« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月

夏が来る/授業を受ける権利を奪うということ

今年の夏も暑そう。避難所など、体育館や公民館などである場合、涼しい環境を作ることができるのだろうか。電力不足を懸念していなかった昨年は、暑くて命を落とす場合もあるので、クーラーなどをしっかり利用するよう奨励されていた気がする。けれど今年は後ろめたさを覚えないわけには行かないだろう。

空調をいれない電車が多く、大学などでもクーラーを使えなくしていたのだが、最近あまりに暑いので入るようになっている。そうすると今度は寒すぎて具合を悪くする、という場合もあって、人はまことに都合が悪い。せめて水分をしっかりとりたい。

夕方を過ぎればビールが飲みたくなって、暑いところで冷たいビールを飲むのは最高の贅沢だなあ、と思う。千野栄一さんの『ビールと古本のプラハ 』を読みつつ、いつか行ってみたいなあと思う。その中に、ビールとは関係がないのだけれど、こんな文があって楽しい。

私は動物園と水族館が大好きである。動物園が好きなのは動物が好きなのと、動物園に一番多くいる動物の子供、とりわけその子供が動物を見て楽しむ姿を見るのが好きだからである。「二つの動物園」

僕は動物園に行かないのだけれど、動物園に一番多くいる動物の子供も、動物園の動物も元気に夏を乗り切ってほしい。

暑さと電力の心配、その他、大学の授業が削減されるケースなどあって、賛否両論だろうけれど、学生から授業を受ける権利を奪ったことだけは事実として記しておく。僕は必ず埋め合わせをするつもり。授業時間を削っても成立する授業は、もともとそれくらいの内容しかなかったのだ、と思う方もあるかもしれない。けれど、それはまったくの見当違いだ(計画を日々見直しています)。授業をやっても学生は来ない、という方もあるかもしれない。けれど授業に来る権利はあるのである(授業がなければ、それがなくなるのだ)。ゆるやかに時間の流れる教室でなければ学べないことがあるとして、その余裕さえ。語学の教員のくせに偉そうにいうが、何百年何千年かかって人間が研ぎ澄ましてきた言語を駆け足で教えるような愚を犯してどうするのか。大学で。

|

まず、ゆっくり読むこと。

友達と話をしていたとき。たとえばある文書を訳していて、日本語で分からないものはスペイン語でも英語でも分からないんだよ、と冗談を言った。得心がいっているときであればすんなりと対応する表現が見つかることもあるし、そうでなくても「この訳では、違うんだよなあ」という感触は少なくともある。むしろそういう実感なしに、字面だけ訳してしまっているとき、そこには違う意味が生成されてしまう危険をこそ察知しなくてはいけない。

いいですね、たくさん本を読んでいて、と言われることがある。ぜんぜんそんなことはないです。そしてそのことを悲しく思う一方で、本なんてたくさん読めばいいというものではない、と思う。正確に言えば、たくさん読むのはいいかもしれないが、急いで読んでも意味がない。ゆっくりと味わってこそ、なのは料理と一緒。そしてその折々に出会うべき書物があり、今出会わなくてよい本も数多いのだろう。どうぞ、焦らずにゆっくり読んでください。

鶴ヶ谷真一さんの『月光に書を読む 』の帯に

まず、ゆっくり読むこと。

とあった。本当にそうなの。

F201106

|

明日!

パラドクシア・エピデミカ ─ ルネサンスにおけるパラドックスの伝統』御開陳。表紙はすでに公開されている。かっこいい!

ガラスのような幸福 』を読んで渇を癒す。

ところで一昨日より熱を出して体調が悪い。こういうときに長ーい、分厚い本を読むといいと思う。

|

皆既月食/NAFTA

6月16日は明け方に皆既月食。南西の空のほう。そんな時間に起きていられるかどうかは分からないけれど、起きていたらビール片手に楽しみます。

学生さんにNAFTAについて調べたいのですが、と言われてあたふたする。な、なんだっけ。なんか北米なんとか・・・。

North American Free Trade Agreementの略称。スペイン語ではTratado de Libre Comercio de América del Norte (TLCAN)という。ああ、FTAと入っている。概略は外務省にもあり、NAFTAのページも三ヶ国語で用意されているのだけれど、大西洋を越えたことのない僕が何をか言えることはない。数字を見て、ああEUより大きいのか、すごいなあ、と素朴な感想を抱いたくらいで。書いてあることを読んでも、あまり興味が惹かれない。

世界の人口統計なんかも併せて見、日本より人口が多い国がいっぱいあり、かつあまり巨大な国という印象が僕の中にはない国も含まれていて、こちらも素朴に驚いた。日本はこれから人口が減っていくので、どんどん追い越されていく。人口が多いことが国力ではないけれど、国力のベースになるものではある。ゆるやかにヨーロッパがその覇権をアメリカに奪われていったように、日本はどんどん小さな国になっていく。けれど、今までが分不相応に大きかったのだなあ、と思う。いろいろなことを含めて思う。

で、NAFTAなのだけれど、出来たのが92年(94年発効)。なので僕は社会の授業などで言及されるのを聞いたことがあるかもしれないけれど、まったく関心がなかった。そして今どうあるかをまったく知らないのだけれど、南北問題を助長させそうだな、というくらいのことしか思わなかった。ただ南北がふたつのことを意味していて、NAFTAの中の南北と、NAFTAとその南、というもの。カナダ、アメリカと一緒にFTAを結んでメキシコが食い物にされてしまうのでは?というのは杞憂だったのか。少なくとも強力な経済パートナーとなった。NAFTAとその南に断絶があるのかは知らない。個々の国と個別にFTAを結ぶ国はあるようで、わざわざNAFTAと言わないところにはきっと理由があるのだろう。スペイン語圏をたとえば中南米と呼ぶのは間違いで、地図で見る限りメキシコは北米じゃないか、と思う。メキシコを北にして南北問題もあるのだろうなあ。

まもなく10年を迎える。NAFTAそのものについては僕の関心の外にあるものなので適当なことはいえないけれど、こういう切り口で(たぶんゼミの発表とかなのだろうか?)考えたら面白いかもね、という素人くさい提案が出来る程度には勉強しておくべきだったなあ、と反省する。

|

センセイの通信簿

昨今大学では授業(評価)アンケートを導入しているところが多い。僕も先だってひとつ受け取りました(学期中にあるのは珍しい気がする)。

大まかに言えば、その授業に対する満足度を計る、というものなのだが、中には学生自身についても「あなたはこの授業にまじめに参加していますか?」と問う項目もあって、興味深い。教える側としては一方的に勝手なことを書かれてしまうのではないか、という恐れもあるかもしれないけれど、実際まともな授業をやっていればあまりへんなこと(悪口とか)を書かれることはないはず。へんなことを書かれたくなければちゃんと授業しましょうね、と困った教員に釘を刺す機能もあるのだろう。

さて、授業というのは先生が一人で作るものではないので、評価のいい授業というのは学生がいいんだよ、と思う。もちろん事前準備などで言えば教師の側でするべきこと、できることはたくさんあるけれど、一方で学生の意欲が高いとこちらも興に乗っていろいろ話してしまう。

そんなわけで、僕は学生に恵まれています。

|

可聴範囲

若い人が「もう年だから」というのは若いせいで、三十路に入ってからはとてもじゃないけれどこんなことは口にしなくなりました。でも衰えを感じる機会は人さまざまにあるはずで、僕は蚊に刺されやすくなったこと。

どういうことか。

人間の耳は20-20,000ヘルツの音が聞こえるといいますが、加齢とともに高音域が聴こえにくくなります。僕の場合は、実験してみると、14,000ヘルツなどとても聴こえません。つまり可聴範囲が狭まってきているので、蚊の羽音に気がつきにくくなっている、ようなのです。実際にはこれよりもずっと低い音で飛んでいる気がしますが、倍音も含めて「気がつきにくくなっている」みたい。

これから大変だわ。

|

パテ

Pate

先日スペインにいった折、買ってきたサーモンのパテ。魚介のパテも、レバーなどのパテも、チーズのパテも、おいしい。スペインは食べ物がおいしいのがとてもうれしい。食べ物で困ったことが一度もない。お酒もおいしいし。

スペイン研究をしている人が「好き、スペイン大好き」となってしまうのはよくないと思うのだけれど、「こういうところがいいところ」と素直に言えるようになってきた。嫌なところもたくさんあって、いいところもたくさんある。要するに、ほかの国と同じです。

|

学生さんの復興支援ボランティアのこと

震災の被災者を手伝うボランティアに参加する場合など、欠席にしないなどの措置をとる大学があって、学生がそうしたことに参加しやすい環境になった。専門的な知識や技術を有する人から、労働力としてのサポートまで間口は広いだろうから、数が多いほうが助けになるのかもしれない。部活やサークル単位で参加したら、ある程度人数もあつまり、そのグループ内の結束もあるだろうからはかどるかもしれない。

そんなことを思ったのは、学生さんから「ボランティアに参加していました」、という届けをいただいたから。ご苦労様でした。

その中に、被災地の様子と活動についての所感を記したところがあって、被害状況は悲惨だけれど、避難所などの子供の明るい様子に逆に元気づけられた、というようなことがあった。実はこの四月それぞれの大学に授業に行ったとき、学生たちの姿を見て、僕も同じように感じていたのだ。あれから三ヶ月が過ぎようとしていて、キャンパスには表面上平穏さが満ちているようでいて、日差しは強く、空は高い。

批判を受けるかもしれないが、今、勉強できる環境にある人には勉強してほしい。そして出来ることが増えたときに力を貸してほしい、とも思う。今の君たちにさえ力を借りなければいけないことを、大人の一人として記憶しておきたい。

Wlmeter

|

徒然草を読んでいる。

徒然草 』がおもしろい、と先日読んだ本にあったので読んでいる。

言わずもがな、吉田兼好の書いた随筆。エッセイの代表選手みたいな作品だけれど、いかんせん古いものなのでいつ完成して、ということは詳しくは分からない。

岩波文庫のこれは各段に他の校本との異同やちょっとした註が付されているのだけれど、古文の教養のない僕のような人間にとっては、それでもスルスル読むことは難しい。ただ、この場合読めなさもまた魅力であって、声に出して読んでいるとなんとなく面白くなってしまう。自分の口調で笑っちゃう感じだ。

Graduacion

なかにはとても得心の行くものもあるし、毒にも薬にもならならそうな話もある。そもそも、なぜこれを収録したの?というエピソードも数多い。「あだし野の・・・」とか「家の作りようは・・・」なんて出てくると、「おお、これか」と姿勢を正す。僕は教科書で読んだ「高名の木のぼり」という話がすきなのだけれど、それはまだ出てきていない。ゆっくり愉しみます。

|

時間はお金で買えない(ロールちゃんは買える)

Rollchan
梅雨空で少し肌寒い日も。

与党として圧倒的多数を有する衆議院で自分に対する不信任案が通ってしまうなんてことは、前代未聞の恥辱は、どうしても避けたかったのだろうけれど、土壇場で危機を回避した後は態度がずいぶん変わったものです。これで、合法的にやめさせるカードはなくなったのだ。安穏、と思ったのだろうか。勘違いも甚だしい。

復興が先決、そんなことをしている場合ではない、という方も多くあるようだけれど、「この人の下では何も進まないな」という状況の打破がよほど重要だったのだ。そんなことをしている場合ではないこと、をしてからでないと物事の端緒にもつけない。そんな場所にいる。過ぎていく時間が惜しい。

避難所で生活されている方はまだまだたくさんある。原発のことがなければ、こちらにこそ焦点が当たって、支援ももっと迅速であったろうに。民間の助けで何とかなっている場所もあるだろう。何が出来るんだろう。たとえば、赤十字以外の寄付の先を考慮するべきなのかもしれない。

自分は地震の被害にあっていない、という人にとっても衆議院で法案なり予算が通らないことは大問題で、ひどい場合「来年こういうことをやります」という予定さえ作れない(通らなかったら困るので)。市民の生活に直結しているなあ。

4月からノロノロと書いていた書類を書き終える。でも、この書類も実は予算が通らないとただの紙くずになってしまう可能性がある。悲しい。そうならば、費やした時間が惜しい。

大学の授業はそろそろ折り返し地点。なんとなくそれぞれの授業、クラスのカラーも見え始める。雨が降り、電車が遅れることなどしばしば。僕の授業に関する限り、遅延証明書は持ってくる必要がありません。電車が遅れているとなんとなくそういう情報は先生たちに共有されるものなので。それに、遅延証明書をもらうためにまた並んで遅れ てしまうのはもったいないし、疲れること。遅れても、授業に来てくれればそれだけで、もう。

遅刻や欠席、居眠りなどで気分を害する先生はあるだろう。けれど、大学に入って学生さんは時間を買ったわけで、それをどのようにすごすかは彼ら彼女らの自由である。ただ、割り振られた、あるいは与えられた時間の中で、出来る限り僕が伝えたいことを伝えるだけ。僕の時間が惜しいのではなくて、束の間僕に預けられる、教室の中の数十人の時間を惜しむ。そう思っていつも90分を味わっています。

お金は時間で買えるが、時間はお金で買えない。

|

変化

Nm

自分が子供のころよりも政治に関心を持つようになった、ということだけではなく、社会全体が政治に関心を持つようになった、そう変化してきた、と思っている。情報のやり取りの頻度とスピードが上がって、内容は玉石混交でもさまざまな議論が交わされ、知りたい情報には表面上容易にアクセスできるようになった。こういうのが洗練だと思うのは、また何かを過信しているのかもしれないが、変化と呼んでいいだろう。

|

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »