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2010年5月

星野しずるさんのこと。

先に『エクスクレイヴ』を出した折、僕のとても大好きな読書家の方から『界遊』という雑誌を教えていただきました。この度4号が出るとのことなので購入しました。すると冒頭、短歌生成プログラム『星野しずる』が特集されている。これ、すごく面白いですよ。たとえば:

まっすぐな日なたの夢にあこがれた遊びを捨てて静かな絵画

手ざわりを見た朝に罪 ほんとうの猫が足りないはずむ姫君

爆発の遊びのそばでおそろしい深紅の母に隠された恋

(星野しずる)

本当に自動で生成されているの?と不思議に思うくらい。でも、それは人間(読み手)に意味を生み出す力があるということ。単なる文字や音の連なりに意味を与え、背景や文脈を補っている僕たち自身が、作品成立の瞬間に立ち会っているという経験が出来る。これはもちろん、実際の人間の(すごい表現だけど)著者がいる作品でもそうなんだけれどね。

作ったのは歌人佐々木あららさんという方。世の中には面白いことを考える人がたくさんいます。佐々木さんへのインタビュも『界遊』には載っています。関心のある方は是非買って読んでください。盛りだくさんでお得感が高いです。

蛇足:『エクスクレイヴ』創刊号、在庫がなくなりました。第二号は2010年10月発行予定です。確実に手に入れたいという方はこちらからご連絡ください。どうぞよろしくお願い申し上げます。

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quixotic sonatine

quixotic sonatine

こんなのが出てきた。

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十字路

シェイクスピアの『ヴェニスの商人 』に出てくるユダヤ人シャイロックは同情を誘う。ヴェニスの商人アントニオに対して、借りた金を返せないのなら胸の肉1ポンドを貰おう、という彼に、ポーシアは「胸の肉きっかり1ポンド、しかし一滴の血も流してはならぬ」といってシャイロックをやり負かす。

This bond doth give thee heere no iot of bloud,
The words expresly are a pound of flesh:
Then take thy bon, take thou thy pound of flesh,
But in the cutting it, if thou dost shed
One drop of Christian bloud, thy lands and goods
Are by the Lawes of Venice confiscate
Unto the state of Venice. (IV, i, 320-326)

どっちが言ってる事も無茶苦茶だが、どちらかというとポーシアの方がひどいことを言っているような気がする(この応酬が可能なのは言語の曖昧さによっており、それこそが悲劇を成立させているというようなことを柄谷 という人が書いていた)。シャイロックの嘆きは人種差別なんかを考える上でもあまりに示唆深い名台詞。涙なしでは読めない。

ふと『わがシッドの歌 』にもこれに似たところがあるなあと思い出していた。カスティーリャ王アルフォンソの怒りに触れブルゴスを追われるエル・シド。「こいつに宿を提供したり金を貸したらそいつも許さん!」と王様が怒っているせいで誰にも助けてもらえない彼はユダヤ人ラケルとビダスに使いをやって金を借りようとする。とはいえ、まともな方法で借りるのではない。櫃に砂を詰めて厳重に蓋をする。それを「箱いっぱいに金が詰まってるから重くて持っていけない。これを預かってくれ」という。ユダヤ人は600マルコ支払って純金の詰まった櫃を預かることにする。最後にシッドの側から「1年以内に開けたら無効だからね!」最初からだますつもり満々である。何が英雄か!?

この作品はエル・シドと呼ばれたロドリーゴ・ディアスの死後数十年のうちに作られた作品で、かつスペイン文学の始祖みたいなもんなんだけれど、写実性みたいなものが特徴といわれている。実は上のやり取り(第一歌9節)に先立って、金をくれというエル・シドの手下に「こういう時は品物が先という慣わしなんで」と言っていたりする。なかなかいいと思う。だから余計にユダヤ人のその後の無邪気さはとってつけたような感じがする。とはいえ、エル・シドの悪意を和らげるような、不思議な滑稽さを醸し出してもいる。

こちらは曖昧さではなくて、むしろ現実味がよく出ていると思うのだけれど、だますというところは別にして誰も手を貸してくれないエル・シドに金を工面してくれたのがユダヤ人、そしてその誓いを立てるときに「キリスト教徒もモーロ人も箱の中身を確かめてはならん(que non lo sepan moros nin cristianos.)」(145行)といったりするところ、なかなか多民族。

スペインという場所は北にイギリス、東にフランス、南にアフリカ、そして少し遠いが西にアメリカがあって、各文化民族の十字路になっている。だから歴史も文学も生活習慣もさまざまなものが入り混じっている。エル・シドの呼び名からしてアラビア語だ(アッサイード)。そこが僕はいいなあ、と思う。いつまでも飽きることがない。

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RIP, Martin Gardner.

Farewell to the mathematician who fell in love with Alice , Martin Gardner (1914-2010). Rest in Peace.

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ホームベーカリー

「ホームベーカリーがほしい」と母が言った。

「ホームベーカリーを買おう」と父が言った。

ホー ムベーカリーを買いに行った。

まず驚いたのは、そのコーナーの人だかり。みんなそんなにパンを焼きたがっていたのか。柴田先生が書いておられたけれど(『アメリカ文学のレッスン 』)、文学の中で見ても、実生活の中でもおいしいパンを食べられるというのはとても幸せな気分になることです。僕もスペインに住んでいたころ、おいしいパン屋さんを見つけると嬉しかった。歯を悪くしてからはその楽しみも減じたけれど。

炊飯器と電子ポットのあいのこみたいなルックス。結構重いけれど、見た目はコンパクト。粉と水を入れて準備完了。後は何もする必要がない。

ただし、焼きあがるまでに4時間かかる!

これは要するにイーストを入れて発酵をさせる時間なので、出来れば手を抜きたくないが、短縮コースもある。機械がコネコネするのだけれど、その音を聞いていると結構愉しい。奇妙なリズムがありますよ。

完成してさっそく食べてみました。焼きたては皮がサクサク。中はふんわり、もっちり。まるでヤマザキのダブルソフトだ。

じゃあダブルソフトを買えばいいんじゃないか?

細かいことは置いといて、フルーツローフやナッツ入りのパンなんかを作ることも出来る(というか、色々出来すぎる)ので、当分これで楽しませていただきます。

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ニッチの話

ちょっとまとまった話や発表をするには、常日頃からなるべくテーマをストックしておくのが良いのだけれど、僕のように自転車操業のくせに仕事が遅い人間はなかなかそうも行かない。ただ、自分でつまらないと思っていることが別の畑の人にとっては面白いという可能性は拭い去れないので、そういう楽観をささえにアイディアを書き留めておくに限る。うんうん。

・新古典悲劇と政治的機能
・演劇理論の発展と実践(Augustín Montiano y Luyandoを中心に)
・具体的なテーマを軸に作品の分析をする(「暴君」について、個と集合の代理・表象について、アナクロニスモについて)
・祖国への関心(スペインという 「名」をめぐって、スペイン批判とその擁護、悲劇の中のスペイン)

たとえば、こういうことなら出来るかもしれない。二つ目などはまだ一切手付かずなのだけれど、モンティアノという人は1750年に『悲劇論』を書いているのだけれど、これに自分で書いた悲劇を付録としてつけている。「悲劇はこうあるべきだ」という理論篇を示した後に、「こうやって書けばいいんだよ」という実践篇がある。面白いよね。

三つ目については「弑逆される王子:ホセ・デ・カダルソの悲劇『ソラーヤ』とロマン主義的可能性」という題名ばっかりかっこいい文章の中でやっていて(『年報 地域文化研究』、第13号(2010)、pp. 148-68.)、一つ目については「象徴体系としての祖国―18世紀スペイン悲劇における愛国的主題について―」という文章の中で少しだけ書いている(『国際交流研究』、第12号(2010)、pp. 155-79.)。これはまだまだもっと分量を書ける(話せる)。

四つ目も手付かずに近いけれど、今の時点で一番段取りというか目次のようなものが出来上がっている。トリゲーロスから始まってカダルソ、フォルネールまでを一本の糸で繋ぐことが出来る気がするのだが、なかなか自信がなくて書き始められない。

こういうときに励ましてくださる奇特な方がいたので、ちょっと嬉しくなってしまう。僕のようにニッチ産業にいる人間はそれだけでほかの人の五倍くらい舞い上がってしまうものなのです。

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もの忘れる日々

もの忘れがひどくなっていて、驚く。

たとえば、「アレを調べよう」とブラウザを開いて、その間に「あれ、なんでパソコン見てるんだ?」ということがある。昔覚えたことはあんまり忘れないのに、ついさっき思いついたことを忘れる。こわいなあ。

ちょっとしたメモ:
ヒストリエ 5/21
聖☆おにいさん 5/24 
君に届け 6/11
もやしもん 7/6

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ひとに薦められた本を読むということ

僕は毎回授業のはじめに学生さんに一冊本を紹介します。

内容はスペインやラテン・アメリカに関するものもありますが、漫画や小説もあり、僕が出会ってよかったと思う作品を紹介しています。

ひとに薦められた本を読むということは、この世界に存在する全ての本を読むことが出来ない以上、とても有効なストラテジだと思う。

今日授業が終わってから、「先生、オレあの本読みましたよ」といってくれた学生さんがいた。

すごく嬉しかった。

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三木卓『野鹿のわたる吊橋』

本名が僕と似ている、とある方に教えていただいたので三木卓さんを読んでみる。そういう読み方もいいよね。

翻訳や童話でも有名な方だけれど、詩人、作家でもある。とはいえ、恥ずかしながら僕は読んだの初めてでした。

三木卓『野鹿のわたる吊橋』集英社文庫。

たぶん世の大半の小説にはある程度カタルシスが望まれていて、何もおこらない、変わらない、という作品は案外少ないし望まれてもいない(消費の対象として)。この作品は、結末に向かって緊迫感や不安はいや増しなのに、物語としての状況、そして事態は変化しない。大団円もない代わりに、とてつもない悲劇となることもない。だから、読み手はスカッとしないかもしれないけれど、こういう作品は貴重だと僕は思うのです。

すべてのひとの人生がハッピーとアンハッピーなわけではないし、その中間をズリズリとゆっくり進みながら毎日を生き延びているわけだから、ね。

ほかの作品も、もう少し続けて読んでみたいと思います。

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ガンダム・カフェ

Gcafe

ガンダム好きですが、何か?

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