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2009年9月

九月最後の朝、僕は葉書を手に泣いた。

 始発電車に揺られて帰る。僕は元来酒などなくても愉しく生きてゆける人間なのだが、そこに酒があればどうしようもなくこれを飲む。適量を弁えて飲んでいた時期が遠い。あればあるだけ飲む。飲みたくなくてさえ飲む。翌朝ひどい喘息に見舞われることになると分かっていてさえ、それでも飲む。
 案外外で飲んでいるほうが安心なのだ。そこには必ず誰かがいる。まさか他人の酒まで取って飲んだりはしない。しかし僕は一人家にいてさえ、日の高いうちから飲んでしまうことがあり、これは飲みたいからではなくて、そこに酒があるから、なのだ。瓶が空になるまで飲む。ある種のストイシズムで飲む。デュルケームは飲酒と喫煙をゆるやかな自殺と呼んだ。まったく正しい。
 朝、雨の中傘もなく濡れて帰ってくる。頭が痛いということは無いが、体が重く感じられる。バス停には今から勤めに出る人々が列をなしている。自分は白痴の顔をして信号を待っている。一人になれば思考と気持ちは明澄になる。ただでさえ足りない時間を浪費してしまったことへの慙愧の念が澱む。後悔する時間を埋めるために、早く眠りに就く方が良い。誰もいない家で僕は僕宛に届いた葉書を見つける。それは僕が敬愛してやまないある人からの便りであった。
 九月最後の朝、僕は葉書を手に泣いた。三十歳になって初めて泣いたと思う。

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訃報

国立公文書館の主任公文書専門官(併任アジア歴史資料センター)牟田昌平さんがお亡くなりになられた。あまりにも早い死という思いがする。以前国立公文書館で一緒に仕事をさせていただいたことがある。

博学博識、公文書館のことなら何でも知っているという方、そして多忙な方で世界を駆け巡っては、日本の公文書管理システムをよりよいものにしようと尽力されていた。

日本にはライブラリアンという資格はあるけれど、アーキビスト養成の課程がない。アーカイブやアルチーボと呼ばれる文書館の価値は、専門家も勿論だが、公共に開かれてはじめて、という種類のもの。そしてまた、遠い将来に資料を届ける使命を持っている。一方原理的には無限に増殖するすべての文書を保存することは出来ない。つねにジレンマに引き裂かれて存在するのが文書館なのだろう。

歴史資料の大切さを広く伝えようと、牟田さんが努力された足跡は次のサイトにその一端を垣間見ることができる。心からご冥福をお祈りします。

国立公文書館

国立公文書館 デジタルアーカイブ

国立公文書館 アジア歴史資料センター

歴史公文書探求サイト「ぶん蔵」

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Uranographia

朝夕空気が冷たく、空がきれい。毎朝4時から5時くらいに犬の散歩に出る。天にはもうオリオンが出ている。振り返って、なんども仰ぎ見る。オリオンだけでなく、たくさんの星が出ている。

家にもどってから、Vixenの双眼鏡でもう一度空を覗く。先ほどは星が少ないと感じた方角にも、たくさん星が輝いていることが分かった。光っていたのに気がつかなかっただけなのだ。そうして見過ごしてきたものは、星ばかりではなかったはず。

星座は星座として認識すると、それ以外のものとしてみることが難しい。自転車に乗れるようになるのと同じで、一度できてしまえばそれからはずっと、星座は星座。星ぼしのあいだに、そこにはない線を描いてひとつのまとまりとする。それをコンステレーション(星座)とよぶ。ともに光るのでなければ名を与えられ、見出されることもないかもしれない。

闇が澄む。それから透き通って、青の中に朝が来る。見えなかったものが見えはじめ、見えていたものが見えなくなる。朝夕空気が冷たく、空がきれい。秋冬になって友人に手紙を書きたくなるのは、たぶんこういうところにも理由がある。

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頭が良い人と話をする/近況

10月から見たいアニメが続々とリストアップされていく。とても困ります。

過日、声の出演の方はあまりテレビに出ないほうが良いのでは、と書きました。でも、やっぱり例外はあって、全方位的に好きな声優さんが小林ゆうさん。この方、多分すごく頭が良いのだと思います。異論があれば、ことごとく却下です。声の演技にかけられる情熱も素晴らしいですが、それ以外にも様々な意味で凄い方、興味深い方。どことなく、キタキツネの趣がございます。

ここまでは前振り。

割と長い付き合いの友人で、この人の頭の出来は僕とは全然違うんだなあ、と思う方がいる。それはもう、韮才を顧みて自分を卑下したりするよりも、その凄さに助けてもらう、育ててもらう、胸を貸してもらう方が断然良い。人と話すこと、とりわけ自分より優れている人と話すことは大事だ、と思うのです。

今月末までに『まにまに』をきちんと録音しなおしたいと思っています。僕としては珍しく歌詞を二番まで作り、推敲しつつ曲に仕上げていきます。こちらも完成できたらご案内します。

舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日 』夜に日を継いで読んでいるのに、なかなか読み終わりません。息抜きに幸田文『季節のかたみ 』を読んでいます。人生が豊かになりそうな一冊です。オススメです。

皆様よい秋の夕べをお過ごしください。

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ドン・フアンを巡るシンポジウム

ドン・フアンを巡るシンポジウムが来週あります。

一口にドン・フアンといっても、ティルソ・デ・モリーナの「ドン・フアン」、モリエールの「ドン・フアン」、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」、その他ホセ・ソリーリャ、バイロン卿からリヒァルト・シュトラウスの交響詩まで、とにかく多岐に渡る(ジョニー・デップ主演の映画もあり、ブライアン・アダムスとパコ・デ・ルシアの共演・競演に涙を禁じえない)。そも「ドン・フアン」と名前の付いていない作品にも「ドン・フアン」はいっぱいいるわけで。もちろん、「ドン・キホーテ」的になんでもかんでもそれを「ドン・フアン」呼ばわりしてはいけない。最近僕は良く思うのだが、実証的にある、ない、ではなくて、なぜそれがあるのか、ないのか、というメカニズムのほうが重要だ。

欧州一円様々な伝承に(スペインではロマンセという俗謡に)ずっと残っていたわけだが(そして神話のなかのトリックスターとしてなら様々な文脈に散見されるのだろうが)、なぜこれがスペインのイメージに固着され膠着させられるのか、考えると面白いかもしれない。たとえばだけど、花咲き乱れる南方(イタリア半島の国々、スペイン、果てはアフリカ)に多淫のイメージを押し付けることで得をした誰かがいるはず。黒い伝説としてのドン・フアンという読みは十分可能だ。

今日僕たちは「ドン・フアン」を放蕩者、女ったらしという理解でいるが、彼が最後に罰を受けるのか、純愛によって救済されるのかという違いが歴史的変遷の内にある。当初この物語は題名に「石の招人(まろうど)」という副題がちゃんとあって、エピソードとしてはずっと残っているのだが、「ドン・フアンはプレイボーイ」というトポスしか知らないと、罰を授けるものとしての石の客人の意味が薄れてしまう。この客人は放蕩の罰というよりも、死人の悪口を言ったことに対する罰を授ける側面もあって、放蕩三昧と死生観、あるいは罰が二度目に与えられるという(意味が分からない人は調べてね)ところに力点がある気もする(物語としての面白さ、あるいは神話的な繰り返し、証としての罰、なんとでも展開できる)。いや、どう解釈しても良いんだろうけれど、このところなど、時代がロマン主義的になるにしたがって捨象され、なおざりにされていったのだと思うが、考えれば考えるほど、プレイボーイの悔恨の物語としてドン・フアンを読むのは薄っぺらい気がする。

兎にもかくにも、シンポジウムの詳細は以下。講演者に名を連ねていらっしゃる稲本健二さんはスペインでもその名を知られている超スペイン文学者。彼の話を聞くためだけにでも足を運ぶ価値はあると思うのです。

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17世紀にヨーロッパで広がり変遷を遂げてきたドン・フアン像について国内外の専門家が語ります。

詳細は下記のとおりです。

日程:9月29日
場所:セルバンテス文化センター東京 B1オーディトリアム

講演者:
  オマール・ポラス(演出家・俳優、2007年コロンビア国家功労勲章受賞)
  稲本健二(同志社大学教授)
  田尻陽一(関西外国語大学教授)
  島田雅彦(作家、法政大学国際文化学部教授)

入場無料、要予約。参加ご希望の方は右記メールにてお申し込みください。 info@cervantes.jp

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沖仁さんのコンサートを見に行く。

沖仁 さんのコンサートを見に行きました。ギター、カンテ(歌)、パルマ(手拍子)、バイレ(踊り)、パーカッションを織り交ぜてのコンサート。休憩を挟んで2時間半近いステージでした。他のキャストも皆さん日本人です。日本人が無理してスペインっぽくしてるものではなくて、自分自身の自然体でプレイするフラメンコという感じがしました。とても楽しみました。三鷹の風のホールは板張りという感じの音響が好き。

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ハッピー!

政治、宗教の話等など、外国で食事などに招待されて僕が避ける話題があるのだけれど(マナーとしても経験則としても)、それはやはりこの日記でも踏襲したい。のだが、ただ一つとても印象的なことを。

新旧大臣交替の図を見て、舛添さんだけ途方もなく嬉しそう!

で微笑ましい。

問題が発覚した時点での大臣というよりは、それまでの歴代の大臣(与党、野党問わず)の責が累積しての年金問題ではある。それでも二期に渡って矢面に立たされた彼の心労は並大抵ではなかっただろう。ゆっくり休んでください。

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2009年10月からみたいアニメ作品

秋から少し忙しくなりますし、読みたい本もたくさんあるので、10月からはアニメ作品をあまり見なくなるかもしれません(2009年7月~のクールはレベルが高かったです)。それでも気になっている作品はこちらです。

君に届け

ミラクル☆トレイン

夏のあらし 春夏冬中

テガミバチ

戦う司書

空中ブランコ

にゃんこい!

その他の作品も吟味しつつ、10月から見るものを決めていきます。面白そうな作品(原作、スタッフ、ただの勘、なんでも)がありましたら、どうぞこちらからこっそり教えてください。

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「背広の広に、尿素樹脂の樹です。」

世の中には異能の方がいるものだなあ、としみじみ思う。

たとえば、これ

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Reflexión otoñal

9月も半ば、随分と涼しい。二年前にスペインを訪れた際携えていった一冊の本を今、読み返している。その時も清冽な印象を受けたのだけれど、今読むとまた違う出会い方をしているようで、面白い。まァ、こちらの気分や精神状態が健康であるのでなければ、どのように良いものと出逢っても、そうと気づかずに通り過ぎてしまうだろう。

世界との関わり方は、自分と世界でフィフティ・フィフティなのかもしれない。ただ世界が無条件に現象し、また自分が世界を無批判に受け入れているわけではなく、現象と受容の型のようなものは社会的に作られている。これらは無色透明ではないものの、自然さの擬態を装っているので、かなり意識的にならなければ「出会えない」かもしれない。

最近良いと思うもの:
山中千尋『アビス
山中千尋『アウトサイド・バイ・ザ・スウイング
山中千尋『ブラヴォーグ
Josep R. Llobera. The God of Modernity: The Development of Nationalism in Western Europe Oxford: Berg, 1996.

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the Unforgiven

the unforgiven

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I can smell that the sea is coming over

From top of the hills I am waiting, watching you

We are forever separated this far for the ever best love we made

Millions of kisses, millions of hugs I forgive you

Millions of lightyears I can walk through to make sure this ain't finite

I can smell that the sea is coming over toward us

From top of the hills I am always watching down on you

We are forever separated this far for the ever best love we made

Millions of kisses, millions of hugs I forgive you

Millions of lightyears I can walk through to make sure this ain't finite

Beautiful dreming, beautiful living, beautiful lies & more

Millions of kisses, millions of hugs I forgive you

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足元に流れる深い河と同じくNautilus Acousticus, 2001に所収。Nautilus Acousticusは”acoustic emission”を除いて、全曲ギターの弾き語りだったので、サウンド面で変化を与えるべく深いリバーブをかけて演奏しました。コードが三つしか出てこないという作品は、僕の曲ではESCAPEとこの曲しかありません。コードがシンプルだから曲もまたシンプルと言うことはないし、メロディは組み合わせ技術なのでどのような制約の中でも飛翔しうるけれど、それでも珍しい、と思う。2001年僕は大阪を後にするのだけれど、大阪時代に書いた最も最後の曲の一つだと思います。

演奏に当たっては、叩きつける様に、とは少しニュアンスが違って鞭で打つようにギターを弾いています(別に怒ってないよ)。もうパーカッションみたいになっている。Yamaha DG-20を使用しています(当時も今も。これがナイロン弦だって信じられる?)。2001年のものは高校生の頃バンドで使用していたスタジオで録音したのですが、懐かしさのため周囲を散歩したりしてしまって、あまりはかどらなかった。それでも一日で8曲録音出来たのは、弾き語りだったからだと思います。今回は部屋の中で録っています。

以下無用のことですが、最近の録音には次のようなものがあります。

足元に流れる深い河

すてきな朝ごはん

春には春の花を

sad lily

ESCAPE(demo)

まにまに (demo)

riplp

少女ガール

Undercurrent

marie

未来

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sad lily

sad lily

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あなたを見つめていられる時間に
限りがあると知っていて けれど
時を埋めていくのはすべて
ため息だと分かっていた

冷めたコーヒーは手もつけられず
空が暗くなるのを待った
読むつもりなどない本を閉じて
テーブルを後にした

「決して幸せになれない・・・」リリィ
憧れを覆すシンフォニィ
時が過ぎて もしめぐりあっても
言葉は危険なアイロニィ

きっと枯れてしまうと知っていて
僕も死を詩の中に崇めてた
悲劇的な言葉を避けながら
螺旋の中で弄ばれてた サッド・リリィ
訊きたいことがある
それは訊けずにいたことでもある
僕が君を見つめたあの日々
幸せだったの?

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こちらは1999年に作った『Luv & hatred』という一番最初のデモテープに入っていた曲です。ギターをPrudencio SáezからYamaha DG-20に持ち替えて演奏しています(このギターについてはこちらにたくさん写真が載っています。シリアル番号から1963年以前のものと分かります)。前者は一音一音が割りにきれいに出るのですが、コードでたたきつけるような演奏には(音の粒がきれい過ぎて)向いていません。大きく分けてクラシックギターとフォークギターと呼ばれているものがありますが、クラシックなのにフォークギター的に使うとしたら後者のほうが向いています。理由は分からないけれど、枯れ方が違う。経過年数の違いと、あと材質でしょうか。というか(上のサイトを見ると)、鉄の弦(フォークギターの弦)を張って使用されていたのか!?す、すごいなあ。道理でネックが太いはずです。

曲の舞台は頻繁に僕の作品で出てくる「喫茶ウィング」。タイトルがずばりそのままの曲もあります。歌詞はいろいろ意味不明だと思うのですが、「ああ、この人不幸になりそう」という女性が身近にいたらこういう曲が出来るのでしょう。「決して幸せになれない・・・」人に幸せだったの?と尋ねる奇妙さはいただけない、という方もいて当然です。

きっと枯れてしまうと知っていて
僕も死を詩の中に崇めてた

の(メロディの)開き直り方もすごいですが、この二行目は僕の(当時)19歳としては出色の出来だったはずで、かなり気に入っていた。リリィ、シンフォニィ、アイロニィで韻を踏もうとしていることよりも、「覆す(くつがえす)」という言葉をここに投げ入れたところに自分で驚く。昔の方が良い詩を書いていたらしい。

ここからは曲に関係ないのだけれど、百合はラテン語でliliumといいます。英語のlilyはここから。でもスペイン語は途中でlがrに化けて、lirioというのです。辞書を引いていて、「あれ、百合が載ってないぞ」と思ったら、ラテン語、英語の形のまま引いていたのでした。

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春には春の花を

春には春の花を

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春には春の花を 秋には秋の空を
あなたに葉書をしたためて
折々におくる

陽炎を見た夏や 真白な息吐いた冬を
訪れた場所の名に添えて
ふみを送る

見知らぬ人や遠い景色も
日常とまた変わらないのです
一秒ごとに 確かに死んでゆく
僕の記録

春には春の歌を 秋には薫る風を
あなたに直接届けるために
あなたを訪ねる

手紙に書けずにいる言葉を
あなたに届ける

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これは新しい曲で、今年の二月に書いたもの。人生はとにかく旅。そして旅先にもギターを携えていくことの多かった僕。先日「まにまに」を作った折にふと振り返ると、結局そういう歌ばかり作ることになってしまった。

蛇足ですが、歌詞のない(インストの)作品で今年一番最初のものは、ピアノを買って嬉しくなって作った「Undercurrent」です。オススメです。こういうのを自画自賛というそうです。

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すてきな朝ごはん

すてきな朝ごはん

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ねえ、今朝はとってもすてきな朝で
あなたがいたらと思ったわ
僕も同じ事を考えた
君と同じことを思った

窓から射す冬の日差しに僕は
カーテン越しに目を伏せ
君と同じテーブルに腰掛けて
すてきな朝ごはん

窓から射す冬の日差しは嘘と
憂鬱をかき混ぜるcolours
テラスから僕の住む街の景色を
君に見せたく思う

ねえ、今朝はとってもすてきな朝で
あなたがいたらと思ったわ
僕も同じ事を考えた
君と同じことを思った

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この曲は以前にも載せたことがあるのですが、この度歌とギターを録音しなおしました。あれ、載せてなかった?2001年グラナダで作った歌です。グラナダで僕が住んでいた場所はエレベータなし、五階というかなり大変な場所でしたが、眺めは素晴らしかったのです。ここに少し書いてある。階段云々より、もっと悲しいことが書いてある。

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足元に流れる深い河

足元に流れる深い河

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道に咲く花のかおりに
足をふと止められること
そんな些細なことさえ今は忘れていた

今は 言葉もなく
愛した人を思うだけで
今は 心深く
過ぎた日々を葬うだけで

名も知らぬどこかの街で
音もなく 崩折れる人
人を打つ冬の朝の雨で
窓が濡れる

雨宿りする恋人たちの 足元に流れる深い河
彼女が何も告げず僕を 置き去りにした深い理由

今は 言葉もなく
愛した人を思うだけで
今は 心深く
過ぎた日々を葬うだけで

道に咲く花のかおりに
足をふと止められること
そんな些細なことさえ今は

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随分以前の曲を録り直してみる(Nautilus Acousticus, 2001所収。)。タイトルはレイモンド・カーヴァーの短編"So much water so close to home"からとっています。この作品は村上春樹さんが翻訳して、「足元に流れる深い川」としていた。川を河に変えたくらいで、そのまま使っていて、申し訳ない。曲の内容は作品とは関係がなく、この曲を書いたときにふと思い出したという程度だと思う。僕はこの作品を扱って学部生の時レポートを書いたことがあって、多少の思い入れはないでもないのだろう。

ギター一本で取っているので(ギターだけ、歌だけという録音が出来ない。なので多指向性マイクで一発録音)、非常にシンプル(一箇所だけオーヴァダブしてるけど)。コード進行がとても変な箇所がある。でも聞いていて変だなあ、と思わなかったのでOKにした。僕の好きなasovskiの「ひかりのはな」という曲にイントロがそっくり!

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ナショナリズムを学ぶ人にうってつけの教科書!

ナショナリズムを考える上で、必須な文献はたくさんあるのですが、そも議論の中身を知る前に素地となる知識を整えているだけで結構時間がかかります。でも最近とても優れた教科書が出来ました。

大澤真幸、姜尚中編『ナショナリズム論・入門 』有斐閣、2009.

編者のお二人はそれぞれにナショナリズムを議論する書籍を出されています。とりわけ、大澤真幸の名は単に社会学を勉強している人だけでなく、今現在人文科学の領域で研究をしている人、あるいはこれからしようと思っている人にとって決して外せない。『ナショナリズムの由来 』という大著(5000円でこの質、この量。決して高くないのです!)で圧倒的なナショナリズム論を打ち立てましたが、その前段階として幾つかの助走があり、『ナショナリズム論の名著50 』なども非常に優れた入門書となっています。今回大澤さんの執筆された箇所を見ると、これらを当然踏まえているので、大部(辞書みたい)に挑戦する前に手ごたえを見てみたい人にはうってつけ。

有斐閣アルマはこの出版社(法律、判例集とかで有名ですが)が大学の教科書として出しているもの。そういうつくりが如実に出ていて、それを上から見れば使いやすいのかもしれない。読み物として僕は読むけれど、少なくともナショナリズムを誰かに説明する、あるいは授業で取り扱うという人にとっては、とても便利です。

ナショナリズムを議論していながら、不思議なのはいつもコンセンサスが得られないことで、立場、歴史地理的フィールドによってそれぞれ違う見解が生まれます。でもそれを恐れずに、むしろ受け入れて進んでいかざるを得ません。そういう多様性を見事に孕んだ本です(前半ではかなり理論的な記述が目立ちますが、第三部は地球各地のナショナリズムを研究する方を一挙に勢ぞろいさせて、実践を見せてくれます。)。

個人的に序章、1章、4章、5章、6章がオススメ。2200円で大抵の議論に付いていけるようになる。お買い得と言わざるを得ません。フィヒテもルナンもコーンもアームストロングもアンダーソンもゲルナーもホブズボームもスミスも全部読んじゃった、という人以外オススメ。というか、そういう人にもオススメ。ナショナリズムとか興味ない人もオススメ。恋人に何をプレゼントしていいか迷っている人にもオススメだ!

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上尾メディックスのこと

スポーツチームは運営維持にお金がかかるから、いくつものスポンサーがついていたり、そもどこかの企業の中につくられたチーム(実業団チーム)が多いのだろう。母体となる企業なり企業連合としてはそのチームを持っていることがメリットになるようにという思惑が当然あって、たとえば広告。子供時代ユニフォームに企業のロゴなどが入っているのを見て不思議に思っていたのだ。

さて、僕が実際に試合を見てみたいと思うVリーグのチームに上尾中央総合病院バレー部(上尾メディックス)がある(女子二部リーグ)。メディックスという名前(ロゴも素敵)も最高。「高度な医療で愛し愛される病院」、埼玉県の上尾中央総合病院が持っているチーム。こういうケースがどれくらいあるのか知らないけれど、珍しいのではないかなあ。ブログも部活っぽい、というか、部活なのだ!ああ、もう、素敵すぎる(もうひとつ、同じリーグに健祥会 レッドハーツがある。こちらは介護や障害者福祉を事業内容とする社会福祉法人。男子一部リーグには大分三好ヴァイセアドラーがあって、医療法人青雲白鷲会三好内科環境器科医院のチーム)。

すごいなあ、と感服してしまう。そのチームを応援しても、僕がそれぞれの病院、施設に診察や介護をお願いすることは出来ないのだけれど、ずっとチームを守ってほしいな。

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小さな手のための練習曲

etude for small hands

唐突ですが、『ブルクミュラー25の練習曲 』というピアノ練習曲集があります。ピアノ初級者が使う練習曲集で、評価が高い。日本では『バイエル』が王道だった(現在変わりつつある)のですが、それに比べて

・曲が良い。

・臨時記号に早くから親しめる

という長所があるとして愛されている。

僕はこれを使ったことがなかったのですが、「そりゃ曲が可愛くて、シャープだのフラットだのに早くからなれたほうが良いよなあ」と感じる。情けない話ですが、白い鍵盤と黒い鍵盤に格差が生まれるといいますか、臨時記号が一つついただけで身構えてしまう自分がいる。

でも音はそれぞれ平等な権利でもって存在しているので、それを鍵盤の色で差別しては可愛そう。ギターを演奏すると特にこのことを意識することはなくて、フレット間のインターバルとして音の連なりを理解しているのだけれど、鍵盤だとどうもなあ・・・。

なので『ブルクミュラー25の練習曲 』って素敵なものなのね、という憧れのような期待を抱いた。で、実際にその譜面を買う前に自分がブルクミュラーさんだったらどんな曲を作るかな、と思って書いたのがこれ。子供の小さい手でも演奏できて、シャープとかフラットとか難しいこと考えずに使って、分かりやすい曲。

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dd (demo version)

dd (demo version)

この曲を作ったのは高校二年生のとき。随分前ですね。

このピアノ音源はMIDIのもの。自分の使っているピアノから演奏情報だけを取り出して(音程、強さ、音符の長さ)、それに音を当てはめているのです。

手続きとしては自分で演奏しているものをマイクやラインで録音するか、MIDIを通して記録するかという違いなんだけど(自分が演奏するのは変わらない)、鳴っている音としては後者のほうが多少不自然。でも、それを自然に聞かせるための工夫とかをするので、勉強にはなる。加えて最近のMIDI音源は性能が良いので、割にキレイ。

演奏が拙いのは仕方ない。言い訳をすると、一瞬レスポンスが遅れるのが弾き辛い(気がする)。率直にキーの連打とかは上手く出ない印象。まあ練習したら鳴るようになるのですが。

蛇足ですが最近の録音はこちらです:

ESCAPE(demo)

まにまに (demo)

riplp

少女ガール

Undercurrent

marie

未来

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最近のちょっと面白い体験

最近のちょっと面白い体験。

ある場所でちょこっとした文章を書いていた縁で、親交を結ぶ方が出来た。Aさんとしよう。その方が苦手な書き手、としてある人の名を挙げていた。こちらがBさん。少し興味が出て、その方の書き物を読んでみた。

すると、である。Bさんの書いたものは僕の文章にそっくりなのだ。あまり踏み込むと、いろいろなことを説明しなくてはいけなくなるので割愛するが、語彙や内容が、というより結構が。自分でも「あら、随分似たものを書く人ね」と驚いた。文章の入れ物(とその形)について僕とBさんはどうも似た趣向を持っているらしい。

そこで僕は思ったんだけど、Aさんは最初僕の書いたものを見て、Bさんが異なる名義で文章を書いているのでは、と訝ったのではないだろうか。けれどじっくりみれば、どうも違う人が書いていることも分かってくる(これは語彙や内容のことだ)。もしそうだったら、どうということもないのだけど、人の世は一期一会だなあ、と思って僕はちょっと嬉しくなってしまった。

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雨が降るたびに少しずつ秋が近づいてくる

めっきり涼しくなってきて、ワンの散歩のファッションも考え直さなくては、と思います。

昼寝をして散歩に行ったら蚊に刺されて「もう夏も終わるなあ」、と思いながら帰ってくる。もう一度昼寝。ショパンのチェロ・ソナタをかけながら眠りに落ちる。チェロ・ソナタ何番とならないのは、ショパンにはチェロ・ソナタはこれ一曲しかないから。

蚊に刺されて痒いのは、蚊の唾液のせいと聞いた気がする。この唾液に血液の凝固を阻止する機能がある。凝固はともかく、痒くなくすことは出来ないのか。痒くない蚊の唾液を作って(合成して)動脈瘤・静脈瘤、脳血栓防止に役立てられないだろうか。

怠けているのではなく、昨日今日は何もしない。案外難しい。

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まぼろしの王都

僕は行くことができませんが、こういう催しがあるそうです(木村祐美さんは素敵な、そして話題となる作品を訳されていますね。本作を僕は読んでいないのですが、とても興味があります)。

スペイン大使館の文化イベント


『まぼろしの王都』著者エミーリ・ロサーレス氏を招いて

日時: 2009年9月3日(木) 19時
場所: スペイン大使館 B1オーディトリアム
来日中の作家のエミーリ・ロサーレス氏(1968年 スペイン、サン・カルロス・ダ・ラ・ラピタ生まれ)を招き、8月中旬に日本語訳が出版されたばかりの『まぼろしの王都 』について、インタビュアーのゴンサロ・ロブレド氏(ジャーナリスト)がお話を伺います。*同時通訳あり。
参加をご希望の方は次のURLから事前にお申し込みください(参加無料)。
http://coloquio3deseptiembre.invite43.com/

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