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2013年1月

在庫は

在庫はぼくの居住空間を削るのです。

Exclave6

昨年末に出た『エクスクレイヴ』最終号。まだまだ、在庫はあります。まだまだ・・・。送料と合計で280円です。ご関心のある向きはこちらからご連絡ください。

ビジュアルを紹介したことがありませんでしたが、原瑠美さんの美麗なイラストをいただいています。このモチーフは何?と気になった方はぜひ。ちゃんと中に説明がありますので。

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バックアップはこまめに。

現在日本にいるスペイン人の研究者の友人があって、電話をすると声のトーンが低い。パソコンが故障してしまってバックアップも取っていない、というのだ。電源を何度入れても駄目だ、というのだけれどそういうのはちょっと間を空けたり、別のOS(linuxとか)で開ければ中身は取り出せるので心配ない、と伝える。ちょうどそのあと、中身の取り出しを試みた人から無事出来たという連絡が来た。

その後。昨年から引きずっていた仕事にひと段落着いてバックアップには注意しないとなあ、と思っていた矢先、僕がパソコンを(物理的に)落としてしまってなかなか起動しなくなる。あらまあ。思えば、スペインでも落とし、日本でもコーヒーをかけたりしてきたから、今まで動いているのが不思議なくらいであった。しかし昨日僕が友人に告げた助言もあるので、ちょっとほったらかしておくとちゃんと起動したのであった。すごいぞ、東芝。いずれにしてもバックアップはちゃんとしておこう。

過日、バックアップはどうしたらいい?とこれまた別の友人が聞いて、その後ずっとその理想的な方法を考えている。僕とその人は多分仕事のスタイルが似ていて、さしあたって必要なものはUSBにとっていて、それ以外は大まかにHDを外付けで置いていると思うのだが、最終的にはネット上に同期させたドライブを置いておくのがいい、と結論する。USBはバックアップというだけでなく、外でも仕事が出来る〔実際そんなことしたことないけれど)という意味でも貴重だ。なので、ネット上に置くとよいのだが、転送が面倒くさいではないか。とはいえ、案外文章を書くという作業で必要なデータ量は小さいので(写真など画像ファイルを多用する人はそうではないだろうが)、多分それで正解だ。

もう少し具体的に言うと、バックアップをするものの分類が二つあって、普段使わない記録としてのものと、コンスタントに書き換えていく種類のものがあり、前者は外付けHDDに、後者はUSBにあるいはメールで自分に添付書類として送っておけばいい。そも、メールがこれほど便利なので常にクラウド上にデータを置いているのと変わらないのだ。

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Johnson, Jerry L. "The Relevancy of La Raquel to its times."

昨年からの仕事、チョコチップクッキーを食べつつ最後の見直しをして、ポチっと送信。ひとつ峠を越えた、だろうか。

Johnson, Jerry L. "The Relevancy of La Raquel to its times." Romance Notes. T. XIV (1972). 86-91.
ジョンソンは新古典演劇のアンソロジを二つ編んでいるのだが、かつては大変有難かっただろうが校訂テクストというわけではなく、19世紀くらいのテクストを採録しているだけなので学術的価値については大した評価は出来ない。手に入りづらい作品を読めるようにしてくれたというところだ。ところで彼の論文を実ははじめて読んだ。どういう巡り会わせか。これはラケルが書かれた当時自然法と国際法についての社会的な議論が高まっていたので、この作品もそう読まれた、そうでなければその人気を説明できない、というものだが、まあそうかもしれないけれど、かなり疑問が残る。そも、ウエルタが作品を書いたのはジョンソンが検討する70年代よりも前、という可能性が大いにあるので。もちろん、ラケルが政治的な演劇であることは、アンディオクとともに、否定するつもりもない。70年代、80年代のラケルの受容について考える際に頭のどこかに入れておくと役に立つかもしれない、あるいはそういう読みをする人(ジョンソンみたいに)がいるかもしれない、ということだけメモしておこう。

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語彙

英語で"such as"と言いたいような時に"tal como", "tales como"と言っている気がする。あと、人についてスノッブとか言いたいようなときに"cursi"がピッタリ来ると思っているのだが、"cursi"にはもうちょっと振幅があるような気がする。それと、"incólume"なんて形容詞がある。無傷、損なわれていない。使うシチュエーションはかなり限られていると思うが。

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料理をするといいんだよね。

昨年の八月ごろ熱心に読んでいたビセンテ・ガルシア・デ・ラ・ウエルタの『ラケル』という戯曲について、その後忙しさや疲れのせいで何も形に出来ていないため年末から再び読み始めていて、今はAndiocの偉大な傑作Teatro y sociedad en el Madrid del siglo XVIIIの第五章を読んでいる。そうしてわかることは、ウエルタ自身も、この作品自体も、作品内部の当人物たちも、皆皆一様に矛盾を抱えているということ。そして、同時代のほかの戯曲にはないある特徴があるのだが、それをほかの戯曲を論じるに当たって用いてきた道具立てでどう理解できるのか、ということについて、なかなか道筋が描けない。異質すぎるのだ。そのくせ似ている振りをするのだ。とりあえずもうしばらくAndiocの議論に沈潜してみる。亡くなって久しいが、その功績は永遠に色あせることがない。先の十月、細君にお会いした。

考えがうまくまとまらない。そういうときは、料理をするといいんだよね。頭の中が整理される感じがして。

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安売りしない方がいい

あのさ、あのさ。今日、テレビ見ててUFJのアナリストが日本企業は付加価値をつけないと駄目、みたいなことをいってたのだ。けれど、僕が外国にいてたとえば同じ600ユーロの商品でmade in japanとmade in chinaがあったら、間違いなく前者を選ぶと思うのよ。じゃあ、前者が900ユーロでも同じ選択をするか、ということが付加価値の価値であってさ。日本はかつて軽工業で名を成したわけだが、そのころ「日本製」イコールチープな、さらにいえば植民地の(占領下の)という意味だったわけだ。それを、「同じ値段なら絶対日本製がいい」と思わせるまでになったのは50年くらいかけて付加価値を醸成してきたからでしょうが。で、僕が今思うのは、それを安売りしない方がいい、ということなんだよね。

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意識して、回り道をする。

自分が好きなもの同士にはそれぞれ連関があり、見えずとも筋が通っている。しかし、そのことをまざまざと理解したのは、自分の嫌いなものと、また別の嫌いなものがちゃんとつながっていたことによるのであった。抽象的なことを言おうとしているのではなくて、感覚として嫌いなものは遠ざけておく方がよい。なぜなら、それがつれて来る仲間はきっと、嫌いなものである可能性が高いからだ。もちろんすべてではないし、不可避のものも多いのだが。意識して、回り道をする。こどものころは、なかなか出来なかった。

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株式相場から教わることは多いなあ。

為替、90円で一旦調整が入るかな、という期待だけできちんと見極めをしなかったせいで売らなくてもいい銘柄を売ってしまったのだけれど、株式相場から教わることは多いなあ。リーマンショックのあと、バフェットが日本株を買うことのメリットとして、5年後も同じ(低迷した)状態ではありえないため、といっていたけれどちょうど5年目でこれ。しかも、途中震災があったことを忘れてはいけない。株式相場から教わることは多いなあ。利益が出た場合どこで使うと良いのか、というと国内で旅行したり、明らかに国産の良いものに振り向けるといいと思うので、僕などTakamineのギターのサイトとかを見てにやにやしてしまうのだが、もう置き場所がない。経済を支えたいと思う人は何をするといいか、というと普通に生活をすればいいのだが、ちょっと意識してお金を落とすところを検討するとなお良い。

日本だけ独歩安という批判は当たっていないと思うのだけれど、過去のことは言うまい。欧米はすごい円高になったときにちょっとしか助けてくれなかったと僕は思っているが(言うまでもないが、アメリカの自動車産業はとにかく円安が嫌い。仕返しもえげつない。トヨタはほんと偉いと思う)。でも、急激に円安に転じると、このように批判を受けやすいのでじりじり安くなる方が本当は良い(だから、現政権はクレバーだと僕は思う。足並みがそろっていない、と批判をしている新聞があったけれど)。メリットもデメリットもあるので、デメリットばかりを喧伝する報道は正しくない。ということはつまり、円高のときも当然メリットはあったわけだが、あのときに円で資金を調達して外国の会社なりなんなりを買っていた企業は賢かったことになる。僕が信用していないフジマキさんという人は円高のほうがいい、というのだけれど、この人は性向として海外資産を持ちたい人だからそういう意見になるだけで、市井の人の参考には実はならない。円安は原料高を帰結するが、燃料については、為替よりも市場取引価格に連動していて、円高だったからガソリンが安かったと短絡的に言えない事を僕は最近教えられた。あと為替は円ドル、円ユーロがすべてではないので、とりわけ東南アジア(中国と韓国を除く)に関心が向いている今、気にするべき指標は別にあるかもしれない(でも決済はドルでしちゃうのか)。チャイナリスクを歴然と見たくせにユニクロのYさんというひとはすごく意固地になっていて、こういう人は危険だよなあ、と思う。

でもまあ、こんなにごたくを並べているくせに売らなくていい銘柄を売っちゃったんだけどさ。株式相場から教わることは多いなあ。

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一月

からりと窓開けてベランダに出ると先ほど見えていた月の姿がない。はてと捜しもとめれば坂の上の神社にある巨木の影に隠れているのである。残雪がなお目立つ。霜に立ち上げられた地面に空気がはらまれるのは明け方。共通一次試験と呼ばれたセンター試験のころは雪が多い。幸運を祈る。外国のラヂヲを聴いて、「錯綜する情報」の比較をする。物事の連鎖を解きほぐして、何に至るかは不明のままだが、人間は不明のものを不明のままで放っておける性質ではないらしい。

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新成人の皆様、おめでとうございます。

Nevar

雪、雪。北国の人にしてみたらそんなの降ってるうちに入らないかもしれないが、東京やらはこれで交通が麻痺してしまう。うちのワンは寒さに震えて銀世界で立ち尽くしておりました。それとコンビニの駐車場で立ち往生してる車があったり。

新成人の皆様、おめでとうございます。

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kindle fire HDさんのこと。

amazon kindle fire HDが来てから3週間くらい経ったので、ささやかにレビュしておきたい。僕はすごく気に入っているので、好意的な記事になると思うけれど、使用用途が合わない人は全く使わない、ということになりそう。どうでもいいけど僕はkindle fireと併せて二台買った。

1.kindle fire HDの優れている点

画面がきれい。これは、本当にそう。
タッチパネルの感度もそこそこ。これが悪いとストレスになる。
音が素晴らしくいい。実はこれが一番有難い。後述する。
デザインがにゅるっとしておる。普通のkindle fireは角ばっているんだけれど、ラウンドデザインなので、手に持った感じが優しい。
2.kindle fire HDの優れていない点
画面はまぶしい。なので目が疲れる。
重い。
PCからの充電はとっても遅いし机の上で邪魔になる。なのでACからUSBにする充電器をお持ちの方は重宝する。これも後述する。
3.どんな風に使っているか
実はもっぱらラジオになっていて、スペインのラジオや、オーストラリアのラジオをずっと流している。あとクラシックチャンネルとかsky.fmとか。kindle fire HDは背面にスピーカーがあるわけですが、ここが大変よく出来ているのだけれど、音は横に出るのです(正確には斜め後ろかも)。だから、画面を上にして置いたとしても音が篭ってしまうことはありません。足元に文庫本かなんか置いといて、壁なんかに立てかけて置けばいいのです。当初BOSE M3に接続の上使うかな、と思っていましたがそうでもありません。ほんと、音はキレイです。
それと、メールを読む機械になっていて、わざわざパソコン立ち上げるまでもないなあ、というときや、ちょっと検索したいときには便利。本気で仕事するぞ、というときに使うものではありません。
また電子書籍リーダとしてなら、ほかにもっとよいものがあるはずです(kindle paperwhiteは持ってないので分からないけれど、多分そう)。新刊本をデータで購入するか、といわれると僕はおそらくそうしないし、旧作をデータで買うかといわれるとやはりそうしないと思う。モノを買うと部屋が狭くなるのだが、そこも含めて買い物は楽しいわけで、今度はそれを整頓するためのものを買ってさらに部屋を狭くしたりするわけです。なので、これが部屋にドンとあったら困るな、というものをデータで購入しクラウドで管理するということはありうるかもしれませんが、やはり僕はCDをCDで買いたいなあ。じゃあ、どういう類のものならデータで買うべきか、というとクラシックの大きなコレクションで、ジャケットはどうでもいい、というものかもしれない。バッハのCD300枚セット、とか。案外ライナーノーツを読まない人も多いだろう(僕も読まない)。そうね、naxosとかbrilliant classicsなんかはここらに需要があるんじゃないか。グラモフォンの古い録音でCDはもう手に入らない、とか言うのもここから買ったら便利。そうね、届くまでの日数がないということはメリットと言える。でもわくわく待つのも楽しいものですよ。

僕思うに、気絶するほど買い物大好きで、毎日毎日amazonさんから何箱も買っているという人は、そこに快楽を見出すはずなので、kindleで省スペースな買い物生活に乗り換えるということはないと思う。そうじゃなくて、ライトユーザーこそ恩恵を受けるものなのだと思う。部屋にCDが10枚くらいしかない人だ。

いや、そうではなくて、データでモノを購入することが既存のモノの価値を凌駕していないのだな。たとえば3000円で買っていたCDを1000円で買えるのであればメリットは大きいけどさ(それでもまだCD買いそう)。
買ってよかったかどうか、というとこれは間違いなくよかったです。何が、というと時間が節約できるのだよね、色々なことの。それこそが最大のメリット。ネット依存性が高くて、外国のラジオをよく聴く人にはきっと便利。電子書籍を読みたいな、という人にはあんまり。タブレットでバリバリ仕事をしちゃうぞ、という勘違いしている人にも向かない。仕事は紙と鉛筆でしよう。

駆動時間は10時間くらい?ラジオとして使うときは画面を切っているのでもっと持つかな。夜充電したいよ、という人、パソコンからだと時間がかかるので普通のコンセントにさしてUSBを充電できる機器を持っていると便利。こういうの。ケーブルを買ってくれば携帯の充電も出来るし。僕としてはクレイドル・スタンド型が出ると良いなあと思うんだけど。案外邪魔なのかな。

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訂正。最初にこの記事をあげたときに、2ポートのUSB充電器をこういうのとしてあげていたのだけれど、使ってみると充電できたり出来なかったりでした。メーカーによるこちらの対応表を見ると、kindle paperwhite以外の機種には対応していないとのことです。せっかく買ったので別のUSB機器を充電するのに使用していますが、どうぞ皆さんは2ポートのやつを買わないでください。お詫びして訂正申し上げます。(1ポートのやつはちゃんと出来ます)

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シラバス

ブラックバスじゃなくて、シラバスといつも言うんだけど周囲の反応がいま一つ。シラバスっていうのは大学の講義概要で、どうでもいいけどラテン語(syllabus)。複数形はシラビー(syllabi)。ワラビー。でも"y"が入ってるから、元はギリシア語なのか?わからん。同じものはスペイン語でel plan de estudioで、そっちのほうが断然分かりやすい。

昨今多くの大学で綿密にして詳細なシラバスを書くことが望まれていて(半ば強制されていて)、正直なところ疎ましく思っているのだけれど、その疎ましさの原因を列挙してみると、案外こっちの努力で改善なりクリアできることが多く、本義的には僕の煩わしさを増加させるものではないことに気がつき、「ああ、シラバス書くの面倒くさいと思っているこっちが未熟なんだな」と思った、さっき。

もちろん、面倒くさいのだけれど、それはたとえば一学期15回の授業それぞれの内容なり到達目標なりを記して、学生に分かるように可能であれば説明の文章の主語も「学生」にして、とにかく丁寧に書きなさい、という。そんなことしなきゃ分かんない学生がいるかいないかはともかく、そうしろと書いてあるんだからそうするべきなんだろう。そんなの無駄だ、というのは個人の意見として尊いが、ルールはルールだ。しゃあない。だから出来る限りの努力はしようとおもうのだけれど、シラバスの本来的な目的はなにか、つまり学生にとって「役に立つ」ことという視点から評価するならば、その授業がどんなものか、そして授業者がどんな人か、が分かることだ。後者について、とりわけそう思うのだけれど、たとえばスペイン語の授業が複数開講されていて内容も似たりよったりだったとして、それならこの人に習いたいなあ、と思う授業をとったほうがいいわけだ。いやなやつにいい授業を受けても、やっぱり身につかないし、授業がしょうもなくても先生に対する親近感が強ければ、身につくものはある。いや、本当に。だから、ささやかなことなんだけれど、授業者はこんな人ですよ、というのがどこかに知れるような、ふと感じられるようなシラバスを書きたいなあ、と思った。でもやっぱり面倒くさいことは否定しない。

ところで、学校の指定するシラバスとは別に、僕授業初回に授業計画表を配布しているので、なんとこれを参考に書けばいいのじゃないか、と気がつく。まあ、それでも相当大変。第二外国語の文法の授業では2012年度教科書を思い切って変更したのだが、2013年度もそれを踏襲したい。講読はこのところずっと小説を読んでいたのだが、思うところあって来年は批評の本を取り上げるつもり。

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オーサカ・フラヌール!

http://osaka-flaneur.tumblr.com/

さささ、最ッ高にクールなサイトだぜえッ!!!

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そうあってこそ薔薇なれば

No la toques ya más, que así es la rosa. (Juan Ramón Jiménez)

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ハーバードシステム

傍証方式はハーバードシステムに準拠のこと、という要項があったので「ハーバードシステム」とは何か、と思うと著者名、発行年、題名、出版社。とする書き方。たとえば、

Marías, Javier, 1996. Cuando fui mortal, Madrid: Alfaguara.
とはいえ、「ハーバードシステム」を標榜しているのに、結構その中でバラバラで、全部コンマでつなぐところや、コロンを使用しないもの、出版社、出版地の順番になっていたりするものもあり、結局はその雑誌なり学会にあわせるしかない。

じゃあ、それを総じてハーバードシステムと呼ぶことにも問題があるかもしれないが、これは実際のところは著者名、年、というように書き手のあとにすぐ年が来るところが重要視されているので、その他の差異はあまり重要ではないらしい(実際APAと呼んでもいいだろう)。出版年が最後に来るのが、ヨーロッパに親しい人だと当たり前だが、このシステムは文中(Marías, 1996)と傍証できることが重要で、その意味では名前のあとに年がくる参考文献のほうが当然便利なのである。

僕も意識せずこうしていたことがあって、というのもMLAは書物でも論文でもタイトル(かその一部)を引用に際して書くことを指示しているのだが、いかんせん邪魔くさいのだ。だから、たいていの人は、最後の参考文献の書き方だけ注意すれば特に困難は憶えないはず。
で、面白かったのはなぜこの方式が「ハーバードシステム」と呼ばれているか、についてEli Cherninが書いた文章

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「Fly Forward」であった。

で、ヒラリー・ハーンのかっこいいヴァイオリン・コンチェルトはジェニファー・ヒグドンのそれで、第三楽章「Fly Forward」であった。ヒグドンがスペイン語で上手く発音できないため、聞き取りづらかったわけだ。ヒグドンは1962年生まれ、存命中の作曲家。この作品はヒラリーに宛書というか、献呈されている。すごいなあ。で、さまざまな媒体で好意的にレビューされているわけだが、聴くと疲れる。全編通して聴くと、彩り鮮やかであるけれど、こういう音楽を始終聴いているわけにはいかないだろう、と思うのだ。で、同じCD に入っているチャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルトに移ったときに深い安堵感を憶える。

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これはっ!

http://www.flightradar24.com/

http://www.demap.info/tetsudonow/

船のやつもあるんだろうなあ。

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意地、みたいなもの。

何度か書いているように僕は2005年のXPマシンでずっと作業をしていて、今書いている論文もそれでいけたらいいのにな、と思っているのだが最近どうも不具合が多い。で、別にあったVistaマシンに今のXPの設定やらを引っ越した。データのバックアップは別にとってあるから、そのこと自体の心配ではない。作業環境と使い心地、気分の問題。あとは、どちらをメインで使っていくかなんだけれど、僕としてはギリギリまでXPマシンでやりたいのよね。意地、みたいなものか。まあ、OSにも機種にも環境にも依拠せずに作業できる時代なんだけどね。XPのサポート終了が2014年、Vistaは2017年なので、結局2014年より後になっては乗り換えることは規定路線なのだが。最近タブレットを入手して、ubuntuの魅力がごっそり減ってしまったのだけれど、どうしたものか。

サイモン・アンド・ガーファンクルを聴きながらビールを飲んで、さる五月に83歳で物故したフエンテスのセルバンテス論を読んでる。

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今年は三つしか仕事をしない。

あけましておめでとうございます。遅ればせながら。

過日、「ネットラジオも視野に入れたCDレシーバーが今後標準になる可能性は大いにある。」と書いたのだけれど、このところkindleで遊んでいて考えを改める。ネットラジオCDレシーバーは諸々のアプリを積んだスマホやタブレットに勝てない。だから、CDというか、アンプ性能を高めることが存続の道だ。

いまさらながら、『エクスクレイヴ』はいろいろな人に支えられていたのだなあ、と思う。ほんと、ありがとう。

ヒラリー・ハーンの演奏するものすごいヴァイオリン・コンチェルトがネットラジオで流れてきて、曲紹介がスペイン語であまりよく聞き取れなかったのだが、多分これ だとおもう。ヒラリー・ハーンの名前はどうしたわけかこの年末何度も耳にしたのである。早速注文。正解だったら新年最初の授業でかけたい。授業で音楽をかけるのは、今年度までで一旦終わりにするつもり。自分の中で紹介できるもののストック(本の紹介も含めて)がちょっと枯渇してきた。
今年は三つしか仕事をしない。もちろん授業とかは別にして、の話だが、要するに頼まれ仕事を受けない。ただし、昨年のうちに請け負ってしまったものについては責任を持ってやり遂げる。そういうのが結構あるんだけどさ。詳細はまた折々にご連絡させていただきます。三つだからねッ!

一時期なりを潜めていたファイナンシャルプランナーや資産設計アドバイザが跋扈して、喧しくなりそう。おいおい、雲隠れしたことの釈明はいつするんだい?いや、真面目できちんとした人がいるのは分かっている。でも、森永氏や勝間氏はとても胡散臭い。話は変わって巷で騒いでるけれど90円でも円高、まだまだ。欧米がどれだけ日本にしわ寄せしていたかを考えると、脱力してしまうが、それでも町の風景は案外変わらなかったことには驚きを禁じえない。もちろん変わったものは沢山あったけれど。今苦しい人は、もうちょっとだけ耐えてみて。にしてもアメリカ合衆国は富裕層が厚いんだね。あと、「経済の崖」って呼び方を止めないか?いろいろ曖昧かつ不透明だ。新自由主義経済の帰結なのであって、ギリシアに端を発したEUの経済危機がなかったらもう少し延命できた、そういう雰囲気。とはいえ引き金はサブプライムローンですでにアメリカ合衆国が引いていたけれど(先だってベア・スターンズの名前を思い出せなくて難儀した。人間って忘れる生き物だ。連鎖して引き起こされたリーマンショックの時、日本はすごく迅速に対応している)。

2013年が皆様にとって幸多からんことを祈って。

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