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映画『ボルベール』について

Volver映画『ボルベール』について

 現在公開されているペドロ・アルモドバルの映画『ボルベール』を見てきました(公式サイトより画像をお借りしています)。スペインでは2005年に公開されたもので、ペネロペ・クルスをはじめ個性的な女優さんが魅力的な演技を見せています。
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 主人公ライムンダと姉のソーレが父母の墓参りに田舎に行き、叔母を訪ねるところから物語はスタートします。目も悪く、足腰も弱っている叔母が近所に住むアグスティナという女性に助けられながら生活しているのですが、ライムンダは彼女が心配なので引き取りたい、あるいは介護施設に入れたいと考えています。
 ライムンダはマドリードに夫のパコ、娘のパウラと住んでいます。ある日自分をレイプしようとした父親に、娘は抵抗して殺してしまいます。ライムンダとパウラは遺体の始末に困りますが、折りしも近所のレストランが閉鎖され、その鍵を預かっていた彼女は、パコを巨大な冷凍庫に隠します。遺体の隠蔽をしおおせたところへ、近所で映画の撮影が始まり、行きがかりから彼女は閉鎖されたレストランを再開させてしまいます。
 パコの殺害と同じ頃、田舎の叔母が亡くなります。ライムンダは遺体の始末に忙殺されるため葬式に顔を出すことは出来ないのですが、姉のソーレがアグスティナの手助けを得てことを運びます。ソーレは叔母の家で母親の幽霊を見たのですが、葬式を終えて帰ってくると車のハッチバックから母親の声が聞こえます。夫と共に火事で死んだはずの母は、妹(叔母)の家に身を潜めながら(田舎の人たちは彼女の姿を目撃して幽霊がいると噂していたのですが)彼女の世話をしていたのです。
 ソーレは死んだはずの母とのおかしな同居生活を始め、ライムンダは勝手に始めたレストランが大当たりし、お互いに奇妙な生活を始めるのですが、癌を患っていると分かったアグスティナがマドリードに現れ、ライムンダに頼みごとをします。それは、ライムンダの両親の焼死の日に姿を消したアグスティナの母親の生死を確認してほしいというもの。それもライムンダの母親(の幽霊)に確認してほしい、というものでした。荒唐無稽な願い事とライムンダは一蹴しますが、アグスティナは真剣です。
 事件の真相は、ライムンダの父親とアグスティナの母親は不倫関係にあり、事件の日も小屋で逢瀬を重ねていた。母は小屋に火を掛け、二人を殺すと共に山に身を隠したというものでした。そして、この父親はかつてライムンダを犯し、彼女を身ごもらせた人物なのでした(パウラはライムンダの娘でありながら、妹にもあたるわけです)。
 父親に犯されながらそれに気付いてくれなかった母親に対する反発を持っていたライムンダ。実の母を殺され、いまや癌に侵されているアグスティナ。母親が実際は生きていると知ってしまったソーレとパウラ。そして物語の中心で死んだはずのことになっている母親。女たちの間で、緩やかな和解が最後に訪れることとなります。
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 物語の中心で死んだことになっている母親が実は生きていたということはいくつかの伏線で示されています。目も悪く足腰も弱っている叔母を訪ねた折、自分たちのお菓子がちゃんとタッパーに分けられて用意されていることや、叔母の家にエアロバイクがあること、田舎の人たちが目撃した母親の幽霊談など。
 彼女の夫による娘のレイプと、パコによるパウラのレイプ未遂と、夫の殺害は親子の間で繰り返されるモチーフでしょうか。
 僕が素敵だなと思ったのは、スペインの田舎で人を痛む女達(老女達)の黒装束や挨拶のキスの応酬。スペインだなあ、田舎ではこんななのかなあ、と思っていました。あと、映画の最中で風力発電の巨大な風車が立ち並ぶ場所を通過するのですが、近代化されたドン・キホーテなのでしょうか。アルマグロ(カスティーリャ・ラ・マンチャ)で撮影した映画のようなのですが、こんな景色があるのでしょうね。田舎の街路の侘びさびた感じも美しいですね。叔母の家の中庭もいいです。こうやって、タイル貼りで実にプライヴェートな感じがする空間。
 そんなに重要なものではないのでしょうが、困窮したライムンダが料理をすることで立ち直っていくのも素晴らしいと思いました。そうそう。落ち込んでるときは(亭主が死んじゃったときはどうか知らないけれど)料理をすると気持ちの切り替えに拍車がかかります。物事を整理するのに非常に効果的なのですよね。
 風景などはとてもスペインで、映画の進行はヒッチコックなどのようにドキドキの部分もありつつ、きわめて繊細。そうでなければ死んだはずの母親が実は生きていたなどという荒唐無稽な話は描けないのでしょう。これがスペインの映画といえるかというと、ちょっと違うのかもしれません。

 スペイン映画の代名詞としてアルモドバルを語るには、やはり異様さが目立つ気がします。もっと地味なのがスペインぽい。アルモドバルの映画はリアルタイムで経験するクラシックのような喜びがありますね。冒頭のモンタージュなどどれも古めかしい演出だったりして、「映画が始まる」というワクワクする感じをこんなに憶えることは、現代の作品ではありません。アルモドバルは独特だな、ということを再確認した次第です。花が多くあしらわれているのですが、日本の着物などの文様を大いに参考にしたのではないかと思われます。なるほど、模様の空白をなくすとこういう雰囲気になるのですね。「間」があの日本らしさなんだ。

 ペネロペ・クルス以外の独特な雰囲気の役者さんたちも、葬儀に集まった近所のおばあさんたちも、絶対ハリウッドではお目にかかれませんね。キャスティングが出来れば映画は出来たも同じなのだそうですが、こういう審美眼が素晴らしい(きれいな人しか出ない映画とは一線を画していますね。ペネロペも随分容色が衰えてはいますが)。ヨーロッパの映画の重要な魅力だと思います。
 僕はそれほどアルモドバルを好きではないのですが、これまでに見た彼の作品の中で最良のものだったと思います。

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