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2010年9月

Descanse en paz, Anthony J. Close

アンソニー・クロースが亡くなった。セルバンテス研究者は必ず彼の書いたものに助けられる。セルバンテス研究者ではない僕でさえそうだった。

スペインの文学を世界中の人が研究する。そうやって研究は進化し、深化し、精度を高めていく。イギリスの研究者の層の厚さと能力の高さ、ただただ見上げるばかりの存在。ケンブリッジを退いて後、さまざまな大学を訪れ学生を教えた。

心からご冥福をお祈りします。

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図書館幽霊

図書館の閉架書庫の本を出納してもらって、見るとまだページが開いていないものだったりするとなんだかうれしくなってしまう。つまり、この本が所蔵されて以来このページを読むのは、その書物に目を通すのは僕が最初と言うことだ。ペーパーナイフでページを開いていく愉楽。

最近は自動貸し出し装置というのが普及していて、貸し出し手続きを機械がしてくれる。貸し出しを受けた資料の書名などがレシートのような紙に印刷されて出てくるのだけれど、これを栞に使う方もあるので、図書館で借りた本に誰かの「貸し出し」記録が挟まっていることもある。それを見ると、ああこの人はこういうテーマでレポートや論文を書いていたのだろうか、とか節操のない読書家だ、などと思うことがある。この前借りた本に挟まっていたそれには奇妙な書名が四つ並んでいて、変な人だな、と思ったら2年前の自分のものだった。

かつてはカードインデックスで調べていたものが、今では電子目録検索(OPACなど)になって、随分楽になった。僕はカードで探すことをあまりしていない世代で、目録の電子化が十分でないケースを除くと、あまりお世話になることがない。パソコンの検索端末にはいろいろな人が訪れて、時折前の人の記録が残っているのだけれど、大抵は著者名、書名などがキーワード検索の窓に残っている程度。ある外国の図書館でものすごく長文の検索キーワードを入力している人がいた。もちろん検索結果は出ないのだけれど、将来連想検索などが発達して、普通の対話のようにこちらの考えていることを入力して、関連性の高いと思われる書籍をコンピュータが提案してくれることになるかもしれない。

とある図書館の閉架書庫。書架と書架の間を足音も無くすすすと通り過ぎる利用者たち。入庫に際して手続きをするので、誰が入っているか分かるから、中で行方不明になってしまうことは無いだろう。けれど、閉館時間ぎりぎりに書庫に入ると「もしかして」という気持ちになることがある。そのとき読んでいた本はOliver GoldsmithのCitizen of the Worldでした。

存続が危ぶまれたとある図書館の閉架書庫。壁際の書庫の後ろに奇妙なスペースがあって、『別冊太陽』が紐でくくられて積まれていたりする。そこに「この図書館をどうぞ守ってください」というちいさなメモ書き。それを発見した司書さんが教えてくれた。図書館には幽霊がいるらしい。

蛇足:

『エクスクレイヴ』の2号を出します。秋の夜長にごゆるりと楽しんでいただける号になるといいなあ、と思いながら作っています。

前回は割とすぐに在庫僅少となってしまいました。僕の手元にはもう自分の分しか残っていません。もし確実に手に入れたいという奇特な方がありましたらこちらよりご連絡いただければ幸いです。

価格は200円を予定していますが、送料は僕が負担します。

どうぞよろしくお願いします。

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新古典主義(ネオクラシシズム)のこと

18世紀の新古典主義について少し考えてみたくて、アリストテレスの『詩学』の伝播についてここにメモ書きをしようと思ったのだけれど、途中で記事を消してしまってがっかり。もう一回書くのは大変なのでそのまとめ。

アリストテレス本人のものはやっぱり残っていなくて、10世紀か11世紀ごろの写本(Codex Parisinus 1741)が1427年までビザンチンにあった。それが世紀の終りくらいにはフィレンツエに移って(こらー!)、16世紀から17世紀にかけてラテン語、イタリア語、フランス語、ドイツ語訳が出る。あと註釈本。

ただそれまでもアラビア語経由の翻訳はあって、13世紀スペインでエルマン・アレマンが訳したものがある。もう少し時代が下ってマンティーノ・デ・トルトサも訳した。ギリシア語かラテン語訳を通じてならば1625年にアロンソ・オルドニェスがスペイン語(カスティーリャ語)訳を出していて、これは仏訳、独訳、英訳より早い。それから1778年カシミロ・フロレス・カンセコの改訂(注を追加したり修正を加えたり)。

じゃあ、アラビア語経由でも読めたしスペイン語訳も早くからあったし、スペインはアリストテレスに親しんだのか?というとそうでもないみたい。思うのだけれど、先にルールありきで演劇を作ったわけではないのだと思う。さらにアリストテレスは別にしてもグレコ・ラテンの演劇が伝わったとして、結構今と(当時と)上演スタイルが違う。コロスがいて、歌ったり踊ったり説明したり。だから接点がないというわけではないけど、あまり説明が当を得たものには思われなかったのじゃないかしら。とにかく、16世紀、17世紀のスペイン演劇はあまりアリストテレスの詩学に基づいたものではなかった。

よく新古典はつまらないルールで創作想像の足枷となったと思っている人がいるけれど、それは間違い。古くて荒唐無稽な演劇を一度でも読んで欲しい。えっと、上演できないよね、というものがいっぱいある。あと、意味不明な登場人物も出てくるし、途中で話が変わってることもある。場所の移動も飛行機が必要な感じだ。

アメリカのコメディが海外ドラマとしてNHKで放送されていたりするけれど、あれはすごく新古典的なんだよね。というか、古典的。場所もあまり移動しないし、時間も「5年後」とかに飛ばないし、話も各エピソードでかっちりとしている。『フルハウス』とか『アルフ』とか『ドギー・ハウザー』とか(全部古い!)。

だから、割と今の人は古典的なルールにのっとった演劇、ドラマ、物語の受容に慣れてしまっているのだけれど、ルール無用の残虐ファイトだった時代があるわけで、とりわけヨーロッパの中では「やれやれ、スペイン人は」みたいのがあったわけだ。そういうフランス人だのイタリア人だのだって、アリストテレスを読めたのはスペイン人のおかげだし、自分たちもしょうもない演劇を結構作ったはずなのだが、劇作法を採用して改良していく中で、スペインは遅れているという風に思う。悔しい!

1737年にルサンという人が『詩学』を出して、啓蒙に当たるわけだけれど、ここで誤解したくないのは、ルサンにしてもそのほかの新古典主義者にしても、昔のスペインを認めているわけです。ある作家の欠点を指摘する際にも、それを除けば凄かったというところはちゃんとほめてるわけ。先の時代と断絶しようとはしていない。

新古典主義は理論の上では古典的なものを推進したけれど、作品に関してグレコラテンに帰っていったわけではなくて、自分たちの前時代の作品、それをクラシックとして受け止めて、それを再生、再興しようとしたわけだ。

と考えると、新古典主義ほど自分たちの伝統を大事にした人はいない気もするのだけれど、19世紀の人は「スペインのいいところを18世紀がだめにした!」と変な誤解をしているのでややこしい。

だからここではっきり言っておこう。スペインの(自分の国の)クラシックを新たにする運動。それが新古典主義(ネオクラシシズム)であると!

当のルサンの『詩学』については、きちんとしたエディションが出たのが1977年。初版が1737年で再版が1789年。そのあと150年以上たって1955年に300冊限定の版が出て、そんなの誰も参照できない。御大ラッセル・P・シーボルトのおかげで1977年以降読めるわけだが、これも入手しづらくなったなあ、と思ったら2008年にまた出たわけで、ここからルサン研究は新しい段階に入るんだけれど、古典を重んじるわけだから、あまり目新しいことをいうという感じではありません。ただ、アリストテレスの詩学は短いのね。それがルサンになると膨大な書物になるわけで、これは例だの説明が充実したということになる。註釈本ということです。ルサンが引く例は先の注釈者たちもあるけれど、基本的にはアリストテレス、ホラティウス本人に遡及するというスタイル。ギリシア語もラテン語も読めたルサンならでは。もちろん参照したものは彼が教育を受けたイタリアで目にしたものだろう。それから興味深いのはスペインの演劇事情を非常に良く踏まえているということ、そして例を引くにあたってもこれらの作品、作家から引いていることで、ルサンの『詩学』が外国かぶれだといった人は多分ルサンをちゃんと読んだことがなかった。僕たちはもう読めるわけだから、こういう間違いを繰り返してはいけない。

先にも言ったようにアリストテレスの理論は簡潔で、時折不明なこともある。あるいは欠落がテクストに見られるため意味が取りづらいことがある。そういうときにルサンは全体との調和というか、アリストテレスがそれ以外の場所で述べたことを敷衍する。だから結果としてあまりとっぴな主張はしない。つまらないかもしれないけれど、正しい態度だと思う。とすると、現代比較的良い訳、良い版でアリストテレスを読めてしまう人には物足りないかもしれないけれど、まあそういうものです。突飛、極端は新古典主義者の忌むところですから。

ルサンの著作についてレアンドロ・モラティン(ニコラスの息子)が「1760年には読まれてなかった」と貶めているけれど、この証言の正当性はいかがなものか。だって、モラティン1760年生まれなのに。ただモラティン世代は先人が苦労して根付かせた古典規則をすでに享受してしまっている側なので、いまさらと彼らが思うのは理解できる。

ルサンの1737年の本はサラゴサから出ていて、マドリードでないからあまり普及しなかったのかもしれないと思う向きもあろうけれど、50年代までいろんな人が言及しているし、論争もあったので(いつの時代も新旧論争はある)、知られていなかったということはない。それから、ルサンの著作にインスピレーションを受けて書かれた詩学概要という学校の教科書があるので、ルサン本そのものを通じてではないかもしれないけれど、人々には広まったはず(関係ないけど、この教科書は王立貴族学院で使われた。カダルソは後年メレンデス・バルデスにあてて自前の「詩学概要」を作ろうとしているのだが、これにのっとったものになっただろうと推察される。実際書かれなかったか、散逸したか、よく分からない作品)。37年の本が89年に版を重ねる(今度はマドリードで出る)ということも十分特筆に価するし、ルサンは1754年に死んでしまうわけだけれど、晩年ちゃんと二版に着手していたわけだから(かなり加筆している)、読まれなかったというのは後代の悪口だと思う。

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10月のはじめごろのこと。

来月のはじめ、10月3日「第16回クロコダイル朗読会」というのがあり、ご案内を戴いた。出演者、とても豪華。『エクスクレイヴ』で光栄にもご一緒させていただいた暁方ミセイさんのほか、この人の肉声を聴いてみたいという人が何人もいる。12時半から。渋谷のクロコダイルという場所で。こちら、ミセイさんのページを参照されたし。

それから、同じく10月ですが、『エクスクレイヴ』の2号を出します。秋の夜長にごゆるりと楽しんでいただける号になるといいなあ、と思いながら作っています。

前回は割とすぐに在庫僅少となってしまいました。僕の手元にはもう自分の分しか残っていません。もし確実に手に入れたいという奇特な方がありましたらこちらよりご連絡いただければ幸いです。

価格は200円を予定していますが、送料は僕が負担します。

どうぞよろしくお願いします。

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強い雨が降り涼しくなった。

暑い暑いと連呼していたのに、強い雨が降って急に涼しくなった。すごい、季節は。

窓を開けて涼しく過ごしたいのだけれど、今たくさん資料と本を広げているので雨風に気を許すわけには行かず、まだまだ冷房に頼っています。

いつも夏の終わりには、「ああ、これをまとめておきたかった」という心残りがある。書いておくべきだったこと、形にしておくべきだったもの、それを記憶と記録にとどめて、また秋冬が来るのだけれど、まだ夏休みの宿題があるので、そういう意識を持続して持つことが出来ている。問題は、ちゃんと宿題が終わるかな、というあまりにも単純なレベルにあり。早くしないと学校の授業が始まってしまうな、と危惧する。

ちょっと面白いこと。たとえば10分話すためのテクストを10時間かかっても書けないことがある。同じテクストを1分くらいで頭の中で組むことが出来る。実際に頭の中で10分話をしている(シミュレーションしている)わけではなくて、ブロックみたいなものをカチカチと組み合わせるとちょうどそうなっているような感じ。詰将棋みたいな感じ。その組んだ形を忘れないうちにテクストにしておけばなんてことない。

そう思ってはいるのに。

そうそう、嵐が近づいているときは頭の働きが良くなるという研究があって、あまりにも眉唾なんだけど、面白い。

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『インセプション』を見た。

映画を最近全然見ないのだけれど、久しぶりに。クリストファー・ノーラン監督『インセプション

過日『パプリカ 』について、見たことのない映像ということを書いたけれど、こちらもそう。とても、とてもよく出来ている。かっこいいです。重層性を持った作品で、意味深な伏線が多々あるのだが、これらがきちっと回収されていくことに非常に爽快感を憶える。頭の中でカチカチっと歯車が組み合っていくよう。そして、映像にも大変魅了されました。今回初めてIMAXシアターで見たのだけれど、それと相まってとても迫力がありました。

おそらく今年一番のオススメ作品。

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イキルキス

成長が見られないこと著しいのは、去年もその前も、夏休みの終わりには部屋を散らかして困っていたことで、夏休みの宿題はやっぱり終わらない。どうしたものか。

どうしようもないので、舞城作品に耽溺していた。『イキルキス 』に含まれている物語は、雑誌に掲載されてそのあと単行本には入っていなかった。一番古いもので2002年発表。一時代だ。

装丁もかっこよくて、工夫がされているのだけれど、内容も大変良い。初出時に僕はどれも読んでいなかったので、今やっと出会う物語なのだが、ああ、こういうのは相変わらずだ、とかこういうのは今ないなあ、とか。

まだ暑い日が続いていますが、夕方に空を見上げたら秋の雲でした。おお、それっぽい、という。

皆様も楽しい秋をお過ごしください。僕はとりあえず部屋を片付けます。

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