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2009年7月

ヘンな敬語

古代の遺跡の壁にさえ「最近の若い者は・・・」と書かれていたそうだから、当今の老人(はかつての若者だが)にそういわれてもどうってことない。のだが、自身最近驚いたことにはうっかりヘンな敬語を使ってしまったときである。

きちんとした敬語を話すには、本をたくさん読んでいれば良いと思っている。というのは、国語の授業でならうような分類は教える側としては都合が良いかもしれないが、経験的にというよりは全体からルールとして抽出したものであるから、僕のように帰納法的に学習していく人間にとってははなはだ都合が悪い。正しい生起条件というか、文脈というか、その表現が召喚されるための流れというものがある。それを学ぶには、やはり読書のほうが早い。

それで先日、ある場所でヘンな敬語を使ってしまい、別に公の場というのでもなく、さらに言えばお酒も入っていたのだが、それゆえになおさら自分としては反省することしきりで、ここ数日印隠滅滅としている。しかし、こちらとしては丁寧に話しているつもりで、相手にもそれが伝播して「間違った敬語返し」というか、相手の(この場合僕なんだけど)その奇妙な物言いを受けて返答されるので、これは面白いなあ、と客観的に思う(酔っ払いは自分から離れて世界にコミットする厄介な連中だ)。こういうのがコミュニケーション、だよなあ。コミュニケーションというのはコモンにする、というところから始まっているので表現レベルでそれがされてももちろん良い。

気の置けない友人

というと、二つ解釈がある。いつから、どこからというのは寡聞にして知らないけれど、(1)気を使わないで済む、(2)気を許せない、で正反対の意味になる。この手のことは結構あって、「情けは人のためならず」とか。どちらかがいわゆる本来の意味だったとしても、あるコミュニティ(これはコモンにするものをもっている人の集合だし、もっと言えば共同性、共有性)で別の使用が慣用となり、それの勢力争いみたいなものが今日まで残っているのか、いないのか。今日の誤用が明日は正しいとされる可能性もないではない。とはいえ、言葉は心を込めて話さねばならないのですね。気をつけたいと思います。

僕の嫌いな渋谷で『奇想の王国』という騙し絵展がやっている(8月16日まで)。僕周辺では皆が皆魅了されているし、僕としても大いに愉しんだ。面白かったのは、会場でまた友人と会ったりすることで、あれ君も?ということがある。オススメ。順路の最後に度肝を抜く作品がある。絵の前で体が自然に動いてしまう逸品。体感して欲しい。あまり長く見ると気持ち悪くなるので注意。

ユリイカ』の今月号は菅野よう子さんを特集。インタビュを除けば、音楽雑誌ではないので面白味がなく、寄せられている批評文も精彩を欠く。これは書き手のせいではなくて、音楽の感動を言葉で表現する苦労なのだけれど、それをするために批評家はいるのだからもっと苦労して欲しい、というとやっぱり書き手のせいになるのか。今月の作品。小野絵里華「エリカについて」が大変な力作。名前と名前を巡るあれこれと言葉とその他いろいろです。もう盛り沢山なのでこんなに自分のことを書けることがすごいし、これを正面からしっかり読むのがちょいと恥ずかしいような恥ずかしくないような、それでもやっぱり絶対間違いなく読んだほうが良い作品。オススメ。

さらに関係ないけれど、NHKの久保田祐佳アナウンサー、可愛いなあ。

梨木香歩さんの『からくりからくさ 』。くさかんむり、きへん、花の名が現れないページはひとつとしてない。とても息の長い物語。キレイでコワイ。緩急があり、四季があり、ゆっくりと読んでほしい一冊。「よきこ」と「きく」と「マーガレット」と「ようこ」の物語。こんなに植物に囲まれて、『フローラ逍遥 』くらい、いとしい。

文月、終わります。

青い薔薇あげましょ絶望はご自由に(池田澄子)

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月読読月(あわせて読みたい三冊)

週に一度、ある場所で本の紹介をさせていただいている僕。今日そちらが最終回でした。およそまともな学者らしくない品揃えと思いきや、まともな学者でないのだから何のことはない、当然といえば当然。くすくす。

本は一冊で独立して存在しているわけではないので、複数の作品がごちゃごちゃと読者の頭の中に投げ出されて読書行為は特殊性を獲得する。作家の作品を並べてみることも大事だが、作家の蔵書研究もまた魅力的な理由は、これと近いだろう。そうしたら、松岡正剛さんが三冊読書なるものを提唱していて、そうだよなあと同意。あわせて読んだら相乗効果が得られるか、あるいは僕がどんな景色を見ながら本を紹介していたかが分かりやすくなる。論理数列は二つ以上の項がないと成立し得ない。

そのようなわけで、僕が4月から紹介してきた本を「あわせて読みたい三冊」として掲載します。おせっかいこの上ない読書課題として、夏休みにどうぞ。鼻で笑いつつ、自分ひとりでは手に取ることのなかったであろう作品と邂逅していただければ、幸い。蛇足この上ないコメントは僕がつけていますが、最初の方は「ドレミファソラシ」なのでした。クリックして拡大できます。さあ、ひとおもいに。

Booklist

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月読読月

この本を読み給へと斯界の学魔より託宣あったので記す。

ジョージ・スタイナー『バベルの後に 』法政大学出版局.(10年の時を経て翻訳の下巻が刊行された)

風来山人(平賀源内)『根無草 』岩波書店(日本古典文学大系より).

タイモン・スクリーチ『定信お見通し―寛政視覚改革の治世学 』青土社、2003.

小森陽一『漱石深読』集英社(多分秋ごろです).

丸尾末広『パノラマ島綺譚 』ビームコミックス、2008.

読めない自分を呪う前にさあさ一ペエジでも先へ先へ。

そして僕からも一冊。これはこの夏休みの課題図書!

高山宏『かたち三昧』羽鳥書店、2009.

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月を見ながらピンク・フロイドを聴いていた

Pink Floyd, 11 p. m.

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 仕事の出来ない奴と文句の多い奴が多くて困る。彼はそう呟く。コンピュータのモニタに点滅するカーソルは規則正しい。仕事とはかくあるべきだ。ルーチンとしてではなく、当然のこととしてするものだ。取捨選択によらず引き受けるべきものだ。

 風が強い、雲が速い。電線がヒュンヒュンいってる。この音がオンド・マルトノみたいだといったら大抵の人があっけにとられた顔をする。けれどオンド・マルトノは電線が風に揺れる音だし、電線が風に吹かれればオンド・マルトノの音がする。これはどうしようもなく純粋な真実だ。

 今の仕事が終わる頃には、終電には間に合わない。出力して、チェックして、出力して、チェックして、ちょうど2時間かかるはずだ。いつものことなので気にはならない。月初はいつもこうなのだ。

 会社には仮眠室もある。洗面用具もロッカーにある。十一時になると空調が完全に切れるので、少し暑いけれど静かだ。誰もいない事務所でピンク・フロイドをかけながら仕事をする。他人の文章のチェックをしている時は、音楽を聴いていても邪魔にならない。むしろリズムが生まれて仕事がはかどる。自分で文章を書くとなると話は別だ。

 スタジオ・アルバムもいいが、『パルス 』もいい。

 一服しようと窓を開けると月が雲に隠れたり、また現れたりしている。あれ、このあいだ誰かとピンク・フロイドの話をしなかったか。このあいだといっても随分昔のような気もする。

 骨董通りを一本入って、意味の分からない住宅地を歩いていると突然瀟洒なフランス料理屋が現れる。けれどそれはいい感じのものではない。いい感じといってなんだか分からないけれど、少なくとも積極的にいいなあ、と思うものではない。

 僕はその時美咲と一緒にいた。別れた今でも思うのだけれど、美咲は僕にとってかなりベストな選択だったのではないか。ベストにかなりもなにもないが、そう思う。かといって今なお一緒にいたなら、不都合や不自由を感じていただろうか。

 窓を閉め、机に戻る。そういえば、明日は若手編集者の勉強会があるのだ。替えのシャツはあっただろうかと気になって、ロッカーを確認する。ネクタイホルダーにユニヴァーサル・ランゲージで買ったイタリア製の中途半端なオレンジのネクタイと、バーバリーのピンクのレジメンタルが吊られている。替えのシャツも一つだけ残っていた。クリーニングのタグを外しておかなくては。

 ピンクのネクタイは、一つ買ってみると分かるのだが案外使い勝手がいい。自分で思うほど突飛でもなく、人当たりも良くなる気がする。これはネクタイの色が顔色をよく見せるからだろうか、と考えたこともあるけれど、むしろ締める側の気分の問題だろう。クールビズなんてさっさとなくなればいい。

 さて美咲はそのフランス料理屋を見て「なんだか、そぐわないね」と言った。僕も同じようなことを思っていた。タクシーが僕達を追い越して、僕は美咲の手を取る。「お腹は空いたけど、あそこには入りたくないなあ」と僕が言った。美咲が「ちょっと歩くけど、びっくりするくらい美味しい鰻屋があるよ」と言った。

 思ったより近くだった。美咲はあの店をどうやって知ったのか。誰と一緒に行ったのか。女の子一人ではいるには敷居の高い店だった。そういえば、自分の気に入った店に恋人を連れて行く場合、その恋人と別れた後の心配はどういうものなのか。自分と別れた後に、その相手が足繁く通っていたら、自分は足を向けなくなるだろうから、そうすると恋人はお気に入りの店に連れて行かないほうがいい。さらに実際別れた恋人がその店に行かないとしても、もしかしてここで鉢合わせるのではと気を揉みながら、新しい恋人と話をしても上の空になってしまう気がする。だから僕は「二度と行かない店」が増えてしまった。困る。

 ほっとして机に戻るとCDが終わっている。

 ロジャー・ウォーターズのいないピンク・フロイドが、僕は嫌いではない。そう、その話をしたんだ。美咲のことを思い出していたけれど、美咲とその話をしたのではない。それは美咲の前の恋人としたのだ。

 新宿で美咲が連れて行ってくれたバーにその男がいた。僕よりもずっと身なりのきちんとした、アクのない親切そうな男だった。実際いい男だったのだと思う。なぜ美咲が彼と別れたのかは知らない。美咲は少しだけ気まずそうにしたけれど、僕を彼に紹介した。名乗りあう時に会社名を名乗るのは無粋だといつも思う。あの男もピンクのネクタイをしていなかったか。一度しか会っていないのだから、その時にしていたネクタイだろう。

 印刷やコピーの精密機器を開発している、英語では動詞にもなってしまっているある会社の営業担当だというけれど、人品卑しからずという美しい清潔さが漂っていて、僕は自分を捨て犬のように感じた。こういうのはどうしようもない。

 そうだ、そのバーでピンク・フロイドが流れていたのだ。僕達は美咲を挟んでスツールにかけていた。僕はギムレットを、美咲はシーバス・インペリアルを生で頼んだ。先に店内にいたその男は何を飲んでいたか、覚えていない。暗い店内ではShine on you crazy diamondの余りに長いイントロが流れていたのだ。そしてギルモアが歌い始めたとき(それもPulseだったと思う)僕と彼は同時に安堵のため息をついた。美咲が振り返って僕の手を握った。僕も握り返した。

 その店にも僕は二度と行かないのだ。

 さて、話は冒頭の「彼」に戻る。そう、第一段落の「彼」である。美咲の元恋人で「印刷やコピーの精密機器を開発している、英語では動詞にもなってしまっているある会社の営業担当」の清春は、三年前のある冬の日、スペインの田舎町にいた。彼の努める会社のヨーロッパ戦略の拠点は現在ミュンヘンにあるばかりで、もともとの親会社である米国本社と競合することのないよう東ヨーロッパならびにロシア向けの輸出を細々と続けてきた。

 グーテンベルクの活版印刷機が悪魔の機械と呼びならわされたのは故なきことではなく、さらにはコピー機器などそれに輪をかけて危険な道具である。ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊以前の東欧ロシアにおいて、プリンティング・デバイスは反体制運動に直結し打つ思想プロパガンダの具であったため、市場は巨大であるにせよそもそも持込が厳重に管理されていた。

 そういった事情を離れて彼は西ヨーロッパに新たな拠点を作るべく現地調査に派遣されたチームの一員だった。フランス語がそこそこ分かったので重宝がられたが、いざ蓋を開けてみるとヨーロッパの左半分もまたアメリカと同様に、日本勢が入り込む余地はごく僅かであった。そうなると、機械そのものがまだ取り入れられていない未開の市場はフランスではなくイタリア、スペイン、ポルトガルということになり、彼はスペインの官公庁、大学、図書館といった場所における納入傾向を調査し、使用実態を調査して、それに適合した製品の売り込み戦術を検討する役割を負うこととなった。

 コピーといってもフォトマトンのような簡易な製品が多いので、多機能高精細を売りにした製品よりは、安価で耐久性とランニングコストが安い製品が受け入れられることは当初より予想できた。むしろコピー元の媒体(雑誌なのか、新聞なのか、書籍なのか)とその保管形態、印刷枚数を考慮してヨーロッパに特化した製品を提案する方が現実的なのだが、高性能な製品を知っている清春にしてみれば、個人的にはそれは技術的な後ろめたさを孕んだ問題であった。

 とはいえ、数多くの官公庁や大学、あるいは研究所などに設置されたコピー機の使用実態を(現地の職員に不審がられながら)観察し、2週間ほどで30箇所の調査を終えた。報告書は電子メールで送り、念のためEMSでも送った(これは清春が帰国して後届けられた)。帰る段になって、マドリードは記録的な豪雨に見舞われバラハス空港は閉鎖された。ホテルの部屋でその情報を得ていた彼は、ミュンヘンに戻っていたほかの調査メンバーと連絡を取り、ついでに休暇を取れないかと打診した。

 日本では考えられないことだが、欧州のメンバーはその点鷹揚で清春は5日後の飛行機でミュンヘンにいるチームと合流し(実は他のメンバーもそれぞれ休暇を申請していた。なんとものんびりした話である)、帰国前の報告準備を整えることになった。

 さて、4日間の休暇である。

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立ち眠る

floating away
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 木曜日のことなのだが、眠くて眠くて仕方がなかった。トイレにたって洗面台で顔を洗って、それから個室に入った。個室に入って、立ったまま寝た。便座に座るのも嫌だし、便座のふたに座るのはもっと嫌だった。外国の映画などで女優がそういうことをするシーンを見るけれど、実感がわかない。実感がわかないので立ったまま寝た。そんなことが出来るのか不安だったが、あまりにも眠くてきちんと寝ることが出来た。しばらくして誰かが入って来て、それからまた誰かが入ってきた。二人は誰かの悪口を言って、用を済ませて出て行った。出て行った後で、僕も出て行った。それから缶コーヒーを買って、机に戻って仕事をした。
 よく考えたら、その日だけで五本も缶コーヒーを飲んだ。すごい。

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最近見ているアニメ(2009年7月期)

今年度第二クール僕が見ているアニメ作品は以下のもの。あまり見過ぎないようにしたいのですが、なかなか。

狼と香辛料II

大正野球娘

宙のまにまに

かなめも

CANAAN

東京マグニチュード8.0

化物語

涼宮ハルヒの憂鬱

CANAAN原作はゲームなんだけど、『428 〜封鎖された渋谷で〜』の428を四谷って誤解しました。不徳の致すところです。

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夢を見る夢を見る。

Escaleras

夢を見る夢を見る。

記憶にある場所、記憶にある人を組み合わせて夢を見る。そうして記憶は堅固にされていく。そんな必要のないことさえも。

Aといういやな奴と、Bという素敵な友達が一緒の場所に居合わせて、その二人は僕のそれぞれ別の時代の知人であるのでお互いに面識があるわけではない、のだが。

花が咲いて、花が枯れて、一喜一憂する。それでもまだ人生が半分残っている。

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美しい五月に。

 恋人はやわらかにくちづけて、僕はパニックになる。碧が吹き飛ばされそうな風の中で、僕の頭上に顔を見せる。遠くから野球部の練習の声が聞こえる。その野卑な響きを僕はとても遠く感じている。だから、不愉快ではない。碧は僕の何を求めているのだろう。
 校舎は二つに分かれている。特別教室棟と授業棟。職員室やその他アドミニストレイティブな機能は特別教室棟にある。僕達が数学や古文の授業を受けるのはそれぞれの教室、つまり授業棟である。
 それぞれの棟を結ぶ連絡通路に、僕は思い出を抱えているので、渡るたびに複雑な気持ちにならないでもない。そして三階のそれは今、碧に従えられてしまった。だからもう一度言う。恋人はやわらかにくちづけて、僕はパニックになる。
 17歳の頃、寄る辺なく、やるせない日々にも眠れなくなることはなかったのに、今大人になって僕は寝つきがすこぶる悪い。けれど碧のことを思い出すと、少し心が落ち着く。幻想でしかないのだが、この人こそ僕を理解してくれたのではないか。今自分が把握している以上に、僕の心の底を見透かしていたのではないか、と。
 それはあやまりだと知っている。知っていることを知っている。けれど、ただ一度碧が僕にキスをくれたことはあやまりでもあやまちでもなかったのだと、繰り返す僕がいる。
 僕は碧の名前を検索窓に書き込む。そして彼女が、その自宅(だったはず)近くの市民合唱団のピアノ伴奏者として名前を連ねていることを知る。ピアノをまだ弾いている。当たり前ながら、僕にとって鈍いショックを与える出来事がそこに現れ、もし今一度音楽が二人を結びつける絆であったら良いと虫の良いことを考える。
July_beautiful 美しい五月に。気がつくと七月だった。

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16年前のある日。

はい、突然思い出した14歳の頃の詩です。

永遠に輝き続ける
すべてのものが君に跪く

なにを考えて生きていたのか。いや、正確に覚えているのだが、恥ずかしくて書けない、ですよ。

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月読読月

この本を読み給へと斯界の学魔より託宣あったので記す。

コーン、ノーマン『千年王国の追求 』紀伊国屋書店、2008.

島田荘司『漱石と倫敦ミイラ殺人事件 』光文社文庫.

小栗虫太郎『黒死館殺人事件 』河出文庫.

坂口安吾『不連続殺人事件 』角川文庫.

バフチン、ミハイル『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化 』せりか書房、1995.

バフチン、ミハイル『ドストエフスキーの詩学』ちくま学芸文庫、1995.

読めない自分を呪う前にさあさ一ペエジでも先へ先へ。

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フォンタンの月

At_the_moon八時四十分に閉館する図書館から出てくる。疲れているのは事実だが、今は体をうんと伸ばせることが嬉しい。

あれは本当に現実のことであったろうか、と思い返す。

もうそんな時間はやってこないかもしれない。ウェットなのは多分湿度の問題だけではない。

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ストーリーライター

Pink_and_blue_2想像力の死が世界の終わりだ。

かっこつけていうんじゃなくて、本当にそうなんだと思う。現実に見ている、認知している情報以上のものを僕達は相当に補い、補われ生きているのだから。

これはポジにもネガにも振れるのだが、それでも間違いなく想像力の世界の出来事は僕達の世界に寄り添って、皮一枚で繋がっている。

エドワード・サイード『オリエンタリズム 』を読みながら、そんなことを再認識している。

Pink_and_blue_2世界も物語だが、物語も世界だ。確実なことは、神様は物語をしない。物語るのは人間だ。

ところで、二枚の画像を見て違いを探そうとしましたか?差異を図るのは人間のすごく大事な能力なんですね(ごめん、二枚縦に並べただけでした)。

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スライムがあらわれた どうする?

Slime Slimebess

Slime02 Slime03

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アンソニ・D・スミス読書マラソン、ゴールしました。

先の五月よりずっとアンソニ・D・スミスという人の著作を読んでおりました。2ヶ月かかってしまいましたが、割と面白かったです。一番最近翻訳が出たものは『選ばれた民―ナショナル・アイデンティティ、宗教、歴史 』という本で、かなり期待しておりました。というのは、やはりどんな理論家、学者でも自身の学説は変遷や進化をするでしょうから、誰もが知る古典的代表作と呼ばれるもの以外にも読んでおく必要がある(それをこれからアンダーソンの『比較の亡霊―ナショナリズム・東南アジア・世界 』でもやるわけですが)。

期待したもう一つの理由は、翻訳をされた方が恐らくスミスに近しいと思われる(スミスは長らくLondon School of Economicsの大ボスだったわけですが、彼女もここで勉強した)方なので。スミス自身に肩入れする部分があるとしても、逆にその欠点というか論理のほころびも直に経験しているでしょうし、なにより原文の意味が分からない時にスミスに質問できるのではないか、と。これ、すごいメリットだよね。

この本、スミスのネイションやナショナリズム研究の代表作として捉えてはいけない。そも、宗教的なものがネイション形成に与える役割を「選ばれた民(chosen people)」という観点から読み解いているわけで、つまるところこれは経典の民に見られる選民思想がベースになっているわけですから(もちろん、他の研究に応用できる部分は散見されるだろうが)、一般にナショナリズム研究を考えた時に、極めてスコープの小さい、しかし包括的な研究、とひとまずは言えようか。あれ、また悪文書いちゃった。

スミスの議論の中心的概念といっていいのか、エスニックな紐帯(エトニとか言われています)みたいなものを僕はあまり評価・信頼していなくて、それはネイションの問題を棚上げにしただけだろう、と思っちゃうのだけれど、その不安は訳者が

本書の基調は「初めに集団ありき」であり、ネイションという集団の維持・発展における宗教とナショナリズムの関連は詳細に考察されている一方で、集団の形成に対する言及は見当たらない。(「訳者解説」342ページ)

と書いている所にも明らかだ。要するに、先にエトニありきで考えると、エトニ組成の問題が先送りされるわけだが、それはネイションの説明としても破綻しているし、エトニを使った説明としても不十分なのだけど、エトニ、エスニックな紐帯というのは案外僕達が「なあなあ」で分かってしまいそうで、そこが危険なのよね。さらにはエトニからネイションへの飛躍を説明できる十分な論理はスミスに見出せない。でもスミスの議論に価値がないというわけではなくて、とりわけ彼の言う「文化的資源」は、結局文学研究の人がネイションを論じる時に最も力を与えられる部分なので。

世界各地の固有名なども出てくるので、いわゆる誤訳ではないのだが僕の気になったことをすこし表にまとめておきます。適宜利用してください。Photoあと文献表に挙がっているViroli(1995)は同じ年の1月に翻訳がでましたね(『パトリオティズムとナショナリズム―自由を守る祖国愛 』おすすめ!)。

4800円は高いかな?でも訳文は読みやすい。スミスの研究において第一級の重要性を持つ本ではないが、2003年に原著が出て2007年に翻訳が準備されたことがとても嬉しい。そうでなくちゃ。

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認めたくないものだな。自分自身の、若さゆえの過ちというものを。

ゲルググTシャツも着てすっかりジーク・ジオンな私ですが、これは見てみたいよう。

いいなあ、いいなあ。学校休んでいこうかなあ。

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Escape (replaying the adolescence)

ESCAPE(demo)

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時計は十二時過ぎ 木製の太いハンドル握る
僕を見てあなたはなんていうだろうね
2シーターのカブリオレ 真っ赤なスポーツカーで
月夜のもとあなたの窓辺へ駆けていく

すべてが今のままなら僕は死んでも構わない
あなたもそう思うでしょ?

あなたに見せたいものや話したいことが沢山あるから
だからずっと僕のそばにいて
昨日の僕も今の僕も明日からもずっとあなたといて
暮らせるならどんなに素晴らしいことでしょう

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青春とは恥ずかしいもので、けれどそれゆえに、なのだ。

この曲は4枚目の『Funk Pops @Roll』に入っていて、2曲目。僕の人生の初めて尽くしがいっぱいあって、

コードが三つ
経験に基づかない歌詞

が差し当たってのところ。本当は2番もあるのだけれど、面倒くさくなったので1番だけ歌っている。デモたるゆえんです。久しぶりにベース弾きました。

なお、詩の中のスポーツカーはトヨタのMR-Sです。

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せまーい。

雨の季節はワンの散歩が難儀、な。

梅雨に読みたい作品:紺野キタ『つづきはまた明日 』幻冬舎、2009.

絵も可愛いし、雰囲気が好き。

晴れ間に犬と歩いていると、ふと足元にプレートが打ち込まれておるのに気が付く。

『狭あい道路拡幅・・・』

せ、せまあい?あ、狭隘(きょうあい)か・・・。どちらでも正しい気がする。

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『サマーウォーズ』

バスに乗っていると、高校生が夏休みに見たい映画の話をしていた。

「『サマーウォーズ』が見たいんだよね」
「何それ?」
「押井守の最新作で、アニメ映画の・・・」
「ふーん」

ち、違うぞ。それは『宮本武蔵』だ(監督じゃなくて原案・脚本ね)。『サマーウォーズ』は細田守監督だ、と教えてあげたかったのだが・・・。

8月1日から公開。僕も見に行きたいなあ、と思っています。なんといっても『時をかける少女』を世に送り出したスタッフです。田舎が舞台なんだけど、背景の仕事が生きるのはそういう田園風景なんだよね。手掛けるのはジブリで美術監督を務めてきた武重さん。美しいに決まっている。キャラデザは貞本さん。僕ね、アニメ云々の議論でみなキャラクターの魅力を語るのを等閑にしているというか、今更語るまでもないと思っているように感じるのだけど、これは強調しすぎてもしすぎることはないと思う。人は人型を追って生きているのだから(赤ちゃんだって人の顔を見分ける)、視覚芸術の根幹だ。

(ところで、今日ブロガー向け試写会があったのですね。もっと早く言ってよ。いつもタイミングが悪いんだ、僕は。よよよ。)

しかたがないので、これで満足しよう。

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旅また旅/話芸

過日吉岡秀晃さんのピアノならびにその演奏スタイルを激賞したのだけれど、彼のスケジュールを見ると、日々様々なグループ、セッションをこなしていて、人生とはこれみな旅なのだなあ、と思わせられる(音楽家に限らずにね)。自分は部屋に閉じこもっている場合ではない。

2009年8月29日開催のSUMMER JAZZ「サマージャズレボリューション」にもご出演されます((社)日本音楽家協会主催)。見に行こうと思います。

とある場所で、話をさせていただく機会があったのですが、こちらのコンディションが悪いといけませんね。話が、内容が、聴衆に届かない。空回りするのが良く分かる。聞き手の関心や注意を捉えられないことを、肌で感じられます。話芸とはただ言葉を発すればよいというものではない、表情やしぐさ、その他諸々の要素が混淆して、一回性のあるライブを成立させているので、レスポンスはこちらの弱さを如実に反映するものとなります。また勉強して出直させていただきます。

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テクネとしての文章を書くこと

軽く、重く、洒脱に、擬古的に、慇懃に、挑発的に。

文字を書くこと、文章を綴ること。文体はスタイル(フランス語でstyle、「筆」はstylo)、けれど教養や知識にもまた裏打ちされ、テクストは反復可能な文章として表出される。

今すぐにではないけれど、テクネとしての文章を書くことを、一度落ち着いて考えてみたいです。

遠い未来に果たす約束です。

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