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2008年10月

Where has gone the perfect blue sky...

Catedral 青空はどこかへ行ってしまいました。

この二日ほどひどい天気で、風と強い雨、時折は雹に見舞われています。僕はといえばすっかり風邪をひいて、喉が痛い。これはほっておくしかないけれど、そのような折にちまちまと料理をして食べるとじわっと幸せになります。

写真はオビエドのカテドラル。いびつな、アンバランスな感じを受けますが、建築というものが人一人の人生よりもずっと長い時間をかけて、コツコツと構築されていったことがよく分かります。

詳しくは知らないので推測だけで物を言いますが、右端のブロック、奥に小さな塔がある部分が一番古いんじゃないかなあ。正面に見える三つの入り口もそれぞれ大きさ、高さが違うので異なる時代に出来たものでしょうが、その時代ごとにメインとなるものや(尖塔か薔薇窓か)スタイルが変わったということなのでしょうか。詳しい人が見れば分かるのかもしれません。

今日はセルバンテスに関する講演があるようなので、足を運んでみるつもりです。告知しても意味はないかもしれませんが、とにかく。

       Jesús G. Maestro (Universidad de Vigo)
        "Cervantes contra la teoría literaria posmoderna"
        30 de octubre, jueves,  12 h.
        aula D 24 (edificio departamental)

美しい青空を早く返してください。

One afternoon, I stare the sky as the reflection of the world

Blue so blue and transparent as your dream

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アストゥリアスから

扉を開けて外に出ると雹が降っている。それが冷たい風に吹かれ雨になり、僕はといえばトランクを引きながら、傘を風に立ててバス停まで歩いていく。

ご無沙汰しています。お変わりありませんか。

スペイン到着三日目にして住むべきところを決め、四日目の今日引越しです。引越しと言っても、荷物はスーツケースとリュックサックだけです。

家探しの話、当初は大変で、けれども実に面白かったので長々と書きたいこともありますが、まあそれはいつか、どこかで。

出発に際して、こんなに天気が悪いのは何故だろう。今回のスペイン行きに際して、袖を通したシャツのボタンが取れかかっていたり(出発前に自分で裁縫して来ました)、住居探しが到着一日目の夜にして殆ど全滅だったり、そしてこの天気。

そう、天気の話。

「いや、晴れてくるんじゃない?」と宗太郎は言った。「何で2人で久しぶりに会って、天気の話してるんだろうね。」(吉本ばなな『キッチン』)

僕は今スペインのアストゥリアス地方にいます。とても雨が多く、お店の入り口には傘立てがあります。一日に何度も天気が変わり、雨が断続的に、しかも激しく降るので傘を手放せません。街を行く人も殆どの人が傘を持って歩いています。

僕のいる町にある大学は、18世紀に関する資料を随分取り揃えています。とりわけ、18世紀スペインを代表する思想家、著述家であるフェイホーの故郷であり、ホベリャーノスの生地が近いこともあって、20世紀前半より、つまり極めて早い段階でスペイン国内において18世紀研究が進んでいた地域です。

ここにあるコレクションを拝見させていただくのが今回の滞在の目的です。

Parque_de_invierno さて、アストゥリアスは風光明媚な土地です。僕はスペインのステレオタイプのような風景(例えば一面向日葵畑とか)、あるいは98年代の知識人、文人達がイメージした祖国の風景(赤茶けた荒野が広がっているような)よりも、緑の多い景色が好きなので、アストゥリアスに入ったとたん怒涛の緑が目に飛び込んでくるとそれだけで嬉しくなります。

風が強く、雨も多い。けれど、大変美しい土地です。

さて、新しい家は実際に訪ねた三つの候補の中から選びました。僕がしばらく暮らすこの家は・・・。

1)大学に近い。
2)暖房、エレベーターあり。
3)新築。
4)インターネット(無線LAN)が使用できる。
5)部屋が綺麗で広い。

という申し分ない条件です。アストゥリアスへお越しの折は是非、遊びに来てください。

傘は忘れずにね。

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Buda_blanco_2 ところで、朝方街を歩いていたら、本屋さんで発見しました。 辻仁成さんの小説『白仏』のスペイン語版。フランス語訳からの重訳になるのですが、スペイン語に移すにあたり、僕が内容のチェックをしています(注意:翻訳はちゃんとした翻訳家の方がされています)。

Tsuji, Hitonari. El Buda blanco. Madrid: Alianza, 2008.

Bbf01フランス語版に見られた誤りを数百箇所にわたって修正すると共に、欠落していた箇所(作中に機関銃の構造の描写があるのですが、そこなど一段落すべて無くなっていました)を新たに付け加えてあります。

フランス語では文庫にもなっているようです。

現在ヨーロッパで出ている翻訳の中で一番いいものになればいいな、と思って作業しました。

皆さんは日本語で読めるかもしれませんが、もしスペイン語を勉強されている方でしたら、是非内容を比較しながら読んで下さい。なるほど、翻訳に際してこんな工夫が凝らされているのか、と感じることが出来ます(フランス語訳も良く出来た訳なのです。スペイン語版のほうが良いと僕は信じたいですが) 。

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せんちゃん

 夢の中の話。せんちゃんという女の子に会った。場所はよく分からないが、多分どこかの飲み屋で、一緒にいた人達はそれぞれ別の場所での知り合いだったり、仕事上のつながりのある人だったりして、正直に言えば僕自身、その場で浮いた存在だった。せんちゃんは僕よりも年下で、夢の中の僕も今よりもう少し若かった気がする。あくまで印象なのだけれど。何故だか、紐で結わえられた本の山を外へ運び出す作業をしていて、僕達は一緒にその仕事をしている。
 それから少し場面が変わって、多分その本の山は捨てられるものだったので、僕は貰って帰ることにする。せんちゃんがそれを手伝ってくれたのだと思うけれど、自転車のかごにそれを入れて、坂道をゆっくり歩いていった。せんちゃんは獣医か、あるいは動物園での仕事をしたいと考えているようだ。動物病院での研修のようなことをしていて、そのほかに早朝に喫茶店でアルバイトをしているというようなことだった。せんちゃんの下宿はおじいさんが一人住んでいて、二階をせんちゃんに貸している、というようなものだった気がする。けれど、本当は血縁なのかもしれない。
 ふたたび場面が変わって、もうせんちゃんの姿はない。大勢で集合写真を撮ったりしている様子から、なにかの卒業式のようだった。知っている人も知らない人も沢山いた。僕はせんちゃんのことを周囲の人に尋ねるが、誰も要領を得ない。ここで夢が終わる。
 実はこの夢の途中で、僕は一度起きている。最初の段落と二番目の段落の間に目を覚ました。時計は朝の4時半ごろで、部屋の中は寒かった。僕はセーターを着込んで、再びベッドにもぐる。すぐに眠りにつけないのは分かっていた。僕はせんちゃんに心当たりが無かった。その時点で顔は鮮明に思い出せるのだが、どこで会った人なのか、誰なのか。再び眠りに落ちると、僕はせんちゃんに会った。
 せんちゃんは僕の幼馴染なのかもしれないが、僕達はお互いのことをあまり良く知らない。だからこそ、彼女の仕事(動物病院やアルバイト)の話をしたのであるし、せんちゃんももしかすると僕に何かを尋ねたのかもしれない。一旦目が覚めてからの夢は、ある程度意識を保った僕の創作である可能性が高い。夢の中で、とりわけ眠りが浅い時に、そういうことが起こる気がする。ああ、これは夢なんだという意識を持っているような時だ。だから、二度目に現れたせんちゃんはもう本当のせんちゃんではないのかもしれない。ディテールが多いのも多分そのためだろう。
 夢を暗示ととらえるつもりは無い。ただ、そこに意味があるとすれば、それを知りたい。せんちゃんは本当に僕の知らない人だったのか。せんちゃんという名前をまとって、別の人が僕の夢に出て来ただけなのかも知れない。せんちゃんは小さくてよく笑った。僕もよく笑った。きっと今の僕ではなくて、十年位前の自分だと思うのはそのせいだろう。せんちゃんは僕に何を伝えたかったのか、それを聞いてあげられなかったことがぼんやりと悔しい。夢は目が覚めてから急速に鮮明さを失って、僕はもうせんちゃんの顔を思い出すことも出来ない。それでも、君に会えてよかったよ、せんちゃん。

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CDG

Cdg  人気が無い朝の空港の出発ロビーで、巨大なガラス越しにまだ闇の空を見上げながら、僕は良く分からない言語で書かれた新聞を読んでいる。夜間飛行は時間を有効に使えると思って選んだのだけれど、飛行機の待ち時間はいつも僕にとって手持ち無沙汰となるのだ。本を持って歩いても、実際にそれを読むというよりは、時折視線を落としまた遠い別のことを考えるための契機でしかない。
 目的地には夕刻に着いた。まだ日は高く、宿の部屋でシャワーを浴び、荷を少し解いて僕は明日からひどい肩こりに悩まされるであろうことを覚悟する。時計の針を頭の中で進めて、自分が後にしてきた国の人々の暮らしを想像してみたりさえする。要するに、僕は疲弊した体とそれほどでもない頭脳の間で引き裂かれている。
 この国の時間で大体夜の九時半くらい。もう今日することも、出来ることもない。時間を飛び越えて長い二日間を過ごした自分をいたわってやるくらいしか思いつかない。
 記憶と思考はそういうときに限って疾走する。僕の過去から思い出したくも無い経験を引き出し、斬新な解釈を加えては、今まで一人の人格として確固として存在してきたという錯覚の中にいる僕の土台を、覆すようなことがある。
 スペインのステレオタイプに相応しい赤茶けた、時に黄色がかった土の色が、バスのフロントガラスというスクリーンに雄大に引き裂かれていく。まばらに緑が目に優しいが、そのほかは高圧電線のリレーを続ける巨大な鉄塔の巨人の姿が幹線道路に平行して現れるのを眺める。それはヴァイオリンの弦を支える駒の様に、孤独で壮大な印象を与える。いつからそこに立ち、いつまでそこに立つのか。
 久しぶりに訪れた街は、地図を見ながら出なくても歩けることが嬉しい。耳に憶えのある通りをたどり、横切り、乾いた冬の到来が近いことを知らせる秋の空気の冷たさと、甘さを含んだ煙草の煙が漂っている。
 夜が近づくと街の中で僕は寄る辺無い気持ちになる。一日以上を一日として移動に費やした足は、悲鳴を上げている。片方の足が満足に動かず、それがもう一本の負担になる。闇の中で信号機の点滅を目にして、走り出すことが出来ない。
 街の名はオビエド。スペイン皇太子に由来する文化勲章の授与が行われた日で、街は熱気に包まれていた。僕は最後の力を振り絞って歩き、部屋に戻って眠った。明かりは消さずに眠った。

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ほんの自慢

蔵書家でもなんでもない僕、同じ作品を何度も何度も繰り返し読むことの方が性にあっている。そんな僕が大切にしている本で、カダルソ関係のものをほんのすこし紹介させていただきましょう。

Cadalso01 これはですね、僕が生涯最初に手に取ったカダルソの本。カテドラというコレクションの78番。僕は78年生まれ。運命を感じます。

カテドラの78番に同じ作品(『モロッコ人の手紙』、『鬱夜』)がホアキン・アルセという人の校訂版で以前入っていたのですが、彼が物故したためシーボルトの新版が出た。

アルセのエディションはあまりいいところが無かったのだけれど、僕は実は最初アルセのエディションを買おうと思ったのです。二つあると知らなかったし、場所によっては両方流通している時代(2000年)だったし。

で、一件目の本屋さんでアルセの版があったのを手に取ると表紙が少し破れていました。あら、困ったわね、と思って別の本屋に行くとこのバルデス・レアルの「瞬きする間に」という恐ろしい装丁のものを見つけ、既にその時からカダルソに関する書誌学的な冒険は端緒についていたといえるのかもしれません(アルセのも勿論持ってます)。

Cadalso02 この本は既にシーボルトが別の場所で用意していたエディションを踏まえているものの、彼はカテドラに入れるにあたって細心の注意を払ったと思われ、大変精緻な仕上がりのテクスト・クリティックです。

2000年はカダルソの当たり年で、別の出版社からも二つ、しかもそれぞれに良く出来たエディションが出ています。

なお、僕がスペインにいた2001年、彼にお会いした時に頂いたサインが入っていますね。

僕がカダルソについて考える時に、常に立ち返る大切な一冊です。この本も保存用ではなくて、かなり沢山書き込みをした挙句サインを貰ったのですが、それが良かったと思っています。今では5冊くらい同じものを持っています。スペインにお越しのときは是非買ってください。カテドラ、78番。2冊でも、3冊でも。

Cadalso03 もうひとつ、カダルソ関係では1885年にバルセロナででたスペインの作家の選集です。クロス装のような、皮のような良く分からない感じですが、程よく保存されている綺麗な品。

テキスト自体を参照するために使うことはありませんが、表紙の美しさはなかなか目を見張るものがあります。横から見たところもなかなか清冽な印象を与えますね。Cadalso04赤いなあ。

このシリーズは色々な作家が入っているので、好きな作家の奴を見つけたら是非買ってください。

このほかに、研究の文献表に一切出てこないプライベートエディション的な奇妙なものも持っていて、それはそれぞれのページに付された唐草模様の装飾が1ページごとにすべて違う意匠という、大変面白いものを持っています(古いものではありません)。挿絵が魅力的で、絵本のようでもありますが、誰も言及していないので、いつかご紹介しましょう。余りに謎なので5年ほど前、出版社に日本から電話したところ、すでに引っ越して(倒産して?)、一般のご家庭でした。気になるなあ。

大切なことは殆どカダルソとの関わりの中で教わった気がするのです。

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既に書きましたが、明日よりスペインに少し行ってきます。今回の目的は「何があるか分からないコレクションを見に行く」というもので、資料収集に近いですが、その資料が何ものであるかは当の僕にも分かりません。

僕は18世紀研究を標榜しながら、18世紀の作品がどんなものがあるのか殆ど知らないのです。もちろん、今日でも出版されるものは知っていますが、されないもので、どういうものが読まれたか、あるいは売れたか、そういう同時代的な実勢みたいなものがとんと分からないのです。例えば、今日評価されていて、校訂版も出版されている作品が当時はまだ発表されていなかったり、検閲にあって禁止されていたりということもあります。また、ジャーナリスティックな興味として、字の読める層がどういうことに関心があったのか、ということは21世紀の僕達には分かりづらい。

まあ、これは誰も教えてくれない情報なので、自分で精査しないと分からないと思いました。作品研究や作家研究から少し距離を置いて集合(スペインという国単位)的な思想動向の最大公約数みたいなものを議論の俎上に上げる際に、どうしても準拠するコーパスに不足があるので、それをマッピングするのが今回の(年末までの)主たる目的です。読むというよりは、「飛ばし読み(スキャン)」をしにいく感じ。何があるかは本当のところ分からないのですが、状況に応じて仕事量は変わると思います。

行ってきます。皆様もどうぞ健やかにお過ごしください。

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翻訳:ホセ・デ・カダルソ 『ソラーヤ、あるいはチェルケス人達』

この夏、ホセ・デ・カダルソという作家の戯曲を繰り返し読んでいました。

カダルソは生涯に三編の悲劇を書いたようなのですが、今日僕達が知ることの出来るのは二つの作品だけです。一つは実際の舞台で上演されましたが、もう一つは検閲によって上演を許可されませんでした。後者が『ソラーヤ、あるいはチェルケス人達』という作品です。

この作品は長らく散逸したものとされてきたのですが、30年ほど前にある研究者の方が大学図書館の整理されていない資料の中から発掘されました。作家没後200年を前に(カダルソは1782年没。)幸運な発見でした。

とはいえ、以後積極的に研究の対象とされてきたかというと、そうでもなかったといえます。これは『ソラーヤ』発見以前から、カダルソの戯曲作家としての評価が低かったためです。けれど、その低い評価を与えたのは18世紀末から19世紀初頭の人たちであって、その世代には1770年代の啓蒙思想を代表する作家への反感がありました。なので、これだけを以って正当な評価は出来ないというのが僕の意見です。だれかがつまらない作品だといって、それを鵜呑みにしてはいけないと感じていました。それが、この夏に『ソラーヤ』を読んでいた理由です。

誰も知らない作品を読んで、論文を書いても、どうしても議論に我田引水めいたところが生じ、自分としても説明責任を果たすことが出来ずにいると思います。また、個人的に僕が18世紀研究をする上で、多くのものをカダルソに関わる研究から得ているので、いずれカダルソのすべての作品は、僕の手で日本語にしたいと思っていました。まずはその第一歩として、ここに『ソラーヤ、あるいはチェルケス人達』の翻訳をあげておきたいと思います。

詳細な紹介は出来ませんが、発見された原稿は本人の自筆原稿ではなく、二人の筆耕によるものです。そのため、幕によって場割りがされているものとされていないものがあり、どこまでカダルソのオリジナルに忠実かということは、たった一つのテクストでは知ることが出来ません。それでも、ト書の少なさなどというカダルソらしさを考慮すると、かなりカダルソに親しい人が、カダルソの自筆原稿を友人間で回し読みしたものを写させたとも考えられます。

演劇としては五幕ものの悲劇、全編韻文で綴られています。当時の典型的な新古典演劇といってよいでしょう。けれども、舞台が遠く離れた異国、恐らく今日でも殆どの人が知らないであろうチェルケスという国で起こる物語。異国趣味、オリエンタリズムと説明することも出来るでしょうが、かなり特異であることを僕は積極的に認めたい。

稚拙な訳文ではありますが、お時間のあるときにご高覧いただければ幸いです。ご意見、誤字脱字誤訳等のご指摘をいただければ、ありがたいです。間違いについては自分では気づかないことが多いので、ご教示いただいたものを反映させていただきます。

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『ソラーヤ』第一幕

『ソラーヤ』第二幕

『ソラーヤ』第三幕

『ソラーヤ』第四幕

『ソラーヤ』第五幕

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神無月、ちらほら

Myouga 子供時代にはあまり好きでなかったのに、大人になって好きになったものがあって、例えば茗荷(みょうが)。

先日先生のお宅へ伺った折、お土産に頂きました。お会いする前日、先生が講演のため冨山へ入った時、一面に茗荷のなっているところがあって、摘んできたそうです。

この茗荷、スーパーなどで売られているものの2倍くらいの大きさがありました。

趣味嗜好は大人になって変わる事もあるけれど、僕はたとえば人の中での役割というのは案外変わらないのだなあ、と思っています。自分が負っているのか、あるいは負わされているのか、そういうものから逸脱するためには環境なり、主義なりを劇的に変化させることも必要かもしれないね。

同じ場所に二年いないというのが僕の理想なのだけれど、なかなか。今年12月の誕生日はアムステルダムで飛行機を乗り換えている予定です。トランジットを常態に生きるなんて、無理なのか。やってみないと分からないんじゃないかな。

そのトランジットは帰りの飛行機の話で、今は目下スーツケースを広げてパッキングの最中。冬のヨーロッパは大好きですが、いかんせん衣類が多くなってしまう。コートは自分で着て行こうと思います。

出発に際して浮き足立っているのではないけれど、色々なことがトントンとやってくる。向うべき場所へ足を向けるのではなく、気がつくとそこにたどり着いていた、というのが正直なところなのだ。ドイツの友人から連絡があり、兄から手紙が届き、アフリカの友人とチャットでやり取り。

時間が、足りない。焦燥ではなく、そう思う。

行きの飛行機の中で読む本を決めました。

Arthur O. Lovejoy. The Great Chain of Being. Cambridge: Harvard University Press, 1936.

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浮沈

景気の悪い話で恐縮なのだが、夏に書いて投稿した論文が不採用となりました。応援してくださった方、ありがとうございました。

結構頑張って書いたので残念ですが、査読の任にあたってくださった方のコメントなどを参考に、また改めて提出するつもりです。

景気の良い話でもないのだけれど、今日新しい差し歯を入れました。入れた瞬間先生が「すごい!」と口走ったほど良い出来なので、もう本当の歯と見分けがつきません。技工士と先生に感謝です。

歯に不安を抱えたまま外国へ行くのは嫌だったのですが、これで安心。

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僕はもういないけれど、こちらのイベントポスターが秀逸です。

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京成電車に乗ってきた。

高校時代の先生にお会いするため、かつて通っていた学校の近所まで行きました。

Keisei

京成電車はクリーム色の車体。ローカルな風情いっぱいの車両でした。電車の中に鏡がついていたりするのが、いいなあ。

僕は高校に二年しか通っていないのですが、それでも近所まで来るとなかなか懐かしい。

先生もお変わりなく(僕たちの卒業と同時に定年でした)、かといって僕もあまり変わりなく。 ユーモアたっぷりの先生でした。

Shinmatsudo学校の最寄の駅はこんな感じ。

少しは変化しているのかもしれないけれど、まあこんな感じでした。

日の高いうちから、早々と帰る僕がいつも見ていた景色がこれ。また、振り返ると畑が広がっていて、まあとにかく田舎です。

 

Shinmatsudo02

都会に学校があるの、僕はあんまり羨ましくない。

高校までは、この駅から15分くらい歩いて、小さな川を越える橋を渡って、流山鉄道というマニアックな電車の踏切を越えて、変なトンネルもくぐって、でも毎朝大抵遅刻して。

遅刻すると、同じように遅刻する友達と途中のコンビニで顔を合わせて。16歳、17歳を過ごした高校時代は、恋と音楽しかなかった。

それでも、この時代に今ある僕の多くを負っていると思うのです。

それから、少し足を伸ばして、僕が乗り換えていた駅にも行ってみた。懐かしい。十代の僕が、この街で友達と楽器屋さんやCDショップを覗いて、ギターを抱えてスタジオに入って、そんな景色が見える。

もう、足を運ぶことは殆どない場所だけれど、記憶の中には確かにありました。

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さて、突然ですが一週間後にスペインへ参ります。先生にご挨拶に伺ったのはそんなこともあって。出発までに色々な人に会って話をしようと思っているのでした。年末までの短い滞在ではありますが、しばらくこの日記も更新されなくなる可能性があります。

ずっと同じ記事が上がっているかもしれませんが、気長にお待ちください。

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摩天楼の幻想に寄せて

Royal_scam30歳になったら聴きます。

過日書いたのだが、我慢できず聴いてしまいました。『幻想の摩天楼』と呼ばれるスティーリー・ダンのRoyal Scam

この二人に、いや「プロジェクト・スティーリー・ダン」全員にノーベル賞を上げたくなってしまう。

バンドとしての体を為していないなどという非難から、次第にその音楽性の高さだけが評価されるようになって、これではもうインターネット時代の匿名性の中で時折作品を発表する天才と変わるところがない。

けれどこのアルバムの時点で1976年。僕はまだ生まれていない。

時代的な趨勢もあると思うのですが、ファンク、ソウルミュージックの消化・昇華が見事。どんな音楽でもかっこよく仕立てられる。案外メロディは普通と言ったら悪いが、絶妙なバランスで鳴らす平衡感覚。それと、リズム隊が非常にタイトでかっこいい。

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秋冬の様態(モード)

C571 ファッションではなく様態としてのモードですが、秋冬は僕にとって懐かしい人と会ったり、手紙を書いたりという、もっとも楽しい季節。

頻繁に逢う人達は必要があって会うことも多いので(仕事とか学校とか)ここには含めません。むしろ、会いたいなー、どうしているかなー、と思っていると連絡をもらえたりする。そういう人たちとの交流。

手紙を書くときに僕は何度も下書きをするのだけれど、書きながらこれも書きたいな、あれも知らせたいなということがいっぱい出てきて、じゃあやっぱり会わなくては、と心が動く。

いらない紙の裏側にボールペンやら鉛筆やらで下書きをして、最後は便箋に万年筆でサキサキ書いていきます。余白をどれくらい取るかということを気にして書きます。改行位置や折り返しまで含めると、案外人はレイアウトを大切に生きているのだと感じられます。これは意味内容じゃなくて、交話機能に近いのでしょう。

そう。出来事を伝えるために手紙を書くんじゃなくて、僕の語り口を、喋り方を紙に移す感じ。

それから、僕は記念切手を貼って出すのが好きなので、郵便局で素敵な切手があると買って帰るようにしています。

貰う方も送る方もどっちも嬉しい。

ポストまで歩いて行ってコトンと投函して帰ってくる。

帰ってきたらちょうどその人から手紙が届いていたりすると、「やぎさんゆうびん」みたいで非常に不効率なのだけれど、そこがいいんだと思う。

 

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「マーケットに身を置きたい」

マーケットは一時1000円を越える下げを見せました。すごいですね。僕も少しマーケットボードを眺めていました。

既に大きな資産を持っている人たちと外国人投資家の投売りが顕著だった一方で、やはり冷静に買っている人も勿論いたわけで、余力がある人が羨ましい。

それと、各国通貨に対して円が大きく円高にふれています。今から海外の人はラッキー。外貨預金を考えている人もチャンスと見てよいでしょう。株式も前年の6、7月くらいの18000円台からずるずると下げて遂に半額以下になってしまい、主要な指標も想像を絶するお買い得感を示しているのだけれど、今買えというのは恐いというのも良く分かります。投資はマスと逆行すると良いと僕は思っているのですが、この怒涛の売り勢力目を見張るものがあります。

ここ5年くらいの内で「貯蓄から投資へ」ということが広く言われてきたのだけれど、株価が暴落した時には「自己責任ですから」というのはかなり無責任な言い分ですね。政府も証券会社も反省の余地はあるでしょう。

実は貯蓄も投資だというのが僕の意見。リスクの高低がリターン期待値に連結しているので、株を買うことだけが投資じゃない。そんな当たり前のことをないがしろにしてきた気がします。

分散投資ということは投資家が口をすっぱくして言うことですが、普通に銀行預金をしている人だってちゃんとそれをしているわけです。日本は1000万円までの預金保護がありますから、それを意識しながら預けることもそうだし、もっと単純に幾つかの銀行にお金を分けて置くということは、金融リスクだけじゃなくて「財布を落としてもA銀行のカードだけ差し止めれば良い」という具体的なリスクまで回避出来ている。

結構普通に出来ていることなんです。

今回のような暴落を織り込んでいた人はいません。予想していたという人は今だから言っているだけです。でも、暴落が起こった時に安全な資産を持っていた人はリスク管理が大変上手に出来ていたということ。だから、今回の株安が「なんでテレビどこつけてもこのニュースやってるんだろう?」という人は、かなりよい投資をしています。

なぜこんなに話題になっているんだろう?という関心から株式や投資信託への関心が生まれてくると素敵だと思います。

G7の動向よりも、自分達の国の経済を信じられる国が一番最初に回復するように思います。株式保有(share)ってそういうことだよ。

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ありがとう・さようなら

福田和禾子(わかこ)さんが10月5日、お亡くなりになりました。

福田さんはNHKの『みんなのうた』や『おかあさんといっしょ』で歌われている多くの楽曲を作曲、編曲された方です。

常々、僕はこどもの歌ほど難しいものはないと考えています。こどもは(少なくとも音楽的には)世界にむき出しの無垢な存在なので、どのような音楽に触れ、育っていくかということがそれ以降の音楽の趣向に大きな影響を与えます。

音楽は言葉ではないので、直接的にメッセージを伝えることは出来ない、抽象的な表現芸術と考えられるかもしれませんが、ある音の連なりが愉快だったり悲しかったり、元気になったり、心を落ち着かせたり、そのような効果を持っているのは、言葉以上に雄弁であると僕は思います。

こどもの音楽はその、音楽のちからを最大限に引き出してこども達に伝えるための器です。大人の論理で作られた音楽ではこどもを感動させることは出来ない。

それは理論やモードを離れた作曲をすればよいというものではありません。むしろその反対で、しっかりと裏づけのある作曲が必要とされる。音楽は人類始まって以来の蓄積に基づいて構成されている芸術なので、例えば僕たちでも今の時点ではある音階を7音、12音に分けたり、ある音階を聞くと沖縄っぽかったり、雅楽風だったり、ブルースに聞こえたり、フラメンコだったりという違いを感じ取れるようになります。味覚を引き合いに出すと分かりやすいかもしれません。

その音楽の広大な世界を、はっきりとそれと分かる形でこども達に伝えることは、人類全体に奉仕する仕事といってもいいはずです。

たとえば、今僕が書いているような醜悪な文章によってではなく、もっと直感的にそれを理解体得させるというのは、知識と蓄積と、技法と発想と、こどもの目線と耳が必要とされる仕事です(例:タンゴを言葉で説明するのは難しいけれど「赤鬼と青鬼のタンゴ」を聞けばストンと理解されてしまう)。

どれほどたくさんのことを教えられたかわかりません。

大人になっても鳴り止まないメロディがあります。

今口にするお別れの言葉も、あなたの書いた素晴らしい音楽にほかならない。

「ありがとう・さようなら」

心からご冥福をお祈り申し上げます。

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昨日の夜からずっと部屋に一人きりで
君の事ばかり考えている
取りとめもない言葉や名前や指先を
心に描いて時計を見たら今日だった

ああ めぐり逢う人の数も
窓越しに見える星の数も
数え切れない世界で
出逢ってしまえば仕方ない

そして 朝に零れるインディゴの
死にたくなるほどの空の青さ
君が目を覚ます頃まで
僕は起きているよ

風が遠く君の街の空へ
言い出せずにいる思いを添えて
柔らかく吹きすぎるように
この調べも旅に出る

そして 朝に零れるインディゴの
死にたくなるほどの空の青さ

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今年の2月に書いた曲。この頃はたくさん曲が出来た。

なかなか録音もできず、譜面にも起こせずにいて、未だに出来ていないという。ノートの隅っこには、演奏に当たって次の編成を指定しています。

フルート、アコースティックギター、チェロ、エレキギター
エレピ、歌、ドラム、ベース

ボサノヴァをよく聴いていた頃なのだけれど、編成についてもそういう趣向が現れている。普段の僕ならフルートは多分使わないと思うのです。そも、こんなにたくさんのパートを必要とすることは珍しい。

とはいえ、半年以上ほったらかしていて、きっとこれはまだ自分の中で熟していないのだな、と思います。さしあたり、こういうイメージで、というものを残しておきましょう。お座敷録音で。(もっと丁寧に歌いたいのだけれど、)歌とギターを一緒にとるので、どちらも中途半端になってしまいますが、仕方ない。

タイトルは多くの方が取り上げる、スティーリー・ダンの名盤『Aja―彩』を意識していることもありますが、僕の最もよく使う単語の一つ、「色彩」からも。

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no sugar tonight

no sugar tonight (a piece of cake)
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夜は自由な暗闇とその両手で心を包む
世界は二分されて不可解に満ちた双子の星のようだ
カーテン越しに夜毎やってくる気の狂いそうな不安は
手に入らないものを僕に呼び起こす

電話一つで救われるなんて
案外僕も普通ねと、安心しているけれど

時計が進む no sugar tonight
もう何もいらない
もしも君がもっと僕に優しい女の子だったならね
もっと素直に伝えられたら楽になることもあるだろう
今眠りの底で悪い夢を見てないかと心配してあげる
もし僕の人生を幾つかの部分に分けられるならば
一番良いところを君にあげましょう

赤い花のように風のようにひどく傷つけたあなたに
皿に分けた僕の時間をケーキのように差し出す

体一つで会いに来てくれたらそれだけでいいのに
話せることは僕に何もない

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スチール弦のギターで弾きたいのだけれどクローゼットの奥にあるので、差し当たり手近にあるガット弦のもので弾いてみます。冒頭サーっとノイズが入っているのは気にしないでください。次第に気にならなくなります(人間の耳はすごいなあ)。

2002年の8月に書いた曲。なんと6年も前。僕の大学生活(大阪)最後の夏です。

"no sugar tonight"というタイトルは、ちょうどその頃びっくりするくらい甘い無花果のタルトをいただいたから。もうね、甘い、甘い、コーヒーとか砂糖いらない(普段から入れないけれど)。

その他の解釈はおまかせです。

あの店、まだあるのかな。

大阪で過ごした期間はおよそ6年(うち1年はスペインにいたけれど)。それから一度戻ったきり。けれど、どこへ足を運んでも若き日の自分の亡霊を目にするようで、そのたびに音楽は途切れることなく耳元に帰ってくるのでしょう。

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歩道橋

Palomas 整列乗車にご協力ください。と言わんばかり。

この歩道橋は写真にあるように複数の線路の上に架かっていて、どの線路にもほとんど常に電 車がやってくるために、下の踏み切りはほとんど閉まっている。

恒常的にカン、カンと響く踏切の音を、鳩は今日も並んで聴いている。

太宰治も書いていることだけれど、歩道橋というのは利便性のためではなく、ただ上がったり降りたりするのが愉快だから設置されていると思っていました。自転車の人や高齢の人など、不便極まりないだろうけれど。

今でも、初めて訪れる場所の歩道橋には必ず登ります。

歩道橋を架けるには交通上の理由があるはずで、それが第一義なのだが、僕としては出来上がった後はじめて、歩道橋の上からの景色が見られるところが好きだ。取り立てて言うこともない景色が多いが、時に意表をついて面白い効果を上げている所も少なくない。

この歩道橋は階段を登っていくと鳩と目が合うのが面白い。

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手帳二冊

Diary このページをご覧いただいている方にとってはもうくり返しになりますが、僕は手帳人間です。手帳がないと落ち着かないし、人と話をしていて手帳を繰る事も多くあります。今年も手帳の買い替えの季節です。
 手帳というのは忙しい人や、スケジュール管理が必要な人が使うものだと子供の頃は思っていました。けれど今では、予定のあるなしに関わらず、忙しさに関わらず、手帳が必需品です。
 単に時間軸上に自分のスケジュールを埋めていくものではなくて、ふと気がついたことを書き留めたり、アイディアを蓄積したり、落ち葉を挟んだり。僕にとっては綿密なスケジュール管理よりも、メモをする欄や、絵を描いたりするスペースがあるものが相応しい。読んだ本、買う本、図書館で探す本のメモなどや、気に入った新聞の記事、美しい使用済み切手など、糊を使って貼っていきます。
 今年より高橋書店のT's Beauという手帳に切り替えました。それ以前はDelfonicsのものを愛用していたのですが、僕の好きなレイアウトのものがリフィル以外発売されなくなったためです。手帳というのは、気に入ったらずっとそのメーカーのものを使う気がします。毎年違うものを選ぶという方もあるだろうけれど。だから、メーカーは既存愛用者の気持ちを考えて作って欲しいな、と思う。
Diaries  さて、来年の手帳はオレンジにしました。高橋書店のものは案外ポップな彩色が多くて、持っているだけで元気が出そうです。オレンジにしたのは自分の持ち物にこの鮮やかな色がないなあ、と思ったから。電子手帳のケースと並べた時にも、よいバランスを保てるよう配慮しました。
 それから、月曜日始まりだった週の予定を日曜日始まりに変更。仕事をしていたころは月曜日始まりの方が便利だと感じていましたが、カレンダーも日曜日始まりなのだから、そちらに合わせようと思ったのです。
 手帳は肌身離さず365日使います。だから何年か前のものも捨てずにきちんと取ってあります。日記とは別に、その頃何をしていたか、考えていたかを思い出させる縁になったり、研究上結構大事な引用などをメモしていたりするので、古いものを取り出してめくることがよくあるのです。
 新しい手帳は10月の終りくらいから始まっていますが、基本的には12月まで今年の黄色い方をしっかり使います。年末年始の予定などは面倒ですが両方に書き込んでおきます。
 一年が終わった時、どんな思いで振り返るか。新しい年の始まりをどんな気持ちで迎えるか。楽しみです。

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大食の賦

学生食堂に縁がない。学部生時代はまだしも、その後大学の食堂に足を運ぶこと極めてまれで、年に一度行くか、行かないかである。

以前、よその大学に所用があって赴くと学食や生協の書籍部[本屋]の様子などを見るのが愉しみであったけれど、最近はそのような機会もない。スペインの大学の学食は、もはや学食ではなくて、きちんとしたレストラン然としている。日本の学食の雑然とした感じが、ある時期からあまり好きではなくなっていた。

さて、月が替わって神無月。今月はあまり大学に出向くこともない。そのため、学校近辺で僕の好きな食事どころなど幾つか足を運びたいと思っていたのだが、はたと足を止めたのが大学の学食であった。

「今年一度も入ってない。」

上に述べたように、全然愛を感じていないので、入る必要などなかったのだが、魔がさす。ついでに、この日は、理由あって多忙、しかもほとんどの用事を午前中に終えてしまわなければならなかった。そのため、あまり時間のかかる場所で食事[昼食だが、これも午前の内に終えて次の目的地へ行かなくてはならなかった]を取るわけにも行かなかったのである。実は渋谷周辺で行ってみたいと思う店があったのだが、駅から少し距離がある。いずれまた機会もあろう。

そんなわけで学食である。

Megaplate 入って一番最初に目に付いたメニュがメガプレート。

syggさんの「日本国総メガ化」は着実にその影響力を及ぼしていた。

厚生労働省の「第6次改定日本人の栄養所要量について」という報告を読めば、生活活動強度別の栄養所要量(カロリー)は29歳男子で2000から2950kCalである。生活活動強度というのは、どれくらい運動していますか、ということ。僕など走ったり跳んだりするわけではないから、「やや少ない」が関の山だろう。

このメガプレート(ハンバーグカレー、チキンカツ)、値段は600円で1700kCalくらいだったと記憶する。もう、この一皿で僕の一日分の栄養が充足する。というか、ちょっと多い。

こんなん食べたらアホだなー、と思ったら俄然食べてみたくなった。列に並んで注文をして、意外と普通に用意していただいた。ご飯をよそっている時点で、すでに多い。盛り付けてる時点でおなかいっぱい。でも「ご飯少なめでお願いします」って言えなかった。なんだか、言えなかった。

席について、目で見て既に「ごちそうさま」といいたくなる。そういえば僕はこういうハンバーグ好きじゃないんだよな。あと、いろいろ組み合わせたメニューも好きじゃないんだよな。

半分くらい食べて既におなかいっぱい。食べ終わって(そう、ちゃんと食べた)やっぱりおなかいっぱい。ああ、まだこれから用事が残っているのに(この日は夕食抜きでした)。

大食に自身のある方は東京大学駒場キャンパスへどうぞお越しください。

なお、よその大学にも同じコンセプトでメガプレートがあるようです(こっちの方がおいしそうだね)。

さらに次の日学校のそばにある食堂でとんかつを頼んだらスパゲティも載って来たよ。

もういい、正直。

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『死刑執行人サンソン』

Sanson 帯に荒木飛呂彦先生の絵があしらわれ、「この男こそ人類の究極の実話だ」の文字が躍る。

新しい本ではないのですが、最近大変面白く読んだ本。

安達正勝『死刑執行人サンソン―国王ルイ十六世の首を刎ねた男』集英社新書、2003年。

人々が様々な選択の自由を手にするのは案外最近のことで、大工の子は大工、パン屋の子はパン屋というように、職業もまた多くは世襲制であった。なるほど、文芸で身を起こすとか才能で出世を遂げるという人もあったには違いない。そして僕たちが目にすることのできる啓蒙思想家たちは多くの場合、そういったケースの人たちだ。だからといって、記録に残らなかった人たちもそうだったと考えるのはもちろん正しくない。社会は安定を志向する。社会を磐石にするのは内部で移動できないピラミッド型のヒエラルキである。

王も世襲。死刑執行人も世襲。前者は社会の頂点に、後者は社会の底辺に。

日本でも卑賤民差別というのがあるから、職業的あるいは身分的なものと人格を分離せずに人を差別すること自体は案外理解がしやすい。そして、多くの場合差別は社会を安定化させるのに大いに役に立っていたということも今日よく分かる。たとえば、クラスの中で起こるいじめも、反共や反イスラムの旗を掲げて戦うアメリカ合衆国も、それによって安定性を獲得していた(している)。集合の共有性を固着させる「敵」の存在は、「外部」に見出され、時折「内部」から生み出される。内側のアウトサイダーだ。

人をあやめたり、盗みを働いたりした人間を罰する処刑人もまた、社会から差別化されるのは、同胞を殺すというその震撼すべき事実への拒否感からだが、では刑罰をなくせ、処刑を執行しなくてもよいようにせよ、という風にはならない。罪と罰のペアを作動させる残酷な機械の中に捕らわれた死刑執行人の一族は、必要悪として蔑まれながら畏怖される。

処刑人の身分が国家公務員であり、それなりに財産を有していたということ。これが庶民の妬みも誘発しただろう。そうした社会の圧力に抗するために、処刑人が優れた教育、行儀作法を身に付け、よき人格の陶冶に努めたというのは、それだけで感動的な事実なのである。残っている手紙の筆跡が華麗であることに驚いた。

18世紀にはイタリアのチェーザレ・ベッカリアが『罪と罰について』という本を著しており、また折から監獄、刑務所[多くの場合精神病院や貧民院と隣接していた]における境遇の告発が相次ぎ、知識人の間には刑罰や収容における残酷を軽減するべきという主張が増している。僕の知る範囲ではカダルソの『鬱夜』の中で主人公テディアトが濡れ衣を着せられて連行された牢屋でのひどい体験や、ホベリャーノスの戯曲『誉れ高き科人』にも批判が見出される。

本書は六代続いたムッシュー・ド・パリ(パリの主人、パリの死刑執行人の意味)の家系サンソン家の歴史を、とくに四代目シャルル・アンリ・サンソンに焦点を当て、社会や文化への目配せもよく象徴的な歴史的事件を取り上げ、また読み物としても面白く書かれている。歴史書というよりは評伝に近く、またどちらかといえば小説に近い。

シャルル・アンリ(1739-1806)は激動の18世紀を丸々生きた人物であり、副題に見られるとおりフランス革命後、ルイ・カペー(ルイ十六世のこと)をギロチンで処刑した人物である。フランス革命の狭量な理解では、傲慢な貴族、僧侶、そして王族に民衆が氾濫し、次々と処刑し旧体制を打破したということになるのだが、実際はそのように単純ではない。たとえば、革命からルイや后マリー・アントワネットの処刑までの数年が、こんな理解では説明できない。

実際、革命に携わった人たちがどれほど王を処刑したいと思っていたかは疑わしい。さらには、ルイ十六世という人が同時代的にかなり優れた名君であり、民衆にも人気が高かったということも忘れてはならない。

さて、その処刑にあたったシャルル・アンリ・サンソンであるが、どこかの国の刑吏とは違って、教養高く、品位あり、敬虔なカトリック信者にして、王への崇敬深き人物であった。彼とルイ十六世の生涯三度の邂逅を軸に、物語が綴られていく。

すでに、小説的ということを書いたが、歴史のドラマはそれ自体小説より奇なりということがあるので、それは驚くに値しない。ただ、ナラティブの見事さを指摘しておきたい。とにかく読ませる文章なのである。章や節のタイトルに美しさが漲っている。たとえば冒頭、「初めに恋があった」ではなぜサンソンの一族が処刑人となったのかが語られ、第三章「神々は渇く」ではサンソンの意に反して、また人道的な処刑の追及に皮肉な結果をもたらしたギヨティーヌ(ギロチン)の大活躍が描かれる。国王その人の処刑を扱った第四章はバルザックのテクストを大いに活用して、ドラマの最絶頂を見事に描き出している。

死刑執行人サンソンは案外歴史資料や研究も多くある人物なので、きちんと調べるには巻末の主要参考文献をたどることで容易に研究の道が開けるだろう。しかし最初の興味を喚起するものとして、これほど優れた美しい本はない。

18世紀フランス研究の層の厚さと、その水準の高さにあらためて居住まいを正した次第である。

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Finance towards its nil

金融や財務を示すFinanceという言葉の中に、信用が隠れている。例えば、婚約者を意味するfianceという語だが、語源はラテン語のfidare「信じる」という言葉だ。Fidelityとか、confidenceとか、そういう言葉も皆ここに繋がっている。

貨幣経済は今では想像もできないが、信用と約束で成立している。異なる者の価値を貨幣を媒介に流通させることは、ゼロからの大胆な跳躍によっている。「ない」を「ある」にする精神的働きは、天動説から地動説へ、というようなパラダイムシフトと同じくらい、あるいはそれ以上に大きな規模のものだ。

サブプライムローン問題の発端、信用力の低下は、まず実体経済に起因したものではない。払え「ない」かもしれないという懸念がまるで事実であるかのよう振舞った。

世界経済の混乱と税金投入をはかりにかけて、まさかの決定がアメリカ下院で採択される。「関係ないことに自分の税金を使わないでくれ」というのがその根拠の第一だが、全然関係なくない。

たとえば、低所得者向けローンが成立する国というのは、焦げ付きが出ることはないだろう、出ても十分対処できるだろう、という「ない」を「ある」にしていたわけだ。これを担保に(証券化して)商いをしていたのだから、まずは信用ありきだったわけだ。

自分はそのようなローンも利用しないし、投資資産も保有していない、という人もあるだろう。今回の決定はそういう人たちの声が反映された結果と考えられている。でも、そういう人もやはり、信用に依拠しているのだ。たとえば、アメリカの債権や基軸通貨としてのUSドルは、すべてアメリカ国民の生活の安定に寄与しているのである。信用力の低い国の生活水準は変動レンジが広い。世界をすべて無視して生活できるアメリカの基盤は信用力にあった。実は、これまで享受してきた生活すべては、世界で使えるドル紙幣を支えたアメリカの信用力によっていた。だからAIGなどという名前を見て僕は笑ってしまった。アメリカン・インターナショナル・グループ。

さて、今回信用をお金で贖いますか、という取引にノンが示された。これが意味するところは、経済の舞台でアメリカもワン・オブ・ゼムに転落するということ。そして、今ひとたび傍若無人の中心へ返り咲くことは、多分ない。この決定で、「信用できない」という烙印を自ら焼き付けた。

賛否は僅差で決した。近づく選挙で票を投じてもらうために、議員生命をかけて反対票を投じたものも多いそうだ。国家百年の計とは言わないが、十年くらいのスパンで汚名をかぶることは必死だろう。米有権者の良識が問われることは間違いない。上に書いたことと矛盾するが、今回の決定は実際のところ、有権者の声というよりは現在の議員の怯懦なんじゃないか、というのが正直な感想だ。

北京オリンピック終了前後からBRICsをはじめとする新興国経済の先行きを危ぶむ声が聞かれたが、それは杞憂に過ぎなかったと考えている。リスクは当然あるのだが、不透明性を指摘する声はすべてアメリカ基準で、自分は不動の位置から経済を概観する立場から発せられていたと考えるからである。僕らが見ているリスクのレンジは対アメリカで大きいか小さいかだったのではないか。そしてアメリカのリスク幅を抑制していたのはサブプライムローンという下限、底辺だったのであり、それに比して「これだから新興国は・・・」という高説をのたまっていたに過ぎないのではないか。

それはこの先1年くらいの間に実証されると思う。

未曾有の変革に差し掛かっているが、未曾有の危機ではないことは強調しておきたい。僕たちはアメリカの没落を目撃するが、それは終末では全くない。

多くの個人投資家が売るに売れない資産を持っているが、売らないこともまた投資のストラテジなのである。安易な救済策を頼って回復を待つのではなくて、マーケットに資産を投げて[投資して]経済に活力を与えるということもまた、投資家の大事な仕事なのである。個々のトレーダーがそう思っている必要はない。けれどマーケットは必ず産業を育てる。だから、売るに売れなくても、投売りでも、とにかく日付は変わるし前進はしているのである。

Financeから信用を抜き去るとnが残る。きっと虚無(nil)のnなんだろう。

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