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2010年6月

ホベリャーノス『名誉ある科人』を論じるとするならば

Gaspar Melchor de JovellanosにEl delincuente honrado という戯曲がある。『名誉ある科人』と訳しておこうかな。悲劇でもない、喜劇でもない。Comedia sentimental(コメディア・センティメンタル)と呼ばれ、後に隆盛する悲喜劇の嚆矢。嚆矢、というのもおかしいか。だって悲喜劇(トラヒコメディア)はスペインのお家芸であるから。悲劇と喜劇が混ざっている、というのは古典演劇理論的にはNGなので、ホベリャーノスらしからぬ、と一見思われそうだけれど、僕としてはこれを悲劇に区分すれば全て丸く収まると思う。この戯曲、悲劇的な状況が最後に丸く収まる大団円を持っていて、「え、悲劇なのに悲劇じゃないの?」と思う方もあるだろうけれど、元々悲劇という言葉(トラゴエディア)は「山羊の歌」という意味のギリシャ語。バッカス神のブドウを食べた山羊を屠る儀式から、きている。つまるところ、この言葉自体に悲劇性はない。後に内容の(品位の)高い低いでトラゴエディアとコモエディアに分かれた。コモは村のこと。すると、悲しい結末を持たない悲劇は当然あった。ドービニャックの『演劇作法 』第二部第10章に詳しい。

大変面白い作品です。筋の紹介もしたいのだけれど、実は紹介したこともあるのでここでは省略します。今この作品について僕が語るとすれば次のようなテーマが思いつくなあ、というメモを記しておく。大小ある。近いうちにひとつふたつ形を与えたい。

・『名誉ある科人』(Delincuente honrado)の傍白と個人の懊悩(La propia agonía: el soliloquio en El delincuente honrado
・『~』のなかのsin patria
・『~』のなかの走ること(走るデウス・エクス・マキナ)
・『~』の気質論と心変わり
・『~』におけるほうの権威
・『~』における結婚の問題
・『~』とFilósofoの価値
・顔(fisonomía, apariencia)の演劇としての『~』

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『もや』9が愉しみ。

今年の夏は暑くなりそう。まったく出歩きたくない。ビールをいっぱい飲んでだらけるくらいしか僕には出来そうにない。水分補給はとても大切なことなのです。

先のビール特集が素晴らしかった『もやしもん』。9巻7月6日発売予定 。愉しみ!

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チョーズとボーズのこと。

手水の使い方。ファンシーで素敵な解説図。知っていて損はないです。

Tyouzu

話は変わってBOSEのM3というスピーカーのこと。

2006年発売、2008年発売終了した史上最小最強のボーズ・スピーカー。M3という名前はMicro MusicMonitorの略。モニターという呼称から分かるように、単なるスピーカーとしての位置づけはされていない。原音を確実に忠実に届けますよ、という意地が伺える。僕も愛用しています。これで音楽を聴くと、ほかのことが手につかなくなる。そういうクオリティ。

このたび600台の限定復活。明日から受付開始のはず。同じサイズならM2があるじゃん、という人もあるだろうけれど、チューニングが違うそうなので、聞き比べてから判断してほしい。ただ、一度耳にしてしまうと買わずにはいられないので危険!

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豆本フェスタにいってきた!

書物愛は嵩じてどこへ向かうのか。図書館を建てたいと思う人もあれば、自分で本を書いて見たいと思う人もあり、中には本を作りたいと思う人もある。作る本もさまざまで、僕などささやかな雑誌を作ることくらいしか出来ないのだけれど、もっと本格的に出版事業を立ち上げる人もあろう。それとは逆に、最小面積に最大限の書物愛を盛り込んでミニアチュール的な(かつミニアチュールではないもの)本を作る人もある。定義はさまざまだろうけれど、俗に豆本と呼ばれるものの宇宙は底知れない、のでしょうね。

2010年6月12日(土)東京で豆本フェスタ2が開催されました。僕のような素人がいっていいのか、とても迷ったのだけれど、お邪魔しました。お目当てはnanakikaeさんの花霞堂。ブログでいつも面白い本を紹介してくださる方で、豆本もお作りになります(『彷書月刊』、『WB』でも連載をお持ちです)。わき目も振らずに、そこへ!

ああ、もう、瀟洒で素敵な豆本たちが!拝顔の栄に浴したnanakikaeさんは、そのお書きになる文章そのままに清楚で素敵な方でした。彼女の作品たちを拝見して、また彼女のレポートも(中身をまじまじとは読めませんでしたが)見せていただけて、感激。とても丁寧な印象を受けました(どちらも、ね)。

Mamehon2

いつまでもいてお邪魔になってもいけないとは思ったのですが、ドキドキが止まりません。『文庫姫』(写真中央)、『図書館棟ワルツ』(写真左)を購わせていただきました。大切にします。その後、ほかの出店ブースを拝見しつつ、どんぐり工房さんで『どんぐり歳時記 傑作選2』(写真右)を購入させていただきました(左上はnanakikaeさんにいただいたポストカードです。とても凝っているのですよ。ありがとうございました)。

作品を見ているのも愉しいのですが、それぞれの作家さんと言葉を交わしたり、作品の説明を聞くのが愉しい。ふーむ、ひとくせもふたくせもありそうな人だわ、と作者のほうが気になる、ということも多々、多々。

世界はまだまだ愉しいことでいっぱいだ、と思った一日。

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Echo

Echo

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君が思っているよりも君はずっと魅力的な人だよ
瞳を伏せて首を横に振って否定する君のしぐさが
いつか誰かの心奪う それは遠い日のことじゃない
離れているのに些細なことで君を思い出すんだよ

雨がやむまで
ここに隠れて
君のそばにいて眠りたい

ずっと会いたかったけど会えなくて眠るように空気吸うように
思い出してた思い出してた 忘れられない忘れたくない

四季が巡るよ
光が射すよ
電車が走り遠い場所へ
君に会いたい
忘れられない
雨がやんでも君に会えない

曲がりくねった坂道を
自転車を押しながら歩いていく
疲れて休む
木陰で休む
僕の耳に遠く響くエコー

大事なことは何一つ
君に手渡せないままで
愉しいことも
嬉しいことも
ほろ苦いコーヒーに溶かすエコー

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欧米の言語では、一度つかった単語を繰り返さないようにする(ことがある)。歌の歌詞なんかでも、何回も同じ言葉を使うと「語彙が貧弱」と思われたりする(ことがある)。この曲は逆に、同じ言葉を何回も、何回も使った作品。どうでもいいことだけれど、どうでもよくない。

年をとって高い声が出にくい、と実感する。なのでオクターヴ下げて歌う。歌いだしの低さはこれまでにない。声が気持ち悪いのはもう、許して下さい。

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Visible Silence

Visible Silence

(Other Side Mix)

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まなざしが軽くこころを縛るから
追いつめられてしまうのね
季節が流れゆく途中で光に攫われていた
思い出すこともないのにね

世界が壊れゆく 夢中であなたを追いかけてた
抱き合うことさえ出来ないのにね

心奪うような旋律で窓の外にゆれる
微笑が痛みに変わる時を見てる
君は泣いていた

切なさは冷たい月曜日の雨に
かき消されてしまうのね
恋人は可視速度の風に吹かれて
はなればなれになっていくよ

visible silence
we are sharing sadness
いつだって気づいてた

visible silence
we are sharing sadness
never understand what love means for two broken up

心奪うような旋律が僕のことをみてる
ためらいを心にかかる虹に変える
心奪うような旋律で窓の外にゆれる
微笑が痛みに変わる時を見てる
君は泣いていた

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これも同じく『ネコの愉しみ』に入っていた(A面4曲目)。ストリングスとかが入っていてとても豪華な曲だったのだけれど、今回はシンプルに録ってみた。Prudencio SaezとHurricaneのギターを使っています。

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カプチーノをふたつ

カプチーノをふたつ

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これは僕が作ったふたつめのデモテープ『ネコの愉しみ』の冒頭に入っていた曲(1999年)。ギター1本で弾けて、愉しい曲がほしいと思って作った。理由は分からないのだけれど、スチール弦のギターで弾いたほうがきれいに聞こえる。今回はPrudencio Saezのガットで録音したけれど。

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文学とネイション意識

文学が子供のお遊びであれば、社会全体の大きな問題には関わりがないのだが、そうではないのでやはり関わりがある。当たり前のことを書いていると思うかもしれないが、アンダーソン 以前はなかなかどうしてそうでもなかった。世の中頭のいい人ばかりではない。

さて、PMLAの125.2号にNancy Vogeleyという人が面白いことを書いていた(454-66)。それは『ジル・ブラース物語 』の(オリジナル)著者がスペイン人であるという論争について。つまりスペイン人がこれはパクリだ、と非難し、フランス人がそれを否定するというだけのことなのだが、思えば18世紀最後にならなければこういう問題が表面化しないということは案外意識されていないし、指摘もされてこなかった、ネイション意識生成と18世紀文学の関係を主張する僕にとってますます都合のいい事実でもある。

スペイン側はイスラとリョラント(リョレンテだけどカタランだったらリョラントかもと思う)。前者は滑稽小説『フライ・ヘルンディオ』の著者でもあるイエズス会士ホセ・フランシスコ・デ・イスラその人だ(後者についてはあまり知らない)。ヴォジェリ曰く「彼らは文学作品の議論をナショナルな同一性ならびにプライドを声高に主張する手段と捉えた」(456)この二人互いに国外に身を置く不遇をかこつたという共通点もあり(イエズス会は1767年スペイン追放、リョラントは1813年フランス亡命)、中々に面白い。遠くにありて思うもの、祖国である。

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郡山市民オーケストラVS山中千尋さん!

ああ、近かったら見に行きたい!

直前の案内で申し訳ないけれど、明日山中千尋さんが郡山市民オーケストラと競演。彼女は郡山市のフロンティア大使に任命されているのです。なんだ、フロンティア大使って。

お近くの人は是非足を運んでください。チケットもお手ごろ。気絶するようなガーシュインが聴けるはず。

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「講談社・夏の舞城王太郎まつり」

講談社・夏の舞城王太郎まつり

楽しみすぎて困る。せっかく同時代に生まれたんだもの、骨の髄まで味わいましょうよ。

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