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2009年4月

イチゴジャム

Fresas母がイチゴジャムをつくる。春になると、作りたくなってしまうものらしい。しばしば思うのだけれど、日本のフルーツは見た目も美味しさもすごいなあ、と。ジャムにするのがもったいない!

アルゼンチンの詩人フアン・ヘルマン(Juan Gelman)の詩の朗読会に行く。詩も音楽も生で聴くということは非常に大切なこと(ちょっと意味のとりづらい小説なども音読してみると良く分かることが多い)。彼の詩集は日本でも翻訳出版が予定されているようで、これを弾みにますますラテンアメリカ文学への興味関心は高まるのだろう。でもそこでラテンアメリカに限らずに、スペインにも目を向けてもらえたらとても嬉しい。

彼はセルバンテス賞という賞を受賞しているのだけれど(2007)、これはスペイン語で書く作家、詩人に対する文学賞。割と大御所になってから、その文学的業績全般に鑑みて授与されることが多い。この日記でも以前言及したフアン・マルセ(Juan Marsé)が一番新しい受賞者となった(2008)。

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長嶋有さん『夕子ちゃんの近道』

大好きな長嶋有さんの『夕子ちゃんの近道 』が文庫で登場(第一回大江健三郎賞受賞作です)。

例によって「オマケ」が付いてくるので、まだ買ってない方はオビ付きを買ってください。

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本の旅

1.本の旅

Aという国で発行された本がBという国に行き、それを見つけたCという国の人間が買い求める。この時点で当の本は地球を一周していて、しかも発行されて20年目に僕の手元にやってきたというわけ。

スペイン文学の中で18世紀というあまり光の当たらない時代(18世紀の別名が「光の世紀」であるのとは裏腹に)をやっているからこその楽しみに古書との邂逅がある。古書と言っても本当の古書ではないかもしれない。結構程度も状態もよくて、ちょっと贅沢をしなければ買えるくらいの値段のものが多い。コレクション性の高いものは値段も高いのだけれど、数自体はあまり市場に出ないので見つけたら買うしかない。

スペインがスペインらしさを追及した時代は内戦の時代。19世紀からの伝統で「18世紀スペインはフランスかぶれの軟弱者ばい。九州男児にあるまじきこつばい」と排斥された経緯があり、古書マーケットでも人気がなかった。英仏独米の研究者がやってきて、「う、嘘だろ…」という(安い)値段の資料を買い求めて自国へ帰っていく。買い叩かれたというよりは、評価しなかったところに原因があるので誰も責められない。

僕はそれよりも随分後になってこんな世界に入ったので、そういう貴重書を落掌する機会にはあまり恵まれなかったけれど、それでも「出会えてよかったね」という本がたくさんある(それは「僕に見つけてもらえてよかったね」ということでもある)。

遠く長い時間を旅してきた本を手に取る。
僕の人生の残り時間で読める本の数は限られている。

2.著作権のこと

芸術家は、自らの芸術が広く受け入れられることを望んでいるはず。

多くの人の目に触れて、大きな賞賛を手にしたい、あるいはただ「自分がここにいること」を認めてもらいたいがために。それならば、ネットを通じて広く世界に発信されることは良いことなんじゃないか、と思いもするのだが、商品化(売買できるもの)されているものについては「本当は自分の手にするはずだった利益を別の奴が手にしている」という問題になったり。著作権は受容の問題ではなく、逸失利益の問題なんだ。

作者の死後著作権というのがどれくらい保護されるかは国によって違う。50年とか100年とか。以前大学内で著作権保護期間延長に反対する署名というのが廻ってきた。その主張というのは「利用できるテクストが制限される」というものだったが、これは間違いである。そも学術研究は引用をするのだが、著作権保護期間と引用は別問題である。引用は正しい形ですればよいので、僕はその署名を無視した。

引用以前にテクストの入手が難しい場合がある。著作権保護期間が短い方がネット上で共有されやすい、というところが本音なのだろう。でも、世界のどこかに一冊は残っているわけで、それを探しに行く努力を怠ってはいけない。文学研究は考古学みたいな楽しみも味わうことが出来る贅沢な遊びなのだ。

そうはいっても、数百年前の作者が自らの逸失利益を云々するよりも、後世の人々に読まれること(称えられること)の方がよほど大きな見返りだとも思う。そして、現代の書き手についても同じではないのか。つまり、自分の作品を勝手に別の本に収録されてその収益を分配されなかったら「(自分の取り分を)横取りされた」と思うかもしれないのだが、そこに逸失利益が生まれなければ「読まれること」=「評価」となるような気がする。

(翻訳も似たようなところがあって、他の言語に翻訳されることによって自分の作品がより多くの読者を持つ(可能性が生まれる)というのが大きな魅力となる。)

自分の本が勝手にデジタル化されてしまっている問題について、荒俣さんが飄々と「おもしろかったこと」と書いているのはそこらへんのような気がする。

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Esperanza Spalding

Esperanza

このところ毎日聴いてしまうアルバムがある。Esperanza Spaldingという女性ベーシストのアルバム『Esperanza 』。彼女について知っていることは殆どないのだけれど、断片的な情報だけでも驚くに値する。最たるものは20歳でバークレー音楽院史上最年少の講師になったという話。最近バークレー出身のアーティストに縁がある(マルタ・ゴメスさんもそう)。

一聴して驚愕させられる。う、歌が上手い。ベース云々なんて頭を過ぎる瞬間がない。つまり、不自然にベースをクローズアップしたりしていない。音楽として、ジャズのアルバムとして、圧倒的な完成度なのだ。マルタ・ゴメスさんのことでも同じように書いたけれど、アンサンブルというある調和、協調の中にそれぞれの楽器の位置はおのずと決まっている。ただし、それは音楽という視点から見ての話なので、各楽器に拘泥していてはそこまでたどり着けない。彼女はベーシストであるが、それよりもずっと音楽家なのである。

名前は「希望」を意味するスペイン語。彼女のホームページは英語版とともにスペイン語版が開設されている。

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スペイン映画の密かな愉しみ

これからスペイン語を勉強しようという方に、スペイン映画をオススメするとしたら何がいいか考えてみる。

僕は映画好き好き人間ではないので詳しくないけれど、内容が面白い、映像が美しい、音楽が素晴らしい、スペイン語の響きが「いかにもスペイン!」、など考えていると、次のような作品を思い浮かべる。結局マニア垂涎の作品など僕には無縁で、分かりやすいものが多いはず。

まずはアルモドバル。ここには新作『壊れた抱擁』も加えたいけれど、まだ日本で公開されてないから除外します。というか、全部見たほうが良い。
『オール・アバウト・マイ・マザー』
『ボルベール』
など。

そして、アレハンドロ・アメナーバル(彼をスペイン人といってはいけない気もするけれど)。
『テシス』
『アブレ・ロス・オホス』
『海を飛ぶ夢』
(『アザース』は撮らなくても良かったのでは?)

他の監督ではビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』、『エル・スール』とかカルロス・サウラ『カラスの飼育』、ビガス・ルナ『ハモン・ハモン』と『マルティナは海』。

僕がとっても好きな作品はフリオ・メデム『北極圏の恋人たち』で、『アナとオットー』というタイトルで日本語になったけれど、原題の方が断然良い。これのDVDを持ってない僕は反省した方が良い。

おっと、古い映画はどうなんだ?1970年より古い映画は見たこともないし、多分見ることもないでしょうから分かりません(映画好きではないのだと思う)。ブニュエルダリが一緒に撮った『アンダルシアの犬』は失神する人が出ても責任を取れないが、オススメ。あれ、無声じゃない?ブニュエルはたくさん良い作品があるはずなんだけど、なぜか僕の好みじゃないので『哀しみのトリスターナ』くらいで手を打とう。

結構日本でも手に入る(レンタルできる)作品が多いので、探してみるのも一興。

そうそう、言及する人は殆どないが、『P・ティントの奇跡』は傑作!!!これぞスペインという例の小道具が出てくる(ヒント:すごく重い)。

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キヨの思い出

bird at the nest

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 久しぶりに外に出て、街を歩いた。あれ、こんなところあったんだーという裏通りなどを見つけて、コンデジでパシャパシャと写真を撮ったりした。結構歩いたので疲れて、早く帰りたくなった。普段乗ったことのない路線のバスに乗ってしまった。これまたぐるぐると、自分には関係がないけれど人々が生活を営んでいる町並みをめぐった挙句、終点ですよと言われた。降りた場所は全然知らない場所で、帰りのバスも一時間くらいなくて、どうやって帰れるのかも分からなかった。しかたがないので公衆電話からキヨに電話を掛けた。電話口のキヨは不機嫌そうに、「近くに何が見えるの?」とか「番地はどっかに書いてないの?」と聞いて、今から行くからと言って電話を切った。がしゃんと切られた電話の受話器を戻して、キヨが来るまで自動販売機の隣のゴミ箱の隣の、誰かが捨てていっただろう椅子に腰を下ろして待った。ランドセルの子供たちが元気に走って帰るのに、いい大人の私は帰り道が分かりません。帰り道がわかりません。適当な節をつけながら「こまったなー」と歌っていたら、なんだか本当に悲しくなって歌うのをやめた。チリチリとベルが鳴って顔を上げると、自転車を押しながら腰の曲がったキヨが立っていた。キヨがむすっとしていたので、素直にありがとうといえなかったけれど、びっくりするくらいの瞬発力で立ち上がって駆け寄った。

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トホホ力

 バスに乗らずとも移動できる距離を歩きながら、頼まれた買い物を提げて帰る。花は散ったけれど、緑がまぶしい。春だなあ、と思う。仕事でも、それ以外でも、人は役割を引き受けて生きている。あなた役を演じることで生きている。偽善的、偽悪的という意味ではなく、誰も代わりになれない意味においてそうなんだと思う。
 では、そういう役割を変えたいと思ったらどうすれば良いのだろう。たとえば面倒見の良い自分を脱ぎ捨てて、周囲のことに我関せずな私になれるだろうか。
 結論を言えば「なれるけれど、難しい」だろう。それでも努力する人もあるだろうし、難しいことをあえてする必要がないと思う人もいるだろう。ただ、人は一人で生きているのではないし、環境こそが人を作るとも言えるので、自分を変えればやはり環境も変わるのだろうなあ、と思う。この四月に、「え、自分はこんなでしたっけ?」に出会う人も少なくないだろうし、それは環境によるところ大だと思うよ。
 話は全然変わって、より良く生きることに繋がるかはともかく、肩の力を抜いて生きるというのは大切だと思う。そのゆとりは、悠然と構えることよりも、小さな枠の中でへこまない力というか、そういう才能な気がする。それを僕はトホホ力と名付けた。
 「とほほか」じゃなくて「とほほりょく」である。これはネガティブな能力では決してなくて、困ったときに「トホホ」といえるような精神性を指す。実際に口に出して言う必要はなし。そんな人、見たことないし(いや、ある。K駅の服屋の店員が13年前に口にした)。すでになされたダメージは贖えないのだが、それをトホホといえるとき、憤慨や悲嘆とは違うゆとりというか、懐の深さというか、まあ要するにトホホネスが発揮されるのだ。

 道を歩いていて女の子に石つぶてを投げられた。石川啄木になった気分だ。(30才、男性)

 「袋は要りません」と言ったのにエコポイントをもらえなかった。(30才、男性)

 買った本に落丁があった。海外から取り寄せた上、絶版なのでどうしようもない。(30才、男性)

こんなことを考えたのは絶対この本のせいだと思う。ええ、どうでもいいんです。

長嶋有『いろんな気持ちが本当の気持ち 』筑摩書房、2005.

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スペイン語の辞書(これから始める人のために)

辞書の話をすると、とてもじゃないが止まらない。

よい辞書が一冊あるというのは、優れた家庭教師の先生が一人自分の傍らにいてくれるようなものなので(そしてこの先生は生徒の出来が悪くても不機嫌にならない!)、語学習得というか外国語の勉強においてよい辞書を選ぶことは一番大事なことだと思う。

メジャーな言語とマイナーな言語で辞書の値段は天と地ほどの開きがある。その中で、スペイン語の辞書は高いかというと、全然そんなことはない。学習者が増えれば増えるほどコストパフォーマンスは上がっていく。そうなればますます始めやすい言語という認識になるので、その言語とその言語圏(の社会や文化)への関心が如実に値段に反映されるのだ。

この四月からスペイン語を勉強しようという方(大学生でも、社会人の方でも)があれば、やはり良い辞書を手に取ってもらいたいと思う。さしあたって、スペイン語・日本語の辞書でおすすめのものをあげておきます。

クラウン西和辞典

初心者向け。なんとなく英語辞書の延長として使いやすい(レイアウトに親近感が・・・)。クラウンは三省堂の英語教育のブランドで、学校の教科書でクラウンを使った人も多いと思う。ついに、スペイン語にも参戦!例文が充実している気がします。

現代スペイン語辞典

白水社のもの。小さなサイズだけれど、結構しっかりした辞典なのでこれで事足りてしまうことも多い。あと電子辞書に入っているスペイン語辞典は大抵この電子版。

小学館 西和中辞典〔第2版〕

日本国内で、スペイン語で仕事をしている方(会社の業務、翻訳や通訳、教員)でこれを持っていない人はいないはず。サイズも大きく、内容の充実も素晴らしい。これがあればどんなテキストが出てきても大丈夫だろうという安心感を与えてくれる一冊。

実際にどれを使うかは、書店で自分の手にとって見比べて見なければ決められないと思います。相性って結構大事。嫌いな辞書は開くことさえ億劫だ

白水社と小学館のものはそれぞれ「2版」がでているのでそちらを買っていただきたい。

僕がスペイン語を始めたころクラウンはなくて、後の二つを「両方買ってください」と言われました。一方に載っていなくても、もう一方を見れば載っていることがあったりして、それぞれ相互に補完するようになっていたので、二冊あれば結構安心だったのです。でも、辞書も高いものなので、何冊も買えないと言う方は一冊で十分だと思います。

上に挙げたもののほかに、いくつか種類がありますが、しっかり勉強をしていくためには内容が貧弱と思われるものが多いので、あまりオススメできません。

電子辞書もあるけれどハード自体が割に高いものですし、荷物が多くなるのが嫌だという人でなければ紙の辞書をオススメします。単語を引くスピードが格段に速くなるというのは幻想で、紙の辞書でも同じくらいのスピードで引けるようになるので(どんなに遅くても5秒はかからない)、心配する必要はないでしょう。ざっと前後の項目や例文を見ることが出来るので、やはり紙のほうがオススメ。

Bookband学生さんで持ち歩くのが大変な方は辞書サイズの紙袋(辞書が重いので厚手のもの)を使うか、ブックバンドでまとめるとよいかも。ブックバンドといえば、僕の出身大学では殆どの学生が使っていたけれど、外の世界に出てみると使っている人が誰もいなかったので驚いたし、周囲からも驚かれた。

なるほど、一昔前の(アメリカの)大学生のイメージで、キザに見えるかもしれないが、そうではない。必要に迫られてのことだったのだ。これは辞書に対する心構えが全然違うのかもしれない。かつてその大学で毎日数冊の辞書を提げて歩いていた彼ら彼女らの姿も、今は随分遠い。僕も4冊辞書を提げて出歩くことは最近ない。

ブックバンド自体は1000-1500円くらいからあるので、自分が毎日使っているところを想像できるものを選ぶとよい。僕自身は高校生時代からなのですでに10年以上ひとつのブックバンドを使っていることになる。そう思えば、安い買い物。

ブックバンドを使う場合は雨に注意。辞書は紙が薄いので、濡れて乾くとパリパリになってしまうし体積も膨れ上がってしまう(経験談)。雨の日はビニールバッグなどに包んで括るとよい。あと、ぶつけると本(辞書)の角がとれてしまうので、取り扱い注意!、

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たのしいスペイン語(ラジオ講座)

NHKでやっているスペイン語のラジオ講座『まいにちスペイン語』。とてもおもしろい。

ラジオ講座って一回や二回聞き逃してしまうと、内容が分からなくなっちゃうし、毎日決まった時間に聞くのは大変。録音してもちゃんと聴けるかどうか・・・。

分かります。分かります。

でもね、この講座は大変すぐれもの。まず、毎日聞かなくても全然大丈夫。扱っているのは殆どひとことで覚えられるフレーズなので、一回の放送時間内でしっかり説明してくれます。今日聞き逃しても、明日頑張れば良い。だって、内容は繋がってないんだもの。それに聞き逃してもインターネット上で聞くことが出来ます(上のリンク「番組を聴く」から)。これは画期的。忙しい人でも大丈夫。

日常生活の中でよくつかう表現がふんだんに盛り込まれているのだけれど、そうした表現はもともとの意味から離れて違う含意を持つことも多いです。なので、こうしたフレーズを説明する中で、もともとの意味に遡って教えてくれたり、そこで使われている動詞などの説明もしてくれます。コロキアルな表現そのものだけではなく、文法の再復習、発音の再確認にも十分役立っています。

講師の福嶌先生も長年NHKのテレビ講座・ラジオ講座でスペイン語を教えているベテラン。説明上手は言わずもがなですが語り口も、ネイティブスピーカーの方たちとの会話も魅力ですね。

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縁は異なもの

世の中にいろいろ面白い本があるので、そういうのを読んでいるうちに自分の研究が遅れてしまう。そういうことをやんわりと周囲の人に、しかし的確に注意されてしまうと、自分はどうにもだらしのない人間だと想うのだけれど、えいやっと一念発起して直るようなものでもないらしいので、もう少し寝かせておく。

長嶋康郎『古道具ニコニコ堂です 』河出書房新社、2004.

作家長嶋有さんのお父様、ヤスローさんのゆるゆる古道具商売日記。モノを愛する気持ちが昂ずると大抵はフェティシズムの罠に陥る。それをさておいて、古道具屋というのは酷な商売でもあって、なるほど意味の分からないものを仕入れ、売るという運動に「意味の分からない人」がやってくるというオマケつきなのだ。

このささやかな小文集に、ゆっくりと心を込めて生きる秘訣が隠れているような気がする僕は、案外センチメンタルなフェティシストなのかもしれない。

Fontan

オビエドではフォンタンと呼ばれる市場に古物市が立つ。週末に人が溢れかえっていて、花屋が軒を連ねている先に、はて何を商っているのかしら、と言う店がたくさん。下着や、靴、古本、カメラなどがあって、金ぴかのライカを見つけたとき僕はちょっとドキッとして触手が動いたけれど、これを僕が持っていてもなあ、と思ったので買わなかったのだ。

きっとそれはライカ風の何かであって、置いて眺めて愉しむ類のものなのだけれど、僕のように心に余裕のない人間には無用の長物であるばかりか、その本当の良さを引き出せないのではないかなあ、とぼんやり思っていた。

ある人に薦められて、読みたい読みたいと思っていたブルガーコフ。卯月半ばを過ぎて、ようやく手に取った。ああ、多少のゆとりが僕の心に帰ってきたらしい。

 

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dyson讃!

整理整頓と掃除が苦手なことにおいては、人後に落ちない自信がある。そんなこと、全然自慢にならない。

そんな僕もこの春は割とマメに掃除機をかけていて、それというのはダイソンの掃除機が余りにもすごいせい。すごいよ!ダイソンさん。Dyson01

dysonは英国の電機メーカー。掃除機に関しては、吸引したゴミを取りためる「紙パック使用」というこれまでの通念を打破した着想。機能性もさることながら、数多の美術館の収蔵品となってしまうそのデザイン。

ジオン公国軍の新型モビル・アーマーかと思ったよ。

掃除機をかけるたびに、物凄い量のホコリがボディの中に生み出される。本当に部屋はそんなに埃だらけだったのかしら。もしかして、掃除機の中にゴミを作り出す機構があるんじゃないのか?と思うほどすごい。綿菓子の機械みたいに、すさまじい轟音で細かなゴミを巻き込んでいく。なるほど、この目に見える成果が掃除意欲を激しく掻き立てるのだ。ボタンひとつというシンプルさも、日本人の感性に完全に逆行!

難点といえば両刃の剣なのだが、やっぱり何と言ってもこのデザインの奇抜さ。まあ、そこは好き嫌いが分かれるところ。あと、思いの外大きいので日本の家屋には合わないかも。一方、掃除機を収納せずに見せたい人にはうってつけ。

Dyson02ふと思いついてタチコマと並べてみる。

吸い込まれたら一大事。

ジーク・ジオン!

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北の土地

スペインってなんなんだろう?

古い時代の(2000年以上前の)著述家達から、十七世紀のフランスの地誌学者あたりまでに支持された説で有名なものに、「ウサギの土地」というのがある。今でもこの説を信じている人は多い。SPN(母音無し)がフェニキア語でウサギを意味するというのがその根拠。

でも、フェニキア人なり、彼らの隣人であるセム系の言語の人々にはウサギは知られていなかった。それなのによその土地へ突然やってきて「ここはウサギの土地だ」っていうのはおかしい。

フェニキア人は数多くの遺跡をスペインに残しているし、彼らの文化的な影響(交易や後の移民)は大きいと思う。そして、彼らが地中海を股にかけて西へ東へ船を駆った人々だということに注目すると、この謎の解決に一歩近づくような気がする。

そう。スペインにフェニキア人は船でやってきた。船でやってきたら東の、今言うシリアのあたりとか、あるいはアフリカ北端の交易港から出発したはず。そして今日言うスペイン南部の陸を見つけたならば、彼らはこう口にしただろう。

「北の土地が見えたぞ(sphan)!」

僕達はスペインを南ヨーロッパだと思っているので、北の土地といわれると戸惑うけれど、地中海を差し挟んで東西南北が活動のフィールドであった海洋の民にとってはそれはあまりに当然だったに違いない。

そういうことを18世紀に研究していた人がいる。『スペインという名詞に関する覚書』と題して、1767年セビーリャのアカデミアで発表された報告。作者はカンディド・マリア・トリゲーロス(Cándido María Trigueros 1736-98)といって、古典の知識では群を抜いて凄い人物だったけれど、どうしたわけか彼に関する研究は今日までの二百数十年、殆どなされていない。トリゲーロスの名前を知っている人もごく僅かだろう。

この報告書をアカデミアの図書館である年若い研究者が発見する。まだ博士論文執筆前の駆け出し学徒。不鮮明なそのマニュスクリプトを解読し、早晩世に送り出そうと考えながら、挫折。

なぜか?

ラテン語(スペイン語)、ケルトイベリア語、ギリシャ語、ヘブライ語(アラム語)、シリア語が交錯するテクストを印刷できる印刷機がなかったせい。

このテクストは2001年にようやく日の目を見た。次の本に収録されている。

Francisco Aguilar Piñal. El académico Cándido María Trigueros (1736-1798). Madrid: Real Academia de la Historia, 2001.

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カテドラル、葉を落とした木、街灯。

Ccaf新学期、しなきゃいけないことが山積、多分うっかり忘れていることも多いはず。

今日はすこし足を伸ばして桜を見に行ったのだけれど、その写真を載せようと思ったらこっちのきりっとした写真の方が目に。空をバックに、切り絵のよう。




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四月ピアノ

Korgsp250

僕が人生で最もピアノを弾いたのは17の頃。それから10年以上たって、まさかこんなことになるとはね・・・。

僕の部屋は白いので、白いピアノを買いました。部屋が赤ければ、赤いピアノを買ったでしょう。

久方ぶりに弾いてみると、鍵盤を指で押さえるという動作は日常にあまりないので、結構疲れます。それでも、昔弾いた曲などを、体が覚えていたりするので大変面白い。

このピアノで一番最初に弾いた曲は、シューマンの『美しい五月に(Im Wunderschönen Monat Mai)』でした。

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新年度

Schnauzer

新入社員の方々は今日初出勤かしらね。スーツを着て、ぎくしゃくしながら頑張ってください。ぎくしゃくまでふくめて愉しんできて。一方、学生さんはまだまだのんびりかな。

僕はといえば三月の間に新年度は「これをしよう、あれをしよう」と考えをめぐらせておりました。なので、今日からなかなか楽しみ。あとささやかにお仕事をさせていただくことになったので、そちらもぎくしゃくしながら頑張りましょう。

スペインの現代文学もなんとか翻訳紹介したいです。そういう機会がないかとアンテナを張って過ごしたいです。

どんな一年が待っているのでしょう。
素晴らしい日々でありますように。

そうそう、この日記に遊びに来てくださること、感謝しています。

これからも思い出したらお足運びください。

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