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シラバス

ブラックバスじゃなくて、シラバスといつも言うんだけど周囲の反応がいま一つ。シラバスっていうのは大学の講義概要で、どうでもいいけどラテン語(syllabus)。複数形はシラビー(syllabi)。ワラビー。でも"y"が入ってるから、元はギリシア語なのか?わからん。同じものはスペイン語でel plan de estudioで、そっちのほうが断然分かりやすい。

昨今多くの大学で綿密にして詳細なシラバスを書くことが望まれていて(半ば強制されていて)、正直なところ疎ましく思っているのだけれど、その疎ましさの原因を列挙してみると、案外こっちの努力で改善なりクリアできることが多く、本義的には僕の煩わしさを増加させるものではないことに気がつき、「ああ、シラバス書くの面倒くさいと思っているこっちが未熟なんだな」と思った、さっき。

もちろん、面倒くさいのだけれど、それはたとえば一学期15回の授業それぞれの内容なり到達目標なりを記して、学生に分かるように可能であれば説明の文章の主語も「学生」にして、とにかく丁寧に書きなさい、という。そんなことしなきゃ分かんない学生がいるかいないかはともかく、そうしろと書いてあるんだからそうするべきなんだろう。そんなの無駄だ、というのは個人の意見として尊いが、ルールはルールだ。しゃあない。だから出来る限りの努力はしようとおもうのだけれど、シラバスの本来的な目的はなにか、つまり学生にとって「役に立つ」ことという視点から評価するならば、その授業がどんなものか、そして授業者がどんな人か、が分かることだ。後者について、とりわけそう思うのだけれど、たとえばスペイン語の授業が複数開講されていて内容も似たりよったりだったとして、それならこの人に習いたいなあ、と思う授業をとったほうがいいわけだ。いやなやつにいい授業を受けても、やっぱり身につかないし、授業がしょうもなくても先生に対する親近感が強ければ、身につくものはある。いや、本当に。だから、ささやかなことなんだけれど、授業者はこんな人ですよ、というのがどこかに知れるような、ふと感じられるようなシラバスを書きたいなあ、と思った。でもやっぱり面倒くさいことは否定しない。

ところで、学校の指定するシラバスとは別に、僕授業初回に授業計画表を配布しているので、なんとこれを参考に書けばいいのじゃないか、と気がつく。まあ、それでも相当大変。第二外国語の文法の授業では2012年度教科書を思い切って変更したのだが、2013年度もそれを踏襲したい。講読はこのところずっと小説を読んでいたのだが、思うところあって来年は批評の本を取り上げるつもり。

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