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2009年6月

六月に悼むものは

世は桜桃忌に津島修治を悼んだ(13日)。6月はまた村下孝蔵の亡くなった月でもある(24日)。

さて、ギターが演歌や歌謡曲と出会うとかっこよくなる。これはスケールの問題とかがあるんだけど、今はかいつまんでいうと、泣きのメロディとコード進行が共通しているということだ。さらには弦楽器の中でもかなり特異なパーカッシブさがキレを与える、わけだ(ノイズも音楽、という典型)。

そういうアーティストは数多いし、僕も過日「少女ガール」というデモを録音したけれど、これも分かりやすい例だろう。さて、そのタイトルが「少女」でも「ガール」でもないのはすでに「ガール」という曲が僕にはあり、かつ「少女」は村下孝蔵にその曲 があるせいだ。

僕と村下孝蔵の意識的な出逢いは中学二年生くらいだったはず。彼の曲は小学生の時にも耳にしていたのだが、それが彼のものだったとわかるのは随分あとになってからだ(「陽だまり」のことね)。「踊り子」、「初恋」、「午前零時」など僕の心を打ち抜いた楽曲はすべて『歌人』に入っている。はっきり言おう。僕がもっとも影響を受けた音楽は、これだ。

最近ちょっとまた新しい音源が出た(GUITAR KOZO )。新聞広告もあったので目にした人も有るだろう。デビュ前、村下さんはピアノの調律をしていたり、弾き語りやラジオのDJをしていた。でも、歌を伝えるために選んだ楽器はおそらくギターだったのだろう。

十年が経った。

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少女ガール(デモ・トラック)

少女ガール

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冷え冷えとした夜の気配
沈黙するドアの向こうで嘘がおいでおいでしてる
夢は原色か幻滅か

ついこの間まで少女だった面影
ショパンなんて最低だと思うけれど
君のためにならば弾いてあげてもいい

何か大切なものと交換しよう

指先で白い螺旋
もう二度と この場所に
甘い匂い アンクレット
戻らないと約束するなら

そして恋は僕を待たずに
国境を越える列車の中
シグナルが消えたら蝶は
花びらの影を飛び去った
思い過ごし 街のためらいか
石畳に降る幻想か
ラジオから耳に覚えのある
あの頃の歌を聴いた

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まだ大阪にいた頃(2002年。ubetooは間違えてしまいました)、夏の暑い盛りに書いた曲です。遊んでいるのはタイトルを見れば歴然かしらね。前年スペイン、グラナダにいたのでちょっくらフラメンコごっこをして遊んでいたら出来た、という。

少女にしてガールとは、これトートロジ(同語反復)を越えてトントロジ(馬鹿学)なり。本当はもう少し長いんだけど、面倒なのでこの辺でいいにしておきます。

とはいえ、歌詞は大層気に入っているのです(列車はポルトガル行きの列車、蝶はフランスのある詩にこういうのが出てくるのだけれど、なんという作品だったかは失念した)。

色々音が入っていて声が聴き取りづらいのでヘッドフォン推奨です。

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Y150!

La_machine

先日このようなものを見てきました。タチコマじゃありません。

おっきくて、馬鹿馬鹿しくて、思ったより愉しかったです(正体はクレーンを8本連結しているわけですが)。

横浜は開国150周年、だそうです。

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ノクターン

 望遠鏡をのぞくと夜空にブルースの月が浮かんでいた。21世紀の音楽に溺れて灰色の毛布に包まる毎夜毎夜の儀式が睡眠であり、食事である。20世紀のラブソングはターンテーブルの上でいつまでも回転している。

 過日吉岡秀晃さんのピアノ演奏を拝見して、すべからく仕事をする時は笑顔でいるべしと思う。ここでいう仕事はいやいや、の仕事じゃなくてさ。自分のするべきことの仕事というか、まあそういう。この人の音楽すばらしいよ。

 菊地成孔さんの『スペインの宇宙食 』(小学館文庫)を読んでいる。面白い。お陰で睡眠不足。テーブルの上には"Drink me"とラベルに書かれた液体があるのだが、飲んではいけないと知っている。

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チャイムが鳴って玄関に行き、そこで自分の靴を目にするまで

 玄関には私の汚らしいスニーカーが行儀良く揃えて置かれている。
 これは私が大学入学時分に買ったもので、スニーカーとはこのようなものであるか、と適当な諦念を胸に買ったものである。諦念というのは、生来自分は道をよく歩き回る性質で、それというのも道に迷うのが大得意という、高尚な趣味嗜好の人間であることによっている。このような靴で快活にハキハキと見知らぬ街の道また道を歩けるものか知らん、と諦めた。その諦念である。
 なぜスニーカーを買わなくてはならなかったか、諦念を抱えてまでという説明は長くなるので端折ると、浮世の大学生のファッションというものがどういったものか上手く想像できなかったせいなのだが、それでも私は大体こんなもので大学生らしく見えるだろうという服装を考案し、それはジーンズにスニーカー、頭の悪そうな(珍妙な横文字の書かれた)Tシャツといった出で立ちである。この考えは見事的中していたので、私は今日寸分の疑いを余人に抱かせることなく、大学生になりおおせている、はずである。
 さて、その大学生活は貧窮生活でもあった。それゆえドイツ語で労働を意味するカタカナ語によって、生活の資を稼ごうと思ったのだが、なかなか自分にあった職業は見つからない。なに、職業などというのは体験してみなければそれが自分にあっているかどうかなど分かりもしないのだが、それでも先入見で分かった気になっている若輩者はえり好みをして可能性の芽を摘んでいるのである。誠に愚直、嘆かわしいことである。
 そのようなことになってはいけないと、教養豊かな文化人である私は一つの戒めを自分に与えた。つまり、人から持ちかけられた仕事はみな引き受けようというものである。随分悠長な、と思われるかもしれないが、如何せん世の中は縁というもので出来ているのであって、これをないがしろにしては立つものも立たず、出るものも出ない。なので、来るものはみな引き受けるという姿勢をとりはじめたところ、不況の嵐はどこ吹く風、案外しようもない仕事は世の中にあるものである。
 私の友人に便利屋家業を営んでいる人があって、犬の散歩、留守番、猫の捜索、留守番、ゴミの処分、留守番、子供の自由研究、留守番などを立て続けに紹介してくれたのである。この友人というのは御年72歳になる白鳥老人だが、白鳥老人がなぜ自分では果たすことの出来ない依頼を受けてそれをまた私に打診してくるのかは分からない。それでも白鳥老人は経済的に貧窮している様子はないので、私が詮索するまでもなく単なる老後の暇つぶしとして便利屋の看板を掲げておるのだろう。
 家の留守番を赤の他人に依頼するというのは不思議なものだが、知っている人ではかえって勝手気ままに振舞われてしまう可能性もある。その点、赤の他人であれば邸内のものには一切手を触れないでくれと、依頼者の優位でもって言いつけることが出来るわけだ。上手く出来ている。
 留守番を頼む家は裕福な家庭が多く、また訳ありな家庭が多い。とはいえ留守番なので家人の誰彼にそういった話を聞くわけではないし、邸内では一切の調度に触れないという約束なので、家捜しのような真似をしてそういうことを知るのではない。しかし、留守番を頼まれた家の空気がそれを告げるのである。世の中には様々な人が様々な苦労を抱えて生きているのだということだけは、軽佻浮薄な私にもようく分かる。
 かくして留守番の依頼があると私は複数の文庫本をカバンに入れて、コンビニで弁当や飲み物を買い、そのお宅へ伺う。留守番と言っても家を空ける期間はまちまちだ。わざわざ人を雇ってでも、邸内を無人にしたくないという事情はそれぞれであろうし、それこそ訳ありだろうから、要らぬ心配はせずに床に腰を下ろし持ち込んだ文庫本を読むというのが私の仕事となるわけである。なお床に座るのはソファや椅子もまた調度であるためである。私が使用を許されているのは照明と水道、手洗いくらいのものである。
 そうして私は漱石の『草枕』を読み、ゲーテの『ファウスト』を読み、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』を読み(これは時間がかかった)、パスカルの『パンセ』に取り掛かろうとした。玄関のチャイムが気の狂ったように鳴らされたのはその時である。はて面妖な。
 人が尋ねてくる場合は留守番を頼まれる際に言付かっているし、それに郵便や宅配にしても、私がわざわざ出ることは好ましくない。しどろもどろに認印の所在を探すような真似はしたくないし、そういうことは私としても契約違反となってしまうのである。なので通常はそれを黙殺するのであるが、このチャイムの連打は人間の常識の範疇をはるかに超えているものだった。三三七拍子やエイトビートまで交えながら、中に人がいることは確実に分かっている、その上でおふざけをしているという呈なのである。私はある諦念を胸に抱いて玄関へ向かった。そこで私が目にしたのは、決して自分で揃えたのではないスニーカーが、行儀よろしくちょこなんと鎮座している姿であった。奇怪な。

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ドッキリ、アヘ

「ヘアリキッド(けつにつけ)ドッキリ、アヘ」という、傑作(ケツサク)と呼ぶに相応しい回文を、異なる二人の人物の口から、違う場所で聞いた。同じ一日に。

僕は以前一日一つ回文を作るという変な趣味を持っていたので、回文俳句を捻ったこともあるが(上には上がいて短歌もあるらしい)、ここではむしろ偶然の方を大切に思いたい。つまり、おそらく人が口に(耳に)する機会は少ないであろうこの名文句を、一日に二度も耳にしてしまったという偶然を。

僕の好きな作家、筒井康隆はレジオン・ドヌールを授賞しているのだが、これにはランクがあってシュヴァリエとかオフィシエとかある。そのことを確認していた折、松井守男という画家も受賞者であると知るのだが、彼に山下洋輔が捧げたアルバム『耳をすますキャンバス 』を、今日僕はずっと聴いていた。これも偶然なんだろう。

出逢えるものは限られているが、出逢いは起こるべくして起こる。そのためには時が満ちなければならないし、場所がなければならない。そういう場所に恵まれない人も、あるいはあるだろう。僕も案外(自分の意識以上に)書くことに偏執しているところがあるが、例えばそういう人達がある。今、案外芸術は自由だけれど、僕達は傷つくことが怖いので、貶されることが怖いので、外に出ることが出来ない。不思議な矛盾だろうか。Aを求めて結果反対のBに至ってしまう構造を示すのが社会学のお家芸だが、そういうことだろうか。

では、決然と。

 文学愛好は幸福な結末をもたらさない。文字で綴られた世界、象徴体系と隠喩(あるいは「穏」喩)で編まれた平面に、何かを求める、あるいは求めているという姿勢を示すことは、それ自体不幸なのである。書きたいと思う人は多く、実際に書く人間はわずかである。書きたいと思う人は、書き始めるまでが長い長い困難であり、書き続けることが終わりのない自己批判(というよりも中傷)であり、書き終える時は世界がもう一度創りなおされるほどに隔たった未来の場所のことだと知っている。しかし、それでも書きたいと願う人がいるならば

そこに空間を供与したい。そんな空想を、砂上の楼閣の映像を夢見て最近過ごしている(そしてある計画を友人と温めている)。上の文章に続けるならば、こうなるはず。

ここにスペースを提供しよう。
 書く人になるための場所はここにある。

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帰宅の風景

 帰りの電車をホームで待っております。大学から我が家に帰るまでに、わたくしはとあるターミナル駅で乗換えをいたします。最寄駅の改札は末端にあるエスカレータで登ったところにありますので、まだ電車が到着していない折などに出来るだけホームの突き当たりに向かって歩くのです。そうして足を止めたわたくしの眼前に「ニュー信州」という看板が見えます。飲み屋なのか、蕎麦屋なのか、いつか足を運んでみたいと思いつつも、このターミナル駅で街中に出ることが得意ではないわたくしは、まだ一度もそちらへ伺ったことがありません。
 その建物の隣のビルに、スポーツ・チャンバラの道場があります。スポーツにしてチャンバラとはこれいかにも面白く、大の大人が道具一式に大枚はたいて、会社帰りにチャンチャンバラバラとスポーツ精神を高揚させているかと思うと、こちらも負けては折れぬとホームの端でスクワットなどをいたしますと、周囲で電車を待つ人の姿がまばらになり、座って帰れる確率も鰻のぼりというものです。
 さて、急行電車に揺られて最寄り駅に着きました。ここからさらにバスに乗って帰る必要があります。歩いて帰っても良いのですが、帰路暴漢などに襲われては暴漢の命の保証がないため、バスかタクシーで帰るものです。バス・ターミナルのような小洒落たものはありませんので、ある一方通行の道路にバスが停車し、頃合を見て客を切り捨てて発車していきます。その停留所はちょうど駅の階段に面しておるので、乗客たちは階段にずらりとならんで思い思いの表情でバスを待っております。ふと右手には縦書きで「不仲」と書いてありまして、すわ剣呑なと目を凝らしますと「不動産/仲介」と分かち書きにして、横書きで書いてあるのでした。今日わたくしはバスを待つ列の先頭近くに陣取って、叶うことならばバスでも最前列の席を占めたいと舌なめずりをしております。駅前のトポスとしては、誰が決めたか知らねど蕎麦屋さんがありました。そのお店が閉店したと思ったら、リニューアルしたようで、名前は同じなのですが店の構えがすこし立派になり、看板も新調され、電光掲示板も備えております。目玉メニューには「そば、パスタ、カレー」と並んでおり、もはや何の店か分かりもしませんが、入ったことはないので味については意見を保留させていただきます。
 となりにはSという青果店がありますが、その店の看板より高い位置に「S医院、横の道まっすぐ」という別の看板がかかっております。これはきっと青果店を営んでいるご両親が苦労して息子さんか娘さんを医学部へやり、その子がめでたく開業医となったということでありましょう。まさに平成の美談と呼ぶに相応しいのですが、診察を受けたことはないので、腕については意見を保留させていただきます。
 そうこうするうちにバスも到着いたしました。文庫本をカバンにしまいこみ、わたくしは定期券をこれ見よがしに提示して意気揚々と乗車いたしました。最前列の座席も無事確保できましたので、運転手気分です。出発してすぐのところに交差点があります。これを右に廻るとパチンコ屋さんが目に入りますが、その反対側に今日まで気づかなかったお店を発見しました。「セレクトリサイクルショップ」といいます。セレクトショップにしてリサイクルショップであるという、ありそうでなかったお店です。
 今日も平和に家路につくことができました。

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uncomfortable feathers of time

六月は不自由な時の羽

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Rhfthne  白く濁った泥をティッシュに包んで捨てる。遠くを飛ぶヘリコプターにユニゾンしながら、夜は低くうなり声を上げて闇を広げていく。私は冬至に生まれた。一年でもっとも昼の短く、夜の長い日。北欧では夏至を祝う。闇の支配色濃い冬至に、私は生まれた。
 滑らかな肌を沼より立ち上る瘴気のような闇が包んでいく。それを眺める私はベランダに寝そべっている。私は裸で、背中のタイルが冷たい。つる植物のアラベスクが夕闇を背景にくっきりと浮かび上がる、影絵のようだ。植物が動かないというのは誤った思い込みで、一日中風に揺られたり、虫の歩くリズムに合わせて震えている。
 神話的な時間をくぐると、私は何ごともなさずに天然に還るということだろうか。ただ死にたい夜と、ただ死ぬことが恐ろしい夜が交互にやってくるので、目を閉じて眠りに堕ちるまでの間、不安を免れることがない。
 午前中は雨が降りそうな空模様だったのに、夕暮れ頃からあまりにも美しい雲が空高くに広がり、そして今昼の世界はだんだんと夜に支配を明け渡す。もう悲しいことが何もないといい。そんなことは、望むだけ無駄なのだ。わかっているけれど、時折そう思うくらいいいと思う。私だって一本の草にすぎないのであれば、何か大きな他者に翻弄されて命を終えるほかないのであれば。
 美意識なるものの残酷さ。それは美意識が私の美しさとかけ離れていること。美意識が私の容姿を糾弾すること。自分自身に我慢がならないという、鏡の前のパラドクシカルな幻想と幻滅。合わせ鏡の中で増幅される哀しみは、夜が空を飲み込むように私を喰らい尽くす。
 今日は夏至でも冬至でもない。ただの一日の終わり。ただの終わり。ただ一人で生きたいと願う、一日の終わり。終わり。

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卒業ノススメ

お金の話をします。というのも、昨今の大学院生、大学に留まっていればいるほど生活が苦しくなる気がしているので。

一般に103万円以上の年収があると所得税が取られ、130万円を超えると扶養の保険からも外れます。もちろん、ここから市民税・県民税も支払います。自分のケースしかわからないのだけれど、年金が年175920円(月14660円)、健康保険(扶養から外れた方が加入する)は年102580円(所得額で変わります)、市民税・県民税が年70500円。

結構な額です。とはいえ、所得があるからこの額になるわけですが、それは大学院で研究をするための支援を受けているせいなのですね。研究を続けるためには経済的な支援が必要なので、それをいただいているのですが、これを所得と看做されるのでもろもろの請求がきます。

ただこれに加えて、大学の学費があります。現在だと国立大学で年520800円です。僕は授業もひとつふたつしかとっていませんが、これは一律。大学に籍を置いて研究をするのですから、これを払わないと研究の助成も経済的な支援も受け取ることが出来ません。ただし、これは所得額を計算をする方にとっては必要経費ではないので、所得税、国民年金、国民健康保険、市民税・県民税を算出(減免の検討)する際に考慮されません。

これらの額を単純に足すと年869800円(大学へ行く交通費は入っていません)。正直高いなあ、と思う。それでも、払わざるを得ないのはそれが国の制度だからです。そして不満があるならば収入を減らすか、日本から出て行くかだと思います。未納にすると議論に参加する権利がないので。

不祥事で叩かれている年金などについては「(払い損になるかもしれないが)自分より上の世代のために(具体的には親の世代)払う」というモラリッシュな考え方もあると思います。でも、本当はそういうことじゃない。額が目減りすることがあるとしても、相手は国なので完全にメリットがなくなる(消失する)ということはないと思います。もし国がそういうことをすると納税してもらえなくなるし。だからたとえば税金を充ててでも年金を守れという考え方があるのはそのため。もしそうなったらあなたの納税額から支払われるのだから、受給資格がないと損をしてしまう。金額的に損得でなく、権利の有無として考えると支払った方がよい(貯金もいいですが、インフレに対応できません。keiziさんもそうおっしゃってる)。受給資格は「国民年金保険料を25年以上納めていた」場合に生じるのですが、免除制度を申請した場合は受給額こそ減りますが、その期間に含まれるので、大学生は是非(残念ながら僕は申請が通りません)。

健康保険料は現役世代だとメリットが少ないと感じるかもしれないけれど、前の世代だって若いときに高齢者医療費を負担していたわけだし、高額の医療費が生じる人への支援は当たり前なので、むしろ払えるだけの健康を謳歌してる人は喜んで支払うべし。費用対効果じゃなくて、システムとして優れていたら支払うべきなので。だから医療費抑制や支援の引き下げ(地方自治体)とかありえない議論。『銀齢の果て 』になっちゃう。医療が進歩して、長生きすれば医療費は高くなるものなのです。簡単なことでしょ。

ざっくり支払って確定申告に行こうと思います。

これらに対して、僕が納得いかないのはやはり大学の授業料なのです。10年くらいかけて大学は院生の数を増やそうとしてきたのだが、彼らに供与されるサーヴィスは拡充されなかった。そんなことよりなにより、授業に出る必要もなくなった人たちから年50万円ってどういうこと?アメリカ・イギリスはもっと高いよ、という方もあるでしょうが、あちらには大学院生が授業を持つ代わりに、授業料免除という制度があって・・・。一方日本ですが、僕は大学でTAをしたときに時給990円。学部生が4月に授業案内を配るアルバイトをしたら時給1000円だったと聞いて、馬鹿馬鹿しくなってしまった。

図書館やその他施設を使うため、といわれればそうなのだが、僕など大学によりつかないし、資料はあまりにも特殊なので自腹で購入しているのになあ。

これは余りにも手前勝手な意見である。というのは、他の学生(院生に限らず)の研究環境向上に使われているのなら、それは全体に奉仕しているのだし、たまたま僕がお金のかからない学生だったからといって、お金のかかる学生(実験器具とか設備とか)を妬む必要もない。負担はしているが、受益していないというのが個人的な不満だが、全体的には不満はない。誰かの役に立ってるのかなあ、と思って自分を慰めよう。けれど、僕も無尽蔵にお金を持っているわけではないし、すでに言ったとおり授業料は必要経費として認められないので、困っているのは確かです。授業料が単位ごとに払える仕組みにしていただければとても助かるのだけれど、せっかく法人化をしたのに大学はお金に関しては「国の指針」を振りかざすばかり。裁量が与えられたのにそれを放棄するって、正直、この人達は頭が悪いんだと思う。その人たちに不満を伝えても無駄な気がする。もちろん国の補助金が減少していることは理解するけれど、それは法人化の主眼なのでそれが嫌だったら法人化にこそ反対するべきだっただろう。

文系で僕のように「あとは論文」という人は数多いと思いますが、とにかく不満があるなら留まってはいけない(納税したくないなら国外へ、と同じ理屈で)。大学院大学を名乗ったけれど、もう大学院生を減らす方向になっているし。レベルの低いところで、ささやかな権利主張をしてもはじまらない。さっさと出て、堂々と文句を言える場所に行くのが得策なのである(ただ予感としては、出てしまうとその苦労は忘れるだろうね。だって、こうした問題に関して学生のために意見を呈する先生、いないもの。まして彼ら彼女らの支払った授業料はもっと低かったのだし。誰しも授業料が払えるという共同幻想で日本の大学は動いているのだ。これは幻想の機械なんだな)。

兎にも角にも、きちんと研究できる人ならさっさと出たほうがいい。自分への戒めとしてそう書いておきたいと思います。

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阪外大への旅

ドン・キホーテ 』で有名なセルバンテスには『パルナソ山への旅 』という作品があって、これは優れた詩人のみ登攀を許される山へ、我らが片腕の詩人が登り、神様や多くの大詩人達と言葉を交わす物語詩。本田誠二さんによる翻訳は超力作と呼ぶに相応しく、声に出して朗々と読みたくなる。モンパルナスとかいうのもこの山のこと。

僕の出身大学が 山の上に在ったことはすでに書いた。さて、在学中教室の窓から 眺めると山肌を削 ってトンカントンカントントコカンと、けたたましい音を立てて工事をしていたのだが、それは阪急がここに一大住宅地を作ろう としていたもの。彩りの都と書いて彩都と呼ぶ。「なぜか埼玉 」ではない。

Saitoとはいえ交通の便が悪いので、そこにモノレールを延伸することになっていた。僕が思っていたのは、これで外大への交通アクセスも飛躍的に向上し、学生にとっても通いやすくなるのでは、ということ。そりゃ結構なことです。

もちろん自分はその時までに卒業してしまっているのだが、外大の将来を思えば授業を妨害するこのノイズもいと心地よく耳に響いたのでした。もう先生が何言ってるかわかんないよ。

が。

Monorailええと、まずモノレールに乗ってみました。大阪モノレールは大阪空港と繋がっているので、事情に便利。運賃は高いけれど、太陽の塔も堪能できるし、町中をグイグイと走っていくので愉しい。

かなりグニャアリグニャリと曲がっていますが、これは万博公園を後にして、阪大病院も後にして、彩りの都へ向かっているところ。かなりユニークな建造物です。そのうち田んぼの中を突っ切って行ったりしてなかなか愉快な旅です。僕は鉄分低めだけれど、ここはやはり先頭車両に乗ってじっくりとスムース・ドライヴを楽しみたい。車掌さんが女性でした。阪大病院の辺りまではご年配の方が多かったですが、そこを過ぎるとはて、どういう人たちなのか。僕の考えではこれが外大通学への便利な交通機関となって、学生でにぎわっているはずなのだが、そんなことはなかった。というか、乗客も随分少なめでした。

Oufs01モノレールのマドから見た外大。なぜかアルハンブラ宮殿に見える。Asovskiに写真をメールしたらまったく同じことを言ってて笑った。そうだよな、これ、そうだよな。

到着するとこぎれいなホームと、駅舎の外にでかいショッピングセンター。うわー、と思う。およそ外大らしくない。駅の方に外大までの道を聞くと衝撃的な答えが。

こっから結構歩くよ。ここは不便なんだよ。最寄は北千里からバスだね。

い、意味ないじゃないか。地図を出して道を説明してくれるんだけど「ここに道があるらしOufs02いよ」という頼りない物言い。えーと、その道がなかったら僕はどうすれば・・・。

さて、文中で外大と書いていますが、現在こちらは「大阪大学外国語学部」となっておりまして、駅を出たところの地図にもそうありました。ふーん。

ショッピングセンターでお茶を買って、僕は気分が悪くなりそうなくらい暑い月曜日の正午、さっさと脱いだ麻のジャケットを小脇に抱え阪外大への道を歩き始めたのでした。

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聳え立つもの

Taiyonoto太陽の塔がとても好きだ。かつて学生時代に住んでいた場所は、万博記念公園からもそれほど遠くなかった。思えば、こんなに不思議な建築物が身近にあったのか、と驚く。

先週末、大阪・京都に遊んだ。遊んだというより、用事があったのだけれど、それでも遊んだ、と思う。何がって、会いたい人に会えること、もう一度訪ねたい場所に足を向けること、今の僕にとって重要であると思われる出来事がいくつもあったのだから、それはそれは愉しかったのである。

もちろん、かつて暮らした場所、かつて自分が存在した場所を訪ねることは、記憶・思い出の中に美しく結晶したものを破壊し、棄却することでもあるのだけれど、それでも。

つまるところ、ある程度の落胆や幻滅は甘受するつもりでいたし、僕とて変わらないものを求めているわけではない。

ただ、変わらないものといって、聳え立つこの塔がそこにあったことが嬉しかったのだ。

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充足されたノスタルジの陰の話。僕の略歴を記すと、たとえばこんな風になる。

大阪外国語大学(現在の大阪大学外国語学部)卒業、東京大学大学院修士課程卒業、同大学院博士課程在籍中、云々。

この括弧書きが、僕にとってはかなりショッキングなことだった。そして今でもショッキングでありつづけている。それを他人に理解してもらえるかどうか、正直分からない。

自分の卒業した大学がなくなるという経験は、普通一般に考えて珍しい(今後大学は学生獲得に苦しむだろうから、そういうところは増えるだろうけれど)。さらにいえば、外国語大学というのは単科大学で、規模からして狭い世界ではあるものの、その特殊性を軸としている部分があった、のだ。それをかなぐり捨てて、という大阪大学への吸収合併。総合大学で事足りないから、外大だったんだろうになあ、と。なんだか、薄ら寒い出来事だ。

簡単に言えばこの結果を恨んだり、残念に思っているのだし、僕のように集団への帰属意識が薄い人間にしてさえ愛校心とも呼べるものがある、というそれだけなのだが。

一度潰してしまって、もう一度作ることは決して出来ない。不可逆性を伴うこの出来事を、こうして目撃してしまったこと。この週末、その寂しさが一秒として頭を去ることがなかった。そして、大阪を離れて過ごす今でさえ、その感傷は折々に顔を出すのである。

たとえば、現在学ばせていただいている大学で、僕は消失した自分の出身大学と、決してつぶれることない安泰の呈を見せる大学に引き裂かれている。また出身大学の悪口を言われることが兎角嫌いだ。

名を捨てて実をとったという人もあるだろうけれど、大学を学部にダウン・サイジングすると言うことは、ようするにリストラをすることだ。国際政治、国際関係とかきな臭いことを持ち出さなくても、今どんどん小さくなっている世界で、外国語大学廃止は国益にかなっていない。いや、小さくなっているのは世界ではなくて、教育とそれをめぐる了見の方だとさえ思える。僕の感傷を超えて、かならず後悔する時がやってくる。というか、すでにやって来ているはずだ。長い時間を経て決められたことではあるけれど、僕はこの悲惨を忘れないし、きっとこれからも毒づくと思う。ええ、きっとそうしますとも。

では、大阪外国語大学に非はないのか、というとそれもまた難しい。というか、大学としての魅力を欠いていたのだ。そこに学生が集まらない。そんなもの存続するはずがない、のである。

まだ在学中のことであるけれど、入試にかかる資料を目にした。大阪外国語大学に合格して、他大学へ進学を決めた人たち、いわゆる「外大を蹴った人たち」のアンケート結果である。そこには、立地条件の余りの悪さに閉口したという声が多く見られた。どういうことか。

Oufsそう、大阪外国語大学は箕面山中にあったのだ。最寄の駅からバスで40分、場合によっては1時間。こんなもの、通えるわけがない。ものの見事に山の頂上近くに位置しているので、仮に近くに住んでいても、毎朝登攀しなければならないのだ。足のない先生には、非常勤にさえ行きたくない場所と恐れられていたのも故無きことではない。国立の外国語大学は日本に二つしかなかった、というのに。

当初大阪市内にあった大学は、1949年に人里はなれ、世界とも俗世間とも隔絶した場所に置かれた。サナトリウム同然である。学生が授業後に議論を出来るような場所も殆どなかった。施設は「国立ってこんなに悲惨なの?」という状況、冷房も長らく備えられていなかった(こういうところ、結構あるけどたまに私立に行くと驚くよね)。一度作ってしまったものは仕方ない。だから、思えばその辺鄙な場所に移動した時点で、存続は大いなる危機を孕んでいたのだろう。

僕は長い時間を大阪外国語大学で過ごした。だから、僕にとってそこはやはり特別な場所である。僕は学生時代に『外大百景』と題する写真プロジェクトをやっていたことがある。とにかく、外大建物内の写真を取り捲るのである。リコーのオートハーフを片手に(デジカメも持っていたのだが、その頃はフィルムの方が好きだった)学内様々な場所を巡り歩いて、シャッターを切った。その写真のネガもまだきっとどこかにあるだろう。今考えれば、へんなことを思いついたなあ、と。

数年ぶりに訪れた大学は、変わったところも、変わっていないところもあるけれど、懐かしい景色、雰囲気、人(たとえば大学の書籍部で働いている人が僕を見て名前まで思い出してくれるなんて、すごくない?)、そういったものを存分に堪能した。もちろん、かつてお世話になった先生にお会いするなど、愉しい出来事がたくさん会ったこの週末だけれど、僕としてはこの「外大なるもの」のトポスが厳然とまだそこにある(あるいはそれは亡霊なのか)ことに衝撃を覚えた。

そうして僕はあらためてカメラを構えた。『新・外大百景』だな、と思いながらシャッターを切った。それは、僕の心の中だけにかもしれないけれど、かつて聳え立っていたものへの追憶として(そのいくつかはいずれ、紹介させていただきます)。

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お詫びとお礼を兼ねて・・・(アクセス解析を元に)

ブログを書き始めて随分経ちます。おかげさまで世界中から変なアクセスがあります。→すみません、お目当てのものがなくて。

ギター関係と歯(ネオステリンが特に)関係でいらっしゃる方が多い当ブログです。本当に真面目にセルバンテスとかスペイン文学とか研究してる人、ボラーニョについて知りたい人もごめんなさい。スペイン18世紀に関しては割と頼りになるはずですが、あとはまったく無知です。ほんと、赦せよ(書評は別のコーナーもあります

私事ですが、週末は大阪に遊びに行きます。続きはまた今度ね。

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遠方ヨリ友来ル

「近くそっちに行くんだけど」と連絡を取ると、

「明日そっちに行くよ」と返事があり、

急遽再会。

この友人は、僕のデモテープ『ネコの愉しみ』や、ちょっと前に作ったミニ・アルバム『d'emo』のジャケットデザインをしてくれた書家である。

知り合って12年以上が過ぎ、随分長い付き合いだなあ、と思う。意欲的に作品を書き、発表しているとのことなので、とても嬉しく。また京都で会いましょう、と約して別れる。

帰り道、花田清輝の『 』を読みながら、電車の中でうたた寝。まだまだ面白いことがたくさんあるらしい。

家に帰ると、ある作家さんからメールが来ている。彼の作品が新しくスペイン語に翻訳されるらしい。素晴らしいことです。スペイン語に翻訳されると、スペインだけでなく、ラテンアメリカの諸国でも読者を得ることになる。すごいことだよね。

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書評に何が求められるか

最近、好きな本は好きすぎて「どこがどういい」といえないなあ、と感じることがある。そうか、僕はスペイン文学を好きすぎないから「論じられる」のだな。これは諧謔ではない。研究は、対象を虫ピンで刺して標本にし、時に分節し(ロラン・バルト『S/Z 』)ひっくりかえしながら、議論を進めていく。つまり、愛情ばかりが先行してはとても議論できない(感情的になってしまうので)。世に「○○という作家を研究しています。彼の作品が好きなので!」という人がいるが、向いていないと思う。

そんなわけで、僕が論じられないと思う作品は数多であるが、とにかくスペイン文学(僕の知っているのはごく一部だけれど)はその範疇から幸運にも逃れている。

好きでも、嫌いでも書かなければいけないという人もいて、たとえば書評家だ。書評屋と呼んでもいい(そしてこれもまた諧謔ではなくて、大いに尊敬を込めて書く)。世の中にはあれですな、いい書評、悪い書評というのがある。でも、たいした分量の文章ではないし、対象となる作品、書物を正面切って論じることがない、のが日本の学術的風土なのであり、海外で書評が持っている意味とは圧倒的に違う。もちろん、海外での事情を礼賛するつもりではなくて、単純に注がれるエネルギと供与されるスペースが違うのだ。

なら、その日本的な風土で良いもの、悪いものを選別してみてはいかがだろうか。

うーむ。誰しも気が引ける。書評を書いているのは、日本の場合名のある作家、研究者で、内容にけちをつけると仕返しをされたり、「スペースが限られてるんだ、仕方ないだろ」と反論される。しかし、その中で、あえて、だ。

そういうことをしている人がいる。豊崎由美さんである。彼女が『本が好き!』(光文社)に連載している「ガター&スタンプ屋ですが、なにか?」、7月号掲載の文章が最高に面白い。新聞の書評に通知表まがいの点数をつけています。でも、貶すだけ、誉めるだけでは書評にならないのと同じで、豊崎さんは問題のところを分析もし、勘繰りもし、単なる「書評・評(ああ、なんというメタ・レヴェル)」に堕さない文章を書いている。

優れた書評はどういうものかって?僕が答えるなら、それは取り上げられている作品を読みたくなる書評でしょう。でも豊崎さんはもう一つ別の答えを用意している。それはね・・・。

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学習参考書の森へ(そしてスペイン語は)

受験生とか、その家庭教師をしている人しか高校生の学習参考書コーナーに足を向けることはないと思う。

日本でいわゆる外国語教育は殆ど英語で、というか英語でなければいけないとかあって、しかも全部英語でやれー、なんて人もいる。やれやれ。

最近書店で学参コーナーに行きました。スペイン語って教授メソッド自体もしっかり確立されていないのだけれど、はて英語はどういう感じで学んだ(教わった、よりも)のでしたっけ?と思い返すため。

経験から言うと、文法的な事項というのはその時説明を読んでも良く分からなくて、例文みたいなものをとにかくたくさん読むと、なんとなく茫洋としてではあるけれど、その意味の取り方というか、意味が生まれる感じが分かってくる。スペイン語はそういうところをすっ飛ばしているので、実際にたくさん文章を読める実力が付いてから、「ああ、そういうことでしたか」ということも多い。ま、それは僕がそういうタイプ(帰納的な、"Induction")の知性しか持っていないせいだけれど。

高校生は案外限られた時間の中で生きているので、割にコンパクトな解説が喜ばれるのかと思いきや、僕が大学に入って「よく英語の出来る人」と話すと、その人たちの共通点は英語で読んでいる量が段違いだということ。雑誌や新聞でもいいけれど、僕の場合はちょこっとしたペーパーバックくらい。でも、そうしたなかで、「文法的にどのように説明されるかは分からないけれど、どういう意味かはしっかり分かる」という土台が出来た、と思う。

さて、今日大学での教育を考えれば、スペイン語についてそれだけの分量を読める機会ってどれくらいあるんだろう。案外文法的なルールを教わって、それをゲーム的に当てはめるということが先にあり、それでもある程度知的にそういう作業が出来るようになっているので(大人になったので)どうにかなっている、ということかもしれない。僕など、そこでどうにもならなかった典例なのだ。

話はずれてしまったのだけれど、結局たくさんの例文を引くこと、それを類似した例文と比較しながらニュアンスを嗅ぎ取っていくこと。大学の語学の時間はそれを専門にしている人を別にして、非常に限られている。その中で、そういうマテリアルをたくさん提供できれば、時間の不足を補えるのかもしれないな、と思いながら書棚の間を逍遥していました。

誰か僕と一緒に『チャート式 スペイン語文法(赤チャート)』を作りませんか?例文多めで。

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すでにとても優れた文法書 は世に問われています。内容も説明も、例文もその訳も秀逸(一般的に例文はそれぞれのコンテクストから切り離されているので、それだけで意味を取るのは結構難しいことなんだけど、この本の例文に付された訳は情景が思い浮かべられるものが多い)。はっきりいって、この値段設定はお買い得すぎる。二冊買ってもいいくらい。ただ、全部読める体力は普通ない。その結果参照用になってしまうのだけれど、もっとこう、なんかこう。

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テレビとか

テレビをあまり見ない、のです。携帯を買ったときもワンセグなしの機種でしたし、活字の方が自分にとっては早く情報を取り込めるので、あまりテレビを見ない、のです。

最初の大学生の時、部屋にテレビがなくて、そのころはインターネットも今ほど高速ではなくて(ダイヤルアップ接続でしたし)、映画は外に見に行くし、本を読むか、ギターを弾くか、ご飯を食べるかでした。そして部屋ではいつもラジオが流れていたので、ニュースも天気予報も、人の声も届いていたので、それほど孤独ではなかったのです。

自分が一人だと思っても、この夜の、あるいは明け方の微妙な時間に、遠いどこかで誰かがそこにいて、話してくれているということは、とても力になることなのでした(ラジオ深夜便が人気なのは、そういうわけもあると思うのです)。

テクニクスの古いチューナーを使って、部屋に設えた二つのアンプリファイア、七つのスピーカーから(ユニット数でいうと15ということになります)吐き出される、静かな音量の人の声は、僕を深く慰めたのでした(ギターもここから出力しました)。

自分は今のほうがずっと孤独 だと思うのです。

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さて、ここまでテレビ・レスを礼賛してまいりましたが、今では無駄に画面の大きなテレビがダイニングにあります。コンスタントに見る番組は殆ど無く、録画した番組を見るために電源をオンにする機会が多いのですが、最近見てしまう番組といえば:

東のエデン』・・・今期最高に面白い!
けいおん!』・・・甘酸っぱかったり、色々。
咲-saki-』・・・マージャンの分からない僕が、どこまでついていけるのか。
夏のあらし!』・・・実は真面目な、戦争、昭和を考えさせる作品?
Mr. Brain』・・・あれ、Van Halenじゃないか!

と、こんな感じです。最後のものは、『ガリレオ』以来久々に僕が見るドラマ。ちょっと似てるね、いろいろ。

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斎藤美奈子『本の本』

迷っている人は旅に出るのが良い。環境を変え、気分を変える。それは簡単なことだ。確実なのはすべては長く続かないということで、望むと望まぬに関わらず流転する世界においてずっと幸せでいるのは不可能だが、ずっと落ち込んでいることもまた不可能なのだ。

旅に出るといって、どこへ?という方も多いだろう。かくいう僕も旅行嫌いがはなはだしく、必要がなければ家から出たくない。『幼獣マメシバ』(オススメ)もかくや、と。自分のデスクをコックピットに擬して、ここで最期を迎えたい。そういえば、コックピットは「戦場」という意味だった(正しくは闘鶏の鶏cockを入れる場所pit)し、転じて「棺桶」という含意も生まれそうだ(傷病兵収容所という意味がある)。そもそも現実のデスクトップにBoseのモニタ・スピーカー(M3)を導入した時点で、部屋から出る気がないことは明らかだ。

何も部屋から出なくとも、良いではないか。普段読まない本を手にとって、その世界に沈潜するのも立派な旅だよ、と思う。しかし、だ。普段読まない本は、普通家にないのだ。図書館へ行くのも、書店へ行くのも億劫な人はどうすればよいのか。

オーケー、じゃあ、せめてちょっと齧るくらいで、気分を味わうのはどうだろう。そこで『本の本 』など最高にオススメ。異種混淆、ここまで来ると圧巻、コンテクストを失って、書物について語る言葉が一巻の書物になるこの奇想天外。

ようするに斎藤さんが10年以上に渡って書き続けてきた書評なのだが(注意:彼女は作家でもある)その読書量もさながら、ジャンルの混淆は「気になるもの」から「端にも棒にもかからないもの」まで、ガルガンチュアさながらに読み、書く。もう一度言おう。ガルガンチュアさながらに読み、書く。

書評の難しさは、「いい」「悪い」とか「好き」「嫌い」で片付けられないことで、何がしかの意見を、主観から多少の距離(絶対の距離を置くことは不可能だ)を取りながら吐き出さなくてはいけない点。誉める書評ならまだしも、貶す書評もまた仕事なのであって、これは苦しいだろうなあ、と感じ入りながら読んでいると時間の過ぎるのが早い(読書の効用(高揚)については『憂鬱の解剖 』でロバート・バートン(Robert Burton, The Anatomy of melancholy)が語って[=騙って]いる通りなので、僕が繰り返すまでもないだろう)。

ブックデザイン(内、外ともに)が秀逸。贖って決して損はしない(松岡正剛さんも千夜千冊で取り上げている)。何よりもそれぞれのヴォリュムが小さいので、飽きっぽい人にうってつけ!

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人の悪口を

人の悪口を言わないというのは、案外難しいことなのだ。それを悪口だと思っていない場合から、本当に「あー、もう」と思っている場合まで千差万別だが、それでも言わないに越したことはない。言わない方が良いとおもう理由は幾つかあるのだけれど、一番は自分の価値を貶めているような気がするからで、あとは時間の無駄とか、なんとか。

随分昔のこと。ある方が話される内容が、人の悪口ばかりであることに閉口した。聞かされる側もうんざりである。こんな大人になってはいけないな、とその時は思ったのだけれど、年をとった自分はどうか、というと(とりわけ近頃は)どうも文句が多いようである。百閒先生 くらいになると、愚痴も悪口もサマになるのであるが(屁理屈も理屈である)。

こういう人は小心でありながら、無駄にはた迷惑な正義感を自分のうちで培養しているのだろう、と自己観察する。ある程度のおおらかさと、いい加減さ、それを持たなければ周囲も本人も疲れるよ、と自分に戒める。不愉快な目に遭っても「自分は大人だから」とサラリと流せるようにしたいし、樹を追われるならばルソー を見習って、さくさく降りようではないか。行く先にも風は吹き、雨が降る。それ、でも。

明日は月曜日なのだ。

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Good night, Sleep tight, Young lovers.

劇場版『エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』を見てきました。

TVアニメ放送で50話、とてもとても長い物語ですが、自分にとって出会えてよかった作品の一つ。

最後は茫洋としてしまっているのだけれど、こちらの劇場版ですこし補完された気がする。映画としての評価は高くなくて、単にエウレカセブンが好きだから見ただけ、のような気がする。もっと見るべき映画はあるよ。キャラクター設定が簡略化されて、時間軸も変わっているのだけれど、正直なところエウレカセブンを好きな人が同人作品を作ったような印象。

じゃあ、まるっきりだめか、というと全然そうでもなくて、繰り返しになるけれどエウレカセブンが好きな人にはたまらない作品、なのだ。

ところで、こちらを作る際にテレビ版からのカットも使用してリミックスするということになっていた。で、重要な場面が使われることはなく、ささやかなデジャ・ヴュを感じさせる程度のコマが流用されているだけ。ふたつの世界のパラレルな関係を演出するならそれもいいけれど、無理に絵でそうしなくても、もっと象徴的な次元で出来ただろう。

6月6日からフィルムプレゼントスタート。僕のは終盤、ニルヴァーシュに乗ったエウレカ・レントンの二人がもう一つの世界(これがテレビ版の世界)に向かって脱出・帰還するシーンで、瀕死のレントンにエウレカが折り重なっているシーンのものでした。

順次公開映画館が拡大、移動しているので地方の人も大丈夫。エウレカセブンが好きなら見ても悪くないかも。実際見に行くかどうか、とても悩んだのだけれど(テレビ版の素晴らしい印象を壊すのが怖かった)、見たことでテレビ版をより好きになったし、劇場版は劇場版で、ありえたかもしれないもう一つの世界でエウレカ・レントンの二人が幸せなところを想像するのも楽しく。

とにかく僕はこの作品を愛しすぎているので 、まともな批評など出来るはずもなく。

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雨の日は雨の日で

雨なので部屋で読書。

松岡正剛さんが『多読術 』という本を出されたけれど、これ本人のつけたタイトルではない気がする。内容もインタビュなので、値段のわりにいまひとつですが、「速く、たくさん読むためのハウツー」ではないところが好感が持てる。そう、こういう売り方をしたいのはちくま書房だけで、本人は速く読めとかたくさん読んだから偉いなんて、決して思っていないはず。

読むことは生きること。そして意味を都度都度生成しながら読書している。なので、一度読んだ作品でも、次の機会には違う顔を見せてくれることがあるのだと思う。

僕が共感できるなあ、と思ったのは:

・人に薦められた本を読むことの愉しみ

・親が愉しんで本を読んでいたから、自分もそうなった

という辺り。読書は人に強いられてするものでも、必要に迫られてするものでも、スキルアップのためにするものでもない、もっと、普通の営為なので、量の多寡やその習慣を云々言うことではない。

読書を「偉いこと」「優れたこと」と思い込むのは誤りだと思う。でも子供のころ本を読んでいると偉いね、といわれた人も多いのでは?そういう大人の相手をするよりは、本を読んでいたほうが楽しいかも。

読むことと対極に書くことを真剣に取り扱っているのは、エルネスト・サバトの『作家とその亡霊たち 』。翻訳が最近出た。小説家としては寡作(たった三作!)のサバト、アルゼンチンの作家でこの本は「書くこと」を「書かない書き手」が真剣に論じた本、といえるだろうか(小説でない評論は何冊もある)。随所辛らつな顔ものぞかせつつ、どこから読んでもOKな断章の連続で、僕は自分の好きなパスカルの『パンセ 』をちょこっと思い出したりしつつ、読んでいます。とはいえ、アフォリズムに終始する軽薄な書物にはあらず(パスカルがそうだ、と言っているのではありません。念のため)。

原著自体は40年ほども前のものだけれど、こんなに正面切って書くことの意味を問うている作家は、信頼するに足ると思う。だって、それは自分自身の腑分けをするようなもので、決して楽な行為ではないから。さくさく文章を書き続けられる作家がそんなことをすればお気楽なエッセイに堕してしまうけれど、サバトゆえに、というところ。おすすめ。

瑣末なことですが、名前の発音はSábatoだけれど、表記は"Sabato"なのか"Sábato"なのか(スペイン語の出版物でも揺れがある)。これについてはこちらにこんなことが書いてある。

"El apellido Sabato es de origen italiano (de Calabria), por lo tanto se pronuncia Sábato, como esdrújula, pero no se pone la tilde. él lo escribió siempre así, sin tilde, y en español lo pronuncian Sábato."

(サバトの苗字はイタリア(カラブリア)に由来するので、後から三番目の音節にアクセントのあるSábatoと発音されるが、アクセント記号は付けず、彼[サバト自身]もいつもアクセント記号無しで綴り、スペイン語ではSábatoと発音される。)

カラブリアというのはイタリア半島の長靴の先っぽ。作家自身がそう書いたのなら、それを尊重するべきだし、この翻訳はちゃんとそうなっている。なぜイタリア由来の苗字かというとアルゼンチンはイタリアからの移民が数多いから。

名前といえば、自分に関係のある作家ではカダルソという作家についてはJosé CadalsoとJosé de Cadalsoという二つの表記があるけれど、本人がdeをつけていたので後者を採用するのが最近は受け入れられている。ただ、カダルソは自分の名前をJosephと綴っていたのだけれど、それはJoséということになっている。むー。これは、18世紀案外普通でJosefの標記も(彼の出版物だと)されていたりするので、ご愛嬌。

1911年生まれで、なんとまだご存命。岡本太郎さんも同い年生まれ。

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in the dead of the night

幻滅の大きさは期待の大きさに比例している。そうすると、期待をしないことが幻滅をしない生活態度となる。期待は積極的なそれではなくて、予測可能性と言い替えてもよい。もちろんすべてを予測することは不可能だから(外れとなることも多いので)幻滅をしない生き方は青い花 同様に手に入らない(最近では青い薔薇がある。それを予測しえたかどうかはまた別の話)。

すべてを投げ出したいと思う頃に、僕はやっぱり一人きりで目を覚ましてしまう。自分以外の誰も歩くことのない廊下や、ダイニングの景色をどう耐えればいいのかと思うと、不安でたまらなくなることが、誰しもあるだろう。そこで音は聴こえるだろうか。

春は柔らかに捩じれて蒸し暑い初夏となる。その狭間で何かに詫びるように、奇矯な月を見て笑う。

夜も更けた。

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のである。

それはインターネットでのこと。僕の通っているフォーラムで(実際には通ってはいない)、割にいつも見ていた(実際には見ていない)方が顔を出さなくなって(実際には顔を出してはいない)しばらく経ったのである。

フォーラムでのハンドル名が変わって(本人と管理者が変更できる)、その方の過去の履歴が消えて(本人と管理者が消去できる)、それからその方も消えた(本人と管理者が削除できる)。フォーラムとは別のところで、その方の書いている日記があったのだが、それも更新されなくなったのである。

心配をするのは無意味な気がしたのだが、心配している。けれど、たとえばいつか、全く異なる場所ですれ違った時に、その方の文章だけですぐに「ああ、あの時の」と思い至る自信はない。やはり心配をするのは無駄に違いない。

のであるが。

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