正面に打って出るしかないのだろう。もちろん僕がするのは戯曲の分析だけだから、ここまで周到な検討は必要ないかもしれない。さりながら、さりながら、だ。

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第二章が研究史を追う形になっていて、数が少ないこともありかなり網羅的。研究史のまとめ方としては、ひとつの参考にしたい形。Schurlknightの論考についての評価がまったく同じで安堵を憶えた。Andiocがひとつの金字塔であることも再確認する。

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