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2008年12月

明日も、あさっても

いつもお運びいただきありがとうございます。

まもなく年があらたまります。

Feijoo_pensando

「来年が」

という言い方では、どうもあけっぴろげなので

明日も、

あさっても、

みなさまにとって

良い日でありますように。

時々曇り、時々雨。それでいいんです。

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2008年に出会えた素晴らしい作品たち

Valdes_salas

帰国後予定調和的に体調を崩し、既に二度も病院のお世話になっている。一年前のちょうど今頃も、随分弱っていたことを思い出し。

スペインで少しまとまった時間が過ごせたのだけれど、案外読書量は少なかった。多くのものを拾い読みこそしたけれど、もっと違うものに追われていた気がします。

今年出逢った素晴らしい作品を、ジャンルは問わず、順位は付けず、振り返ってみます。

Martínez Mata, Emilio. Cervantes comenta el Quijote. Madrid: Cátedra, 2008.
・・・ようやくこの年になってセルバンテス『ドン・キホーテ』をスペイン語で読み始めた。とにかくセルバンテス研究はボリュームが多くて、先行研究を探りながら、大切なことはあらかた語りつくされているのでは、と不安な気持ちになるもの。そうすると、いわゆる文献学、文学の領域から外れて、新しい人文学のアプローチでこれを論じようとする人がたくさん出てくる。それが少なくとも80年代、90年代には顕著だったのではないか。
 そこへくると、本書は「ねえ、ねえ、誰も問題にしてないけど、これって変じゃない?」という素朴にして率直な明察から議論をスタートさせ、かつ先人の研究を十分にリファレンスとして利用しながら、それらに痛快な批判を加え、新しい『ドン・キホーテ』像を提供する、ミューズの愛を一身に受けた一冊なのである(アンソニ・クローズが序文を書いたのも伊達じゃない)。これは返す刀でこれまでに作り上げられたセルバンテス神話、セルバンテスの神格化を瓦解させる試みである(まあ、これが今トレンドな気もするが)。

たとえば、数多いる研究者の内いったい何人が、セルバンテスの肖像画が残っていないことを理解しているだろう。僕達のよく知っているアレは、想像して描かれた肖像なのだ。でもアレをセルバンテスだと信じ込んでしまう。これと同じこと。つまり、すごいすごいといいながら、『ドン・キホーテ』を特権的な場所に置くことによって(もちろんこれまでに蓄積された研究に基づきながらではあるが)、分かっていることも分かっていないことも、作者セルバンテスの天才に帰してしまうという、安直な解決が図られることがままある。ソシュールではないが、素朴な疑問を呈することが出来る人こそ、実は一番すごいのだと思う。僕も襟を正したいと強く思った。

あまりに良い本なので、5年以内に僕が日本語にすることをここで約束しておこう。

Blom, Philipp. Encyclopédie. El triunfo de la razón de tiempos irracionales . Barcelona: Anagrama, 2007.
・・・歴史家にして小説家、フランスの若い俊英が現した百科全書派を巡る思想、社会史、人間模様。群像小説として読んで十分面白いが、知の枠組みが轟音を立てて転回し、回転し、展開した、その躍動感をこそ受け止めるべき。これとあわせて、『博士と狂人 』(サイモン・ウィンチェスター、ハヤカワ文庫、2006)を読めば、ディクショナリー研究という最も大事でありながら、看過されてきた(正面切って取り扱える人が少なかった)ジャンルについて、基本的な理解は得られる。そして、200年、300年前の出来事が親近感を持って現れる。頭が疲れたときはアンブロウズ・ビアス『悪魔の辞典 』、ヴォルテール『哲学辞典 』を読んで休息するのが吉かと。

荒木飛呂彦、『ジョジョの奇妙な冒険 』、集英社(現在も連載中)。
・・・自分の人生におけるミッシング・ピースはこれだったのだ。『ジョジョ』を知らずに生きてきたことは、惜しまれる損失であった。けれど、出会えたことの僥倖がそれを何倍にもして報いてくれる。なぜ僕がスタンド能力を持たないのか、とんと分からない。

アニメーション『マリア様がみてる』シリーズ。
・・・これも大きな出会いで、このアニメは既に僕のカノンと化している。色々好きなところはあるが、もう全部好きなのでどうしようもない。あえて言うなら、やはり原作 がしっかりとしているから、アニメも素晴らしいものになったのだと思う。すべての登場人物が好きだが、とりわけ志摩子さんに弱い。第一作から10年、原作は『ハローグッバイ 』で「祥子・祐巳編」の一応の完結を見たことになる。嬉しいような、寂しいような。

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スーツを買って、セーターも買う

すこし前のことだけれど、セーターを買いに。

でもその日の午後は日も差して暖かかったので、セーターではなくスーツを買ってしまいました。着る機会ないのに。

昨日パンツの直しが仕上がったものを引き取ってきました。ホベジャーノス全集を別にすれば、スペインで大きな買い物をしていなかったので、ちょっと満足。

その後セーターも買って、任務完了。

最近幾つかの場所で、レオ・シュピッツアの名前を耳にした。

こういうときは、本が呼んでるんだろうな、と思う。そろそろ読むべきですよ、と。彼については殆ど何も知らない。けれど、その研究手法が構造主義に依拠しつつ、非常に有機的だという理解でいる。構造主義的というのは、言語学から文学を料理するから。有機的だというのは、作品のどのディテールを切り取っても、そこに作家の血が流れているという考え方をしているから。

これらは同じことであり、また今日の人文学の礎となる重要な問題であるに関わらず、ないがしろにされている気がしてならない。理論を適用してチャチャっと論文が書けてしまうというのは間違っている。

学術的な議論の場において、些少な問題から全体へ飛翔する僕の思考パターンは、しばしば牽強付会と批判を受けてきた。テンプレートの更新時期なのかもしれない。そして今、ちょうどこの時期に彼の名に縁があるというのが、面白いのである。

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アストゥリアス、ちらほら

とにかく雨の多いオビエド、アストゥリアス。天気予報では雨のマーク以外必要ない。

朝、目を覚ますと二重マドを雨粒が叩いている。よろよろと起きて、洗面所でうがいをして、電子レンジでミルクを温める。

8時でもまだ外は薄暗くて、ハロゲンランプのオレンジの光が、雨の景色の中で茫洋と輝いている。

朝食の後でシャワーを浴びる。逆のこともある。

財布と鍵を持っていることだけしっかり確認して、部屋のドアをガチャンと閉める。基本的にスペインでは鍵は開けるときに使うもので、閉める時は必要ない。逆に言えば、鍵を持たずにうっかり部屋を出てしまうと大変なことになる。

バス停まで小走り、世界はいつもの灰色。時に雨は強く降り、時に雨が止む。雨が止んで晴れ間から青空が覗き、けれど遠い山の上に次の雲がもくもくと湧いている。

Cesped

僕がオビエドで好きなもの。水浸しになっている芝生

なんだかノスタルジーを感じて、それはかつて僕が過ごしたオーストラリア・タスマニアも雨が多く、芝生がぐちゃぐちゃになっていることが多かったせい。

オーストラリアは芝生が多くて、自分の地所の芝生は自分で手入れするように法律で定められている。街路にも芝生がふんだんにあって、それを懐かしく思うのだろう。

僕の作業している図書室は建物の最上階にあって、屋根裏部屋。天窓に雨があたり、光が差し、そしてまた雨が降る。人の出入りは少なく、毎日通っているのは僕だけ。

立ち並んだ書棚を前に、途方に暮れそうになることもあるけれど、仕方がないので一歩一歩進み、一冊一冊読んでいくしかない。読むんじゃないんだ、なんというか、声を聴くのに近い。もう二度と僕が、そしてほかの誰もが手を触れないかもしれないその書物たちとの一瞬の邂逅。どれだけのものをそこに見つけ出せるか、集中して苦手な外国語を眼で追う。

図書室が閉まると、僕はくたびれながら階段を降りて外界へ行く。同じキャンパスの中の、別の図書館へいく。ここは僕にとってはあまり魅力的な図書館ではなくて、ただ本を読むのには適した照明と暖房がある。黙々と勉強している学生の姿が多い。

Narranco

歩きながら遠くに目をやると、青空。ああ、いつの間にか晴れていたのだ。あれ、山の頂に磔刑像があるぞ。ブラジルじゃあるまいし、とも思うのだけれど、アストゥリアスは8世紀にイスラム教徒に支配されたイベリア半島を奪還するレコンキスタという運動が始まった場所なのだった。

こんなモニュメントは僕の好みではないけれど、アストゥリアスには独特の十字架がある。青地に黄色の十字架で、アルファとオメガの文字があしらわれている。

ここへきて、そろそろ二ヶ月になろうとしている。

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セレンディピティ

 図書室で毎日作業をしながら、一体僕が何をしているかというと、すべての本を手にとって、その内容がスペイン自体に言及しているようなテクストのデータを蓄積しています。書誌情報をExcelで表にして、将来的にデータベースのテーブルとして使用します。IFES XVIIIにも一応データベースはありますが、書誌情報に誤りが見られたり、あいまい検索が出来ないなど、およそ実用的ではない。また、タイトルと内容が合致していない可能性もあるので、例えばスペインと入れただけで僕の目標とする資料が見つかるわけでもありません。
 すべての本を手にとって表紙、目次をざっと確認していくことで、僕はこの図書館を自分の中に取り込んでいきます。こういうテーマの本ならこのあたりにあったと大体思い出せるように記憶に焼き付けていきます。肌触りや見た目などで記憶していることも多く、たとえば副本がある場合もすぐに思い出せます(これは以前見たことがある、という風に)。
 18世紀、19世紀の資料などは革装ですが、綺麗に保存されていたものだけでなく、実際に書店で売られ、個人が買ったものなどもどのようなルートを通じてか、ここにたどり着いたというものです。ふにゃふにゃのもの、埃まみれのもの、虫食いのあるもの(本に穴を開ける虫は悪魔だというのは本当です)、触れただけで崩れそうなもの、おそらく雨にぬれたもの、火事などで部分的に焦げたもの、様々なものに出会います。古い本はページを自分で切り開かなくてはならないものもあります。小さな出版物(パンフレットなど)については、複数のものが集められて合本されている場合があり、それらをひとつひとつ丹念に見ていきます。先の所蔵者の蔵書印があるもの、書き込みや落書きがあるもの、そして著名な研究者のサインが入ったものも少なくありません。200年から300年かけて、ようやく僕がなぞる文字が、なにか僕の琴線に触れるようであれば、それらすべての書誌情報を記録していきます。古いものなので、扱いにとても気を使います。ゆっくりと梯子を上って棚の本をとっては目を通していきます。
 目指すものが何であるか分からないけれど、面白いなというものを見つけるのが僕達の仕事です。それを人はセレンディピティと言います。とてもとても面倒で、疲れる作業ですが、例えば、こんな箇所を見つけると報われたりします。『カスティーリャ語(スペイン語)の同義語を固定させるための試論』という冊子ですが、開いてみるとシノニム辞典みたいになっています。「祖国への愛」と「パトリオティズム」について、その意味の違いを説明しています。アクセントの打ち方などすこし古いスペイン語ですが、読みやすい文章です。これに類似した議論は既にフェイホーが『批評の劇場』で展開しているので、それを踏まえていることは確かですが、シノニムの同定と言うイギリスのロイヤル・ソサイアティ的な科学精神の場でこの議論が出てくるところが非常に興味深い。

LXIII

Amor á la patria, Patriotismo.

 

El amor á la patria es un afecto natural; el patriotismo es una virtud.

 Aquel es propiamente el apego que naturalmente tenemos al suelo en que hemos [página nueva] nacido, en que hemos conocido á nuestros padres y amigos, y adquirido las primeras inclinaciones; el que generalmente se tiene á la lengua, á los usos, á las costumbres con que nos hemos criado, á los principios de la educación, á los objetos que nos recuerdan las primeras indelebles impresiones de la infancia. Este afecto natural es casi comun á todos los hombres, sin exceptuar aquellos que habitan los paises mas incultos.

 El efecto que causa el amor á la patria es un carácter activo y desinteresado, es el patriotismo, que consiste en un ardiente deseo de servirla, de defenderla, de contribuir á sus progresos, á su bien, á su prosperidad.

 Aquel que, sin poner nada de su parte en la defensa, ó en el bien de su patria, se complace en sus felicidades, se gloría [página nueva] de haber nacido en ella, encarece sus ventajas, y la prefiere á todas, cree tener patriotismo, pero solo tiene aun amor á su patria.

 En muchos casos se puede decir con propiedad, que el amor á la patria es al patriotismo, como la ceguedad de un amante, al zelo de un buen amigo: aquel cree que no hay cosa mejor que lo que ama; este procura que no haya mejor que lo que estima.

 

López de la Huerta, Joseph. Examen de la posibilidad de fixar la significación de los sinónimos de la lengua castellana. Madrid: Imprenta Real, 1799. 94-96. (IFES XVIII VII-B-1)

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ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナ『グレゲリア』(続きの続きの続きの続き)

グレゲリアの続きを挙げておきます。

以前のものはこちらこちらこちらこちら

翻訳については、翻訳権というものがあります。ここでは、それを侵害、無視して翻訳しているのではなく、「スペインにこんな面白いことを書く作家が いるよ」という紹介のために一部を引用していると考えてください。原文がスペイン語なので、参考までに僕の拙い訳が付いています。

El texto de base: Gómez de la Serna, Ramón. Greguerías. Ed. Rodolfo Cardona. Madrid: Cátedra, 1988.

Greguerías

 

Greguería=Metáfora + Humor.

 

グレゲリア=隠喩+ユーモア。

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Los crisantemos son unas flores del fondo del mar que prefirieron vivir sobre la tierra.

菊は地上に咲くことを選んだ海底の花である。

 

El sol es la panacea universal: nos hace vivir a nosotros, pero también a los microbios.

太陽は宇宙の霊薬。私達を生かし、かつまた微生物をも。

 

La luna es el ojo de cristal del cielo.

月はガラスで出来た空の眼。

 

La ruleta es un juguete infantil que pone trágicos a los hombres.

ルーレットは人間を悲劇的にする幼稚な遊び。

 

El elefante que anuncia el circo en los pueblos está hecho con todos los artistas de la compañía.

人々にサーカスの宣伝をする象は、一座の芸人が一丸となって出来ている。

 

La chicharra es el timbre despertador de la siesta.

セミはシエスタの終わりを告げるベル。

 

El alma sale del cuerpo como si fuese la camisa interior la que le llegó el día del lavado.

洗濯をする日のシャツのように、魂は肉体を離れる。

 

Los cuernos del toro buscan un torero desde el principal del mundo.

世界の始まりから、牛の角は闘牛士を探している。

 

Cuando al teléfono le suenan los oídos da esa comunicación que «no era nadie».

耳に覚えがないとき、電話は例のメッセージを流す。「おかけの電話番号は現在使われておりません。」(注意:誤訳の可能性あり!訳出に際して故意に意味を変えています。)

 

Ese que habla del cosmos parece que habla de un gran bazar.

宇宙について語る人は、巨大なバザールの話をしているかのようだ。

 

La yegua junto al caballito de unos meses es la tentación de los fotógrafos.

生後数ヶ月の仔馬と一緒にいる雌馬は恰好の被写体である。

 

El que usa bigote recortado como cepillo de dientes es un profiláctico.

切った髭を歯ブラシに使う人は予防医学の実践者である。

 

El poeta miraba tanto al cielo que le salió una nube en un ojo.

詩人は余りにも空を見上げたため、片方の目に雲がかかった。

 

La lógica es el pulverizador de la razón.

論理学は理性のアトマイザーである。

 

El buen escritor no sabe nunca si sabe escribir.

よい作家は文筆の才があるかどうか、永遠に分からないものだ。

 

La herencia es un regalo por el que hay que dar mucha propina.

遺産とは、たくさんの心づけをあげなくてはいけない人の贈り物である。

 

No hay forestas vírgenes, porque precisamente por las forestas vírgenes es por donde más corren los sátiros.

処女林は存在しない。なぜなら処女林こそ多くのサテュロスがかける場所だからである。(サテュロスは半人半馬の森の神。好色とされている。)

 

El peor atavismo que tenemos es el atavismo de morir.

最もひどい隔世遺伝は死というそれ。

 

A la civilización le falta inventar las gaviotas mensajeras.

文明はまだ伝書カモメを発明していない。

 

Hay melones que parecen quesos, pero son melones.

チーズのように見えるメロンがあるが、それらはメロンである。

 

Hay quienes se suenan de tal modo, que esperamos que se quiten el pañuelo de la cara para ver si tienen la nariz de cuerno de los rinocerontes.

ハンカチを顔からとったら、サイの角が付いているのではないかと期待させるような洟のかみ方をする人たちがいる。

 

El que está en Venecia es el engañado que cree estar en Venecia. El que sueña con Venecia es el qe está en Venecia.

ヴェネチアにいる人は、ヴェネチアにいると思い込んでいる。ヴェネチアを夢見る人はヴェネチアにいる。

 

Estaba tan loco que el sastre le preguntó, al hacerle el chaleco, si se lo hacía con mangas largas.

そいつはあまりにも狂っていたので、チョッキをあつらえるに際して長袖にしますかと仕立て屋が尋ねた。

 

El día en que la luna se compre un la noche será mucho más breve.

月が車を買った日、夜はずいぶん長いだろう。

 

Cuando cae una estrella parece que se le ha corrido un punto a la media del cielo.

星が流れる時、空のストッキングが伝線するようだ。

 

Comió tanto arroz que aprendió a hablar el chino.

米をたくさん食べて、中国語が話せるようになった。

 

La mujer que se muestra insinuante con el hombre mientras fuma engaña al cigarrillo con el hombre y al hombre con el cigarrillo.

紫煙をくゆらせながら男を誘う女は、男でもってシガレットを裏切り、シガレットでもって男を裏切っている。

 

Gloria: nombre de la mujer del genio.

グロリア:才能ある女の名前。(グロリアには普通名詞としてすごい人、見事なものという意味がある。)

 

Cuando la flor pierde el primer pétalo, ¡ya esta perdida por entero!

花が最初の花弁を落とす時、もうすっかり萎れている!

 

El lirio no llega a la orquídea porque no sabe peinarse.

ヘアセットが出来ないため、アヤメはランにはなれない。

 

El calamar es el tintorero para los lutos de los peces.

魚の喪服はイカが染める。

 

El anillo que ponen a la paloma mensajera debiera ser reloj pulsera para que cumpliese punturalmente su mensaje.

伝書鳩の足環は時間通りに配達するための腕時計なのだろう。

 

El humo sube al cielo cuando debía bajar al infierno.

地獄行きの場合、煙は天へ昇る。

 

El náufrago sale convertido en un mendigo al que regalaron un traje que le viene grande.

サイズの大きい服を贈られた遭難者は乞食に転ずる。

 

Existen unas cabezas cuya conformación se debe a que cayó sobre ellas una columna.

柱が倒れてきてそうなったのだろうという形の頭がある。(このグレゲリアには倒れてきた柱で頭を打たれている人の絵が添えられている。)

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誰がソラーヤを殺したか

 今年の夏ごろ、書いた文章です。年末にかけて書き直そうと思っています。書き直すことによって、原形をとどめなくなると思うのですが、それもあまりに不憫なのでここに残しておきます。『ソラーヤ、あるいはチェルケス人たち』という演劇については、こちらをご参照ください。

 


誰がソラーヤを殺したか

-カダルソの悲劇『ソラーヤ』と

ネイションの想像的身体について-

 

富田 広樹

 

Who killed cock Robin?

--Mother Goose

失われた作品

 200年以上にわたって忘却されてきた作品が、ふたたび陽の目を見る。ホセ・デ・カダルソの悲劇『ソラーヤ、あるいはチェルケス人たち(Solaya o los circasianos)』(以下『ソラーヤ』)は、そのような幸運に恵まれた作品である[1]

『ソラーヤ』は、唯一観客の目に触れたカダルソの戯曲『ドン・サンチョ・ガルシア』の上演に先立つ1770年に、検閲によって上演が拒まれている。修正を加えて再提出するように勧告されているが、カダルソはそうしなかったようだ。以後この作品は作家自身によっても一切言及されることなく、歴史の中で散逸したものとされてきた。

1980年セビリア大学の図書館で、目録が作成されていない資料の調査にあたっていたアギラル・ピニャルが、二人の筆耕の手による匿名の作品を発見し、これをカダルソの『ソラーヤ』と同定する。これを元に1982年、カダルソの没後200周年の年に、彼は作品の校訂テクストを発表した(Cadalso 1982, 33)。実に2世紀以上にわたって失われていた作品が、再び私たちの目の前にその姿をあらわしたのである。

劇作家としてのカダルソの評価は今日決して高いとは言えない。唯一舞台に上った作品が商業的に成功しなかったというコタレロ・イ・モリの見解を踏襲しながら(Cotarelo y Mori 2006, 131)、シーボルトはその優れたカダルソ研究の中で『ドン・サンチョ・ガルシア』を取るに足りない作品として扱っている(Sebold 1974, 254-62)。しかし上演期間が5日間に留まることは当時珍しいことではなく(Johnson 1981, 76)、またコタレロ・イ・モリが挙げている入場料収益の計算方法に誤りがあることをアンディオクは示しており(Andioc 1987, 392-93)、『ドン・サンチョ・ガルシア』を完全な失敗作として考えることは正しくない。カダルソの後続世代にあたる1787年生まれの劇作家マルティネス・デ・ラ・ロサは、同時期のホベリャーノスやモラティン(父ニコラス)の作品に比べて大いに劣ったものとしながらも、この作品を詳細に検討している(Martínez de la Rosa 1962, 152-54)。

カダルソの名は制度としての文学史の中で『モロッコ人の手紙(Cartas marruecas)』や『鬱夜(Noches lúgubres)』といった作品の名と不可分になっているが、忘れてならないのは、これら二つの作品が日の目を見たのは、職業軍人であったカダルソが1782年に戦場で早すぎる死を迎えてから7年後、定期刊行物に掲載されて以降ということである[2]。生前に出版された作品を通じて、同時代の人間にとってのカダルソは詩集『わが青春の手すさび(Ocios de mi juventud)』の作者であり、当世の衒学者に対する痛烈な風刺『菫薫る賢人(Los eruditos a la violeta)』の作者であった[3]。ここに、あまり大きな成功を収めなかった悲劇作家としての顔を付け加えることも出来るだろう。

一つの作品を巡る評価だけを問題にしてカダルソの演劇を議論することは、害多くして益少ない営みである。にもかかわらず、2世紀を経て歴史の表舞台にあらわれた作品は、わずかな例外を別にして、真剣な批評の対象とされることが少なかった[4]。新しく発見されたという事実だけでは、『ソラーヤ』という作品を議論する意義は担保されない。しかし扱われている主題の特殊性や、悲劇の結末が孕む矛盾など、文学テクストとして論じられるべき点は大いに見受けられる。さらには、18世紀における国家の主権をめぐって、後の国民国家、ネイションという問題の議論に寄与する示唆を大いに含んでいる。

本稿では作品の取り扱う主題の検討から出発して、内在的な矛盾の解釈の手立てを提出する。しかし最終的な議論は、舞台に姿を表さない存在へと向かうことになる。

 

危険な主題

 『ソラーヤ』の正確な執筆時期は知られていない[5]。スペインのシマンカスにある公文書館に、この作品の検閲に関する書面が保存されている(Gracia y Justicia, 993 Antiguo)。この書面の日付が『ドン・サンチョ・ガルシア』の上演の前年であることから、『ソラーヤ』がカダルソの最初の悲劇であると考えられることが多いのだが、これだけでは根拠として十分ではない。しかし、『ソラーヤ』の上演許可について、カダルソは本名で申請を行っているのに対し、『ドン・サンチョ・ガルシア』を含む他のすべての作品では筆名を用いている(Glendinning 1962, 14)。検閲との最初の衝突に懲りたカダルソが、以降自分の作品であることが分からないように配慮したと考えられる(Tomita 2003, 156-58)。少なくとも『ソラーヤ』をカダルソが上演を意図した最初の悲劇と考えることは不自然ではないだろう。

この書面の中で『ソラーヤ』は“latae sententiae”という表現で上演の不許可を告げられている(Glendinning 1962, 14; 173-74 n. 6)。「言い渡された判決」を指すこの語は、教会法の用語で、罪(この場合は作品の執筆)が犯された時点で審理を待つ事なく、既に教会によって破門されていることを意味する、きわめて強い言葉である(Domergue 1981, 11 n. 8[6]。検閲において厳しい判断が示された『ソラーヤ』は、どのような問題があると考えられたのだろうか。

神への言及を欠いていることや(Álvarez de Miranda 1982, 311 n. 10)、舞台の上で演じられる残虐さのためとする意見もあるが(Sebold 2004, 245-46)、それらと併せて多くの研究者が、作中に現れる「王殺し(regicidio)」の主題を問題視している(Cadalso 1982, 37, 128 n.; Hafter 1997[7]。『ソラーヤ』に先立って1768年にトリゲーロスの悲劇『ウィティン(El Witing)』が検閲により拒絶されているが[8]、その理由とは「民衆に与えるべきではないひどい模範で、君主に対する蜂起、宮殿への襲撃、王位継承者の殺害が扱われている」(Cadalso 1982, 29)ためであった。

さらに歴史的文脈に即してみるならば、1766年にエスキラーチェの暴動が起こっていることも看過できない。スペイン継承戦争(1701-13)とアランフエスの暴動(1807)に挟まれながらも、18世紀を通じてスペインはその歴史の中で最も平和な時代を享受した(Marías 1985, 309; Domínguez Ortiz 1988, 64)。その中で唯一の例外である1766年の暴動は、食料価格の高騰と、要職にあって政治の采配を振るナポリ人たちへの不満に端を発した[9]。この事件は即位6年目のカルロス三世を激怒させるとともに、彼に深い屈辱を与えた(Domínguez Ortiz 1988, 70)。だが何よりも、民衆に対する恐怖からこの王は、暴動が鎮静したその夜、アランフエスへ逃亡してしまう。民衆の暴力が君主の権威と対峙した一大事件であった。

 1762年ボルボン騎士団に入隊したカダルソもまた、この暴動を直接に体験している。プエルタ・デル・ソルで暴徒の攻撃からオレイリ伯爵の命を救ったカダルソは、「あの日、民衆の真の姿を知った」と『半生記(Memoria de los acontecimientos más particulares de mi vida)』に記している(Cadalso 1979, 12)。後年アランダ伯の屋敷で芝居が上演されることになったとき、カダルソも役を振られているが、その演目がヴォルテールの『シーザーの死』であるということを知って、カダルソは不快感をあらわにしている。

 

[芝居の上演が]実現しないだろうと考えて、さらには、まさかヴォルテールの『シーザーの死』を扱うとは思いもせずに私は引き受けた。なぜならこれは他でもない王殺しの物語で、かの暴動の結果その職に就いたカスティーリャ議会議長その人の屋敷で演じられるなど[10]、到底考えられないことだったからだ。(Cadalso 1979, 19

 

 王殺しのテーマを取り上げるに際して、カダルソが意識的でなかったはずはない。暴動以後、フランス革命まで厳しさを増していく検閲を前に(Glendinning 1962, 13)、上演そのものが不可能となる可能性は十分に予測の範囲内だったろう。『ソラーヤ』における王殺しの意味をあらためて問う必要がある[11]

 

よき王子セリンとその記号的殺害

 『ソラーヤ』にはくり返し暴君(tirano)という言葉が現れる。啓蒙専制君主から最もかけ離れた王の姿であり、1780年のアカデミアの辞書は「正義なく、その意のままに統治する君主」(Real Academia Española 1780, 881)に用いられる形容詞として定義している[12]。作品の中では“tirano”ならびにここから派生して、その統治や暴虐な振る舞いを指す“tiranía”という語が13回生起しており[13]、うち7回はセリンに対して用いられている。タタールの大使として貢納の取り立てに訪れた王子セリンは、父である汗(カン)の権威を体現している。セリンとはどのような王子であろうか。

 娘がセリンと恋に落ちたことを嘆くアドリオは、娘の元に息子エラクリオを送る。説得に訪れた兄と二人でいるところを恋人に見つかったソラーヤは咄嗟に、エラクリオが彼女の出発を祝福するために訪れたのだと嘘をつくが、これを聞いたセリンはその訪問を咎めることなく、さらにはソラーヤが別離の挨拶を出来るようにアドリオやカシーロも招くよう臣下に命じている(1309-11行)[14]。こうして実際は二人の仲に反対するチェルケス人たちがセリンの元にやって来る。ソラーヤを祖国に引き止めようとするアドリオたちと対立したセリンは、しかし自ら随える強大な武力に訴えることなく、決断をソラーヤ自身に委ねることを提案する。物語の中心が二つの愛の狭間で引き裂かれるソラーヤの葛藤へと移る重要な場面である。

 

恋人への尊敬も父への尊敬も抜きにして

最良と思われる道を彼女に決断させようではないか。

私についてタタールの国へ行くと決めたなら

貴方たちは身を引くがよい。なぜなら

私の幸福を阻もうと考えるものは

自国全土の荒廃を招くだろうから。

また彼女が娘としての愛情を選び

祖国を離れないというのならば、このセリンは

貴方たちの腕の中に彼女を残していくことを約束しよう。

もしも彼女の意志に反するならば

忌まわしき縄にかけてチェルケスより

彼女を連れ出したとの誹りを受けようから。

言ってほしい、私の考えをどう思われるか。(2653-65行)

 

18世紀における女性の自由意志の尊重も大いに目を引くが、寛容さとともにいずれの決心をソラーヤが採ったとしても、決して諍いが生じぬ配慮がなされている。チェルケス人たちはカシーロを除いて、セリンの「大いなる美徳」と「思慮深さ」に感服し、アドリオは「息子たちよ、寛容な心が我々に申し出た/めでたき機会を享受するとしよう」(2689-90行)と述べて立ち去っていく。セリンもチェルケスの老賢人であるアドリオに尊敬の念を示しており、お互いに理性的な解決への歩み寄りが見られる。

 逡巡の末ソラーヤは恋人を選ぶ。アドリオとその息子たちは、セリンが彼女の自由に任せるという約束に反してソラーヤを懐柔したものと考え、タタール人を襲い二人を追う。捕らわれの身となったセリンは迫りくる死を目前にして、高潔な姿勢を崩さない(51494-1562行)。さらには二人の兄弟に対して、自らの生命を省みることはせずに、ソラーヤに対する慈悲を乞うている。

 

ただこれだけは頼む

チェルケス人たちよ、君たちのかわいそうな妹にだけは

寛大であってくれ・・・その気迫が彼女に

触れることのないように・・・。遺恨はすべて私一人の

心臓の上に落ちるがいい・・・。我が高潔な血が君たちの

厳しい怒りを満足させ・・・彼女を生き延びさせんことを。(51591-96行)

 

 このように、セリンの人物造形は典型的な圧制者のそれではなく、むしろ高潔にして清廉、理性と公平さを備えた理想的な王の姿である(Hafter 1997, 440)。作品の中で一貫して高邁な姿勢を崩すことのない人物セリンを暴君と呼ばせているものは何だろうか。

 セリンと暴君という言葉の間に乖離が生じている。悲劇全体を通して非の打ち所のない君主像を呈する、タタールの王子に関するこの矛盾を理解するための鍵は、次の箇所に見出される。

 

ソラーヤ

ああ、王子様。

 

セリン

何と。私を王子と呼ぶのか。

不幸なものたちの中で、私こそが最も不幸な人間だ。

これはどうしたことだろう。私を愛していた頃

君が私の名を呼ぶのに考え出したあの素晴らしい

名前の数々を忘れてしまったというのか。

あの日々の記憶は消え去ってしまったというのか。

絢爛豪華たるアジアではお馴染みの

彩りゆたかな呼び名よ

ソラーヤがセリンと話すときには

よりはつらつと響いたあの名前はどうしてしまったのか。

あれらの名前はこんなにも早く、宮廷での慣わしに

取って代わられてしまうものなのか。

王子様。我が兵士たちは、父上の臣下たちは

私をそう呼ぶだろう。だがこの耳は

甘美さをともなって君が私を呼ぶ

あの優しい響きに慣れ親しんでしまった。

この私を捧げるに相応しかったあの女性と君は別人なのだろうか。(2449-465行)

 

数多くの疑問文が並ぶセリンのこの嘆きは、その呼称、名前の呼び方を通じて、王子としてのセリンと、恋する一人の男性としてのセリンという、二つの身体があることを明らかにしている。

ソラーヤと恋に落ちている間、セリンは王子という名とともに、その義務からも逃れていた。しかし恋が破れたと思い込んだセリンは、王子としての役割に引き戻される。アドリオとの取り決めに従って身を引くべく、ソラーヤに別れを告げに訪れた彼は「私の出発は余りにも長く延び延びになっていた。/君の瞳が、この胸が私を欺いて/しかるべき義務から私を遠ざけていたのだ」(41087-90行)と述べている。しかしチェルケスの人々にとっては、セリンは汗の代行者としてやってきた大使である以上、その役割を離れては存在しない。彼が暴君と呼ばれるとき、その言葉はセリンの王子としての身体に向けられている。そうであってみれば、セリンが高潔であろうとなかろうと矛盾は生じない。ソラーヤ以外のチェルケス人にとって、最初から彼は暴君という記号としてのみ存在している[15]

ルイ十四世の表象に関するアポストリデスの研究を参考にしつつ、この記号的な暴君、王子としてのセリンを象徴的身体、恋に落ち王子という義務とその機能から離れていたセリンを個人的身体と呼ぶことにする。この二つの身体に還元することでセリンと暴君という言葉の乖離が理解可能なものとなる。

義務への怠慢に気がつき、セリンが王子としての象徴的身体を回復したこの直後、ソラーヤが恋人を暴君と呼ぶのは、偶然ではない。説得に訪れた兄エラクリオがセリンを「最も神聖な法を破った暴君」と罵る言葉に[16]、ソラーヤは「あの方は暴君ではありません。/どれほどあの方のことをご存じないのでしょう。法を破ったのは/あの方が人間であればこそなのです」(1229-31行)と反論していた。そこではまさに個人的身体としてのセリンがあったはずである。しかし今、彼女は「王の緋衣を身に纏う者は/人間らしさを脱ぎ捨てなくてはいけないとでもお考えなのですか」(41218-19行)と恋人を詰る。

暴君の記号として、象徴の次元でセリンは殺害される。大使と愛する娘の亡骸を目にしたアドリオがセリンの死に様を尋ねると、彼の命を奪ったエラクリオは[17]「獣のように[死にました]/傷つけるこの手を罵りながら」(51684-85行)と、事実と異なる返答をしている[18]。彼の目に映る暴君という象徴的身体についてであれば、エラクリオは嘘をついていることにはならない。セリンの死は、記号内容ではなく、記号表現の消去なのである。

 

カシーロはなぜソラーヤを殺したか

王殺しの主題が極めて危険なものであることはすでに見た。また、セリンの死は単純な暴君殺しではなく、暴君の記号を負わされた善良な王子の象徴的身体の抹殺であることが明らかになった。続けてセリンの殺害とともに起こった、ソラーヤの死を考察する。というのは、セリンの死(暴君の記号の消去)こそが目的であるならば、ソラーヤの死は必要ないからである。王殺しの物語という解釈では、悲劇の最後で娘の亡骸を前にしたアドリオの嘆きを説明できない。

 

それに何ということだ。私の娘を殺してしまったのか。

お前たちに言わなかっただろうか、ああ、暴君どもよ、命は

許してやれと。なぜお前たちはこんなに大きな苦しみを

この父に与えたのだ。このような振る舞いは

私の怒りに値するものだ。(51686-90行)

 

かつてセリンに対して用いられた暴君という言葉が、二人の息子たちにあてて使われていることに注意したい。ソラーヤを殺害した兄弟の暴虐な振る舞いを非難するのに用いられており、タタール人の王子からチェルケス人の兄弟へ、暴君と呼ばれる対象が入れ替わっている。

ハフターは、チェルケス人の側にも暴虐があり、また残酷な運命を嘆くソラーヤが天を暴君と呼んでいることから、作品の中には複数の暴君と暴虐が存在すると述べている。一概にどちらかの側を暴君と決定できない状況を作り、名誉の問題を相対的に考察することを可能にしていると考える(Hafter 1997, 443)。カダルソの文学における相対主義という考え方は、バケロ・ゴヤネスが『モロッコ人の手紙』について導入した。国籍や年齢といった文化的・経験的背景の異なる複数の手紙の書き手の視点を織り交ぜることで、物事の一元的な理解を揺るがす手法である(Baquero Goyanes 1954)。

この解釈はタタールの王子と、チェルケスの兄弟の双方がともに暴君と呼ばれていることを説明するのには都合がいい。しかし上に述べたように、その殺害が象徴的次元での暴君の抹殺であることを考えるならば、現実の舞台で演じられるのはよき王子が残酷に殺害されるという事実だけである。実際には作品が恵まれなかった観客は、その残酷に嫌悪感を憶えるばかりであっただろう[19]。それでは単なる王殺し、しかも罪なき王子の惨殺となってしまう。

 ここでの目的は同時代の文学的な約束事に基づいて『ソラーヤ』を検討することにはないが、18世紀の演劇が担っていた社会的機能という面から見ても、ハフターの解釈には問題があることを指摘しておく。すなわち、教育の器(Andioc 1987, 516)として供され、習慣や倫理の向上をもたらすことが期待されていた演劇の役割に合致しないことである。18世紀の演劇は単なる娯楽ではない。哲学ならびに近代科学が発展をみせる中で、18世紀の演劇は新しい知識を広める役割を果たした(Johnson 1981, 13)。加えて悲劇とは、18世紀の理論家ルサンによれば「王や王子、高貴で優れた人物に降りかかる運命の大いなる転変の演劇で、その人物の失脚、不幸、危険は観客の心に恐怖と同情を掻き立て、あらゆる人間、とりわけ王や高い権威と身分を持つ人にとって模範と教訓となることによって、もろもろの情動を改め、浄化する」(Cadalso 1982, 35)ものであった。仮に相対性とそこから導かれる物事の寛容な理解を『ソラーヤ』に見出すとすれば、悲劇が担う教育的機能が曖昧になる。私たちの考えによれば、セリンとソラーヤの兄弟たちが暴君と呼ばれる理由は象徴と現実という、それぞれ異なる次元での出来事なのである。暴君と呼ばれる対象が複数あることが、作品における相対主義を意味するとは考えにくい。

相対主義を退けた上であらためて、ソラーヤが殺される理由を考える。その理由はある二重性をともなっているが、ここではまずテクストに即して検討する。先に引用した箇所に続いてアドリオは、ソラーヤを手にかけたのがカシーロであると知り、激しい怒りをぶつけている。

 

名誉に狂ったものよ。ああ、私が

お前の暴虐を許すなどと考えるでないぞ。

その冷酷な舌はもはや言葉を発するでないぞ。

ソラーヤの錯乱を申し開きとしてはならぬ

お前の不服従の方がよほど重大なのだ。

恐ろしい復讐の中でも、彼女には

手を伸ばすなとお前に言わなかったか。

彼女の中に私の似姿を敬えと。

それなのにお前は、残忍な怪物、忘恩の弟よ

私に背き、自然にも逆らったのだ。(51706-15行)

 

カシーロは沈着な兄エラクリオと対照的に、行動に逸る性質を持っている(2621行)。そのため父や兄に諌められることが多い。ここでは父の命令に背いたカシーロの罪が糾弾されている。アルバレス・デ・ミランダはここから、あらゆる種類の狂信に対する批判を作品に読み取っている(Álvarez de Miranda 1982, 319-20)。だが続けてみていくように、物事はそれほど単純ではない。悲劇の結末を名誉に狂ったカシーロの不服従のみに帰することは出来ないのである。

 冒頭で、父親の悲嘆がソラーヤとセリンの恋によると知ったカシーロは、二人の殺害を提案する。だがアドリオはこれを諌めて、より慎重な兄エラクリオをソラーヤの説得に向わせた。

 

ならんぞ、カシーロ。

早まるな。私の命令だ。そして私は退がるとしよう。

お前も一緒に来るのだ。このように難しい仕事には

お前の激しい感情よりもエラクリオの分別こそ

信頼するに足るというもの。(1153-57行)

 

 だがエラクリオによる説得が失敗に終わり、なおかつセリンによってチェルケス人たちが招かれる段になって、父の怒りは自らのこの諫止を翻す。一足先に宮殿に到着し、ソラーヤに向って剣を抜くカシーロの言葉にそれが示されている。

 

父上は貴様の過ちを知ると

その愛情を怒りに変えられて

私に仰ったのだ。長らくお前を諌め

伸ばそうとするその手をとどめてきたが

今こそ命ずる。行くがよい、傷つけるがよい

護衛を蹴散らせ、殺せ、さもなくば死んでこい。

私は年をとり力が無いがお前についていこう。

[自ら力を振るう]武器とはなり得ないが

娘の死と私の名誉の証人となるだろう。

一秒ごとに罪が重ねられていく。

そう仰せになられたのだ。その声は貴様の胸を

切り裂くこの腕に力を注がれたのだ。(2547-58行)

 

カシーロはソラーヤの命を奪おうとするが、ここにセリンが登場し彼女は助けられる。父親とエラクリオも登場し、セリンとの話し合いが持たれる。この後、セリンの寛大な提案を受け入れるが、最終的に彼女が恋人を選んだことに父親は落胆する。失意の父にカシーロは、タタールの王子が三人の到着以前にソラーヤと一緒にいたことを伝え、約束の無効を訴える。この言葉に力を得たアドリオは二人を探し出して、自ら死を与えることを決意する。

 

私はこの宮殿の部屋という部屋、階段という階段を探し

あの二匹の獣じみた人間を見つけ出そう。

二人は死ななくてはならない、さもなくば私が死ぬのだ。

一人にしてくれ、私は復讐を遂げたいのだ。(41317-20行)

 

アドリオは自らの手で復讐を遂げようと、老いた足取りで恋人たちを追っていく。一人立ち去った父親を心配して、二人の息子は後を追うが、しかしその前にカシーロは兄に父親の命令(城門を塞ぎ、さらに多くの兵を集めること)を遂行することを約束させ、「二人の恋人たちに死を与える」(41330行)ことをともに誓うのである。二人の息子は父に追いつき、その身の危険を案じて復讐を断念させる。そこでアドリオは息子たちに追跡を任せるが、セリンは殺し、ソラーヤは生かしたまま連れて来るように命じる。このときのアドリオの言葉に、カシーロに対する難詰は由来している。

 

聞くがいい。圧制者と私の娘を連れてくるのだ。

彼奴は殺し、娘は生かしたまま連れてくるのだ。(中略)

お前たちに言っておくが、ソラーヤは生かしてやれ。

ああ、私は悔い改めたあの子の姿を

目にせずに死にたくはない。

それが叶うなら、そのときは快く死ねるだろう。(51408-18行)

 

 こうして見てきたように、アドリオの言葉には変動が多く見られ、ある場面においてはソラーヤの死をカシーロに命じもすれば、自ら望みもしている。カシーロはアドリオの命令、その希望によってソラーヤを殺したとも言えるのである。直前に引用したこの言葉を担保にするならば、カシーロのソラーヤ殺害は非難に値するだろう。しかしこの言葉を発した後も、その嘆きは矛盾に満ちている。まもなく二人の恋人が連れてこられるという場面である。

 

その姿を目にして耐えられるだろうか。

セリンを捕らえたことは私にとって

大きな勝利だ。すぐさま死ぬがよい。

ソラーヤに対しては、分別を無くした怒りが

苛烈になってはならない。あれは私の娘なのだ。

かつては私の安らぎであり、喜びであったもの・・・

だが、何を言っているのだろう。娘であるという

口実などなしに死ぬがよい・・・。この血を引いていることが

その名誉を汚したことをより激しく苛むであろう。

怒りに変わってしまえば愛とは厳しいもの。

あの子は名誉にそむいたのだ。私の心を動かして

その過ちを許してやる愛情は

裏切り者には相応しからぬ。だからといって

私の娘でなくなるわけではないのだ・・・。されど

行き過ぎた愛はその恋する胸から

名誉と血の縁を忘れさせたのだ・・・。ならば・・・。しかし

あれは娘だ、たとえ娘として相応しくないにせよ。不名誉を

嘆いて涙を流すにも

私に残された余生は長くはない。悔いた娘が

私の喜びとなってこの人生を

しばらくは支えてくれるだろう。(51441-61行)

 

相反する論理が渦巻いている。これまで二人の息子とともに、娘とセリンの恋を阻んできたものが名誉であったのに対して、ここでアドリオは平穏な余生を送るためにソラーヤの罪を許すとしている。年老いた父親の感情がむき出しとなり、チェルケスで最も尊敬される元老院議員で、祖国全体に愛されるアドリオの姿はここにはない。

不名誉を雪ぐためにソラーヤの殺害を望んだカシーロの耳に、名誉の問題を放り出した感傷的な老父の言葉は届かなかった。しかしこれはカシーロの名誉に対する狂信ではない。尊敬を集め、名誉を尊ぶ父と、娘への愛情にほだされた老父としてのアドリオの身体は別のものなのである。暴君の記号の下に、よき王子としてのセリンの姿をエラクリオたちが見なかったように、一人の気弱な老人の声はカシーロには聞こえなかったのである。単純にソラーヤ殺しの罪をカシーロに着せられないことがテクストの中に表れている。

アドリオの言動に見られる一貫性の欠如を検討するために、セリンの場合と同様にこれを象徴的身体と個人的身体に還元する必要がある。また、その象徴的身体が担っていた役割を検討する。

 

ソラーヤを殺したほんとうのもの

「父上の名誉、彼女[ソラーヤ]の名誉、我が一族全体の名誉が/彼女を罰するための抗し難い力を持って/かくも厳しい復讐を私に命じたのです」(51703-05行)。娘を亡き者としたその残虐を詰る父親にカシーロは返答している。アギラル・ピニャルは、家族の名誉が傷つけられた問題の裏側に、チェルケス全体の集合的な名誉の問題があるとする(Cadalso 1982, 37)。だが、ソラーヤの死をもたらしたのは名誉の問題だけではない。

エラクリオの言葉によれば、チェルケスにおいてアドリオは「最も尊敬を集める元老院議員」であり、「祖国すべてが彼を愛しもすれば敬ってもいる」。また、若き日の武勇は諸外国も記憶するところである(130-39行)。ソラーヤは元老院でアドリオの持つ権威の偉大さを恋人に語って聞かせている(2399-406行)。だが、アドリオは王のように特別な権力の中心にいるわけではないことに注意したい。そのことは、汗への捧げものとなる女たち抽選に、その娘ソラーヤもまた足を運んでいることから分かる(194行)。アドリオの娘とて例外ではなく、ソラーヤの運命はその他のチェルケスの女のそれと等しい[20]。女たちが連れて行かれることに対するチェルケス人の態度は、ソラーヤの侍女カサリアの言葉に表れている。

 

哀れな女たち、ひどい運命という

暴君の奴隷となって

最後の嘆きの声で以って親族に[21]

別れを告げている。女々しい彼らは

女たちが連れ去られるのを阻むこともせず

守る代わりに涙を流して別れるのだ。

彼らに植え付けられた恐怖はあまりに大きく

タタール人の武力が有無を言わせないのだ。(41030-36行)

 

かつてタタール人とチェルケス人の間に戦争があり、両者の武力の差は歴然だった(3885-88行)。タタールの武威はチェルケス人たちの心に深く刻み込まれ、植え付けられたその恐怖は「獰猛」、「野蛮」といった、紋切型のタタール人表象においてくり返し表れる(1213行、2516行、41132-34行)。そのために、アドリオは元老院で戦争の害悪を説き、その議員たちは揃って和平協定に調印したのである(1415-23行)。王のいないチェルケスで、民意はこのように形成された。セリンがアドリオを「祖国の幸福を守る術をよく知る」(2400行)と評したのはこうした理由による。

アドリオは決断をソラーヤの自由意志に委ねるというセリンの提案を容れた。しかしセリンの元を去って、彼は兵を動員する。アドリオによれば、ソラーヤがチェルケスに留まることを決意したときに、セリンが約束を反故にすることのないようにという予防的措置なのだが、興味深いのは動員されている兵士が、先の引用に見た、タタール人の国へ連れて行かれる女たちの親族であることである。兵の配備にあたった将校が次のように報告する。

 

すべてはご下命の通りとなっております。

数こそ少ないですが、おそれを知らぬ

若き勇猛なチェルケスの男たちが

またたく間に集まりました。

彼らは奴隷となった哀れな女たちの親族で

愛する気持ちは彼女らを救い出さんとうずうずしております。(2734-39行)

 

 アドリオの考えとは別に、この兵力はチェルケスの女たちを解放するために集まっている。先に述べたとおり、アドリオはチェルケスの権力の中心にあるわけではない。彼は王ではなく、ソラーヤもチェルケスの女の一人に過ぎない。だが、ここではその私的なるものと公的なるもの、ソラーヤの運命とその他の女たちの運命が結び付けられている。アドリオの危惧をよそにソラーヤがチェルケスに残ることを決意して、セリンもまたそれを受け入れた場合、チェルケスの女たちがタタール人に連れて行かれることに変わりはない。にもかかわらず、アドリオの心配に便乗して、女たちを取り返すために兵が集まっている。

王の身体における私的なるものと公的なるものの混在は特異なことではない。なぜなら、その王の身体には国の全体が表象されているからである。

 

同じひとつの身体のなかに、小文字の「王」と大文字で書かれる「王」が区別されるわけである。前者は一個の肉体を持った個人としての王であり、臣民の身体と同じように偶然の支配を受けている。それにたいして、後者は象徴的な身体であり、決して死ぬことがない。不死の身体としての君主は、正義と知の化身である。(アポストリデス 1996, 3-4

 

 芸術の多岐にわたる分野で、個人の肉体を越えた王の想像的身体の神話が語り継がれていくのが、革命までのアンシャン・レジーム期のフランスである。スペイン継承戦争を経てハプスブルグからブルボン家への王朝交替を経験したスペインにおいても、事情は似通っている。ブルボンの最初の王たちは、スペインの多様性を保つことよりも、一つにすることに心を砕いた(Álvarez de Miranda 1992, 216)。それは分裂する身体の部位を一つにまとめる作業であった。統合“incorporación”とは身体“cuerpo”の隠喩にほかならない(アポストリデス 1996, 5)。アンダーソンの優れた研究を参考にしつつ、以下、統合された一つのものとして想像される国を土地の名と区別して、想像的身体と呼ぶ。

とすれば、チェルケスを守る役割を担い、「祖国の幸福を守る術をよく知る」アドリオが、一つの身体をなすチェルケスを表象・代理していることは明らかである。これが王ならぬアドリオに付与された象徴的身体なのである。それに対してタタール人の国へ連れて行かれる女たちの身を案じてソラーヤが口にする言葉は、チェルケスという国の分裂、その身体の分節を含意している。

 

貴方たちはタタールの都へ連れて行かれて、

ぬるま湯につかったような日々を過ごすのでしょう。

のお眼鏡にかなう者は幸いだわ

他の女たちをやきもきさせて、彼女たちが

見たこともないような富さえ気にとめることもせず

安穏に過ごすでしょう、ほとんど知りもしない

薄情な祖国を忘却に付して。(41047-53行)

 

祖国が忘却に付されてしまえば、統合された身体(国)を象徴する、王のような記号を持たないチェルケスは、解体の危機に瀕する。アドリオが王ではないことはくり返し述べてきたが、兵士が集まってきたときにはすでに、チェルケスの想像的身体が彼において表象・代理されている。ここでアドリオが担っているのは、チェルケスの瓦解を防ぐことであり、ソラーヤの奪還ではない。少なくとも、集まった多くの、そして無名のチェルケス人たちはそのように考えていない。

タタール人への襲撃の後で「抽選によって運命を定められた/哀れな女たちは皆救い出され」(51425-26行)るが、その間アドリオは個人的身体に回帰して、一人きり宮殿の中を徘徊していた。チェルケスを表象・代理する身体と個人的な身体の交替は、一貫性を欠いたその言動のうちにすでに見たとおりである。逡巡のあとで、感情に流されるアドリオの言葉にはもはや、チェルケスの想像的身体は表象・代理されていなかったのである。カシーロがその声を聞かなかったのはこのためである。

家族の名誉、あるいは愛をめぐる、ソラーヤの奪還という極めて私的な目的が、哀れなチェルケスの女たちの救出に取って代わられたとき、ソラーヤもまたすべての女たちを表象・代理していた。だが、女たちが救い出された後、ソラーヤを待っていたのは彼女たち同様に幸福な運命ではない。アドリオの願いに反して、ソラーヤは他の女たちのように救い出されたわけではないのである。チェルケスからの分離を自らの意志で選択したソラーヤは、祖国の想像的身体に仇をなした。ここでは、タタール人によって汚された名誉という問題はない。むしろ、チェルケスの内部で、その想像的身体の存続を危うくするものとしてソラーヤは断罪されるのである。ここではチェルケスという国の身体を分節する罪が追及されている。ソラーヤはチェルケスという想像的身体に殺されたのである。

 

想像的身体とネイション

個人の意志ではないものが、不在の王の空虚を埋めるような何かが、『ソラーヤ』という悲劇の裏側に横たわっている。登場人物を個人的身体と象徴的身体に還元しながら、悲劇に現れる王殺しの問題から出発して、セリンの弑逆が暴君という記号としての死であったことを明らかにした。その対極でアドリオの言動に見られる一貫性の欠如から、カシーロによるソラーヤの殺害は、以前に象徴的身体としてのアドリオが下した命令に基づいていると考えた。そのアドリオの象徴的身体は、チェルケスという想像的身体を表象・代理している。ソラーヤの死は祖国からの離別を自ら選択したソラーヤに加えられた厳罰であったと結論する。

強調しておきたいのは、王という中心を欠いているチェルケスにおいて、独自の倫理を持つ想像的身体がソラーヤという個人を殺した事実である。ある段階までアドリオはチェルケスの利益を代弁し、それを守ることに尽力しているが、決してアドリオが不在の王の位置を占めているのではない。アドリオがチェルケスを守っていたのではなく、チェルケスがアドリオに自身を守らせていたのである。彼の望みに反して娘が殺されることにそれが表れている。

国を一つの身体として考えるのは隠喩に過ぎない。しかし、ここまで検討してきた作品の中で、個人の願望や意図を超えた場所で大きな倫理が働いている。同時代の演劇を的確に分析する文章の中で、マラバールは書いている。

 

これらの[劇]作家の仕事は、社会に統合したいと考える新しい中間階層[ブルジョワジー]の役割を、教育することに主に向けられていると説明される。この中間階層の価値と願望のプログラムに影響を受けた社会は後年、随分後になって、それでも18世紀の終りから19世紀のはじめにかけて、少なくとも先の大戦までは有効で、それ以降歪曲されてきた新しい意味を獲得する。その社会の名はネイションである。(Maravall 1991, 400

 

 18世紀を通じて教育の器であった演劇は、スペインにおいてレコンキスタやローマ軍によるヌマンシアの包囲といった、自国の歴史的な、しかも時間的に隔たりのある主題を好んで取り上げた。知識人たちの言説の中には、従来人の生まれや、その土地、地方を意味していた言葉であるナシオン(ネイション)“nación”が祖国“patria”と対になって現れ始める。最も身近な芸術を通じて、「想像された共同体」(アンダーソン)の身体イメージが伝播されていった。演劇は一つのスペインを志向させる最も有効なプロパガンダなのである[22]。スペインにおけるネイションの問題、統合された一つの身体イメージをめぐっては、より広範な研究がなされなければならない。演劇は最も重要な研究対象となるだろう。王なきチェルケスを舞台とする『ソラーヤ』は、王権に立脚しない想像的身体をむき出しにする、稀有なテクストなのである。

 


[1] カダルソは生涯に、いずれも悲劇である三編の戯曲を残したことが知られている。『ドン・サンチョ・ガルシア(Don Sancho García)』は、マドリードのテアトロ・デ・ラ・クルスで1771121日から25日まで上演された(Andioc 1987, 392)。4年後、軍人であったカダルソはアルジェ遠征への参加に際して、自らの作品を友人に託している。その目録の中に『ヌマンシア女(La Numantina)』という作品が確認できる(Cadalso 1979, 102)。この作品は今日まで見つかっていない。

[2] 『モロッコ人の手紙』はCorreo de Madrid紙の233号から280号に、『鬱夜』は同じく319号と325号に掲載された(いずれも1789年)。

[3] エドワーズが書いているように、カダルソはそれぞれの時代において大いに異なるイメージで解釈されてきた(Edwards 1976, 9-11)。

[4] 文学史の概説書等における記述と作品の校訂テクストに付された詳細な解説のほかに、『ソラーヤ』を中心的に扱った先行研究は以下のものがある。参考文献を参照のこと。Aguilar Piñal 1985; Álvarez de Miranda 1982; Albiac 1996; Hafter 1997; Sebold 2004a.

[5] アギラル・ピニャルは1764年に現れたヴォルテールの戯曲の翻案作品がカダルソによるものだと考えている。同作品との内容的類似から、『ソラーヤ』の執筆時期が1765年位まで遡りうる可能性を示唆している(Aguilar Piñal 1985, 16-17)。

[6] この語が使用されていることから、作品が発見される20年前にグレンディニングは、『ソラーヤ』が大いに異端的な内容を含んでいたのではないかと推測していた(Glendinning 1962, 14)。

[7] 『ソラーヤ』の梗概を簡潔に記しておく。

 舞台はグルジアの北、カスピ海と黒海に挟まれたコーカサス山脈の麓に位置する国、チェルケス。タタール人に敗れて、貢納国となったチェルケスの元老院議員アドリオの娘ソラーヤは、捧げものであるチェルケスの女たちの引き受けに訪れた大使、タタールの王子(汗の息子)であるセリンと恋に落ちる。アドリオと二人の息子エラクリオ、カシーロは彼女に祖国へ留まるよう説得するが、ソラーヤはセリンと祖国への愛の狭間で逡巡する。セリンは彼女が自分の意志で決断を下し、どちらの側もその選択に従うことを提案する。アドリオたちはこれを了承し、双方ソラーヤを残して去る。

葛藤の中でソラーヤはチェルケスにとどまることに心を決めかける。ソラーヤの侍女カサリアがこのことを知らせると、アドリオたちは大いに喜ぶ。それを目撃したセリンはソラーヤが自分への愛を諦めたものと考え、取り決めどおり潔く身を引き、母国へ向けて出発する前に彼女に別れを告げに訪れる。祖国に留まることに心が傾いていたソラーヤは、しかし恋人に手を与え、彼とともにタタールへ向うことを決意する。

ソラーヤがチェルケスに留まると考えていたアドリオたちは、セリンが甘言を以って彼女を懐柔したものと考え、タタール人を襲撃する。老齢のアドリオに代わって二人の息子がセリンとソラーヤを捕らえ、それぞれを剣にかける。娘の変わり果てた姿を目にしたアドリオの悲嘆で悲劇の幕が閉じられる。

[8] マドリード市の公文書館に保存されている文書(3-471-12)では、王立の劇場で上演が許可された作品が羅列された後、上演を拒絶された作品として『ソラーヤ』と『ウィティン』の名が挙げられているCadalso 1982, 32

[9] カルロス三世はスペイン王となるまで25年間(1734-59)ナポリ王であった。スペイン統治の初期、彼はナポリからともなってきた家臣を重用した。その代表がエスキラーチェであった。

[10] 暴動の後エスキラーチェの更迭にあわせて、無能の前任者ディエゴ・デ・ロハスも職を解かれ、アランダがその後任にあたった。

[11] 『ソラーヤ』の本文からの引用にあたっては、以下括弧の中に幕と行数を示す。

[12] 語源となったギリシア語、ラテン語同様に名詞としても使用される。ただしその記載が現れるのは1803年の版から(Real Academia Española 1803, 838)。

[13] 生起箇所は以下の通り:1138行、151行、204行、224行、229行、2636行、3975行、994行、41030行、1130行、51687行、1696行、1707行。

[14] 伝令から戻った臣下は主君の計らいを「王たるに相応しい振舞い」(2393)と呼んでいる。

[15] 1幕でセリンの殺害を画策する息子たちをアドリオは「彼は大使なのだ」(1100行)と諌めていた。そして結末でも「何はともあれ彼は王子だったのだ。聖なるものとして/尊敬の眼差しを以って見られるべきであったのだ」(51721-22行)と同じ考えを繰り返している。

[16] 女性の純潔に関する伝統とする意見もあるが(Hafter 1997, 441)、チェルケスとの間に結ばれた協定と考えることも出来る。

[17] 最終的にセリンを殺したのは、血気盛んなカシーロではなく冷静沈着なエラクリオであった(51585行のト書)。アルビアクはカシーロが先にセリンを傷つけたと考えているが、誤りである(Albiac 1996, 39)。

[18] 死を恐れず、高邁な態度を示すセリンを前にエラクリオは「何という威厳。その声、その確固たる態度は/我が怒りをとどめるものだ」(51561-62行)と述べているにもかかわらず、である。

[19] シーボルトは二人の恋人が舞台の上で、血を流して殺害される場面を観客の前で演ずることは、古典的演劇規則への違反だと述べている(Sebold 2004a, 245-46)。

[20] 足を運んだだけでなく、抽選にも参加したことはセリンに向けて発せられる、アドリオの次の言葉から分かる。

 

彼女の名が抽選で外れたということは

天も貴方の望みに逆らって、

ソラーヤを与えることを拒んだということが分からないのか。(2592-94行)

[21] 原文のparientes”は「親族」という意味と「配偶者」という意味がある。ソラーヤが連れて行かれる女たちを「愛の神の甘い囁きも、その厳しい仕打ちも/知らずにいる」(41042-43行)と形容していることから、まだ恋を知らぬ年若い娘たちであると考えられる。なお、この言葉の両義性はカダルソの『鬱夜』においても重要な役割を担っている(Tomita 2003, 151)。

[22] 同時に18世紀末の演劇において、王は神からより人間に近いものとして表象されるようになるCaldera 2002, 200)。これら二つの運動の先には、国民への主権の移動がある。同じ場所にネイションの問題も現れるはずである。


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