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2008年8月

夏の終わりに

長らくご無沙汰しています。

歯科通院と秘密の作業に身をやつしております。

僕の部屋では今、アルゲリッチの弾く、チャイコフスキーのピアノ・コンチェルト1番がエンドレスでかかっています。

涼しい日が続いていますね。雨が降るたびに少しずつ秋が近づいてくる。

もう、夏が終わろうとしています。時折思い出したように暑い日もあるかもしれませんが、夏が苦手な僕としては、今年も何とか乗り切ったという満足感で一杯です。

Adiosverano ことし大変お世話になった方たち。

左はスキンガード アクア様。

スキンガードは缶に入ったスプレーもありますが、噎せて苦しいという人もあるでしょう。その点、このポンプ式なら大丈夫。

右は言わずもがなのウナクール様。

このお二方、メーカーが違うのに立ち姿に共通するものが・・・。

英雄相知るとはよく言ったものです。

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たべたべ:菊焼残月

過日いただいたお菓子。菊焼残月

Kikuyaki

なんと、菊の御紋入りのお菓子。

半月形になったドラ焼のように見えますが、あんこの量が普通じゃない。さくっと包丁で切ってみると、隙間なくきめ細かい餡が詰まっていて、むしろ羊羹のようにさえ見える。

餡は甘すぎず、上品。皮はふわっという感じではありませんが、このどっしりとした餡を包むためにはこれくらいの強度が必要と思われます。

重量とヴォリュムがあるので、無理はせず、細く切って食べるとおいしい。

ごちそうさまでした!

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まるで文庫本

そろそろロキソニン(痛み止め)も必要なくなってきました。

ネオステリンも使い切って、でも念のため別のうがい薬を使っているのですが、苦いっ!

口の中は切れているのですが、だんだん普通の生活に慣れていくようにしています。怪我をしているときや、病気の時は食事をしないと治らないものですね。病人食を考えながら、買い物に行ったり。

さて、以前電子手帳を買ったという記事を書きましたが、その後いかがか。

まず、紙の辞書よりも検索は当然ながら速い。最初はそれがかなり驚きでした。

続いて、小さな画面を眺めるのが案外大変で、目的の単語の定義や例文を読むのには必要以上に時間がかかることが分かりました。

辞書そのものの収録内容については、普段僕が使用している小学館の西和辞典が収録されていないので、久々に白水社のものを使った。紙の辞書で比べても、白水社の方が丁寧な感じがあって、大学二年生くらいまではこちらで丹念に定義や例文を読んでいったほうがためになると思う。

電子手帳としては、

1)単語を入力して、

2)語義を確認して、

3)用例を確認する。という3ステップがあります。

入力に関しては、キーボードの小ささが不満でしたが、僕の手が大きすぎるのかもしれない。

語義の確認はコンパクトにまとまっていて、悪くない。ただ、基本的な動詞だとスクロールしなきゃいけないね。

それから、用例を確認するためには、今ひとたびパネルをタッチしなくてはいけませんし、数が多ければスクロールも必要です。

一週間くらい使ってみて、やはり紙の辞書に回帰しました。

僕は紙の辞書だと3秒から5秒で単語を引くことを心がけていて、アクションとしては3回ページをめくって目的の単語を見つけられるように努めています。もちろん、毎回そうではないけれど、平均すると大体それくらいになる。

キーボード入力は別にしても、電子手帳でも必要なアクションは3つなので、スピードで負けるとしても、仕事量は特に変わらない。あとは、見易さが大事で、僕など目が悪いので暗い画面を覗くのは結構苦痛。でも、これは人によるかも。

とにもかくにも、スペイン語辞書としては小学館の紙のものをメインに使用していくわけですが、電子辞書が駄目か、というと勿論そんなことは思っていません。

軽いし、様々な内容がひけるというのは本当に大きなメリットです。僕は英単語が分からなくて仕方なくスペイン語辞書で似た単語を引くということもありますが、当然ながら載ってないことも多い(語源が共通でなければ、まず載ってない。逆に語源が同じなら見つかること多し)。あー、英語の辞書も持ってきてたら良かったな、と思うのですが、電子辞書だとその心配は要りませんね。

部屋で引くというよりは、出先でちょっとしたことを調べる時に使うと思います。

さて、持ち歩くということなら、やはりケースも必要でしょうか。電子辞書は小さいので落としてしまうことがあるかもしれないし、カバンの中などで他のものとぶつかって壊れてしまったら悲しいです。

Ediccionario で、幾つかのケースを物色していたのですが、僕が選んだのはこんなの。

文庫本みたいですね。クロスとレザーで仕上げられています。クッション性も多少ある。側面は開いているので(サイズはぴったりくらいです)、あまりぞんざいには扱えませんが、電車の中で押されたり、床に落としたりしてもちょっとは安心できる。

なんといっても見た目が可愛い。

エレコムから出ている製品で、カラーヴァリエーションも豊富。使用しているブックカバーがベージュなので、それにあわせてブラウンにしてみました。

僕の周囲ではセミハード、フルカバータイプのものを使用されている方が多いのですが、自分が持って歩いているところを想像できなかったので断念。レスポール弾いてる自分を想像できないのと同じ。

液晶画面に傷つき防止フィルムを貼って、引き出しの奥にしまいましたとさ。

意味なし!

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サージェリ

ドラマとかであるじゃない、あの、手術台に載るとバッと照明のお化けみたいのが点灯して。普通の歯医者の口の中を照らすライトじゃなくてさ、円形で巨大な・・・。

先だって例の手術をしてきたのです。

手術なんて、殆どされたことがないし、大怪我も殆どない。それはそれで幸福ながら、クラスに包帯巻いてくる子がいると羨望の眼差しを注いだり・・・ということもまあ、なかったけど。とにかく、恐いんです。

歯学部のある大学の付属病院へ通院しているわけですが、ここでは学生さんたちの格好の教材にされてしまいます。まず患者の体調管理や症状なんかを確認するのが彼ら、彼女ら。

その後いつもより大掛かりな診療台に寝て、顔にカバーを掛けられる。これも他の外科の手術と同じ。血が飛び散っても大丈夫なように。それから照明お化けの眩しさも遮断。

まず、麻酔を打たれます。これが一番痛いという人もいるね。その気持ちよく分かる。3本ほど打って、すこしずつ感覚がなくなっていく。物理的に腫れていくので、呼吸に支障があったらどうしよう、と心配もする。それから、僕はよく呼吸を止めてしまうんだよね、気づかないうちに。息を呑むとはよく言ったもの。本を読んでて呼吸を忘れていることがよくある。

切開した歯茎内の膿胞を洗浄すると、隣の歯の側まで広がっているので、もう少し広く切る。

溶けてしまった骨を削ります。骨というのは上あごの骨です。歯列のベースになっている骨です。というか、頭の骨です。

ありえない音がしました。

生きて骨を削られる経験は、ちょっとない。新手の拷問みたいです。

骨自体は、例えば骨折なんかしても治るくらいだから、削っても問題ないのだと思いますが、頭の中を削られているような気がして、そのイメージが恐い。

 

先にも書きましたが、歯茎を切開して、歯根の先端から心棒が突き出ることのないようにセメントで固めます。既に先端も少し溶けてしまっているので、心棒が止まらないのではないかと思っていたけれど、案の定。

歯の先そのものをすこし削って、それをセメントで固める。

ありえない音がしました。歯茎に生えている歯ではなくて、歯茎の内側から削るというのはどういうことなんでしょう。なんだか、すごいパラドックスに思えてきた。

歯を根っこ側から削るということは、歯肉に辛うじて引っかかっているものを削るということで・・・。

これらすべて、麻酔が効いている状態でやっているので痛くないはずなのですが、ですが。

何か痛い。

もっと、本質的に肉をえぐられている痛さがあります。骨を削られている痛さがあります。麻酔が効いているにもかかわらず、何か痛いです。

途中二度ほど写真撮影も経て(今度見せてくれるそうです)、切開した部分を縫合して完成。縫合には黒い糸を使います。これは抜糸し忘れることのないようにわざと目立つ色で縫合をしているわけです。でもね、それを自分で見るとB級ホラー映画みたいになっています。『ヘル・レイザー』とかさ。6針縫いました。信じがたい。

中途、気を失いそうになる場面が何度も。呼吸を忘れる場面も何度も。

僕は案外歯を良く磨く方なのに、何故こんなことになってしまうんでしょう。まあ、一応の理由は分かっていて、この歯は子供の時に欠いたことのある歯なので、その時点で成長も止まり、とにかく弱い歯になったのです。磨いていた表面よりも、内側から自壊した感じ。それを10年以上たってからこうやって治療することになったわけだ。

Neostelin痛み止め(ロキソプロフェン・ナトリウム。良く効く!)と化膿止めを貰いました。それから、うがい薬。

うがい薬は、抜歯したことがある人は多分知っているでしょう。ネオステリン・グリーン!

この体に悪そうな色、血と混ざって黒くなるのよね。でも、効き目が非常に高い。風味爽やか。日本歯科薬品株式会社は山口県の誇りです。

イソジンをくれる病院もありますが、僕はネオステリンのほうが好み。なんだか、クロレラが入っているのかと錯覚させるビジュアルが良い。

With_boss 最後は、ヒューゴ・ボスの香水と並べて記念撮影。

さて、ここから先は薬を飲み、オリンピックを見ながら、のんびり過ごすしかないのですが、食べられるものが殆どない。ゼリーとか、ヨーグルトとか。流動食ばっかりでした。

3日ほど経って、「あ、絶対これでは治らない」と感じる。血も流れているし、切り傷もあるのに、この偏った食事では絶対に治りようがない。とくに、ある種のビタミンが決定的に足りない気がする。

そんなことを思いながら、少しずつ色々なものに手を出してみます。前歯(手術部位)を使わずに食べられるものなら、結構。

教訓:

普段はdysmorphic disorder (Dysmorphophobia)で悩んでいるくせに、この単刀直入な痛みといったら、そんなことを忘れさせる効果がある。人間、あまり大きな痛みに直面すると、ほかの事に気が廻らない。

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常態として、末期

 文学批評が、文学研究が行き詰っているとは僕は思わないのだけれど、それでも最近気になることは、実作者を前にしたときの弱腰というか、大学で教鞭を取る方たちが実作者を前にしてやに下がるというか、見るに耐えない。
 学生を相手に文学作品の、とりわけ現代のものの腑分けみたいなことをして得意な人が、実際その相手と合って対談などの機会に出てくると、相手を絶賛して終わってしまう。教養の浅薄というより、人格的な問題だ。
 批評は創造的な行為だと思うので、小説を書いている人に負けじと胸を張ってよい。もちろん、それはいいものを書く人に限ってのはなしだけれど。円満な対談やパネルディスカッションに着地するために妥協するのでは、何のための批評家、専門家か。
 自分が創造的なことをやっているんだという意識を持つか、自分でも実作者になってみるとこれは解消されるんじゃないだろうか。書く立場からの批評が面白いのは、書き手(作家)の文章の巧みさによっているわけではないと思う。あるいは、書き手ともっと密に交流してみるとか。それは上に挙げたような馴れ合いの方法じゃなくて、ね。
 あらためて、文学批評が、文学研究が行き詰っているとは僕は思わないのだけれど、方法論は常に末期だ。これは、歴史的に常にそう。この方法じゃ論じられない、という危機感から新しい着眼点が生まれ、批評の方法に洗練が生まれる。だから、機械的にいい批評の方法が生まれるはずはない。批評の装置は批評自体がブラックボックスである以上生まれない。新批評、構造主義のようなかつてのメソッドで教えられるような文学批評はもうない。
 だから、論文一つにせよ、方法論の精緻化が徹底されなければならない。
 では、それは致命的に困難なことかというと、まあ間違いなくそうなのだけれど、そこに一抹の光を見るとすれば、誰も「あなたが読むようにその作品を読んだことがない」という事実を足がかりにするしかない。
 今日ある古典を読んで、皆が皆同じ感想を持つならば、それはその作品について言われている先入観に毒されているからだが、僕と同じ素養、蓄積、環境で同じ作品を読む人はいないわけで、これは誤読の理論に似ているかもしれないが、読書体験の一回性が僕には留保されている。それを信用してさまよってみるか、みなの言う、つまりそれが先入観ということだが、ありきたりの解釈に着地してしまうか。あれ、冒頭に述べた実作者との交流に少し似ていますね。
 Criticsの語源にCrisisがあるの、伊達じゃない。

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音楽が終わる

The Music is over

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 イヴ・サン・ローランが死んだ日の夜、僕は代官山のカイにいた。ぼんやりとした暗がりの中で、赤いサランネットを張ったJBLのスピーカーが、内臓を揺さぶるようなベースラインを口ずさんでいた。名前は覚えていない、顔見知りの男女がそれぞれのソファの上で、フロアの上で、思い思いに夜をやり過ごしている。
 音楽は時間芸術であるがゆえに悲劇的なのだ。細長いカウンターの奥で、グラフィック・イコライザが緑色の複眼を光らせていた。くだらないおしゃべりと、酩酊と、疲れきってもはや立ち上がることの出来ない倦怠と、ダンスと、セックス。
 カイはギリシア文字のχ。そんなことはどうでもいい。誰もこの店に名前なんて求めちゃいない。お互いの名前だって、必要ない。ただ手持ち無沙汰な自分の孤独を埋めてくれる他人を消費したいだけで、僕たちはここに集まっている。愛や友情を求めるような、幼稚な幻想を抱く奴はこの空間に首を絞められるに違いない。僕たちは名前を捨てて遊びまわる蛾のような生き物だ。もはや生き物でさえないかもしれないが。
 赤いベリーショートの女。さっきから僕をちらちら見ている。悪くない。ファッションセンスも、体形も。すこし鼻が高すぎる気もするが、今時美容整形なしでは外を歩けない人間もいる。ヒポクラテスには悪いが、健全な魂は見てくれの良い肉体に宿る。知性とセックスは足し算で、ファッションとルックスは掛け算だ。
 肩を叩かれて振り返るとマキが立っている。マキは以前何度か仕事をしたことがあるゲイの編集者で、いいスピードが手に入る店といってここを紹介してくれた。でも、僕はスピードになんか興味もないし、ゲイにはもっと興味がない。マキは優しいが、こちらとしては単なる仕事上の知り合いに過ぎない。
「ヒロアキ、久しぶりね。知ってる、あの娘さっきからこっちみてる。今日のシャツ素敵ね」
 マキは語尾に必ず、「ね」をつける。なれない頃は、そこからまだ話が続くのかと思ってしまって、何度も会話が中断した。それに話に脈絡もない。でも、オカマみたいな喋り方にならないのが救いだ。僕はマキに嫌悪感を持ったことは一度としてない。
「俺も気がついてるよ。知り合いか、どっかで寝た女か、全然思い出せない」
 固有名を喪失したカイの住人達にとって、体は意味それ自体になっている。だから、体をあわせれば、たとえ指先だけであっても、それが誰か思い出せるのかもしれない。いや、言語中枢ばかりが発達した今日の人間である僕たちには、その薄っぺらい感覚の情報だけでは過去の記憶さえたどれない。
「多分どっちでもないんじゃない?ここではあの娘、新顔なのよね」
 二日に一度はカイに顔を出しているマキがそういうのなら、そうなのだろう。マキはイッセイ・ミヤケの甘ったるい女物の香水の匂いをさせながら、少し顔を近づけて
「ケイとアイがソフト・マシーンにいるのね。今からみんなで移らない?イライジャも来るって」
 ケイもアイも、それからみんなも僕にとっては誰なのか分からない。イライジャは人か?バンドか?多分ケイはこの店のトイレで僕にフェラチオをしてくれたことがあるが、それはアイだったかもしれない。それとも男なのか?どちらにしても、顔を見ればまた、はじめましてという気分をひた隠しにして話をするしかない。
 僕は来たばかりだからといって断る。気が変わったら歓迎するわ、と言ってマキは行ってしまう。一緒に何人かの男が店の階段を登っていく。マキが手にしていたハイネケンのボトルにはべっとりとリップグロスが付いていたような気がする。もちろん気のせいだろう。マキはそういう奴じゃない。
 神経質なハイハット・ワークが続いて、僕の苛立ちが最高点に達した後、BGMがUKレゲエに換わる。フロアの空気も少し軽く、明るくなった。女達が軽やかに踊る。しなやかに笑い、媚を振りまく。僕はカウンターを乗り越えて、ドンシャリのイコライザを叩き壊してやりたい気分だ。なぜなら、これは本当にすぐれた音楽だからだ。これは耳を傾けるべき音楽だからだ。
 UB40はオカマ野郎の聴く音楽だと言ったライターがいた。そいつの顔も思い出せない。僕はUB40が好きなので、そいつとは二度と仕事をしない。
 1月にアリ・キャンベルがバンドを辞めた。30年以上同じメンバーで演奏してきたUB40だというのに。そして3月、キーボードのマイケル・ヴァーチュもまた後を追う。異常気象だけじゃない、この世界で何か異変が起こっているに違いない。世界の脆さはUB40にも当てはまるものだったのか。僕はこれからもUB40を好きでい続けられるだろうか。
 先ほどのベリーショートの女の姿はなくなっている。僕のウイスキーは氷が解けて薄くなってしまっている。感傷がほどけるのなら、ちょうどこんなタイミングだろう。
 僕はカウンターにもたれかかって、深く耳を澄ます。誰かに肩を後から優しく抱きすくめられるが、僕はもう身動き一つ出来なくなっている。

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4 years later

一度大学を出て、再び大学に戻って4年が経つのだけれど、他人様の人生と比較は出来ないとわかっていてさえ、実りの少ない時間を過ごしたようで、慙愧に耐えない。

ただ、自分よりよっぽど優秀で、また将来性のある学生と知り合えただけでも随分楽しかった。そういった、爽やかな出会いを別にすれば、さらには僕の人間関係一般に対する奇妙な潔癖症は、僕を遠く孤独な場所へ運ぶばかりだった。それがこの4年である。

語る言葉も、執るべき筆も見出しえないのか、どこかに置き忘れてきたのか、それくらいどうしようもない状況なのだ。この閉塞、立ち出でるべきなのか、留まっても構わないのか、いずれにしてもきっかけがない。

もう、上手な嘘や言い訳が思い浮かばないのだ。

たまにはちょこっとためになる本でも挙げておきましょうか。

Martínez Mata, Emiliro (dir.). Bibliografía en resúmenes de la literatura española (artículos) 1998-2003. Gijón: Trea, 2004.

かなりユニークな試み。世の中には随分たくさん論文があって、集めるだけでも大変かつ楽しいのですが、所在を確認するだけでも一苦労、本当に価値のある論文に出会うのはなかなか難しい。

そこで役に立つのがBibliographyなのだが、MLAIBと聞いて、「なんですか、それ」というような顔をしている人も多い。

けれど、雑誌論文などその内容をタイトルから推し量ることの出来ないものも多い。加えて、最近はかっこいいような、かっこわるいような、曖昧なタイトルをつけるのが流行っているのかなんなのか、自分で分かっていないような概念を振り回して、意味不明な文章を書く人がとにかく多いので、さらに目指すものを見つけるのは困難になる。

さて、この本はそれぞれの論文の内容要約が付されています。「あ、そう」と思ったあなた、そのすごさが分かっていません。

論文をきちんと読む、その内容を要約できるほどに、というのは案外大変なことです。僕など文章はとにかく短く書いて欲しいと思うので、要約の達人などに会うと心服するが、ここではその実践が物凄い規模で為されています。守備範囲はスペイン文学、そのすべて。但し量が膨大になるため98年から03年まで限定して一冊の本に。このプロジェクトは1992年からスタートしているので、既に10年以上の歴史がある。次のものがいつ出るのか(すでに出ているのか?)は分からないが、こういう果敢な取り組みをする人がいることだけでも、勇気を与えてくれる。

先も書いたように、タイトルだけで判然としないものも含めて、「この論文はこれを説明しています、これを明らかにしています」といった具合で明朗に説明してくれるので、パラパラめくっているだけでも随分面白い。研究動向なども分かるし、何より自分の専門以外の分野でこういう切り口が流行っているのか、と感心させられることも頻り。

要約を読んで終い、では勿体無い。そして、いいものに出会えば「もっと読みたい」と思うのが人情。そうしたら、現物に当たるほかありません。

現在も尚進行中のプロジェクトとはいえ、その忍耐力に頭が下がります。

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ケナログ礼賛

前歯のこともあって、堅いものはなるべく食べないようにしているのですが、昨日うっかりトスターダを食べ、仮歯が動いてしまう。今後は慎重の上にも慎重を重ねて過ごさないと。あれー、なんでtostadaって女性名詞なんだろう。

僕は忙しいとか、悩み事とかで口内炎が出来ることはないのだけれど、ストレスでこれが出来る人は辛いだろうなあ、と思う。痛いですものね。お察しします。

歯のかみ合わせ(咬合)が悪いのか、僕は自分の口の中をよく噛んでしまう。で、一度噛むとそこが腫れるので、また噛んでしまう。昨日など同じ箇所を三度も噛んでしまった。家で鏡を見ると、上下の犬歯で挟んでいるので、傷跡がふたつ縦に並ぶのですが、それが六個もある。なんだか、目も当てられない。そして痛い。

食事の楽しみはおろか、四六時中痛いので、ストレス因子が常駐している。自然界の動物など、食事の機能が阻害されては死活問題だろうなあ。

で、そんなときにオススメなのが、ブリストル・マイヤーズ・スクイブという会社から出ている『ケナログ』というクスリ(軟膏)。名前は冴えないですが、これを患部に塗ると痛みが消え、治りも早いです。でんぷん糊みたいなデロっとした白っぽい、そして油っぽい軟膏。ごしごし塗りつけるのではなくて(痛くてそんなことは出来ないでしょうか)、傷表面を覆うように塗ってやります。経験上、こするとダマになってしまって、すぐとれてしまう気がする。

それから、似たような製品ですが、傷の部分にシール上のものを貼る薬もあります。これもきっとステロイド剤が付いているのでしょう。長期間は使用せずに、短期間でバシッと治して下さい。

薬局で直接買えるのかどうか、分かりませんが、カウンターで聞いてもし駄目だったら内科や歯科で相談してみてください。

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