« RIP, Martin Gardner. | トップページ | quixotic sonatine »

十字路

シェイクスピアの『ヴェニスの商人 』に出てくるユダヤ人シャイロックは同情を誘う。ヴェニスの商人アントニオに対して、借りた金を返せないのなら胸の肉1ポンドを貰おう、という彼に、ポーシアは「胸の肉きっかり1ポンド、しかし一滴の血も流してはならぬ」といってシャイロックをやり負かす。

This bond doth give thee heere no iot of bloud,
The words expresly are a pound of flesh:
Then take thy bon, take thou thy pound of flesh,
But in the cutting it, if thou dost shed
One drop of Christian bloud, thy lands and goods
Are by the Lawes of Venice confiscate
Unto the state of Venice. (IV, i, 320-326)

どっちが言ってる事も無茶苦茶だが、どちらかというとポーシアの方がひどいことを言っているような気がする(この応酬が可能なのは言語の曖昧さによっており、それこそが悲劇を成立させているというようなことを柄谷 という人が書いていた)。シャイロックの嘆きは人種差別なんかを考える上でもあまりに示唆深い名台詞。涙なしでは読めない。

ふと『わがシッドの歌 』にもこれに似たところがあるなあと思い出していた。カスティーリャ王アルフォンソの怒りに触れブルゴスを追われるエル・シド。「こいつに宿を提供したり金を貸したらそいつも許さん!」と王様が怒っているせいで誰にも助けてもらえない彼はユダヤ人ラケルとビダスに使いをやって金を借りようとする。とはいえ、まともな方法で借りるのではない。櫃に砂を詰めて厳重に蓋をする。それを「箱いっぱいに金が詰まってるから重くて持っていけない。これを預かってくれ」という。ユダヤ人は600マルコ支払って純金の詰まった櫃を預かることにする。最後にシッドの側から「1年以内に開けたら無効だからね!」最初からだますつもり満々である。何が英雄か!?

この作品はエル・シドと呼ばれたロドリーゴ・ディアスの死後数十年のうちに作られた作品で、かつスペイン文学の始祖みたいなもんなんだけれど、写実性みたいなものが特徴といわれている。実は上のやり取り(第一歌9節)に先立って、金をくれというエル・シドの手下に「こういう時は品物が先という慣わしなんで」と言っていたりする。なかなかいいと思う。だから余計にユダヤ人のその後の無邪気さはとってつけたような感じがする。とはいえ、エル・シドの悪意を和らげるような、不思議な滑稽さを醸し出してもいる。

こちらは曖昧さではなくて、むしろ現実味がよく出ていると思うのだけれど、だますというところは別にして誰も手を貸してくれないエル・シドに金を工面してくれたのがユダヤ人、そしてその誓いを立てるときに「キリスト教徒もモーロ人も箱の中身を確かめてはならん(que non lo sepan moros nin cristianos.)」(145行)といったりするところ、なかなか多民族。

スペインという場所は北にイギリス、東にフランス、南にアフリカ、そして少し遠いが西にアメリカがあって、各文化民族の十字路になっている。だから歴史も文学も生活習慣もさまざまなものが入り混じっている。エル・シドの呼び名からしてアラビア語だ(アッサイード)。そこが僕はいいなあ、と思う。いつまでも飽きることがない。

|

« RIP, Martin Gardner. | トップページ | quixotic sonatine »