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2007年9月

日曜日、マルセーを読む

この日の手帳には「Juan Marsé読む」と書いてあります。これまでなんとなく緊張したところがあったのですが、するべきことも終わって、好きなことをしようという決意が滲んでいます。

Cf 過日オビエド到着の折、芝生と緑でいっぱいのカンポ・フランシスコを見て、散歩したいな、と思っていました。

宿をとった大学の寮からすこし歩いたところなので、気軽に行けます。

整備されて入るのだけれど、自然の力強さが随分残っている庭園で、フランスともイギリスとも違う庭園の造り方だなあ、と思います。

Cf1 やはり目に嬉しいのは緑。

芝生が生えているだけで嬉しくなってしまう。

ベンチや、音楽などのコンサートを開く小さな舞台なども設えてあって、休日に散策するにはぴったりの場所です。

マルセーの本を携えて、ベンチに腰掛けて、ひんやりした空気の中で一人。

どこまで行っても一人だ。

マルセーは1933年に生まれたカタルーニャを代表する作家です。長編を主に書いているので、短編の数はそう多くないはず。作品はカスティーリャ語で書かれていて、舞台や地名にカタルーニャ語が入ってくる程度ですが、そういう地方色を抜きにして、いい作家です。僕の好きな作家ハビエル・マリアスは、今年Tu rostro mañanaという三部作を完結させたのですが、その彼が机の上にマルセーの写真を飾っています。つまり僕がいいたいのは、マルセーをカタルーニャの作家だと限定しながら読むことよりも、スペインでスペイン人が読み、愛してきた作家として彼を捉えることがまず本義だということ。

さて、表紙をめくって第一ページに、僕はこんな書き込みをしています。

昼下がり
公園のベンチで
本を読んでいたら
栗の実が降ってくる
-30 Sep. 2007

栗じゃないかもしれないけれど、イガイガがついている平べったいものが降ってきます。それを子供が拾ったりして、とてものどかな風景。パチン、パチンと地面に落ちて、緩やかなカーブを描いて、ほら足元にも。

Cf2 遠く噴水の音が聞こえるので、そちらにも足を向ける。

こういう噴出す水はあまり僕の好みではないなあ。

この池の中ほどに島がありまして、おや、亀が日向ぼっこ。

子供達が、大人たちが、次々目の前を通り過ぎて行って、太陽が雲にさえぎられて、雨がパラパラと落ちてきて、それからまた日が差して。
Cf3
長月、終わる。
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人間もひるね
鉄瓶もひるね
(高村光太郎)

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そしてやっぱり本屋さんへ

今回の旅行での最終目標が達成されました。やー、気がつけば3週間経っていました。バルセロナ、マドリード、バリャドリードなどで頑張って書籍や資料を探したことだし、あと一週間はここオビエドでのんびり過ごしてもバチは当たらないかな、と思う。

まずは本屋さんへ(なんだ、やっぱりいつもどおりか)。

古い大学の建物の脇にOjangurenという不思議な名前の書店があります。Ojangurenはバスクの名前ですね。人文系の書籍の品揃えは案外良い。Philip BlomのEncyclopediaを落掌。神様、アリガトウと心の中で囁く。それからJuan Marséというカタルーニャの代表的な作家の短編集を買って、この週末はそれを読むことにする。

駅に近い町中のショッピングセンターの辺り、セルバンテスという書店もあります。地上3階、地下1階のなかなか豪華な感じのする店。多岐にわたる品揃えで、オビエドの人が本を買いに来るときは多分こっちの方が便利なんだろうな、と思う。人文系もかなりそろっていますが、僕が持ってないもので必要そうなものはあまりないかなあ。

あんまり本は買わないようにしよう、と思っていたのだけれどいきなり破戒。許せよ、我がクレジットカード。

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これがUniOviだ

Uniovi0 やってきました。これがオビエド大学です。

空は澄み切った美しい青。

朝はとても寒くて、ついでに学校へ行くバスがなかなか来なくて、「あれー、遅刻しちゃうかな?」と心配しました。

ね、芝生のグリーンが目にまぶしい。アストゥリアスの豊かな自然は、田舎者の僕の目に優しく映るのです。

Uniovi1 ビヨーンと横に長い壁にUNIVERSIDAD DE OVIEDOと書いてあります。大学の古い建物は街の中心にあって、これは案外新しいキャンパス。人文学系がここ。理系はまた別のキャンパス。

お隣に公園があったりして、犬の散歩をしている人、ただ散歩している人が結構いました。学期中ではないので学生の姿はあまり見なかったのですが、図書館で勉強しようと思っている学生や、次の学期の申し込みに来ている人などが多くありました。
Uniovi2
素晴らしく青空だったのだけれど、寒かった。これは門をくぐったところ。とっても整然とした印象を受けました。スペインの大学という感じがしません。かなり近代的な建物が打ち並んでいて、どこに行ったらいいのかな、と困ってしまう。

せっかくたどり着いたのになあ。

しかたないのですこしウロウロとしてみます。

Uniovi3 僕が会いたいと思った先生は

「僕のオフィスは3階(4階のこと)の廊下の突き当たりだから」

といっていたのだけれど、どの建物かを教えていただくべきでしたね。これは先ほど入ったもんの側からでは分からないのですが、文学系の学科が入っている建物です。これだけなんだか古びているのです。

3階へ行って「廊下のどっち側?」などと思いながらウロウロと歩く。あ、半開きのドアにその方のお名前が。

ノックしたら「どうぞー」と声が。

小柄な印象の方でした。目が青い。物腰が柔らか。マックを使っていらっしゃいました。

ご挨拶と自己紹介をして、
自分はどういうことを勉強してきたか、
どういうことに関心があるか、
を大雑把に説明したあと、先日用意した質問をしていきます。質問は次第に専門的な話題になるので、僕の関心とそれに対するアドバイスは最後にいただけると幸いです、とお伝えする。

途中教え子の方が何度か出入りしたんだけど、すごく親切な先生という印象でした。パソコンの上で色々なデータを示しながら説明していただいたり、最近のご本をいただいたり。嬉しかった。

お昼すこし前に話し終えた後、建物の中をすこし案内してくれたり、18世紀に特化した図書館(これがオビエドの強みです)を見せていただきました。僕が持っている1881年のカダルソ選集ももちろん収蔵されていました。

握手を交わして分かれた後、建物の外へ出ると、まだすこし空気は冷たかったですが、気分は晴れやかでした。この幸福な出会いに感謝。

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夜、そろそろ寝る頃に部屋の電話が鳴ります。その先生からでした。今日話をしたときにした質問に対して、いい忘れたことがある、と電話をくれたのでした。

誠実な人もあるものだな、と思ったのでした。

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話す内容を考える

オビエド到着後、まずしなければならないことは何か、というと・・・

帰りの飛行機が出るのはマドリード。そこまで帰る方法を確保する。これは心配性の僕の性格ゆえですが、なるべく早くチケットを買っておきたい。

当初バスで、と考えていましたが、夜通しバスに乗っていると背中と腰が痛い。しかも朝早く着きすぎる。先日の苦い経験があるので、もう少し遅く着きたいところ。

電車は遅れることが多いのだけれど、時刻表を見るとちょうど良い時間に着きそう。まあ、遅れることを考慮に入れても、余裕を持って空港に到着できるだろう。値段は電車の方が高いのだけれど、こちらで。

そんなつもりで駅まで歩いてみます。Estacion_de_oviedo

空に立ち込める暗雲はともかく、なんだか日本の駅のよう。時計があって、駅前のロータリーがあって。ここから一直線に目抜き通りが続いていきます。

駅のすぐ横には5つ星ホテルが立っています。でも、オビエドは案外宿が沢山あるところなので、そんなに心配する必要もないけど。

Encima_de_la_estacion_2 駅の脇は広場になっていて、噴水があったり。おっきなスーパーマーケットもあって、ほんと日本の鉄道駅を思わせます。

手前に傘をさしている人がいますね。オビエドは雨がよく降るので傘は必需品。スペインで、お店の入り口に傘立てがあるのを見たのはオビエドが初めてでした。

帰りの手段も確保して、これで安心して次のステップへ。
なんといっても今回の旅のハイライトは、ある研究者の方にお会いすることです。日本にいるときからメールのやり取りをして、翌日オビエド大学の先生と会う約束をしていました。でも、とりあえず「着きました」ということと、「明日都合は大丈夫ですか?」ということを確認した方がいいと思ったので、お電話してみました。

声の高い男性が出て、「ん?学生さんかな?」と思いました。
「○○先生の部屋ですか?」
「そうですよ」
「明日、先生にお会いいただく約束をしているものですが、先生いらっしゃいますか?」
「私ですよ」

あら、のっけから意外性のある・・・。僕にとって、スペイン語はとっても苦手な言語で、電話だとか初対面の人だとかだと、ただでさえ分からないものが輪をかけて聞き取れなかったりするのだけれど、とてもハキハキと話をされる方で、でも早口ではない。いってることが全部きちんと聞き取れるし、お話をしているととても丁寧な方でした。

この方とは5年ほど前よりメールでのやり取りはしたことがあるのですが、声を聴くのは初めてです。お顔も分かりません。

「明日は大丈夫だと思うけれど、もし予定が変わったら電話します」といわれて、大学の寮の部屋の番号を伝える。

すごい怖い人だったりしたら嫌だな、と思ったけれど、取り越し苦労でした。

さて、会ってお話しするといっても、僕のような浅学菲才、のこのことまかり越してまともなお話も出来ない可能性があります。そんなわけで、こちらからお尋ねしたいことをまとめておくことにします。一般的な話題から、より専門的な話題へすこしずつシフトアップしながら、実りある面会となるといいなあ、と思いつつ。

Vino_y_pincho 部屋にこもって考えていてもまとまらないので、外で軽食でも。寒いからさすがにビール飲もうなんて気分にはならなくて、赤ワインをいただきます。

学生寮からすこし歩いたところにあるバル。ここも何度か通いました。学生寮がすこし街の中心から離れているので、あまり面白いお店には出会いませんでしたが。

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オビエドへ

バリャドリードを出発する朝、郵便局が開くのと同時に書籍を送る。これで3箱目。

予想以上にバリャドリードでも書籍を買い込んでしまったので、移動に差し支えるほどにスーツケースが重くなってしまいました。これは困ったなと思って、郵送することに。

以前は航空便と船便だったのですが、現在は船便はないようです。航空便とエコノミー便の二つがあって、後者はサーフェス・メール、すなわち可能な場所は陸路で運んで、それ以外は飛行機も使うという。

以前は荷物を送って2ヶ月くらい経つと随分ぼろくなった荷物が届くというものでしたが、今ではエコノミー便で日本に到着するのが2週間くらい。一つ目の包みが僕の帰国より先に到着していましたから、随分サーヴィスが向上している。

そのかわり値段はお高くなっていて、またテロ対策のため検閲されることが多いようです。僕の場合、荷物はすべて開封されていました。ただ、中身が盗まれたりということは、内容が学術書ということもあって、一切ありませんでした。いずれにしても、貴重品とか、入れないようにしてください。

本に限らず荷物を送る方法ですが、郵便局で販売している箱を買うか、道端に落ちている段ボールを使って送ります。以前は船便で20キロまでということでしたが、今ではどうなったのでしょうか。あまりに大きすぎて、重すぎると送れない事があります。

さて、なんとかスーツケースの中身を減らすことが出来ました。ここから先は、大事な本や早く読みたい本のみ自分と一緒に移動させることにしました。それでも、20冊くらい常に持っていましたが。

スペイン黄金世紀バロック演劇の雄カルデロン・デ・ラ・バルカの名を冠した劇場前のバス停からバスに乗ってターミナルへ。いよいよ僕の旅の目的地であり、今回のメインであるオビエドへ向かいます。

18世紀スペイン研究の卓越せる牙城、オビエド大学があり、18世紀スペイン文学の巨頭フェイホーの生地です。僕が研究してきたカダルソという作家の作品について、この大学にいらっしゃる先生の作った校訂版(エディション・クリティカ)が大変優れており、僕が引用する場合常にこの版を使用しています。

さて、この度僕の現在の研究テーマについて少しばかりご相談させていただく傍ら、インタビューをしたいと思っていました。そうしたすべてが極東で18世紀スペイン文学というおよそ人気のない分野を研究する僕にとって、貴重なアドバイスとなると思っていたからです。

バリャドリードからオビエドまではバスに乗って3時間ちょっとくらいだと思います。レオンというこれまたかつて首都だった街を経由して、僕が向かうオビエドはアストゥリアス王国のかつての首都でしたから、「元・首都を巡る旅」をしているわけでもある。変なの。

レオンを越えたあたりから、景色が一転します。スペインといえば乾いた大地、どこまでも青い空、そんなステレオタイプを完膚なきまでに打破する、緑に満ち満ちた風景が広がります。トンネルをいくつもくぐって、雲よりも高いところをバスは走って行きます。アスファルトは黒く湿っている。曇天が山の向こうに続いている。時々車窓を打つ雨粒。僕の知らないアストゥリアスへ。

曇り空の下、到着したオビエドは、肌寒くて、Tシャツでいるのは僕くらいのもの。コートの人もいてびっくり。とっても細長いバスターミナル。交通の要所だという感じ。2時過ぎに到着してしまって、観光案内は閉まっていました。とりあえず、荷物をロッカーに入れます。

オビエドの宿は当初予約していなかったのですが、バルセロナから電話をかけて大学の学生寮に4日間だけとめていただけることになりました。最初は駄目、といわれていたのだけれど、電話で交渉。ふふふ。

オビエドも大学の歴史が古いので、町の中心にあって、学生寮もきっとすぐ分かるだろう、と思っていました。

甘い。誰に聞いても「どこ、それ?」という反応。地図もなく、通りの名前も知らない僕。困ったなあ、と思っていると、

後からトントンと肩を叩かれて、振り返りますと巨大なおまわりさんが立っています。あまりスペインの警察に良い印象を持っていない私。最近は海外でおまわりさんの格好をした詐欺も多発しているというじゃないですか。ちょっとドキッとしましたが、大学の寮の場所が分からないということを伝えると、「私も分からないが、ちょっと待ってなさい」といって、そこいらじゅうに訊いて廻ってくれる。どうにかこうにか場所も分かって、結構町外れにあることが判明。道筋を説明してくれて、バスターミナルの外まで見送ってくれる。

なんて、親切なの!

僕のオビエドの印象が決定した瞬間。

さて、タクシーで行ってもいいのですが、小荷物ですから、ピコピコ歩いていきます。知らない街を歩くのは好き。そうやって、経験を重ねることで街のイメージが自分の中に形成されていく。

バスターミナルは国鉄の駅の隣。スペインでは電車の駅が町外れのことが多いのだけれど、ここオビエドでは日本同様町の中心に駅がある。そこからまっすぐ伸びるメインストリートがウリア通り。ここにはブティックなどもたくさんあり、交通も多く、大変にぎやかではあるのだけれど、他のスペインの街のような喧騒はない。心なしか、大声で喋っている人も少ない。いないわけではないけれど、少ない。

Csf1

10分くらいまっすぐ歩いていると、おっきな公園が右手に見えてきます。サン・フランシスコ公園といいます。なんと、芝生がある。スペインで芝生が生えている場所を見たことはあまりないので、驚きました。アストゥリアス地方は雨が多いし、涼しいので芝が育つのでしょう。あー、いいな。絶対散歩に来よう。

この公園を右折。さっきのおまわりさんの説明では
「左手に丸い教会が見えたらそのあたり」との事でした。

丸い教会って何だ?スペイン語で丸いという単語は「完全な」というイミもあるのだけれど、それも変だし、なにいってんのかなーと思っていたのだけれど・・・

Iglesia_redonda

はい。出ました。本当に丸い。あのおまわりさんはやはり信用できる素敵な人なのでした。

にゃは。本当に丸い。なにこれー。右が教会、左のは音楽ホールです。こりゃ、丸いなあ。いかにも丸い。手前は広場になっていて、子供が遊ぶスペースなんかもある。

この裏手に大学の寮があるのでした。

Rvsg_2

すごい雲。

でもこのあと10日ばかり滞在して分かったことですが、アルトゥリアスの天気はこんなものです。日本の島根県に近い。よく雨が降る。

受付で予約してたんですけどー、と話を切り出す。近く大学の新学期が始まるのですが、今はまだ夏休みで閑散としています。3階の部屋があてがわれました。

Room1

予想以上に素敵な部屋。なんだか、アメリカの学生寮はこんな感じなんじゃないか、と僕には思われました。勉強するのに最低限の設備。素晴らしい。ちょっと本を置くスペースが僕には足りない気がするが、欧米の学生は自分で本を買わないので(図書館で借りるので)、そこまで必要ないのかもしれません。

トイレとバスも部屋にある。熱いお湯も目いっぱい出る。素敵!!!

こうしてなんとかオビエドに落ち着くことが出来たのです。

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バリャドリードの追想

すでに本を相当買い込んでいるので、バリャドリードで買い足すことはそんなにないんじゃないかな、と思っていた僕。大きな勘違いでした。まず、開店と同時に扉をくぐったサンドバルであまりにも異常な品揃えに大興奮。国立図書館で見て気になっていた本などもミゲルに探してもらった。

マルヘンも素晴らしかった。大学出版局の本などで「こ、こんなすごいものが」という書物に出会う。また、僕の敬愛するSeboldの過去に書いた軽めの文章を集めたものが一冊の本になっていて、落掌し感激ひとしお。ありがとう。トマス・デ・イリアルテ研究の礎石となる本が復刊されていたり、フォルネール研究の泰斗のフランス人の本が見つかったりと、こちらでも浪費。

その他の店でもそれなりに本を購って、結果「はて、どうやってスーツケースに入れようか」と頭を抱える。

それから、バリャドリードにはスペインに珍しい名画座があります。Leopoldo CanoにあるCasa Blancaという映画館。狭いのだけれど、3部屋あって、フランスやその他ヨーロッパからの割りにレアな作品が見られるので、映画好きな方はどうぞ。僕は今回宿も近かったので二回行きました。

Campo_grande まあ、本も買いこんで、人に会う用事等も無事こなし、あとは自分の時間。僕は本を持ってカンポ・グランデに行きました。

ベンチに座って、水音を聴きながら、携えてきた本を読む。

僕が誰かとともに訪れた場所へ、僕がただ一人で帰ってくることへの不安があった。

途方もなく不幸な気持ちになるような不安が。

不安が。

君と訪れた場所をこんなにも鮮やかに記憶している。

君もいつか、この場所を訪れることがあるだろうか。

幸福な思い出が、次々と頁をめくっていく風に吹き流されていく。

あの時、僕ははっきりと、言葉として、こう思った。

きっといつまでも後悔する
今 君の声を聴かなければ
(Nina #2)

僕は後悔しない道を選んだことを嬉しく思う。けれど、僕は次のような思い違いもしていたようだ。それは全く正しくなかったことが後に分かる。

また会えるねと、嘘を言い合って
こうして君を待つ
(Nina #2)

僕は半年の後ドイツを訪れたし、君は6年の後僕を母国に訪れた。

いつか君と雨が止むのを
待ちながら二人
もう7月が終わるのを
肌で感じた
(Nina #1)

君に会うたびごとに、僕はいつも大切なことを言い出せないでいるのだけれど、今はまた次があることを祈るばかりだ。

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バリャドリードの街並

古都の面影深く、案外街並みがきれいであることを以前書いた。すこしばかりの写真で振り返っておこう。

Plz_esp これはスペイン広場で、朝に市が立ちます。バスのよく行きかうところなので、ここで友達と待ち合わせるのが便利。

バリャドリードでお世話になった先生に今回もお会いしましたが、その時待ち合わせたのがここ。週末などは催し物などがよくあるので、人がいっぱいということもある。

なんだかこの変な屋根が僕に駅を思わせる。あと、広場の反対側におっきな地球儀が廻る噴水があるよ。

Santiago これはソリーリャ広場とマヨール広場をつないでいるサンティアゴ通り。ブティックなども多く、バリャドリードの銀座なのでしょうね。観光案内所は昔ここにあった。ちょっと通りを折れるとエル・コルテ・イングレスもあったので、大変便利な場所。

この通りを歩いていると買い物を済ませて幸せそうに歩いてくる人たちとよく行き交います。

奥のほうに噴水が見えると思いますが、あれがソリーリャ広場です。噴水で右へ曲がるとパセオ・デ・ソリーリャというこれまた素敵な大通りがあります。お店がダーっと並んでて、カフェも多く、いろんな人が憩っています。かつてミゲル・デリーベスなんかが散歩している様子もよく見られたそうですが、最近はそんなこともないんじゃないかな。

Ordenes パセオ・デ・ソリーリャの始まるあたりにこんな建物があって、本当に何なのかよく分かりません。スペインにあった4つの騎士団の紋章が入っているので、そういうものと関係があるんだろうと思うのですが。案内を見ると騎士アカデミーと書いてあるので、かつて貴族の子弟が騎士団に入団を許された後教育を受けた場所なのでしょうね。今も大変立派な建物ですから、何かに利用されているかもしれません。壁にはラテン語で「すべては祖国のために」と書いてありました。

この向かい側には僕の好きなカンポ・グランデというおっきい公園があります。噴水があって、日陰があって、ベンチがあって、孔雀が歩いてて。でも、僕は素敵な思い出をその場所に残して来ているから、再び訪れることに不安を感じさえしていました。明日訪れることにしましょう。

Pv ソリーリャ広場の噴水の反対側も歩行者天国みたいな場所で、右手にカンポ・グランデを見ながら、そのまま国鉄の駅に続いています。でもスーツケースとかを引きながら歩くと結構距離があるんじゃないかなあ。

駅前にこんな像がありました。何を記念しているんでしょうね。バスで駅に行く場合は、これが見えたくらいで降車ボタンを押せば間に合うんじゃないでしょうか。まあ、誰か降りるから心配しなくていい。

Uva
お、妙に立派な門構え。

これがバリャドリード大学です(法学部?)。

バリャドリード大学はスペインでも屈指の古参大学で、サラマンカ大学同様名高い。少なくとも、バリャドリードの人々にとっては大変な誇りです。

こんないかめしい大学で勉強したらどうなるのかしらね。他にも沢山キャンパス、校舎があるのですべての学生がこんなところで勉強しているわけではありません。念のため。

このそばにはUniversidadという身も蓋もない名前のバルがあります。それと、この辺は夜になると結構華やかになるParaiso(天国)という通りが近い。大学生が遊んでるのはスペインも一緒かな。

Plz_uni
こちらも大学のお向かいさんですが、Plaza de Universidadという広場。あまり広くないんだけど、週末の夜酔っ払って気分悪くなった学生がベンチで寝てたりします。

真ん中に建ってる像はセルバンテスですな。バリャドリードにも住んでたことがあるので、彼が住んだといわれる家などが残っています。まあ、何処の街にもセルバンテス通りがあるので、話半分で。
Pza_sc こちらも多分大学の施設の脇にあるサンタ・クルス広場。サンドバルのいけてないほうの店の近く。女の子と待ち合わせるとき僕はこっちを好んで使ったけれど、それは他の場所だと知り合いに出くわすかもしれないから。

まあ、そんなことはどうでもいい。

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バリャドリードの本屋さん

週末に別の街に到着すると、案外ヨーロッパでは悲惨なことになる。

お店が閉まっているし。

ただ、バリャドリードはそこそこ勝手も分かっているので、安心。

かつて歩いた道々を、記憶をなぞりながら歩いていきます。とりあえず月曜日からまた本を買いに行くので、かつて足繁く訪れた書店の位置を確認しておきます。ここでは、書店が無くなってしまったということはなかったので、ほっとしました。ただし、バルセロナ、マドリードですでに相当数を買い込んで、日本へも郵送していたので、そんなに沢山バリャドリードで買うことはないんじゃないかなあ、と思っていたのだけれど・・・

とりあえず、今日は僕のオススメする書店を上げておきましょう。

SANDOVAL
Plaza El Salvadorの正面に立っている。人文系の書籍の品揃えも素晴らしく、店の中の落ち着いた雰囲気(これぞヨーロッパの本屋さん!)は僕がスペインで最も美しいと思う本屋さんです。ミゲルという博識のおじさんが書物の宇宙に君臨している。スペイン人にあるまじき丁寧さ、正確さ、親切さ!バリャドリードに住みながら、ここで本を買わない手はない。心から愛しい!実はPlaza De Santa Cruzの前にももう一軒あるのだけれど、そちらは映画、写真関係の本が多い。品揃えはいまひとつなので、本家の方へ、是非。

MARGEN
C/ Enrique IVにあるオールジャンルで品揃えが良い店。お店の内装も明るくきれい。かなり近代的な印象を与える。意外な大学出版局の研究書に出くわす確率がかなり高く、研究者にはありがたい。文学系だと地下になるのだが、マヌエルという非常に親切で、時に仕事がはかどらないおじさんがいるのだけれど、彼と話すと様々な本を提案してくれます。以前はもう一軒あったのだけれど、そちらは無くなってしまった。

MAXTOR
C/ Fray Luis de Leonにある、案外品揃えの良い店。一般書が多い一方で、じつは復刻版を出しているので、必要なものは見つけた瞬間に買うようにしたい。新刊の品揃えも悪くないが、倉庫には古本もすこしあるようで、「え、こんなものが手に入るの?」というものに出会うことがあるので、どうしても探している本があれば、パソコン端末の前に座ってる人に話しかけてみるべき。値段はそんなに安くないけどね。

RAYUELA
C/ Lopez Gomezという結構美しい通りに立っていて、店の中もしっとりとしている。現代文学や一般の人が手に取る作品なら、よく見つかる。現代を研究しているのなら、覗く価値はある。僕にはあまり関係がない。強いて言えば、名前が好き。

BancosそのほかにもOLETVMがサンドバルの右隣に、外国語学習にテーマを絞った書店がマクストルの筋向いに立っている。OLETVMはあまりにピカピカしていて僕好みではないのだが(6年前はなかったのです)、ペーパーバックが沢山あった。子供向けの本も多かった。大学の学生寮が近くにある(その脇にあるベンチが僕はすごく好き。何の変哲もないが、ここで本を読んで時間をつぶすことがよくあった)。

バリャドリードへお立ち寄りの際は是非!

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バリャドリードへ

残念ながらマドリードとの相性がよくない私。それでも随分沢山の本を買い込んで、国立図書館へも足を運んで、さらにはティッセン・ボルネミッサへも初めていったので、案外楽しく過ごしました。

でも、早くマドリードから脱出したいという思いは日に日に募るばかり。宿の同じフロアにドイツ人の修学旅行生がいて、大騒ぎ。本当にうるさくて嫌な思いをしました。ドイツ人の友達にはいい人が多かったのですが、みんながみんな几帳面で真面目ないい人たちではないことがこうして証明されました。そりゃ、そうだよね。

Please be quiet, please!
(頼むから静かにしてくれ!)

さて、マドリードを何とか切り抜けた私の旅はそろそろ後半にさしかかります。グラナダっ子の僕ですが、これから向かうバリャドリードにも3ヶ月過ごしたことがありまして、『バリャドリードの3ヶ月(3 meses de Valladolid)』というデモテープをスペイン滞在中に作った位ですから、思い入れは大変深いです。

グラナダとは違って、スペインのカスティーリャ王国部分を強く感じる場所です。えっと、スペインはいくつかの王国があったんだけど、それが次第に一つの王冠の下に政略結婚を通して統合されていくのです。で、その中心になったのがカスティーリャという王国で、現在のスペイン語とは大体カスティーリャ方言のことを指しています。だから、スペイン統一の中核になったものでもあるのですが、カスティーリャ自体もさらに古くはアストゥリアス王国とか、レオン王国というものを母体に成長していったわけで、別にこれだけがワン・アンド・オンリーな根源的スペインの姿ではありません。

先に名前を挙げた二つの王国はそれぞれ北にあったキリスト教徒の王国なのですが、その勢力が南下するに連れて首都がレオン、バリャドリード、マドリード、トレドなどなど、遷都されていきます。かつて首都であったところの街なのですね、バリャドリード。

そうやってみると、結構古い町並みが残っているので、古いスペインのイメージがよく残っています。町並みが美しいです。

で、そのバリャドリードへはマドリードからバスでも電車でも2時間くらい。そんなに遠くないです。マドリードを出発するバスは南バスターミナルから出ています(電車ならチャマルティン駅から)。このバスターミナルに行くまでに地下鉄に乗らなくてはいけないのですが、スリの被害や強盗の被害が多い場所なので、乗りたくないな、とぼやいていると・・・

「大丈夫、財布を取られるだけだから」

とスペイン人が言った。

朝食をとってゆるゆると、10時頃のバスに乗ったので、お昼頃につきました。街の中心部へいくバスに乗ろうと思ったのですが、運転手がそっちへは行かない、と言い張ります。いや、いや、いくってば。あー、もう。なんか、やる気をなくしてしまったので、20分くらい歩いて自分で行きました。なんだかなあ。

Pza_mayor 街の中心はなんといってもマヨール広場。スペインの街は中心に広場があって、その前に市役所があって、というのが典型的・・・といいながら最近それに自信を持てないのですが(たとえば、グラナダは街の中心がない不思議な街です)、カスティーリャ王国の街々だとかなりの割合でそうだ、と言っておこう。バリャドリードのはかなり立派です。夜遊びに行くときはここで待ち合わせをしたりする。

プラサ・マヨール(マヨール広場)の脇にアイスクリームやさんがあったんだっけ。なぜそんなことを記憶しているかといえば、僕がこの街で巡り会った、とても素敵なドイツ人の女の子と二人でそこでアイスを買って、散歩しながら食べたという『ローマの休日』ばりの素敵な思い出があるからです。ところで、グラナダで既に本屋さん消失という痛い目にあっていた僕は、「なくなっていたとしても、落ち込まないようにしよう」という決意を持っていたのですが、お店はちゃんとありましたよ。

そんなわけでチョコミントとピスタチオのダブルのアイスクリームを食べながら、どうしよっかなあと思っていました。

バリャドリードでは大体この辺を探したら宿が見つかるのでは、という見当がついていたこともあり、特に事前の予約などせずに歩いて探そうと思っていました。でも、なかなか思うように見つからないので、観光案内所で宿のリストを貰います。いくつか目星をつけて、電話を掛けて、町中の宿に落ち着きました。観光案内所といえば、場所が変わっていて、

「あれ、昔この辺にあったのに・・・」

と思っていましたが、新しく専用の建物が出来ていました。電車の駅からまっすぐ歩ける場所にあります。ソリーリャ広場の噴水の手前。2時に閉まっちゃうんだけど、ギリギリセーフでした。アイス食ってる場合じゃない?

見つかった部屋はかなり小さなところだったのですが、女主人がちょっときれいな人で、建物自体がかっこよかったです。荷物を置いて、顔を洗って、6年ぶりのバリャドリード散策に出かけます。ここもまた、我が青春の街なのだ!

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スペイン国立図書館の愉楽

スペインの首都に全く興味がない私、足は書店と国立図書館(Biblioteca Nacional)に向かいます。まあ、本当はプラド通りなんかも好きなんですけど。

国立図書館も18世紀の産物なんですよ、なんていっても誰の関心も引かないかも知れませんが、とにかくいろんな人が勉強しに来ているわけで、日本人の方も結構いらっしゃいます。フェリペ五世に感謝。地下鉄でコロンという駅を出たらすぐです。なんだか、僕は竹橋の国立公文書館を思い出してしまう。

博士課程くらいの人だと、ここで一通りの資料に目を通すことが出来るので便利でしょうね。スペインの国立図書館の使い方、を教えてくれる親切な人もすくないでしょうから、ここで。

0)入館にあたって

まずバッグの中身を空港にあるようなX線装置で調べられます。危険なもの(爆発物など)を持っていないことが分かると中に入れます。それから、クロークなどに荷物をすべて預けなければなりません。中に資料を隠して持ち出されたりすることのないように、筆記具や貴重品等を覗いてすべて預けてください。ノートパソコンを使う人は持ち込み出来ます。

1)利用証

まず、利用証を作ってもらいましょう。一般用と研究者用の利用証がありまして、6年前僕が結構頑張って研究者用の利用証を貰ったときは(まだ学部生だったのですよ)、紙で出来ていたのですが、今はプラスチックのカードにデジカメで撮影した顔写真が入ります。進歩していますね。今は取得も簡単。

研究者用が欲しければ、パスポート(現物)と博士課程に所属していることが明記された大学の在学証明書(英文でOK)を持っていきましょう。一般用ならパスポートだけで大丈夫。受付で貰う用紙に名前などを記入して一緒に提出します。

一般と研究者でどういう違いがあるかというと、古い本の参照に制約がかかります。昔のことをやってる人は研究者用のパスをもらってね。

2)座席の確保

ではこの利用証を持って本の出納(次項参照)を行っているカウンターに行ってください。交換で座席番号を書いたカードをくれます。どこに座ってもいいというわけではないのですね。古めかしくて、しかしゆったりとした机が沢山並んでいます。ここの静謐な雰囲気、素敵。

3)検索と出納

検索の次は「すいとう」と読みます。本を出してもらうことをこう言います。国立図書館は閉架式なので、参照したい資料をパソコン端末で検索して、それを出納してもらいます。赤い小さな紙に書名や著者名などとあわせて蔵書番号を記入してカウンターに提出しましょう(アルカラ・デ・エナーレスの別館に所蔵されている資料もあり、それらは後日持って来てもらうことが出来ます)。

一度に出してもらえるのは3冊だったと思う。5分から10分くらい(場合によりますが)で出てくるので自分の座席に座って待ちます。座席には赤い発光ダイオードがついておりまして、請求した本が出てきたらこのランプが点滅します。

ね、簡単でしょ。図書館を覗けば、スペインの文化的レベルが知れるというものです。この図書館はとても静かで、スタッフもいい人が多いです。マドリードで僕が愛する場所といえば、こことC. S. I. C.の図書館(文学と歴史)くらいです。

では、最後に国立図書館で僕が素晴らしいと思う、もう一つのことをお教えします。

それはね、階下にある食堂。ここは値段も安くて、ボリュームたっぷりの食事を楽しめます。ご飯がおいしいの。かなり気に入っています。まずはじめにレジでお金を払ってレシートを受け取ってください。これが引き換えのチケット。

パンや食器をとって、飲み物、デザート、一皿目、二皿目と注文していって下さい。図書館でビールを飲んでもいいというのが、日本では考えられないよね。どうぞ選んでください(銘柄がなぜかハイネケンというチョイスも意味不明でいい)。どれも結構本格的で美味しいです。また、食堂のスタッフがすごく陽気で楽しい人が多い。

ご飯が美味しければ、午後の勉強にも身が入るというもの。

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マドリード、街路に立つ

マドリードへ向けてグラナダを出発したのが深夜0時30分。眠くなってきた。朝の5時半に着くという。そんなに早い時間についてどうするのか、よく分からないけど。

マドリードへ行く途中、トイレ休憩する場所は決まっていて、多分バス会社と契約しているのでしょう。6年前のスペイン滞在中、グラナダから国立図書館に行って資料を探すためにマドリードへ行った時と同じ。友達に会いに行ったときと同じ。ロンドンへ向かう飛行機に乗りに行ったときと同じ。ああ、この公衆電話から友達に電話したっけ。そんなことを思い出す。人の記憶力は不思議。

マドリードというのは僕にとって全然魅力がない町で、興味もありません。スペインの文学をやってるくせに、マドリードのことを一切知らない。マドリードのことを聞かれても、一切応えられない。許せよ。

早朝に着いた首都で、外はまだ暗い。えー、寒いし。

宿は一応とっておいた。勝手知らない町ですから。これで安心と思ったのですが。

そしたらね、朝早く着きすぎまして、2,3時間外で待ってて、といわれ、通りには妙に薄着の女達が。

寒い中、街娼達と一緒に街路に立つ。何やってんだろう、僕。バルも空いてない。

太宰もロートレックも彼女達にマリアの似姿を見たのだろうな。辛い、寒い、大変。これは、これは。

スペインの娼婦はとにかく分かりやすい格好をして道端に立っている。車道に立っている場合は、車の中で、ということ。通りにいる場合は、その近所に粗末な連れ込み宿があって、そこで、ということ。

でも、何で僕まで外で震えながら立ってるんだろう?

こんな時間に町を歩いている人は殆どいないし、仮に夜遊びから帰る人たちももう眠いわけですから、娼婦を相手にするはずはない。でも、彼女達は客に声をかけるし、軽くあしらわれながら、朝を待つ。

でも、何で僕まで外で震えながら立ってるんだろう?

辛い仕事だと思う。病気の心配もある。乱暴な客もいる。車に乗ったら誘拐されて殺されるかもしれない。それでも、やっぱり道端に立つ。

でも、何で僕まで外で震えながら立っているの?!

我慢できず宿に戻る。仕方ないな、という顔で部屋にやっと。なんだよ、仕方ないな、って?

とっても寒いマドリードの第一印象。いかに僕がマドリードに嫌われているか、よく分かる。僕だって、嫌いだ。

10時ごろまでベッドで眠り(わーい)、とりあえず、本屋さんへ。大量に買い込んで帰り、宿の入り口を見ると、あれ、いっぱい娼婦が立っている。

僕は娼婦は夕方くらいから立つものだと思っていましたが、マドリードのGran Via(そういう名前の通り、地下鉄の駅がある)では昼から姉さん達が立っています。夜の蝶は、昼は結構普通のおばさんだったりするので、がっかり。とっても驚いた次第。

マドリード初日は午後にも本屋に行って、書物の渉猟。以後連日書店と国立図書館に。とにかく寒い朝を過ごし、のっけから痛い目に遭って、早速逃げ出したくなる。


Telefono 特にマドリードの写真はありません。せいぜいこれくらい。


へんな壁に電話。


お分かりいただけますね、首都に対する僕の関心のなさが。

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さよなら、白い家並

ブビオン最終日。

Adiosbubion 特に予定にはなかったのに、お気に入りの本屋の消えたグラナダから立ち去りたいがためにやってきたアルプハーラはとても良いところでした。また夏に来たい、と思わせる。

グラナダとアルプハーラの間を行き来するバスは一日3本あります。僕はブビオンに出来るだけ長くいたいので、最後のバスに乗ることにする。午後6時くらい。

荷物は宿で預かってくれるそうだし、テラスも好きに使っていいよ、といってくれる。で、散歩したり、本を読んだりして、のんびりとした一日を過ごしました。

歩いていたら、ベッドメイクをしてくれた女の子と会って、言葉を交わす。到着して一番最初の日に部屋へ案内してくれたのもこの子だった。はじめにどのような出逢いをしたかで、その場所の印象が随分変わることを僕は知っている。

教会脇の広場で、日陰に入って本を読んでいると、小さな男の子が自転車に乗ってやってきて、「今何時?」と聞く。

それからまたすこしして「今何時?」と聞く。

自転車のサドルが緩いから直して、と頼まれる。

ええ、直しますとも。

そのあと、落し物をしたから一緒に探して、と頼まれる。

ええ、探しますとも。

一緒に午後の日差しの中を歩いて、探しものをする。

結局見つからなかったんだけど、「多分家に忘れてきたんだ」だってさ。

ふふふ。

Sopa お昼をあの店で食べるのも今日が最後。いつも一皿目はガスパチョを頼んでいましたが、今日はスープを頼んでみる。多少の変化がほしい。

薄味のスープに別の皿にある具材を入れていただきます。あ、これも美味しい。

このお店は表に出ているのが無愛想な感じのおじさんで、ご飯を作っているのが奥さんなのだけれど、毎日来てるとだんだん話をするようになりました。大変居心地のいい店でしたよ。出逢い亭というお店(El Encuentro)です。ブビオンへお越しの際は是非。

さよなら、ブビオン。さよなら、白い家並よ。

ブビオンを出て、グラナダへ一旦戻り、そこからマドリードへ向かうバスに乗ります。

山道をごとごと降りていきながら、また本当に戻ってこられるか、心配になる。画家の女性と会って、「ここで過ごす冬はとても寂しいものよ」と言われたことを思い出していた。僕にとって通り過ぎる場所であったとしても、ここには人々の生活があるのだ、と。表面だけをスイスイと滑りながら生きているようで、どこにも留まれないような不安がある。

でも、仕方ない。

2,3時間バスに揺られて、グラナダ市中に戻ってきたとき、それはまた懐かしいような。人が多いなあ、というのがまず思い浮かんだこと。でも、グラナダの通りもまた僕はよく覚えているものだから、やはりこの町も愛しいことには変わりない。

ここで数時間待って深夜マドリーへ向かって出発するバスに乗ります。バスターミナルで待っていても仕方がないので、ちょっと足を延ばして、バルでワインを飲む。Night_in_bubion

簡素ながら人の出入りの多い店で僕は、漆黒の闇と静寂に包まれたブビオンの小道を歩いたことを何度も何度も思い出していたよ。

自分の足音、吐く息の白さ、すべてが霧に包まれていたような場所だった。

本当だったのかな、と思うほど。

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パンパネイラも行ってみる

Cabras 窓の外には水が流れる音。鶏が鳴いてる。光が差してる。カラン、コロンと乾いた音が聞こえる。『朝ですよー!』というメッセージがユニゾン。いそいそと顔を洗って、階下で食事を取り(朝食はサロンでサーブしてもらえます)、散歩する。やあ、カラン、コロンは君たちか。

今日は坂道を右へと下ってまいりまして、パンパネイラという村に行ってみます。昨日のカピレイラより随分遠いし、標高差も随分ある。カピレイラを見たときに、ブビオンのほうが住みよいな、と思った僕のことですから、期待は禁物。運動のため、と割り切って歩く。Castanna

例によって栗の実が沢山なっております。秋には秋の楽しみがあるのでしょうね。

スペインとは関係ないのだけれど、栗のジャムというのがありまして、僕はそれが大好物。前のスペイン生活(6年前のグラナダ)で好んで朝食に食べておりました。今回はそれを買って帰ろうと思っています。日本ではあまり見たことがないのだけれど、栗餡みたいで甘くて美味しいのです。

Bubion_y_capileira 道半ばより振り返ると、手前がブビオン、向こうにある白い集落がカピレイラ。この辺の建物はたいてい白い。人が住んでいない家(結構沢山空き家がある)は黒ずんでいるので、この白さは結構手入れをしたりしているということなのでしょうね。

山肌をまっすぐ登っていく道路というのはなくて、蛇行しながら少しずつ高さを稼いでいくのですが、パンパネイラへは随分大回りをして降りてゆきます。

Recuerdo 途中こんな碑がありました。フランコ独裁に抗した人たちが、人知れずこの山の中で処刑(銃殺かな)されたそうで、そのことを忘れてはならない、という文章とフェデリコ・ガルシア・ロルカの詩句が記されています。

ブビオン滞在中に僕が読んだ英字新聞にも、大量の遺体(もちろん粛清の犠牲者)が発見されたという記事が掲載されていました。そんな話はスペイン中どこにでもあるのかもしれないけれど、この穏やかなアルプハーラもまた、政治とは無縁ではないのですね。

パンパネイラに着く途中、大きなバスのパーキングがありまして、ゾロゾロゾロとドイツ人観光客が出たり、入ったり。そっか、彼らがここの生活を支えているのかもしれない。観光地としてはさえない場所なので、むしろ避暑地的な印象を持っていたけれど、ドイツ人はガーっとバスでやってきて、喧騒を残して去っていきます。パンパネイラはその前線基地でした。

アルプハーラは織物(けっこうごわごわしたウールの織物)が特産品で、それを売っている店がちらほら見受けられます。普通の日なので、子供達が学校で遊んでる声が聞こえます。カフェテリアでコーラを飲みながらすこし本を読んで、すごすごとブビオンへ帰っていく。そんなわけで、特に写真はなし。

Pim夕刻から宿のテラスで本を読みつつ消え行く太陽を眺める。お隣のテラスには赤ピーマンが干してありました。まぶしいほど鮮やかでした。

日が翳ると少しずつ肌寒くなってきます。

それから、山肌を少しずつ、少しずつ白いもやが這い上がってきます。

Niebla1どんどん気温が下がっていく。

湿気で、薄いペーパーバックの頁がふにゃふにゃとなっていくのが分かります。

昼の日差しの中で見る緑はあんなにも力強かったのだけれど。

緑をしっとりと濡らして、夜が近づいてきます。

Niebla2_2太陽が沈んでも、山際にはまだすこし赤みが残っているけれど、遂に白い霧の中に飲み込まれた僕には、印象派の絵画のようにしか見分けることが出来ない。

山霧は生き物のようにゆっくりと斜面を登ってきて、飲み込まれる、飲み込まれた、抜け出した、ということが自分で分かるくらい。

大きな、大きなかたまり。

Niebla3  この白いかたまりを通り抜けた頃、夜は初めからそこにあったように、街路に満ち溢れます。

もう本は読めないな、と思う。テラスに置かれたプラスティックのガーデンチェアに身を横たえて、目を閉じながら、空気がさわさわ動いている音を聴いていました。

ここには人の話し声や車の騒音以上に饒舌な声があるような気がする。風の音はしない。ただ、流れる水の音だけが聞こえる。

Noche 部屋に引き返して、セーターを着る。その上にもう一枚重ねて、食事にいく。

外界とブビオンをつないでいる幹線道路沿いに、すこし歩いてみる。

向こうから誰が歩いてくるのか、顔さえも見えない。人は住んでいるはずなのに、ひっそりと静まり返っている。

Vino_y_jamon ワインを飲んで、パンをかじって、またワインを飲んで。

びっくりするくらいの量の生ハムを食べて、頁がふにゃふにゃになったペーパーバックを読んで。

程よく酔っ払った頃、ゆっくりと宿へ帰っていく。

ここに生まれて、ここで死んだら、それは寂しいことかもしれない。だから、若い人たちはグラナダへ出る(県都)。帰ってこないかもしれないけれど、彼らを引き止めることは誰にも出来ない。

よそ者の僕は、明日ブビオンを後にする。

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カピレイラへ行ってみる

二日目のアルプハーラ。あまりにもブビオンの居心地がいいので、別に観光じみたことをするまでもないな、と思いつつ。のんびり部屋で、テラスで本を読んでいたいという気持ちが強くあるのだけれど、日中日差しが強くなる前に外へとりあえず出よう。

右へ行くか、左へ行くか。今日は左へ行ってみる。

山道を登って、カピレイラに足を延ばしてみる。普通の舗装された道路で、2キロくらいあるいていくと、似たような白い村に着く。Capileira

これはカピレイラに向かう途中でブビオンを撮った写真。こじんまりとしていますね。でも、カピレイラのほうがもうすこし小さい感じです。

この道路沿いは大変眺めが良くて、空も緑もきれい。けっこう沢山栗の木が生えていました。青いトゲトゲがかわいらしい。緑のことを青と呼ぶのは、昔日本には緑という色の範疇がなかったからです。今となってはフシギな気もするけれど。Castanno
カピレイラはブビオンよりも規模は小さいのに、ガヤガヤと活気のある感じでした。

日曜日の午前中、人々は広場で飲み物を取りながら世間話。パンを買いにいく子供。ここでも水がこんこんと湧いている。

でも、僕はブビオンのほうが好きでした。

また今度は下り坂をピコピコ歩いて、帰って行きました。

Nawatobi昨日の店で食事をして、またブビオンを散策して過ごします。縄跳びしている子供達とお母さんがいました。何か歌を歌いながら跳んでいました。スペイン語で縄跳びってなんていうのか、分かりません。結局僕はスペイン語なんて得意でもないし、よく分かっていないけれど、そんなのどうだっていいのです。もっと大事なこと、沢山ある。

「写真撮っていいー?」と聞くと、「いいよー!」と元気に返事が返ってきます。


夜セーターを着込んでジャンパーを羽織り、テラスに出てみました。

満天の星。天の川も見える。流れ星にしてはいつまでも見えるな、と思ったら人工衛星?星が、すごい。ごめんね、写真ありません。

1時間くらい空を見上げて過ごし、それから眠りに就きました。

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アルプハーラへの道

観光案内で紹介されたのはPampaneira, Bubion, Capileiraという村でした。名水の産地ランハロンよりも奥まったところに位置していて、じゅうたんなどの毛織物が有名なよう。この三つの村はそれぞれ数キロの距離だということなので、「じゃあ、真ん中にいけばいいじゃん」と思う。

そもそも、ブビオンという音が面白い。

で、グラナダからバスに乗っていってみる。

とにかく険しい山道で、ぐるぐるカーブが続いている。乗り物酔いの人は地獄。A_bubion

結構切り立った岩山が続いていて、背の低い植生が時折現れる。ここに道を開いた人は大変だっただろうなあ、と思う。それでもブビオンの名前はローマ時代から現れるそうで、なにかの鉱山があったそうです。その後、キリスト教徒に追い出されたモーロ人が住み着いたりしたので、隠れ里的な集落になったのだろうなあ、と思う。

宿をとったときに場所を聞いたら、小さな村だからすぐ分かる、といわれていました。バスがパンパネイラを過ぎて、その次がブビオン。道路わきにポンと下ろされる。そのそばに民芸品を商うお店があって、そこで道を聞いて、ゴロゴロとスーツケースを引きながら歩いていく。Bubion1

家並が白い。

道が細い。

かしこに花と緑があふれている。

空気がひんやりとしている日陰で耳を澄ますと、かすかに水の流れる音が聞こえる。

遠くで鳥が鳴いている。

足元は舗装ではなくて、細長い石が沢山埋め込まれている。靴底が時折キュッと鳴く。

入り口にトラクターが止まっていて、テラスが広がっている場所が宿でした。
Bubion2
あまり風情のある場所に泊まったことがないのだけれど、ここは入ったとたん好きになってしまう。ひとりだったのでちょっと小さい感じでしたが、ベッドが二つ。お湯もしっかり出るし。

窓を開けると先ほど下った通り、その向こうに水が湧いている。この部屋からはいつでも水音が聞こえる。

葉擦れの音、水の音、僕はすごく好き。

一階にはサロンがあって、テレビの間と、小さなバル、旅行者達が置いていった英語のペーパーバックが沢山ある。

1階、2階、3階それぞれにテラスがあり、遠く山肌を見下ろしてのんびり出来る。視界をさえぎるものが無い。

なんだか、普段縁のないリゾート気分が高まります。ちょっと外を一回りして、それから食事にしよう。カメラを持って外に出る。

Bubion3
白、青、緑。

何を見ても静謐で美しい。

空気も、光も。

色彩も、触感も。

駄目だ。一足ごとにシャッターを切ってしまう。

Bubion4 何も特別ではない。

何も目を引くものはない。

それなのに、何でこの場所がこんなに好きになってしまうんだろう。

喧騒は遠い。

路面をこするタイヤの音、遠く聞こえる鐘の音。そしてまた鐘の音。2時だ。

スペインのお昼は2時からです。2時になると仕事や学校からみんな帰ってきて、家族と食事をする。それから少し休憩して、5時前になるとまた仕事へ、学校へ戻っていきます。

僕もおなかが空いたので、いくつか食事が出来そうなところを見てみます。

結局入ったのは、その時お客さんが一人しかいなくて、「あ、しまった」と思わせるようなバルだったのですが、奥にお食事客のテーブルがありまして、定食とビールを頼む。愛想のないおじさんが店の中を歩き回る。Bubion5

一皿目。ガスパーチョ。

やっぱりアンダルシアに来たらこれ。野菜の冷たいスープです。トマトとか、セロリとか、にんにくとか入っている。苦手な人もあるでしょうが、僕はグラナダ育ちなので好きです。

チーズの外側をコリコリと削り、ガスパーチョを掬い、ビールを口に運び。
「ここ、おいしいじゃん!」

Bubion6 二皿目。

これは何かというとですね、生ハムとサルチーチャ(赤いの)、モルシーリャ(黒いの)、ピーマン(緑。苦くない)、ジャガイモと目玉焼き。

アルプハーラは山なので、こういう保存できる食材が典型的なのです。生ハムは「山のハム」というのが本当の意味で、山風に当てて塩漬けした豚肉(脚)を乾燥させたところから。

僕の苦手なのはこのモルシーリャという黒いソーセージで、米やら香辛料やら、よく分からんハーブやらが入っているのですが、それよりなにより、この黒い色は豚の血の色。それを練りこんである。どうしてもこれだけは食べられない。

長々と時間をかけて、大量の生ハムを食し、ビールを飲み、パンを食べ。窓から見える空はとにかく青い。食後のデザートはコーヒーをお願いして、くつろぐ。僕はご飯をゆっくり食べるのが好きなので、大変ありがたい。

持っていた本をまた少し読む。

近所の人が入って来て、飲み物を頼み、世間話をして、また帰っていく。

僕は翌日からも毎日この店に通うことにしたので、モルシーリャだけは載せないで、とお願いしたのでした。

Boda 御腹もくちくなって、移動の疲れもあって、宿ですこし休んだ後、本を持って外へ。水音を聴きながら本を読むなんて、素晴らしいでしょう。そういえば、眠っている間に、妙に鐘の音がカンカン聞こえた気がするけど、火事でもあったのかな?と思っていたら、花婿と花嫁が歩いてきた!そう、この日は村の結婚式があったのです。

おめでとうございます。

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グラナダの酩酊

すっかりやる気をなくした僕は、その後細々と本屋さんを覗いては、「URBANOの方がよかったなあ」と思う。大して本も買いませんでした。持ってる本しかなかったし。

仕方がないので宿の部屋で本を読んですごしました。日本と変わらん。

そういえば、僕がグラナダに着いた日の夕方雨が降って、宿の部屋から外を眺めていました。アンダルシア地方はこの雨で大被害。車が流れたり、駅が水に浸かったり。近年まれに見る雨が降ったのです。

グラナダといえばアルハンブラ宮殿なのですが、チケットの前売り方式が変わりました。以前はReyes CatolicosにあるBBVAという銀行で買ったものですが、今はLa Caixaに委託されており、

①電話(902-888-001)をかけて予約し、
②クレジットカードの番号を伝えて、
③当日受け取る(?)

仕組みになっているよう。そんなこと知らずに来た旅行者は困るだろうね。2,3日先の日付じゃないと買えないようです。せっかくグラナダに来たのだし、アルハンブラ宮殿くらい見ていくか、と思ったのですが、断念。Alhambra 遠くから写真を少しとって、それでいいことにする。僕は自分がグラナダっ子だと思っていたのですが、アルハンブラに拒絶されてしまった気がしました。さらに落胆は加速。

もう、グラナダはいいや。

そう思ったのです。本屋もないし、アルハンブラもいけないし。当初一週間グラナダにいるつもりだったけど、これ以上いても仕方ないな、と。大抵の場所は知ってるし。そうして地図を見てたら、グラナダ県のほかの場所を知らないなあ、と思う。どこか、足を延ばしてみますか。

ツーリスト・インフォメーションに行って、一日で遊びに行ける距離でオススメの場所を聞いてみる。

山か、海か。

いいねー、リゾートっぽくて。どうせなら普通行きそうにない場所がいいな、と思う。

海はアルムニェーカルという町。まあ、観光でいく人もあるだろう。実は雨で甚大な被害を受けることになるので行ってたら大変なことになってた。

山はあまりいったことがないな。実はグラナダってスキーが出来るのです。2010年のオリンピックを誘致しようとしたくらいで、シエラ・ネバダ(雪を冠った山脈の意味)という場所がある。僕がいこうと思ったのはこの山脈の向こう側。アルプハラと呼ばれている名水の山地。

そうそう。スペインへいくとミネラルウォーターを買って飲みます。カタルーニャでよく見る水、グラナダでよく見る水、北部でよく見る水、などそれぞれの地域色もあって、なかなか楽しい。もちろん、スペイン中でポピュラーな水というのが流通しているんだけど、僕としてはその場所の水を飲みたい。

グラナダだとLanjaron(ランハロン)というボトルのデザインのかっこいい水が売っています。アルプハラの入り口にランハロンという町があり、ここで水をボトルに入れて売っている。アルプハラはどこに行っても湧き水があって(雪解け水なんでしょう)、名水の産地です。

うん。アルプハラに行ってみよう。と思い立ち、宿をとって、バスのチケットを買って、荷物をパッキングして(グラナダに留まるつもりがなかったのですね)、グラナダにさよならしようと思う。

Fuentegr 夕方、日差しが傾くまで、噴水のそばで本を読んで過ごし、町そのものは変わっていないはずなのに、グラナダが僕にとって案外寂しい印象の場所に変わってしまったことを思う。

たくさん素敵なこともあるのだけれど、URBANOが無くなってしまったことが、こんなにも悲しい。

あ、アンダルシアのタパスの話をしていなかった。

スペインはお酒のおつまみ的にタパスという小鉢料理みたいなものがあるのですが、普通はお金を払って注文します。でもね、アンダルシアでは勝手に出てくるのよ(スペインのほかの場所でもそういうお店はあるけれど、スケールが違う)。タパスが美味しい店は人気があるし、いつもにぎわっています。グラナダには僕オススメのバルがいくつかあるのですが、URBANOが無くなって傷心の僕には、バルの楽しさも半減だったなあ。

でも、グラナダ最後の夜に僕が行ったあるバルのタパスをご紹介しましょう。

落胆が大きすぎてお酒をしっかり飲みたい気分なので、赤ワインを頼む。
Tapas1
最初はね、タコのぶつ切りにしたものをフライにしたものと、酢漬けのキャベツが出てきました。

テーブルにもアルハンブラ・ビールのロゴがあることにご注目。

旅行してると野菜が不足することが多いので、結構このキャベツが嬉しかった。

Tapas2 2杯目。

そう。いいお店は毎度毎度違うタパスをサーブしてくれる。

これはね、いわしのフライ。はらわたは抜いてあるので、背骨のところをさくっと外して、あとは大体全部食べられます。

ナイフとフォークで上手に魚が食べられる人はいいなあ、と思う一方、海外旅行にはお箸を持っていくと便利ですね。

Tapas3 3杯目。

なんだか名前は分からない魚の姿揚げみたいなものが出てきた。

見た目のインパクトは抜群ですが、さっきのいわしの方が美味しかったかも。

この後もワインは杯を重ねましたが(酔っ払って宿に帰りました)、おなかいっぱいでした。

スペインはレストランに行くよりも、バルでお食事を済ませてしまうほうが経済的でかつ楽しかったりします。自分好みのバルを探してはしごするのも楽しいです。

グラナダにはchana(チャナ)という地区があって、治安があまりよくないなどといわれるのですが(そんなことないよ!)、そこのタパスは僕が今まで出会った中で最強でした。お刺身の大皿みたいなので出てきます。ひゃあ!

あと、市内のEl Corte Inglesの前にあるバル(名前は失念。実は名前が変わっていたのですが、素敵なタパスは健在でした)もお気に入りです。にぎわってるので行けば分かるはず。

それから、グラナダのバスターミナルのバルのパエリアは妙に美味しいので、お昼時に到着した方はどうぞ。

まあ、そんなこんな。僕はグラナダを離れることにして、グラナダ最後の夜を酩酊のうちに過ごしたのでした。

明日は午前中出発します。

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グラナダの落胆

グラナダは僕が18世紀に関心を持つきっかけを与えてくれた場所でもあり、これまで研究してきたカダルソという作家についての雑誌論文等をかき集めた場所でもあります(400本くらい)。だから、テーマを決めて、それに関する資料なり文献を収集して、というレベルまでの作業(その時は宝探しみたいで愉しんでいましたが)を無手勝流で学んだ一時期です。

Unigra 当時はグラナダ大学の文学部というところにお邪魔していたのですが、ここに所蔵されている学術雑誌ならなんとなく、「あの辺?」と見当がつく。MLAIBやRomanische Forschungenを積極的に活用し始めたのもこの時期で、文献収集についてはずいぶん多くのことを学ばせていただきました。

懐かしい学校へも足を運んでみました。画面中央下のタイルは双頭の鷲。Squirrel

それからね、学校の裏手をふらふら歩いていると(大学の出版部がちょっとはなれたところにある)、リスがいた。やーん、アメリカみたい。

勝手に繁殖してすごく増えてしまうのも困るけれど、ちょっと心が和んだ次第。

大学は町の中心から少しはなれたところに位置していて、カルトゥーハ修道院を左手に見て坂道を登りながら、一番最初に現れるのが文学部。

スペインの大学は10月から始まります。6年前の9月ごろ住む場所を探していて、一年間いられるわけではないので断られることも多かったんですが(ルームシェアする相手を探している人が大半なので、途中でいなくなると困る)、OKだった場所が二箇所。

・大学のすぐそば。家賃は高くて、部屋は狭く、暖房・エレベーターなし。男3人とシェア。

・大学から30分くらい(バス乗り換えあり)。家賃は安くて、部屋は広く、暖房・エレベーターあり。ついでに建物きれい。女2人とシェア。

ね。

ね。

ね。

どう考えても女二人とシェアなのだけれど、「大学近いほうが勉強するかも」と漠然と考えていた僕は、人生で最大の過ちを犯してしまいました。えーん。あの日に帰りたい。Cristodelayedra

振り返ってはハンカチを涙で湿らせている、決定的な判断ミスによって住んだ通りが「蔦のキリスト」通り。何それー。少なくとも僕は悔い改めたけどね。

一つだけいいことがあるとすれば、その家はヴェランダからの眺めがすごく良かったのです。「素敵な朝ごはん」という歌の中で僕が

テラスから僕の住む街の景色を君に見せたく思う

と書いているのはその眺め。カテドラルが見えて、へちゃーと(何かが平面的なときに使う擬音語。例:犬がへちゃーと寝そべっている)町の屋根が広がっていて、遠くに山が見えて。

Cervezaalhambra この家の通り一つ挟んだところに、以前言及したアルハンブラ・ビールの工場がありまして、このたび写真を撮ってまいりました。

僕が行ったときはそんなに甘い香りはしていなかったですが、きっと朝行くとあの懐かしい香りがするのでしょうね。今回もグラナダではよくアルハンブラ・ビール(スペイン語ではアランブラと発音します)を飲みました。最近はスペインどこへ行っても探せば見つかるようなので、機会があったら是非!

さて、グラナダでするべきことといえば書肆をめぐること。グラナダには僕の無理を聞いてくれるURBANOという本屋さんがある。住んでたころは行く度に1万円以上必ず本を買う、という変なルールを自分に課していたことがあって、相当お得意さんだったわけなのですが。URBANOは町中に二つ。そして面白いんだけど、J.URBANOというこちらは古本屋さんがありまして、元々は創業家の兄弟だったそうですが、喧嘩別れした?という噂も。キタムラじゃないんだから。この三軒をめぐることで「マドリードなんて行かなくても、グラナダでいいじゃん」という優越感に浸りたい。グラナダっ子の僕としては是が非でもそうしたい。

のに。

なんとすべて無くなっていました。

絶対ここにあったはずなのに、という場所を何度もウロウロして、近くのパン屋さんで「URBANOっていう本屋さんが前あったんだけど・・・」と聞くと、「何年も前になくなったよ」といわれてがっかり。

さらにJ.URBANO(古本)もなくなっていて、今では画材屋さんが店を開いていた。ここは珍しい本を格安で手に入れられる場所だったのに。

僕がメインで使っていたSan Juan de DiosのURBANOが無くなってしまったことが信じられず、もう一軒のほうにも行ってみる。そしたらこんな張り紙が。

Urbano 本がない
仕事がない
未来がない
住所もない
URBANOはどこにいった?
正義はないのか!!!

誰が張ったんだろう。元従業員か、元顧客か。分からないけれど、僕は膝から力が抜けてしまいました。URBANOが無くなったというただそのことだけで、大好きだったグラナダの街から光が消える感じがしたなあ。URBANOがないグラナダにいても、しょうがないと思ったのです。

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グラナダの奇跡

2001年9月から2002年の3月まで僕はグラナダ大学というところにいました。Miguel d'Orsという先生の授業を聞かせていただくためです。スペインへ留学される人は昨今沢山いると思いますが、グラナダへ行く人はそんなに多くないと思う。マドリードやバルセロナのような大都市ではなく、ちっこいグラナダが僕のホームグラウンドだという気持ちもあり(他にそんな人はいないでしょう)、勝手知ったる町という気もしています。

Fuera グラナダへはバルセロナを夜発って、朝到着する夜行列車があります。僕はこの列車結構好き。明け方空が白んでくると、車窓の景色は乾いた土の荒野。次第に植生や人家が見られるようになると、そろそろグラナダという気分になります。

スペインは電車よりバスが断然便利な国だと僕は思っているのですが、それは電車が結構遅れるからです。バスは早く着くことはあっても、遅れることはあまりない。所要時間も殆ど変わらないことが多いので、移動は出来ればバスでしたいところです。乗り物酔いの人は辛いですが。僕もそうです。

Renfeスペインの国鉄はRENFEといいます。レンフェと読む。以前僕が来たのが6年前ですが、ロゴが変わっていました。 ちょっとおしゃれになったのでしょうね。前は青と黄色だった。

これはグラナダに到着したところですが、なんと今回時間どおりに到着!!逆に驚きましたよ。割に朝早く着いてしまって驚きました。グラナダの奇跡と呼ぼう。

着いてすぐ市バスに乗りました。Cardbus 知らない町でバスに乗るのは嫌なのですが、グラナダは私のホームグラウンドですから(といいつつ、結構ドキドキする)。スペインのバスはBonobusという回数券があるのですが、この度ICカードになっていました。やーん、SuicaやPasmoと同じですね。Pasmoはスペイン語で「びっくり」の意味です。カード代が2ユーロ。そこに5ユーロなり、10ユーロチャージして使うようになっていました。10ユーロで17回乗れるんだって。これはその後他の町へ行ってからも感じたことですが、この手のICカードが非常に増えています。ただスペイン全土で使えるわけではありません。それぞれの町に違うカードがある。後に訪れた町では同じカードで異なる町のバスに乗れるようになっているところもあり(あと中距離バスも乗れたり)、その範囲が広がっていけばより便利になるでしょう。

Pldelcampillo 最初にPlaza de Campilloという(らしい。というのは住んでるときあまり気にしたことがなかったので名前を知らなかった)ところへ。

うん。ここへくるともう勝手知ったる感がいや増し。この近くに観光案内所があるので、宿のことなど相談。地図ももらえました。

とりあえずグラナダに落ち着くことが出来ました。

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Diada(カタルーニャ・ナショナリズム)

ディアダとはカタルーニャ・ナショナリズムにとって重要な日。この日はカタルーニャの自主独立を求めてバルセロナで盛大な祝祭が執り行われます。Diadaは「偉大なる日」くらいの意味。

言語文化的に異なるものを持っているカタルーニャですが、それが独立の基盤になるかというと必ずしもそうではない。ある日大阪の人が「明日からわたしら独立すんで~」と言っても通らないでしょう。自分たちはスペイン(と呼ばれているもの)とは異なる、という主張をするにはそれなりの論拠が必要で、言葉と文化は重要な要素ではあるが決定的な条件ではない。

Diada4 僕が到着した頃には既に「カタルーニャはスペインではない!」という張り紙がされていて、独立ムードをかもし出していました。革命を起こして独立を勝ち取ろう、などなども。こういう戦意高揚ポスターそのものになんとなくいかがわしさを感じてしまう。敵として想定されているのは誰であるか、なぜそれが敵なのか、という問いかけが一切なされないままこういうポスターが貼られているような気がするのだけれど。

Diada1通りには人がごった返していました。バルセロナの住民だけではなく、カタルーニャ地方の各地から人々が寄り集まってこの日をお祝いするわ けです。バルセロナの住民はむしろひっそり家にこもってテレビでも見ていたかもしれませんね。知らない人が見たら「9・11のテロの追悼集会か?」と思うかもしれませんが、それにしては人々が楽しそう。

Diada2こんなお店がありました。射的みたいな感じだけれど、真ん中に牛の的がありまして、これを上手くおもちゃの鉄砲で射止めると、猫の絵がパタンと現れるようになっています。

牛はいわずと知れた(でもそのルーツを説明できる人、いる?)スペインの象徴。猫は?実はカタルーニャのドメインが最近「.CAT」になりました。カタルーニャ、の頭文字ですが英語の猫でもあるのでそこにかけた駄洒落です。スペインを倒してカタルーニャになる、ということ。この的を通りがかりの人が撃って、猫が現れると皆が歓声を上げる。

Diada3
なぜ9月11日なのか、という疑問も当然起こりますね。これが大変面白いです。18世紀のはじめにスペインはスペイン継承戦争というのを経験。国内外でブルボン家とハプスブルグ家がスペイン王位をめぐって対立。バルセロナはハプスブルグの王様を認めたのですが、9月11日にブルボン家の軍隊によって陥落させられてしまいます。そのことを忘れないように、ということらしい。

ここで重要なのは自主独立の根拠がほんの300年前の出来事に求められていることです。この時点ですでにカタルーニャ・ナショナリズムの脆弱さが露見するのだけれど、カタルーニャの言語文化的な際や、歴史的経緯としての自主が18世紀より前に求められていないことを誰も気にしていない。つまり、スペインの名の下に統合されるのを強固に嫌悪している一方で、彼らはそれ以前アラゴン王国に併合されていたり、バルセロナ辺境伯領と呼ばれていたりで、それ自体の独立は一度もなかったのです。つまり、ずっと誰かに支配されているその領域の中で生きてきたわけ。3000年前から自分たちは独立していた、とかいえるわけではないのね。にもかかわらず今こうして「陥落」の歴史を忘れない様にしようというのは、本当にとってつけたような感じです(でも、もっとひどいナショナリズムは「神話」の時代から自分たちは○○だった、と口にするので、カタルーニャのそれはかなり誠実といえる)。

スペイン継承戦争は結局ブルボン家の勝ちということになって、カタルーニャは負け組になるわけです(ブルボン・スペインはよそものだけど、ハプスブルグだって十分よそ者なんだけどね)。それまでは自分たちの独自の法律や度量衡などを持っていたのですが、それをカスティーリャのものに変えていかされたのです。法律については行政手続きの均衡を図る意味合いもあるでしょうが、その他カタルーニャが経済的発展を得るために重要だった特別法が廃止され、行政におけるカスティーリャ語(いわゆるスペイン語)の使用が強制され、とカタルーニャの民にとっては苦渋の時代が・・・と思っているかもしれませんけど、実はカタルーニャの人たちは目ざといので「これからはカスティーリャ語を使って商売せなあきまへんがな」という動きもあった。狭い領域では経済的自由を失ったけれど、より広い市場(スペイン全土)を手に入れたカタルーニャ人は、半島において正反対に位置するガリシア、アストゥリアスで活発に商売を始めるのです。なんだ、得もしてるじゃん。というより、そこで何語を使ってコミュニケーションしていたのか、と考えてみると・・・。

行政言語のカスティーリャ語優先自体は、人々の生活レベルでの言語環境を左右するものではもちろんない。むしろ20世紀の独裁政権時代に「カタルーニャ語喋っちゃだめ!」といわれることの方がよっぽど苦痛だったはず。それなのに18世紀の出来事に自分たちのナショナリズムのルーツを求めていることは、非常に人工的に作り出された幻に過ぎない。だって、カタルーニャが支配されずに独立を享受したことなど一度もないのだから。

カタルーニャ地方にナショナリズムがあると何かいいことがあるのでしょうか?あるんです。スペイン全体という仮想敵をおくことによって人々の団結や産業の活性化が図られる。文化を醸成することで経済的発展がもたらされる。そして「俺たちカタルーニャ人は違うんだ」と胸を張って人々が生きられる。

よしんば明日から独立してもいいよ、といわれても特に変化はないと思うのだけれど、「俺たちはスペインの圧制の下にある。でも明日を信じて頑張ろう!」と感じさせることで、今目の前にある問題(犯罪の増加とか、環境汚染だとか、バルサが連敗してることだとか、サグラダファミリアがいつまでも完成しないことだとか)から目を逸らして生きることが出来る。一度として達成されたことのない幻の自主独立を胸に抱いて、楽しい夢を見ることが出来るというわけです。ポスター貼って騒いでるうちが花。

結局9月11日の祭典を僕はグロテスクな地域ナショナリズムの顕現だと思いながら観察していました。そしてふと思うのです。スペインにはカタルーニャ・ナショナリズム、バスク・ナショナリズムというように地方のナショナリズムはある一方で、スペイン自体としてのナショナリズムは姿を見せない。何故、と。

スペイン・ナショナリズムは、地域ナショナリズムの影で、より大きな広がりを持って潜んでいる。それがどうしたわけか、安易にスペイン、スペイン語と口にしてしまう僕達の目には見えない。スペイン王というタイトルを正式に名乗った王様が現れるのはいつだ、ということを殆ど誰も気にしていない。僭称した人はもちろん沢山いるけれど。打倒スペインを謳うのはいい。だけど、そのスペインって何?

この問いに正しく答えられる人間はまだ日本にひとりもいない。「スペイン文学といえばセルバンテス」、と口にした時点でもう麻痺している。「あるはずのスペイン」を生み出したその瞬間こそが問われなければならないのに、「当然」の枠の中でそれが見えていない。

そのことを自覚した時点で、僕は既存の「スペイン」研究を超えた。


アディオス、「いわゆる『スペイン』研究」。

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カタルーニャ語

 観光と本屋めぐりを存分に愉しんだ僕ですが、911日というカタルーニャ・ナショナリズムにおいて非常に重要な日をバルセロナで迎えることが出来ました。そう、実は今回のスペインの旅は「スペイン・ナショナリズム」の旅でもあるのです。まずはカタルーニャ語のことを少し。

 「カタルーニャは独自の言語と文化を持っている」という主張、これが独裁政治の終焉以降どんどん強まっている。カタルーニャ語の使用が禁止されていた時代にはカタルーニャ語を話せない世代がどんどん増えていったのに対し、今ではスペイン語(カスティーリャ語)とカタルーニャ語のバイリンガルが増えています。僕はバルセロナに何回か来ていますが、カタルーニャ語の使用がどんどん拡大しているのをその度ごとに実感しています。

Dora_en_catalan カタルーニャ語はスペイン語とフランス語を混ぜたような感じで(これは僕がそう感じた、というだけです。スペイン語とフランス語を少しでも知っていると結構参考になります)、とても面白い言語です。みんな俗ラテンから来たロマンス語ですから。カタルーニャ語にはバレンシアの方言もあって(バルセロナのカタルーニャ語がスペイン語の干渉を受けているのに、バレンシアのそれがより古い形を残している、ということもある)、それ自体は一枚岩ではないのだけれど、カタルーニャ・ナショナリズムの非常に重要な礎石となっていることは確か。カタルーニャ語のテレビ放送、ニュースも多く、『ドラえもん』がカタルーニャ語を喋っていましたよ。この写真では分からないけどね。


Leche それから、牛乳パックにもカタルーニャ語。 「カタルーニャ、いつもあなたのそばに」、と書いてあって、牛乳を注いだところがカタルーニャ地方の形になっているのでしょうか。牛乳パックはナショナリズム形成、高揚の素材になるのですね。面白い。


そういえば、ルクセンブルクの牛乳パックも大変ユニークでした。

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出発できるかな?+スペインで本を買うことについて

 台風の影響で様々な交通機関に影響が生じている朝、雨の中スーツケースをごろごろ引いて空港に向かいました。多少の遅れはあったものの、無事空港に着き、飛行機も飛び、機上の人となりました。よかった。

Iberia  日本からスペインへの直行便は現在ありません。そのため、一度は必ず乗り継ぎをする必要があります。今回はロンドンで乗り継ぎ。ヒースローからバルセロナへ。イベリア航空というスペインの飛行機に乗り換えます。デザインが垢抜けなくて好きじゃない。

 文献資料収集であれば、マドリードへ直接行けばいいと思うかもしれません。でも、スペインの本屋さんというのは、大型書店に行けば何でも見つかるというものでもないのです。日本は多くの出版社が東京に本社を置いていますが、スペインはバルセロナに本拠を置いている出版社も多くあります。案外バルセロナでしか見つからない本も多くあります。また、大学等の出版物については、それぞれの地方で探した方が簡単に手に入る場合が多く、中央では販売ルートがない場合もあるのです。もちろん、大型書店の便利さはよく理解しているつもりです。

La_central とにかく、本を買うためにはバルセロナは外せない場所。僕が使ったのはLa Central, Laie, 大学のそばにあるAlibri, Casa del llibre(店名がカタルーニャ語になっていることに注意!)という本屋さん。他にもBoschというところも行きたかったのですが、今回はお預け。スペインの書肆との良好な関係でいえば、僕は日本有数という自信がある。仮に在庫切れといわれても必ず見つけてくれるくらい。この旅の記録を読んでくださる方にささやかな貢献が出来るとすれば、それくらいのことしかない。La Centralは大きいだけでなく、親切。オススメです。

 それから、以前僕と同じ大学に研究生としてきていたカタルーニャ人の友人に会う目的もあります。折しも彼は「日本人論」というテーマで雑誌の特集号を編んだところです。「日本人論」というのは、今現在の日本の不寛容で狭量なナショナリズムのグロテスクな顕現だと僕は思っていて、10年後学問的価値は全くないと思います。ただし、その論拠にナショナリズムの議論を踏まえて体裁を整えている観があって、現在18世紀のナショナリズム(ナショナリズム論者の間ではプロトナショナリズムと呼ぶ方もあります。)に関心がある僕としては、意見交換をしておきたかった。会うのは一年半ぶり?バルセロナ滞在中は彼の家に泊めていただきました。

 飛行機が飛ぶかどうかわからない状況だったので、早朝に「空港には迎えに来ないでください」というメールをしていたのですが、飛行機の到着予定時刻を空港に問い合わせて迎えに来てくれていました。空港で誰かが待ってくれているととても嬉しい。

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台風!

出発できるかどうか分からないのですが、とりあえず空港に行ってみます。

もし出発できた場合、当分この日記の更新はありません。あしからず。

もし出発できなかった場合、心痛によりこの日記の更新はないかもしれません。あしからず。

Hyottoko
ちゃんと出発できるかどうか、大いに疑問を残しつつ、皆様も楽しい時間を過ごされますことを心よりお祈り申し上げます。

アディオス!

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手動日付カウンター

無人島に漂着したら、自分が漂流して何日目なのかを知るために、朝起きると壁や木に印を刻んで、カレンダー代わりにする。『火の鳥(黎明篇)』とか『コードギアス』とかでそうしてた。クルーソーもそうしていたはずだ。はずだ、というのは読んでいないから。18世紀なのに。

いや、いや、いや。漂着してないからそんなことをしなくてもいいのだけれど。

どうしたわけか、修士論文を書き始めるときに遊んでたらクリック募金のサイトにたどり着いて、クリックすると「何回目のクリックありがとうございます」というメッセージが出ます。一日一回しか押せないので、押した分が日付カウンターとして機能している。

僕が修士論文書く気持ちになってから○○日なんだなあ、とか思いつつまた押してしまう(忘れる日もあるんだけど)。


いや、いや、いや。

それどころじゃない。

荷造りしてない。

エレミヤ書読んでない(レポート出さなきゃ)。


今週は学校で集中講義がありまして、普段僕があまり接点のない歴史学という学問なのですが、これが非常に文学的。今最も文学と接点が多い学問です。


なんとなくね、歴史はほんとのことを、文学は虚構を、みたいな感じでしょ。でも、歴史もお話なんだ、というわけです。語る(Narrative)なのだ、と(日本語には「騙る」もあるけれど・・・)。

実は歴史著述の問題ははPaul Cartridgeという古典期ギリシア研究の人が出した『ギリシャ人』という本の序文で触れられていて、門外漢の僕も聞いてはいたのですが(他者性、という言葉もこの本に教わった)、「歴史学」という響きにどうしても敷居の高さを感じておりまして。

今回分かったことは、今歴史と文学の垣根が限りなく曖昧になっています。メタフィクションは文学でよく聞く言葉ですが、この方法論は文学のみならず、遂には歴史も飲み込もうとしている。

そこで僕が思い出すのは、筒井康隆さんの小説『残像に口紅を』冒頭のメタフィクション談義。一番最初にメタフィクションという言葉を使う人たちは、軽蔑の目で見られ相手にもされなかったけれど、いまやあって当然という概念になりました(それを昔のものに当てはめて読む解釈行為に僕は賛成できないけどね)。案外最近学問として成立した歴史と文学の研究が、同時に存続の岐路に立たされている今こそ、手を取り合って新たな、かつ豊饒なテクスト世界(そう、この世にはテクストしかないのかもしれません)を拡張して行ってほしいものです。

と、他人事のように書いていますが、僕はとても刺激を受けています。木曜日まで愉しみます。


荷造りもします。


ええ、しますとも。

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オルメドの騎士の到来を言祝ぐ

外国文学の翻訳に解説は必要か、という意見もあるけれど、個人的には古い作品についてはあったほうがいいと思っている。その作家について知識を深めていくとっかかりとして、親切な解説であればなお良い。

翻訳にあたった訳者が付す解説もいいが、別の研究者による批評的な解説のほうが読んでいて面白い。といっても、日本では仲のいい人に解説をお願いして10万円くらい包むという変な慣行があって、どうしようもない。

岩波文庫にロペ・デ・ベガ『オルメードの騎士』が入った。翻訳は『プラテーロとわたし』、『エル・シードの歌』を手がけられた長南実氏。今年お亡くなりになった。解説を付されているのが福井千春氏。この解説が良い。数ページでコンパクトに作家の生涯をおさらいしようというのではなくて、ちゃんと論文の形になっていて、作品を愉しんだ方にもうひとつデザートがついてくる感じだ。だから、これに反論を憶えたり、意見をことにする読者があっても全く問題はない。これを土台に議論することが出来る。解説が全能の訳者によって付され、その訳者の言葉を通じてしか作品を感じられないのであれば、不幸この上ない。古典は殺されてもいいし、殺されても甦るのであれば、それは古典と呼んで差し支えない。

解説にもあるけれど、『オルメドの騎士』(オルメードって間延びしてて好きじゃないなあ)はカミュが訳したものがあったので、フランス語からの重訳で読むことが出来た。でも、普通の人はカミュ全集なんて家に持ってるわけないから図書館で読むことになった。古典が文庫に入るということはとても大切なことで、外国の作品の場合それがその国と日本の関係の濃淡を如実に表している。お察しの通り、スペイン(語)の作品はあまり入っていません。なんだい、<<南北ヨーロッパ他文学>>って(岩波文庫の後の目録を見てね)。

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Tempus fugit

すっかり秋めいて、夏の暑さに弱っていた僕も、次第に元気を取り戻しつつあります。生き物として秋冬のほうが自分は活き活きしてしまう。

地球温暖化を止めなくては!

虫の声も涼しげ。

夏はこの終わっていくときも素晴らしい。

Pluma

不景気な話で申し訳ないのですが、今日までに提出するべき宿題があって、色々考えてみたのですが書けませんでした。割と早い時期から予定を立てて作業をしていたにもかかわらず、結局書けなかったのでとてもがっかりです。今週学校で集中講義があり(これもレポート提出があるようですが、スペインに行っちゃうのでそれも書けないと思う。他にもレポートを書く宿題が残ってて困っています)。

 

時間は飛ぶ(「光陰矢のごとし」)のですね。

まあ、出来なかったことは仕方ない。

過ぎたるは及ばざるが如し、とね。

 

レポートは別に万年筆で書くわけではないのですが、ちょっと面白いスペイン語の文をご紹介。

Siempre que entre dos naciones hay muchas guerras, en los escritores se ve la discordia de los ánimos, repitiéndose nuevas guerras en los escritos; porque, unidas como en la flecha, siguen el ímpetu del acero las plumas.

二つの国の間に争いが耐えぬように、物書きの間にも心情の不和が見られて、その書き物の中に新たに争いが繰り返される。というのは、矢に束ねられた羽のように、ペンもまた剣の刃の激しさにともなわれるものだから。(ベニート・ヘロニモ・フェイホー「祖国への愛とお国びいき」『批評の劇場』)

最後に出てくる羽とペンですが、どちらもスペイン語ではplumaといいます。昔は羽ペンだったころの名残りなのでしょうね。戦争で使われる矢につけられた羽と文筆の筆を並べているのですね。

西欧のレトリックだとか美文と呼ばれているものって、日本の駄洒落に近い要素を有していると思うのは私だけかしら。

あと、韻文は都々逸だという確信がある私です。

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