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2012年3月

間違い

きわめてよくやる間違いは、一方で気がつきにくい。ひとに指摘されても気まずく、ひとに指摘するのもまた気まずい。

こちらのサイトで教えていただいたことですが、領布(りょうふ)ということば、よく使われているけれど、そんな言葉は存在しない。正しくは頒布(はんぷ)。分けるという意味が明瞭になる。しかし令と分が似ている所為で、こんなことになってしまうのですなあ。

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郷に入りては郷に従え

「郷に入りては郷に従え」

英語でもスペイン語でもそれぞれ勝手なことを言っている。まさしく、郷に入りては、だ。

(A) Donde fueres haz lo que vieres.
「どこにいようと、見たとおり振舞え」

When in Rome, do as the Romans do.
「ローマではローマ人のするようにせよ」

イタリア語の"Paese che vai, usanza che trovi."はスペイン語と同じ系統で、ポルトガル語の" Quando em Roma, faça como os romanos."やフランス語の"À Rome, fais comme les Romains (À Rome, on fait comme les Romains.)"は英語と同じことを言っている。

で、その起源と言われているのがこれ。

Si fueris Rōmae, Rōmānō vīvitō mōre; Si fueris alibī, vīvitō sicut ibi.
("if you were in Rome, live in the Roman way; if you are elsewhere, live as they do there")

ラテン語ではなんと、両方あるのだ。でもラテン語でわざわざローマにあっては、なんていうものかね、と思ったけれど、ローマ帝国イコールローマではないので、その周縁辺縁外縁の人が異なる習慣のローマで振舞うときの教訓としたとも取れる。じじつ、最初に言ったのはアンブロシウスということになっているが(まあこういうのは眉唾だけど)、ラテン四大教父のこの人はトリアー(今のドイツ、だね。でもトリアーにはラテン語の遺跡など残っているので、辺縁とはいえ精神的には中央に近いほうか)生まれだ。このひとは、アメ車のコルベット(Corvette)とは関係ないが、コルベッタ(Corbetta)とは関係がある。沈黙せる読書の最初はこの人だって、これもまた眉唾だ。

結局、帝国の首都という性格も含めて、ローマという地名を入れることが効果的な場合と、そうでない場合があって、でも系統はこの二つといえる。さらに、ローマの人は「ローマでは・・・」といえないわけで、後者のほうがpolitically correctっぽいけれど、権勢を誇った時代スペイン人はもっと横暴なことをいっていたであろう気もする。

でもスペイン語版のほうが韻を踏もうという気概があって好きだ。英語はちょっと素っ気無い。

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La destrucción de Numancia en la Historia general de España de Juan de Mariana

hic.

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ナンバープレートを守りたい!

どうでもいいことといえば、どうでもいいかもしれないのだが、国土交通省が車のナンバープレート形状を変更したいと考えている。

「ナンバープレートのあり方に関する懇談会」中間とりまとめというのがそれだけれど、

自動車ユーザーからは 「我が国のナンバープレートも海外のような横長にした方がスタイリッシュであり、望ましい」というような声も少なからず出てきているところである。

嘘つけ、と思う。そう思っている人がいてもマジョリティではないと思う。とはいえそれも僕の誤解かもしれないが、数字もないのにこんなこと唐突に言い出すのは変だ。どれくらいの人がそういっているのか、それを踏まえてからにして議論したいところだ。

メリットもデメリットも慎重に検討されるべきだろうが、メリットが相当でない限り、いろんな人と業界に負担を強いる変更をするべきではないし、ヨーロッパなど海外のそれを見て真似しようというのはよくない。

情報の表示が一列で出来るメリットをうたっているけれど、すでにあのプレートに見慣れていること、地名表示については日本語がイディオグラムであることで充分相殺できる。わざわざ横長にする必要があるとは思えない。さらに、ナンバーの情報が一様に一列になったとしてもそれを情報処理のしやすさと混同するのは間違いだ。横長ならひき逃げにあったときぱっと覚えられるか、というとそうでもないだろう。今は4桁の数字を覚えて、車種と形状が分かれば大体特定できるのだ。

それ以外の情報の管理については、将来的には文字情報と別にチップに車両や登録、運転者等、プレートに納まらないだけの情報を取り込むことなども考えられるので、それは横長にするまでもなく充分今のまま対応できる。

さいごに、提案されたプレートと現行のそれを見比べたときに、ああナンバープレートもコンテンツだったのだ、と気づかされた。つまり、風景の中にこのプレートをつけた車があればそれが日本だと分かるのである。これ自体が日本であることを提示できる資産なのだ。それをわざわざほかと区別の付かない形状にするというのは、大いなる喪失である。別に細長いプレートが世界標準でもないのだ。わざわざ変える必要など、特にメリットもないといわざるを得ない。

とはいえ、このとりまとめに対して意見を出さなければ、ナンバーを変えたくて仕方ない人たちに押し切られてしまう可能性がある。

ナンバープレートの見直しに当たっては、既に様々な場面でナンバープレート情報を活用した社会活動が行われていることを踏まえると、見直した場合の影響は広範囲に及ぶこととなることから、今後、広く国民・関係機関の意見を聴く機会を設け、その結果も斟酌した上で、見直しの方向性の成案を得ることとする

としているけれど、ちゃんと意見を拾ってくれるかどうか、それさえ疑わしい。それでも、声を上げないよりはましである。意見募集については、こちらに要項がある通りなのだが、平成 24 年 3 月 26 日(月)から平成 24 年 4 月 24 日(火)17 時まで メール、FAX、郵送で提出できる。できれば郵便による書面、FAXも送りたいところだが、まずはメールで。

日本のあの固有なプレートがなくなってしまうことを悲しいと思ってくれる方はぜひ、
g_TPB_GAB_JIJ@mlit.go.jp
のアドレスに※件名に「ナンバープレートのあり方に関する懇談会中間とりまとめに対する意見提出」と記載して、反対意見と理由を送信してください。おそらく下記の情報を添える必要がある。なんだか、こういう情報を載せることへの躊躇を利用して、反対派をサイレントマジョリティに貶めようとしている気がする。

氏名:
住所:
所属:(団体名)
    (部署)
電話番号:
電子メールアドレス:
ご意見:(ご意見)
     (理由)

なおFAXを送る場合は:
国土交通省自動車局自動車情報課 あて
F A X:03-5253-1639
※冒頭に題名として「ナンバープレートのあり方に関する懇談会中間とりまとめに対する意見提出」と記載。

郵送での提出ならば:
国土交通省自動車局自動車情報課 あて
〒100-8918 東京都千代田区霞ヶ関2-1-3
※封筒に「ナンバープレートのあり方に関する懇談会中間とりまとめに対する意見提出」と記載。

問い合わせ先は

【連絡先】 自動車局自動車情報課 因泥(いんでい)、梶 井 代表 03-5253-8111 (内線 42-113、41-146) 直通 03-5253-8588

キュートなナンバープレートを守りたいッ!というかたはどうぞ力を貸してください。ナンバープレート変えるより先にするべき仕事がこの国には山積しているのに。

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バラカンさん。

このところとても好きなものにinterFMのBarakan Morningがある。interFMは近所に横浜中継局があるので、とてもキレイに入る。音楽だけでなく、アメリカのニュースを読んでいたりするので楽しい。

そしたら、番組が終わるっていうじゃないか。なんだかなー。バラカンさんの誠実な態度に好感を覚えている人も多かっただろうし、番組の選曲の面白さのファンも多かっただろう。情報の発信もとにかく早い。

朝の楽しみがひとつ減りますな。

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言及それ自体の不在

今書いている文章で、あと3ページくらい書くと書き終わる章があるのに、それが書き終わらない。そういえば、5,6年前、修士論文も残り400文字が書けない、というようなことがありましたっけ。どうしちゃったのかしら。

そんなことはどうでもよくて、困ってるときに読むつぶやきシローさんのつぶやきはおもしろいよね。いや、おもしろいってほどじゃなくて、ちょっとおもしろい、くらいなんだろうけど。

少し古いスペイン語の言い回しだとluego(あとで)が(すぐに)の意味だったりするけれど、ちゃんと辞書を使って調べて「なるほどなー!」と理解したわけじゃなくて、文脈上そう読まざるを得ない、その結果理解してしまっていることが多い(現代以外をやっているとどうしてもそういうことはあるのだけれど)。でも、いつかちゃんと確認しなければなあ、と自分を戒める(中世の用法の辞書とか、古い辞書そのものを見れば確認できる)。さらにこれ、辞書を引くとラテンアメリカ(のいくつかの国)ではそういう意味らしいのだけれど、それは昔スペイン語が伝わったときの名残なのかもしれない。おっと、これもいつかちゃんと確認しなければなあ。

そういう例がいっぱいありすぎて忘れちゃうことが多い。困る。

先ほど気が付いたのだけれど、『ソラーヤ』はチェルケス(グルジアらへんにあった国)を舞台にしていて、18世紀のチェルケスといえば異郷でしかないので、あまり正確な知識はなかったはずで、それが戯曲の中でほとんど地域の特徴を示す描写がないことに影響しているのかもしれない。お話自体は常に宮殿の中で推移するのだけれど、同じ特徴は中国を舞台にしたトリゲロスの『ウィティン』にも認められる。もちろん18世紀の演劇は大々的に舞台の転換があったりするわけではないので(場所の一致というやつですな)、そういう描写がいらないといえばいらないのだけれど、極端に少ないといえば極端に少ないのである。描写と言っても小説ではないから縷々と力説する必要はないのだけれど、言及それ自体の不在だ。

最近ちょっとlubuntuを試した。Unityが使いにくいため。XPが終わったらLinuxへの移行を検討している人には一番使いやすいかも(見た目とか操作が)。ただスペイン語の書き方が例によってわからないんだよなあ。わかるにはわかるんだけど、ワンタッチで切り替える方法がわからないんだ。日本語と英語しか使わないよ、という人は今から移行しても一切困らないだろう。

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はっとさせられることが非常に多い作品

『ソラーヤあるいはチェルケス人たち』とはカダルソが1770年ごろ書いた戯曲で、おそらく彼の最初の戯曲。正確な執筆年代がわからないながらなぜそう思われるかというと、この作品は検閲によって発表が禁じられたのだけれど、以後カダルソは筆名を使うようになるので。

ところで、レリダ大学のサラ・バルダウラという研究者がこの作品を18世紀悲劇の最も素晴らしい作品としてロペス・デ・アヤラの『ヌマンシアの崩壊』、ガルシア・デ・ラ・ウエルタの『ラケル』とともに高く評価している。僕も完全に同意。ただこの後二者は実際に上演されたのに対して、『ソラーヤ』は上演されたことがないのだけれど、テクストを読むと随分複雑な戯曲であって、こういう仕組みなのか、これはあれに対応しているのか、ということが沢山出てくる。本当に、スルメのような作品なのである。最近では2幕と4幕の冒頭部分が対照的に配置されているのでは、と気がついて感心した。祖国を連れ去られる女たちの親縁の悲嘆と、当の女たちの悲嘆が代弁されているのだが、見事に呼応している。それと、「私もまた」のような表現が出てきたときに、何ページか前の別の誰かのせりふにちゃんと対応していることがあって、ふむふむと思う。

ところで、誰もまだ明らかにしていないことだけれど、作品の舞台チェルケスには王がいないという設定になっている。主人公は元老院のメンバの娘という設定。チェルケスはタタールの貢納国になっているのだけれど、なんでわざわざ王様不在なのかな、と思っていたら、これは王が唯一無二の中心であるため、なのだろう。つまり宗主国タタールの王に対立するものは別の王であってはならないのであって、結果臣民(貢納国ではあるけれど)を代表するものとしての役割が元老院を通じて示されていることになる。

その他もろもろ、はっとさせられることが非常に多い作品なのである。

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長いもの

「長いもの宅配」ってなにかしら?とおもったら長芋だった。

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「ス」か!

ももいろクローバーZテレビ初生ライブ、最後の決めポーズはなにかしら、と思っていたのだけど、カタカナの「ス」ですな。

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タクソノミを離れて。

実際に手をつけてはいないのだけれど、文献の整理についてはこういうやり方がもっとも能率的だ、と思う方法がある。

それ以前にやっていた、非能率的な方法についてまず述べると、僕は書籍はともかく、論文のコピーなどは著者のアルファベット順に並べていたことがある。しかし600件を越えたあたりから(この数字は僕の関心の対象であるカダルソ研究に限定した数。ほんとうはもっと多い)取り出したり、元に戻したりするときにしんどくなってきた。かつ、新しい資料を追加する際にも、いちいち著者名、タイトル、出版年などを確認する手間があるので、嫌になり整理の方法を検討しなくてはいけないと思った。

必要なのは検索の簡易さと無限に増え続ける資料の追加の問題で(スペースの問題はここでは省く)、これには以前仕事をしていたときにアクセスでデータベースを作っていた経験が生きるのだが、IDを打っていけばどんな順番でも用意に取り出せるし、元に戻すときもそれほど苦労はない。そもそもアルファベット順にしようという発想自体が、オーダーへの憧憬に過ぎなかったのだとわかる。まさかそんなことを今更する人はいないかもしれないけれど。

いずれにしても、資料などを何らかの基準で分類するよりは、分類せずに新規にIDを付していけばいいのであって、必要に応じてテーブルに情報を追加し、それをソートすれば、検索さらにはグループ化にも大いに資する。最初にタクソノミがあるのではなく、構築されていくデータの中にタクソノミを与えていくのだ。結局、貪欲に読んでいく好奇心自体が尊いのであり、また新たなるオーダーを生み出していくのである。

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パッケージの変更

Augustin

で、弦を張り替えるわけだが、いつも4弦から切れていく気がする。これについては、偉大な先人がこのようなことをおっしゃっている。

 ギターの弦は、なぜか圧倒的に4弦が切れやすい。  なぜ中間の太さの4弦が切れるのだろうか。  サラリーマン社会でも中間管理職は上から押さえつけられ、下からはつき上げられてストレスが溜まる。  突然、キレたりしても不思議はない。それと同じようなものかな。


オーガスティンの弦はパッケージが変わった。黒い紙パックに白い紙パックが3種類入っていて、それぞれのパックに1,4弦、2,5弦、3,6弦があわせて入っている。最初はびっくりした。低音弦だけ張り替えるということがクラシックギターには多いので、1,2,3弦はそれぞれちゃんと紙パックに残るということだ。よく出来ているなあ。

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ビセンテ・アミーゴを見に行く。

すみだトリフォニーホールにビセンテ・アミーゴを見に行った。震災から1年というタイミングで来てくれたのもうれしいし、演奏も素晴らしいし、アンコールもすばらしい。休憩なしの2時間、精度の高い演奏、いやはやもうなにをしているのか目にも留まらない。それなのに音は粒立ってすごかった。CDも素晴らしいけれど、実際会場でその音に触れるということが、いまさらながらとても大事だと思う。

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これから就職活動をする人たちへのささやかなアドバイス、あるいはSOHO指南。

証明写真、とりわけ就職活動用(バイトも含め)の履歴書に貼る写真で、大学3年4年の人は枚数も沢山いるだろうし、大学生協なんかが業者さんを呼んで撮影しているケースもあろう。で、枚数が10-20枚で5000円くらい取られるわけだが(もっと取られるかな?)、それは経済的ではない。

かといって、スピード写真を撮りなさい、というわけではない。履歴書というのは視覚情報で、そこから読み取れる限りのものしか資料として役に立たない。ということは、何らかの志がある人の思いが写真に現れないのであれば、圧倒的に不利である。

とすると、写真はプロに撮ってもらうのがいい。機材も撮影環境も含めそうに決まっている。とりわけ昨今デジタル時代だが、デジタルゆえに写真屋さんに撮ってもらうのがいい、と僕は思う。お気に召すまでお撮り直しいたします、とはデジタル時代の特権だ。

そこで。

写真はプロに撮ってもらう。データはJPEGで貰うようにしましょう。このデータをこのサービスを利用するとセブンイレブンで現像できる。登録などは不要。すべてネット上で完結する。べんり。

僕の知る限り、コンビニのコピーで最強なのはセブンイレブンで、マシンは富士ゼロックスが納入している。およそ、こんなものが手軽に使える国はたとえばヨーロッパにはない。向こうにあるのは白黒でさえ冗談みたいな機材で、日本はすごい、と思わざるを得ない。留学中いつもそのことを思っていた。(ところで、近所にセブンイレブンがある人はそこを拠点にSOHOとして使えるよ。プリンタを買うよりもずっと安上がりで高画質、メンテナンス不要だ。)で、あなたの写真データを富士の技術で現像するのである。3枚つづりで200円だが、スピード写真より安い。

仮にスピード写真を500円とする(もっと高いところもあるだろうけれど)。プロに写真を撮ってもらうとしてカメラのキタムラを利用したとしよう。カメラのキタムラでは1500円から証明写真をプロの機材で撮ってくれるサービスがあるのだが、500円プラスするとプレミアムというカテゴリになる。こちらを利用したとして2000円だ。写真は4枚、カットしたものが付いてきて、JPEGデータのCDももらえる。セブンイレブンのサービスを利用すると写真は3枚つづりだ。

すると、毎回スピード写真を撮るとして

500*n/4 が一枚あたりの単価になる。これは常に125円。

キタムラのデータ(プロの撮った写真)をセブンイレブンのサービスを利用して焼き増しすると、初期費用は2000/4なので500円と高いのだが、以後1枚当たり66円で焼き増しできることになる。

損益分岐は28枚目から29枚目(1枚あたりで言えば29枚目から30枚目なのだが、綴りでしか印刷できないことを考慮したらこうなる)。29枚以上証明写真が必要な人は確実に120円以下で証明写真をつくることが出来ることになる。

ところで、僕は就職活動をしたことがあまりないので、証明写真がどれくらいいるのか分からない。けれど、29枚以上必要になる人はこの方式のほうがお得になる。(実際にはもっとお得にする方法はあるが、それは自分で考えてほしい。ヒントとしては、3枚綴りを4枚にすれば手っ取り早い。そうすると21-24枚目まではトントン、25枚目以降得をする。ほかにもいろいろ方法がある)

いずれにしても、プロに撮ってもらう、あるいはプロの機材で撮ってもらう(こっちのほうが大事だ)ということを譲らない選択肢としては、これもありだとおもう。これから就職活動が視野に入ってくる学生(4月からの新3年生)の皆さんはぜひ検討してください。JPEGだと加工も出来る。JTrimを使っていろいろやってみるとよろしい。素晴らしいソフトだ。

あと、まだまだ就職活動なんて先だ、というひと。免許の写真だとか学生証、パスポートの写真を撮るときにこのサービスを利用すると良い。なんといってもデータが手元に残るのだから、それを使いまわせるとしたら、初期投資として最良だ。(え、3ヶ月以内に撮影したものが必要?でも、若く見えたほうがいいでしょ?)

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チャーリー浜かよ。

年を重ねるにつれてヒゲは濃くなり髪は薄くなっていくのであろうな、と思う。ところで、ニベアのシェービングフォームだが・・・。


Nivea

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ときどきは

ときどきはぼくもスペインに行きたくなる。Vista

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1年と1日

3月11日を風化させることにあるいはなるのかもしれないけれど、節目をつけることはリセットするために必要なことだろう。だから3月11日の直近の営業日(9日のことね)で日経平均が10000円台を記録したことを僕はすごくいいと思ったんだよね。数字自体に感情はない、だけどマーケットには感情も影響しているのだから。

ちなみにちょうど1年前はリーマンショックから復活してこれから日本経済は大きく回復するぞ、という矢先だった。僕はリーマンショックのころ街頭の電光掲示板で株価を見たことは覚えているけれど、地震の日にそんなものは見なかった(取引時間の終わる寸前ということもあるけれど)。もっと、意味不明のことであったし、僕は家にいて、マンション中のガラスが揺れる音をとてもうるさい、怖いと思った。そう、とても大きな音がしたと記憶している(実際はどうだったのか)。本棚からはすこしばかり物が落ちて、僕は書架を押さえながらどうしようもなく「びっくり」した。それから犬をつれて外へ出たけれど、多分マンションのドアを開けて、けれどそこにとどまっているのが正解だったと今は思う。

ありとあらゆる分野で、関係ないでしょ、と思っている人まで含めて、この地震が残した爪あとは大きくて、だから感傷的ではない形で、しかし地震からの復活(復興ということばに、欺瞞はないか?)を寿ぐメッセージを探したい。言葉じゃないもので確認したかったのだ。

今日もマーケットがひらく。

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ノビタのYシャツ

YシャツのタグにNOVITAって書いてある。人違いだよ、トミタだよ。

novitàのことか。

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あっ!

日経平均が一瞬10,000円超えましたね。

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曖昧に困った顔をして

誰しもがいいというものが、自分はどうも好きになれないときに、なんだか自分がひねくれているのかな、と思うこともあったのだけれど、あるのだけれど、これからもあろうけれど、べつにそれはいいし、かといってそれを好きな人の前で表明する義理もない。大事なことは、自分があまりそれを好きでないものを、好きな人がいる、ということを受け入れられることだ。

例: モツ料理が苦手 → わざわざ食べることはないし食べに行くこともない → でも、モツ料理が好きな人がいても全然困らない (食べに行こうと誘われたら、曖昧に困った顔をする!) ※モツ料理に恨みは一切ない。

実際には「誰しも」という「誰か」はいないのだから。大切なのは好き、嫌いの豊穣な広がり(趣味、好みの多様性)であって、好き、嫌いの間でつぶしあいをする必要はまったく持って必要ない。そんなことよりも、好きなものを増やしていくほうがいいし、かつて苦手だったものがあるときから好きになることもあるので。

明日からも曖昧に困った顔をして暮らしていく。

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3月

以前の日記や手帳、カレンダーを見返すと、けっこう愉しい。

ああ、こんなことをしていたな、とか、このころ随分忙しかったな、というその時の雰囲気がわずかながら、あるいは明瞭に思い起こされる。

カレンダーについては、ぼくは一日一日日付に×をつけていくのだけれど、なんらかの締め切りがあるときは切羽詰っている感じがその筆致にあらわれているし、そうでないときもそうでないときで、なかなかに味わい深い。

3月自体は大学の授業がないせいで割りに静かな季節だけれども、昨年はそうでもなかった。あの日に人生がすっかり変わってしまった人もあるだろうし、直接に影響を受けたのではなかったとしても、必ずさまざまな人に影響を与えているだろう。

もう、1年が経とうというのか。

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オンキヨーさんにエール。

オーディオ関係のブログなどつらつら読むに「比較(聞き比べ)するからいかんのだ!」というような文言を見つけてもっともだー、と思った。僕はBose M3とOnkyoのひとつ前のFRを使っているのだけれど、何の不満もない。もう冷蔵庫みたいなサイズのスピーカーを鳴らすことはないはず。まあ、先のことはわかんないものだけれど。
Onkyo

Boseについては事あるごとに書いているので繰り返さないが、修士論文提出した自分へのご褒美に買ったものだけれど、ほんと良かった。

で、オンキヨーさんはこんないい音がする製品を3万円くらいで売って(それをずっと続けていて)いいのか、って感じで株価はこのところ仕手筋にやられてる気配だけど、そんなことはさておいても大好きすぎて困る。

いいものを作ってる会社は必ず評価されるので、これからもぜひがんばってください。

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