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小学館『西和中辞典』に寄せて

 小学館の『西和中辞典』は1990年に初版が世に問われた。フランス・ラルース社の辞書を基礎として、67千を誇る収録語数は他の追随を一切許さなかった。一番のライバルといえば白水社の『現代スペイン語辞典』であるけれど、こちらの収録語数は35千に過ぎなかった。とはいえ、文法解説や文例・用例の豊富さや学習者にとっての使いやすさという面では白水社のものに些か遅れをとっていたことも事実である。それぞれに一長一短があり、お互いに補完させて使用するのが学習者にとってはもっとも有効であった。一つの辞書だけを使って勉強する理由など何もないのだ。外国語大学に入ると、両方買うことが推奨される。もっともな話だ。単語の意味を調べるだけなら僕は西英辞典を随分使っていた。使い勝手が良かったのだ。

 ところで、白水社は1999年に『現代スペイン語辞典』の二版を早々に世に問うていた。2色刷り、46千語強を収録し、学習者に有益な配慮も十分であった。そして2005年には三省堂が『クラウン西和辞典』をもって小学館、白水社に挑む。英和辞典で名の知れたクラウンブランドの強さと、見出し語52千、二色刷りという強力なライバルの出現である。これからスペイン語を学ぼうという人にとって、最初に手に取る辞書として小学館のものを推す理由がますます小さくなった。見出し語の多さは魅力だが、当初は学習に役立つ情報が多く盛り込まれた丁寧な西和辞典を使用し、見つからない単語の意味については西西辞典を引けばよいということになってしまった。この状況では、小学館のものが西和辞 典として最良であるということは出来ない。

 2007年、小学館『西和辞典』は前二者の後塵を拝して第二版を世に問うた。主な変更点は新版のまえがきによれば次の通りである。

 

・見出し語の増強(類書中最大の8万語)

・二色刷り

IT関連の用語を初めとする新語の収録

・中南米やアメリカ合衆国での語彙用例の収録

・発音記号における音節区分の記載と中南米の発音の併記

・図版写真の大幅な拡充

 

結局のところ収録語数でしか太刀打ちできない状況が明確になっているが、すでに文法事項等を一通り理解したうえで、スペイン語のテクストを意欲的に読んで行きたい学習者にとって大変心強い伴侶となることは確かである。新たに収録された語がある一方で、以前収録されていたのだが必要性がないと考えられて消えた見出し語もある。動詞の過去分詞形を形容詞として収録していたものだが、これは継承するか削除するかという判断が執筆者によってなされたものであろう。これにより初学者にとっての使い勝手がますます悪くなったことは否めない。動詞の活用が理解出来ていれば必要ないというのは正しいが、それはスペイン語を一通り学んだ人間の言い分かもしれない。単語の意味が分からず辞書を引く、という本質的なところで学習者の意欲に水を差してはいないか。

 発音記号に音節の区切りを付したことは一定の評価は受けるべきであるが、そもそも見出し語で音節を区切っている以上その必要性がどれだけあったのか、とりわけ紙幅が限られているこのサイズの辞書でそれをする必要性がどこまであるのか、実際に使用する皆さんに吟味してもらいたい。

 図版はラルースのものに加えて写真が多数追加されている。なるほど、語義だけを見てそれが何か分からないという経験は外国語を学ぶものなら誰しも覚えがあるのだが、この写真にしても随分意味のないものが多く含まれているという感を禁じえない。たとえばタバコを吸うという意味のfumarに関連して禁煙の標識の写真が取り上げられているが、これがどれほど学習者の役に立つのか。文字や文学を示すletraを引くと、スペインのコンプルテンセ大学の哲文学部(Facultad de Filosofía y Letras)の看板が掲載されている。この看板を見てどれだけの知識が得られるのだろうか?なるほど本邦にない動植物や楽器をはじめ、実際に図版や写真があってはじめて理解されるものは数多いのだが、それは初版のときにすでに採録されていたラルースの図版(絵)で十分なものが多く、ここに例を挙げたように看板や標識の写真が多く含まれているのだが、それを見てどれほど学習の糧になるのか疑問を付したくなるものが多い。泥棒(ladrón)を引いて「泥棒注意」の標識が出てきたからといってどうしろというのか?さらに苦言を重ねるが、解像度の低い不鮮明な写真が多いのである。なぜなら、写真の提供が執筆者であり、素人が撮った写真を収録しているに過ぎないのだ。だから被写体として撮りやすい看板や標識などが中心となって、結局学習者は意味のない写真が掲載された辞典にお金を払っていることになる。今ひとたび写真掲載の基準について考えていただきたい。版が改まったときにこれら多くの写真が無駄であったということを私たちは知ることになるはずだ。

Diccionarios1 辞書の本質的なクオリティではないが、僕が優れていると思う点を挙げたい。装丁である。初版(左)は「なんですか、これは」という意味の分からない外箱に入っていた。持ち歩くのが恥ずかしいくらい意味の分からない箱だった。今回(右)それが改まっている。装丁をしているところが変わったようだ。ちょっとおしゃれになった。辞書の良し悪しなど、使ってみなければ分からないのであって、購入にあたって見た目はとても重要なファクターである。Diccionarios2大いに評価したい。前のがひどすぎた。まだまだよくなる余地はある。箱から取り出すと初版(左)は赤いカバーだったのが今回不思議な赤紫(右)になっている。これも意味の分からない選択なのだが、他の言語の辞書と混同されないようにユニークな色を選んだために、こうなったのであろう。

 値段のことを書いておきたい。初版は税別6120円であった。2版は6600円。見出し語が大幅に増えたのに値段はそれほど変わらない。このことについては、先に白水社、三省堂といったライバルが現われたこともあるが、スペイン語学習者の裾野が広がったことが大いに関係している。第二外国語としてのスペイン語の人気が上がることによって、より多くの購買層が想定されることからこの価格設定となっている。大いに喜びたい。購買層について言えば、もう一点付記したいのは、電子辞書フォーマットへの移行である。紙の辞書ばなれが著しい。複数の辞書が入った電子辞書が携帯にも便利だ。電子辞書に入る西和辞典は現在白水社のものだけのようだ。白水社のものでは収録されていない単語が数多くある。小学館が電子辞書版を出すメリットは大いにあるし、より多くのユーザーに訴えるところがあるはずである。まずはCDROM版の販売などで様子を見るなどしてみてはいかがか、と思い続けて10年が経ってしまった。すぐコピーされてしまうから出版社は軒並み及び腰なのは分かるのだが。PSPやNintendo-DSにスペイン語を学ぶソフトを入れるとかして様子を見てもいいかもしれない。相当売れると思うのだけれど。

圧倒的な収録語数を誇る小学館のこの新しい辞典がスペイン語学習にとって有益であることは間違いない。すでに述べたようにいずれの辞書にもメリット・デメリットはある。たった一つの辞書だけを使って勉強しようという姿勢には問題がある。その意味ではスペイン語文法の用法や用例については白水社や三省堂のものを、テクストを読んでいく道しるべとしては小学館のものを使用されることをお薦めしたい。

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