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2008年7月

やっぱりサージェリ

かくして歯医者通院は続いているのですが、重大発表が・・・。

やっぱり手術します。

治療に際して、垂直に心棒を入れるのですが、以前はこれが歯肉に突き出ていて痛かった。今回それを除去して新たに心棒を入れるのですが、既に根尖が少し解けてしまっているので、また突き出てしまうであろうとのこと。

歯茎を切開して歯根の先端から突き出る部分を切除するとともに、セメントで固めるそうです。聞くだけで恐ろしい。

とはいえ、ほうっておいても仕方が無いので来月手術の日取りが決まる。

僕にとってはかなり大事ですが、きっと歯科の先生にはそんなに難しい手術ではないのかもしれません。夏なので化膿することは必至だと思いますが、そこは諦めよう。

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舞城王太郎『熊の場所』を読む。昔読んだことがあるのだが、改めて読んでやっぱりいいなあ。僕は「ピコーン!」が好き。

このポップかつ豪放磊落な文体にお説教くさい感じ、味があります。

世界は愛に溢れている。

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ホセ・デ・カダルソの演劇『ソラーヤ』について、最近考えていること


 

人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶ。それがギリシャ悲劇の根本にある世界観だ。そしてその悲劇性はアリストテレスが定義していることだけれど皮肉なことに当事者の欠点によってというよりは、むしろ美点を梃子にしてもたらされる。僕の言っていることはわかるかい?人はその欠点によってではなく、その美質によってより大きな悲劇の中にひきずりこまれていく。

村上春樹『海辺のカフカ

 

詩人が狙うのは、役に立つか、よろこばせるか、あるいは人生のたのしみにもなれば益にもなるものを語るか、のいずれかである。

ホラーティウス『詩論』(岡道男訳)

 

1.ホセ・デ・カダルソの『ソラーヤ、あるいはチェルケス人』とはどのような作品か

José de Cadalso (1741-82)はカディス生まれの軍人。仏英に留学し、古典の教養も深い知識人。詩、戯曲、小説、多岐にわたる作品を残し、また同時代、後代への影響、割と大。

歴史資料から生涯に少なくとも3篇の戯曲を執筆。本作は1980年にセビリアで発見(Aguilar Piñal 1982, 33)1編は散逸(今日まで未発見)。標題からして悲劇。11音節。

グルジアの北に位置するチェルケス(Circasia)を舞台とする、新古典演劇(3つの一致)。

 

2.18世紀における演劇、とりわけ悲劇に求められた機能とは何か

 演劇の教育的効果、社会慣習、大衆の習俗を向上させ、国(Nación)の発展に寄与する人間を作る。

En el discurso XCII de El Censor, de 16 de febrero de 1786, escribe Samaniego:

“No basta que el teatro instruya; es menester también que pula y que cultive, que quiero decir, que dé buenas máximas de educación y conducta, que enseñe a respetar las clases que componen un estado, que inspire a cada una el amor a sus deberes, (...)” (Damián 2004, 228).

“En la tragedia, enseña al gobernante cómo debe gobernar, (...)” (Johnson 1981, 27)

“En el teatro clásico la sociedad era la norma, y el individuo era la aberración: caía el héroe trágico porque había transgredido un precepto de los dioses o una ley de la sociedad (...).”(Sebold 2004b, 269)


3.悲劇としての『ソラーヤ』の図式、その特異性とは何か

  タタール人の武力の前に抗戦能わず、貢納国となるチェルケスの元老院メンバの娘ソラーヤが徴貢に訪れた大使、タタールの王子であるセリンと恋に落ちる。躊躇や行き違いから二人は名誉を重んじるソラーヤの兄弟の剣によって命を落とす。美徳(la virtud)を踏みにじる愛(la pasión)が不幸をもたらした。しかし結末で最も悲惨な嘆きを漏らすのは・・・。

 

4.悲嘆にくれる父の錯乱、あるいは悲劇の性質の変容

(1)“¿Y qué? ¿Matasteis a la hija mía? / ¿No os dije, ah tiranos, que era justo guardar su vida? / ¿Por qué tal disgusto disteis a vuestro Padre?” (vv. 1686-88)

数ページ前で父は彼女を殺してはならない、と言っている。だがこれに先立って、娘が恋人を選んだ時に自ら二人に(セリンだけでなく)復讐を遂げると語り(Los dos han de morir, si yo no muero;)、後には娘を殺すべきか、殺さずに生かしておくべきかという逡巡をも経ている。

(2)貢納国であるチェルケスからはタタールに女達を(汗の後宮に納めるため)差し出していた。そのことから、チェルケスのタタールに対する不満が高かったので、ソラーヤとセリンの恋の行方が二国間の代理戦争となっている(セリンが協約に反したとしてチェルケス人が大挙してタタール軍を襲う)。チェルケス人は敵であるタタールの兵とその王子であるセリンをTirano暴君という形容詞で呼びならわしている。

(3)全5幕を通じてセリンはきわめて沈着かつ誠実な人物として描かれているが、代理戦争を仕掛けた手前、チェルケス人たちは彼をTiranoとして殺害している。しかし最後に実の姉をもその剣にかけた兄弟を、その父は奇しくもこの同じ形容詞で呼んでいる。

 

チェルケスとタタールの対立の軸が少しずつ変遷していく

                     
 

Selin   (Tirano) y Solaya   (infame)

 
 

los   circasianos (los hermanos de Solaya)

 
 

1

 
 

Pasión   (amor)

 
 

Virtud   (honor)

 
 

2

 
 

Justicia   (el pacto)

 
 

Injusticia   (tiranía)

 
 

3

 
 

¿Tirano?   (Insensato)

 
 

Tirano

 

 

5.な、な、なんだ、この悲劇は!?

 啓蒙時代の悲劇には社会的機能が附与されていたが、それは機械的に人間の感情を規律で飼いならしたわけではない。新古典演劇における悲劇性はきわめて人間的な感情と苦悩を表現している。そこに生じる矛盾が同時代の書き手達にも意識されないわけはない。では啓蒙の急先鋒としての役割を果たした演劇の中でそれがどのように跡付けられるかというと、ここに見たとおり、対立項が移項してしまう奇妙さの中である。


Bibliografía selecta:

Aguilar Piñal, Francisco. “Solaya o los circasianos.” Cadalso. Cádiz: Diputación de Cádiz, 1982. T. II, 57-64.

---. “Solaya en su contexto dramático.” Coloquio internacional sobre José Cadalso. Abano Terme: Piovan Editore, 1985. 9-23.

Albiac Blanco, María Dolores. “Cetros y puñales. Don Sancho García y la filosofía del poder.” Bulletin Hispanique. T. XCVI (1994). 335-52.

---. “Grupo de familia en interior (Solaya o los circasianos y el derecho de familia).” El siglo que llaman ilustrado. Madrid: CSIC, 1996. 33-45.

---. “Razón de estado y absolutismo ilustrado: Don Sancho García de Cadalso.” Crítica Hispánica. T. XVIII (1996). 213-66.

Álvarez de Miranda, Pedro. “A propósito del descubrimiento de Solaya o los circasianos, tragedia inédita de José de Cadalso.” Cuadernos Hispanoamericanos. Núm. 289 (1982). 309-21.

Andioc, René. Teatro y sociedad en el Madrid del siglo XVIII. 2ª. Ed. Madird: Castalia, 1988.

Cadalso, José [de]. “Don Sancho García” Jerry Johnson (Ed.) Cuatro tragedias neoclásicas. Salamanca: Almar, 1981. 171-231.

---. Solaya o los circasianos. Tragedia inédita. Ed. Francisco Aguilar Piñal. Madrid: Castalia, 1982.

Caldera, Ermanno. “La figura del déspota ilustrado en el teatro sentimental dieciochesco.” Dieciocho. T. XXV (2002). 219-28.

Cattaneo, Marateresa. “En torno a Sancho García.” Coloquio internacional sobre José Cadalso. Abano Terme: Piovan Editore, 1985. 63-78.

Damián, Cosme [¿Pseudónimo de Félix María de Samaniego?]. “Discurso XVII.” El Censor. Ed. Francisco Uzcanga. Barcelona: Crítica, 2005. 224-43.

Glendinning, Nigel. “Cadalso y el aparato teatral.” El siglo que llaman ilustrado.

Madrid

: CSIC, 1996. 467-73.

Grinstein, Julia Bordiga. “Panorama de la dramaturgia femenina española en la segunda mitad del siglo XVIII y principios del siglo XIX.” Dieciocho (2002). 195-218.

Hafter, Monroe Z. “Tyrannicide and Relativism in Cadalso’s Tragedy Solaya.” Hispanic Essays in Honor of Frank P. Casa.

New York

: Peter Lang, 1997. 438-47.

Johnson, Jerry (Ed.) Cuatro tragedias neoclásicas. Salamanca: Almar, 1981.

Jovellanos, Gaspar Melchor de. Espectáculos y diversiones públicas. Informe sobre la Ley Agraria. 2ª. Ed. Ed. Guillermo Carnero. Madrid: Cátedra, 1998.

Maravall, José Antonio. “La función educadora del teatro en el siglo de la Ilustración.” Estudios de la historia del pensamiento español (siglo XVIII). Madrid: Mondadori, 1991. 382-406.

Martínez de la Rosa, Francisco. “Apéndice sobre la tragedia española.” Biblioteca de autores españoles. T. CL. Madrid: Atlas, 1962. 91-173.

Pérez Magallón, Jesús. El teatro neoclásico. Madrid: Laberinto, 2001.

Sebold, Russell P. Cadalso: el primer romántico “europeo” de España. Madrid: Gredos, 1974.

---. “Cadalso y el drama romántico.” Ensayos de meditación y crítica literaria. Salamanca: Ediciones Universidad Salamanca, 2004a. 245-48.

---. “Comedia lacrimosa y drama romántico.” Ensayos de meditación y crítica literaria. Salamanca: Ediciones Universidad Salamanca, 2004b. 267-71.

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Firefox 3.0

WebブラウザはFirefoxを使用していて、最近Ver. 3に移行したのですが、あまり使い勝手のよさが向上したとは思えない。前のままでも全然問題なかった気がする。

でも新機能をまだ全然使っていないからそう思うのでしょうか。

Microsoftもそうだったけど、過剰に親切な機能をつけることによって、新しいユーザー獲得への間口が広がる一方で、既存ユーザーは不便(実際は慣れの問題が多いと思うけれど)を覚えるのだろう。

これからFireFoxを使う人は3を、今まで使っていた人は2のままで良いかな。そうはいっても、他の追随を許さないすぐれたソフトウェアです。

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気になる:スキンアクア

日々猛暑日、熱帯夜。7月はTHE YELLOW MONKEYを聴くに限る。

白鵬の優勝が決まる。だが、今日一番輝いていたのは琴光喜だったと思う。明日も頼むぞ。

僕などこの時期、殆ど部屋の中で作業しているだけ、というか本を読んでいるだけ。それは春夏秋冬変わらないか。ただ、それを世の社会人の皆々様と同じくらいさせていただきます。

僕はマンションの上の階に住んでいるので、案外クーラーをつけずとも平気。風の通り道を作ってやれば、まあ何とかなる。ただ、マンションに住んでいる人はプライバシーへの配慮などから、窓を開けるのを躊躇するのだろう。僕の部屋も通路側なので、窓の外を人が歩いていく(ああ、皆さんお仕事に向われるのだろうか)。そこでふと窓の中を覗くと、もう半分くらい裸で、いつも同じ姿勢で机に向っている奴がいる。奇妙なことだろう。

ハビエル・マリアスの短編に「イタリアの遺産」という作品があって、アパートの違う階で、いつも勉強している(らしい)男の姿を見つける女性の話(Cuando fui mortal所収)がちょこっとだけ出てくる。

時折散歩などで外出する際は、カールおじさん顔負けの、それはそれは見事な麦藁帽子をかぶり、首にタオルを巻いていきます。もう、今さっき野良仕事から帰ってきたような出で立ち。でもね、これが最高に涼しいのよ。

女性は日焼け止めなど気を使うことだろうなあ。日焼けもそうだけど、こんなにも暑い中、一切無防備で太陽の下を歩くのは全くもってオススメできない。

気になる製品。

ロートから出ている日焼け止め、スキンアクアです。ジェル状で、商品イメージとして水に体が包まれている感じ。これを表現したCMが秀逸。

涼しくなります。

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無為ナルヲ無為ト思ハズ

18世紀スペインの演劇について、今週末にちょっとまとまったことを話したい、話したい、そう思って準備する時間は存分にあったのだが、とにかく遊んでしまう。まだテクストも読み終わってないよ。

この連休もそろそろ終わりを迎えるわけだが、部屋の中で『林達夫評論集』を読んでいたほかは、自由が丘に突然ビーフシチューを食べに行こうと思ったほかは、桃の皮を剥いていて指を切ったほかは、何の収穫もなし。

もう、暑くて暑くて、主食は桃とヨーグルトくらいのものである。あ、ビーフシチューも食べた。おいしかったけど胃にもたれて苦しかった。

で、することもないのにパソコンの前で過ごしていると、時間のたつのが早いなあ。

そんな僕がほんと、数十時間をかけて耽読しているのが(今なお継続中)こちらのホームページ。上段左のネタという辺りから見ていただけると、一人暮らしの寂しさもどこ吹く風。

世の中偉大な方は数多いな。

そしてこんなところにもジョジョの影響は色濃いのだなあ。

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純喫茶など

Tearoom 毎日暑くて大変です。

でも少し涼しいところへお出かけすると、すぐに寝てしまうのでそれも大変です。

部屋にこもって清涼院流水『コズミック』に読みふける。

とりあえず、読まずに死ねない一冊。

最近は出歩く範囲も限られているので、映画などとんとご無沙汰ですが、強いて言えば『純喫茶磯辺』が見たい。見たいなあ、と思っている。音楽もすごくかっこいい。そしてきっと僕は泣いてしまう。

ただ、余りに暑いので映画館まで辿り付けない。

秋くらいにどこかでこっそりやってくれないだろうか。

主演はあの、あの、あの、仲里依紗さん。『時をかける少女』のヒロインの声も担当していましたね。可愛いのと可愛くないののギリギリくらいの可愛さを追求している気がする。それでいてとても可愛い。

僕が最も好きな女優さんの一人。

そんな彼女のブログがスタート。その名も『B型革命』。振るったタイトル。芸能人ブログにとんと縁のない僕も興味をそそられます。

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電波系

Dempa 大真面目なのに笑ってしまうんだ・・・。

悲劇の喜劇性。

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たべたべ:レザーン(ブルボン)

ブルボンのレザーン

Raisirn 甘さ控えめ、しっとりとして軽い口当たりのソフトクッキーでラムレーズンを練りこんであります。

堅くないので、僕のように歯の悪い人にもおすすめ。

ちょっと物足りなく感じるほどほのかな甘さなので、大人のお茶うけにぴったり!

『Zガンダム』のモビルスーツにありそうな商品名も◎。

おやつも食べ、お茶も飲みつつ、J.L.Alborgの『スペイン文学史Historia de la literatura española』を読んでいますが、こんな博学な人がいたら、僕など立つ瀬が無いなあ。

スペイン文学研究者は通読せねばならない一冊(複数巻にまたがっていますが)。とりあえず18世紀(第三巻)は僕が倒そう。

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そろそろ梅雨明け

今年は梅雨で困ることがそれほど無かったです。

毎年梅雨時にはちょっと高級な傘を自分へのプレゼントにしようと思うのだけれど、今年は外出して雨にあうことも少なく、雨が降っていたら外出しないというポリシーが功を奏したので、そんなことを思いもしなかった(あ、歯医者のときに雨だったっけ)。

ウチではワンを飼っているので、雨で散歩できないと困るのだけれど、本当に困ったのは数度で、大抵は小止みになった折にさっと出かけることが出来ました。

Raincoat レインコートも必要なかった。

こちらのお店はワン用品の専門店なのだけれど、手作りポップにM.シュナウザー登場率がとても高い。

好感が持てますなー。

でもウチのワンはレインコートも冬のコートも母の手作り。

母は手先が器用な方なのよ。

さて、もう夏の日差し。

僕もワンも暑いのが苦手なのでこれから大変。

目に痛い青葉、とにかく世界は元気なのだが、四季の移ろう中で、夏は生き物としてのパワーが最も低下する気がする。

逆に秋、冬には嬉しくなる。

今年も無事に、乗り切れますように。

そんなわけで、水出し紅茶でも飲みますかー・・・。

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ボルヘス的な、あまりにボルヘス的な・・・

とかく紙の辞書に愛着があるのだが、あるのだが、ついに僕も電子辞書を買ってみることにします。

語学好きの方は、あるいは僕のように変な偏屈さんは電子辞書に抵抗があり、なんやかやと紙の辞書の優位を説くわけですが、使ってみて初めて分かることもあると思う。

ところで、「かみのじしょ」を変換すると「神の辞書」と出てくる。「ボルヘス的な」世界だね。これも「ボルヘ素敵な」と出たけれど・・・。

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