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2007年8月

夢を見ていた

めっきり涼しくなりました。

人間も昼寝。はっぴぃも昼寝。

午後4時くらいに少し早いお散歩。

本を読もうと思っても、なかなか頭に入りません。忙しいときや焦っているときは、歩調をゆっくりにする必要があるようです。

夢を見ていました。

C.という人が夢の中で王様と決闘するという変な夢を見ました。日付は1491年で、その翌年戦場で死んだのは、実は王の側近による暗殺だったのだ、という。

ん?

C.は18世紀の人なのに?

王様は決闘しないのに?

そうか、暗殺だったんだ、と夢の中では納得。道理で。

何の夢を見ているのか分からないのですが、そのあとサブウェイのような店に行き、サンドイッチに羊か何かのシチューをかけたものが出てきて、どうやって食べるんだろう、と悩んでいた。注文風景がすごくて、目の前にある「あ、これ食べたい」が実は自分の注文するもので、頼む前から用意されているくせに、「パンの種類はいかがしますか?」、「野菜は全部入れてよろしいですか?」と。

夢はすごいなあ。

Null 日付が変わる頃目を覚ます。虫の声がする。風が出てきた。頭の中がまだ眠い。水を飲んで、本を読み始める。

初めにわからないことがあって、調べれば調べるほど分からない深みにはまっていくとき、投げ出したくなることがある。おかげさまで変な夢を見てしまうこともある。でも、この分からなさは貴重だな、と思えるから、もうすこし考えて見ます。

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もや5

Moyashimon やっと買いました。

『もやしもん』5巻。

第一刷はすぐ売切れてしまったので、買えなかったのです。


僕が本を買うところでは、袋はセルフサーヴィスなのだけれど、今回はカウンターで「袋ご利用になりますか?」と聞かれて、はいと返事をするとその場で包んでくれました。


ん?僕は何か恥ずかしいものを買ったのでしょうか。


雷雨の後涼しさが訪れた昨日、今日。

雨が降るたびに少しずつ秋が近づいてくる。

そして、第4回スペイン・ラテンアメリカ映画祭のお知らせ。東京、大阪の方は是非。

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Total Eclipse

Eclipse って言葉、好き。今日は月蝕ですね。

今のように日蝕や月蝕の仕組みが分かっていない時代には、太陽や月が次第に姿を消していくのを目撃した人間は驚いただろう。

仕組みが分かっても、やっぱり驚くもの。

何でかな、とそのメカニズムを考えること、それ自体が人間にとってとても大事なことだと思う。

Rosemary とても嬉しいことをひとつご報告。

僕が今の研究をしていて、とてもお世話になっている方というのが何人もいるのですが、なかなかそういう人と直接にお会いしたり話したりすることが出来ずにいます。

理由はいろいろなんだけど、外国の方が多いとか、僕の性格とか。

今回スペインに行くにあたって、この方とお会いしたいな、という方に連絡を取ってみました。実は5年前にある質問があって、返事がもらえるかどうか分からないけれど手紙を書いたところ丁寧なお答えをいただいたことがある方です。その方にアポイントメントをとりたいな、と思って教えていらっしゃる大学の事務局にメールを書いたところ、転送してくださったようで、お返事をいただきました。そしてお会いいただけることになりました。僕などが行っても、本当は何も話せることなどないのですが、それでも、それでも。話したいこと、聴きたいこと、整理しなくては。

スペイン行きがますます愉しみになります。

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スペインでは今日フランシスコ・ウンブラルという作家が亡くなりました。新聞を買うといつも彼のコラムが載っていたものです。72歳だったそうです。ご冥福をお祈りします。

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6年ぶりの

Nirvash残暑厳しい毎日ですが、いかがお過ごしですか?明日は少し天気が悪くなって、涼しくなるようです。皆既日食が起こるのに残念。でもとりあえず夕方空を見てみます。

小中高では夏休みもあと一週間ですね。大学は9月もお休みです。僕は宿題が一つ終わりまして、一息ついております。ただ、一番重要な課題が出来そうにないのに、提出期限が近づいております。遅刻すると分かっているのに電車を待ってる感じです。それだけが残念ね。

さて、これまで遊びに行かなかった私ですが、来月はちょっとお出かけします。行き先はなんと6年ぶりのスペインです。楽しみ。9月はじめから10月はじめまで行ってきます。

皆様も楽しい9月をお過ごしください。

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『ドン・キホーテ』を読んでみる

2週間くらい前から『ドン・キホーテ』を読んでいました。前編と後編があって、岩波文庫で全6巻です。スペイン文学といえば、まず名前の挙がる『ドン・キホーテ』ですが、実際に読んだことがない人も多分多いはず。翻訳も数種類出ています。スペイン語で書かれた本の中では最も多くの翻訳がある作品でしょう。

まあ、別にスペイン文学をやる人が全員『ドン・キホーテ』をやってるわけでもないので、気にもしていませんでしたが、今回必要に迫られて読みました。

前編は誰もが知っているエピソードが多く含まれていますが、そのお陰で「ああ、あれね」と読む前から話が分かっているような感じ。しかも長々と書いているので疲れてしまいます。面白い箇所もあるけれど、もっと短くて良いのに!と何度思ったことか。

何を隠そう、後編ははじめて読みました。前編が1605年に出版されて、その10年後1615年に後編が出ています。こっちの方が面白かったのは、単純に初めて読むから、ということもあるのだけれど・・・前編(セルバンテスは当初、続編を書くことを想定していなかったと思う)が人気を博したので、かなり大勢の読者を想定して(売れることを狙っていて、かなりいやらしいですが)書いているところでしょうか。文学的仕掛けが複雑化しつつも、前編でこれはいらなかったなあ、という部分がそぎ落とされていたり。あと、前編にあった不備を後編で弁解していたり(印刷工のせいにしちゃってる)。

今日で言えばメタ・フィクションと呼ばれるようなものがあったりして、(後編の中では前編の読者達が登場したり、別の作者が書いた『贋作 ドン・キホーテ』への批判がされていて、そのためにドン・キホーテ主従の旅の目的地が変えられていたり)なかなか。

とはいえ、こういう現代的な問題意識というのは、現代の人が昔のものを読んでそこにしばしば見出すものなので、あまりあてになりません(大抵の文学的実験は『聖書』に見出される。要するに読む人がそういうものだと思って読めばそこに現れてしまうのです)。

例えばいろんな人がミハイル・バフチンという人の理論を使って様々な作品解釈をしていますが、バフチンとしてはドストエフスキーの独自性を解体するためにあつらえた武器としての理論です。結果として、今日の駄目な方たち(沢山、沢山います)がバフチンを珍重することにより、バフチンが重視したドストエフスキーの独自性が地に落ちるというおかしなことになっています。どうしてそういうことがわからないのか、そのことのほうが謎かもしれない。人の手柄を横取りしようとしてはいけないし、換骨奪胎していいものが出来るとは限らないということです。

『ドン・キホーテ』を読むという行為から引き出す結果は人それぞれです。多くの人が魅了される一方で、「つまらないな」と思う人があってもいいと思います。世の中読むべき本はもっと沢山あるし。ただ、「これは凄い」と思った人は是非それを言葉にして発信してほしいと思う。なるべく自分の言葉でね。

僕はquixoticという英単語が好きです。「ドン・キホーテのように無謀な」という意味の形容詞なんだけれど、元々なんだったか類推できないような発音がかっこいい!


大江健三郎さんの『憂い顔の童子』について考えるために読んでいたものです。読んだ後はこんな感じ。Posted_too_much

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黒夢のこと

最近、バスの中で黒夢を聞いていることが多い。

黒夢は94年にメジャー・デビューして、99年頃に活動が終わったバンド。当初はビジュアルバンドだったけれど、その後はパンク色が濃くなって、でも僕は黒夢の本質はポップだと思う。

シングルを見ると全部クリーンヒットを放っています。チャート1位とかはないんだけれど、あの音楽性でこれはすごいことです。日本の音楽産業にカツン、カツンとヒットを打ち込んでくるのだけれど、シングルごとに「これでファンがいっぱい離れるのでは」というラインで。キャッチーなメロディーの勝利だと思います。アルバムが出るたびに、その前のアルバムまでのファンがかっこ悪く見えちゃうというような感じでした。最初から最後までずっと黒夢を追っていた人は大変だったと思う。

黒夢がメジャーに出たとき僕は中学生で、彼らの活動が事実上終わったときは大学生でした。だから、なんとなくその軌跡をよく知っている気がします。3人でデビューして、そのあと二人になってしまったのだけれど、結局ヴォーカルの清春の負担がものすごく大きいな、と思っていました。歌い方に特徴があるけれど、とても喉に負担のかかる歌唱をしている。

二つに区分できるその楽曲は、①あの清春節と②売れそうにないアングラな曲調(「カマキリ」とか「チャンドラー」とか)。両方を一つのステージでやるのは大変なことだと思っていました。ライブアクトとして黒夢が人気だったのはひとえに清春の演出の緻密さによるものだったし。

だから、黒夢が好きか嫌いかは別として清春はすごいなあ、といつも思っていました。今ふり返って聴いてみて、清春の頑張りが刺さる。英語の間違いとか、変な日本語とかそういうのもあるけれど、それにしても言葉のセンスが不思議。清春はデビューした頃に「辞書を読む」と話していたことがあり、そうやって好きな言葉を拾っていったのだろうと思う。

メロディのポップさも群を抜いていた。ビジュアルバンドが脱皮していくのはいいけど、曲が駄目なのにルックスだけ普通のおじさんになっちゃうと救いようがない。清春の曲(シングルですね)のポップさはちょっとすごい。「G」のダサくて哀愁漂う感じとも「L」の滑らかで伸びやかな感じとも違う。二人になってからの清春の気負いは、いいメロディを探す不屈の努力として現れたのだと思う。

だからメンバーとの不和とか、清春のワンマンとかそういうことがあったとしても、黒夢は清春のものであったし、清春が黒夢だったのだと思う。清春にとっては飄々としているようで巨大な責任感の重責に耐えた5年だったと思います。

黒夢がもうないことをなんとも思わないし、また再結成してほしいとも思わないけれど、清春にはもっとラクしてほしいとふと思ったのでした。こうやって、一人で背負い込んで、それでも戦ってしまう人に対するリスペクトを禁じえない私です。

Kuroame 関係ないけど、これは最近気に入った黒飴。中に黒砂糖が入っています。美味しいけど舌がヒリヒリするので沢山食べるのは危険です。沖縄県じゃなくて、三重県の松屋製菓さんのものです。おいしいです。

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8月もそろそろ終わり

Ciel_daout甲子園が終わって、そろそろ夏休みも終盤。大学生は9月もお休みですが。今年は猛暑でしたね。スペインの天気などを見ていると、日本よりも涼しいようです。

夏休みはこの終わっていくときもいいね。

終わってないものといえば、僕の宿題だけ。

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残暑お見舞い申し上げます(シエスタ中)

Siesta シエスタ中のはっぴぃさん。リラックスすると犬は仰向けになったり、足を壁にかけて寝たりして、だめな小学生みたいです。

スペインはシエスタが有名、ですが、本当に昼寝をしている人はまずいません。会社なり学校が2時くらいまでなのですが、そのあと大抵は家に帰って食事をして、5時ごろまた職場や学校へ戻っていって、8時まで頑張ります。大学の図書館などでも2時くらいになると閉まっちゃって、食事をしてから出直すことになります。昼寝というより、お昼休みです。

本当に日中は暑いので、わざわざそんなときに仕事をすると非常に不効率。すごく良く出来ています。怠けているわけではないのよ、多分。

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大澤真幸『ナショナリズムの由来』

あまりの暑さにずっとクーラーをつけて過ごしていましたが、昨日の夜さっと夕立がありました。それから少し涼しくなった気がします。

Nacionalismoosawa 大澤真幸さんの『ナショナリズムの由来』(講談社、2007)という本を読んでいます。辞書みたいに箱に入っているとても大きな本です。でもとても分かりやすく書いてくれているので、ナショナリズムについて研究する人にとっては大変有益な本です。

これまでになされてきた研究の中で、重要性の高いものについては批判的に解釈を加えながら、より実践的な理論に作り変えていく、ということをしています。たとえば、ナショナリズムは近代の産物だということを明らかにした研究者としてアンダーソンとゲルナーがいます。彼らの研究に接点を持たせるようにして、お互いの弱点を補うようにしています。そこから大澤さん自身が考えるナショナリズムの由来(起源ではおかしいのですね)を明らかにするための糧が生まれてくるのでしょう。

社会学という学問は、文学同様にこれをこういう手順で説明できればそれでよし、というものではありません。使える武器はすべて使って、有効な理論やデータはすべて援用して、強大なバックボーンから自明のことと思われている問題の陰画を写し取る行為です。どこまで行っても終りはないかもしれません。

一つ一つ問題点を明らかにする中で、これを可能にしたメカニズムは何かということをどんどん遡及しながら議論しています。とても誠実な態度です。一つ問題が解決されると、新しい問題意識が生まれてくると。

セミの声を聞きながらページをめくっています。

雨が降るたびに少しずつ秋が近づいてくる。

トマトもそろそろおしまい。

Tomatoes

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小学館『西和中辞典』に寄せて

 小学館の『西和中辞典』は1990年に初版が世に問われた。フランス・ラルース社の辞書を基礎として、67千を誇る収録語数は他の追随を一切許さなかった。一番のライバルといえば白水社の『現代スペイン語辞典』であるけれど、こちらの収録語数は35千に過ぎなかった。とはいえ、文法解説や文例・用例の豊富さや学習者にとっての使いやすさという面では白水社のものに些か遅れをとっていたことも事実である。それぞれに一長一短があり、お互いに補完させて使用するのが学習者にとってはもっとも有効であった。一つの辞書だけを使って勉強する理由など何もないのだ。外国語大学に入ると、両方買うことが推奨される。もっともな話だ。単語の意味を調べるだけなら僕は西英辞典を随分使っていた。使い勝手が良かったのだ。

 ところで、白水社は1999年に『現代スペイン語辞典』の二版を早々に世に問うていた。2色刷り、46千語強を収録し、学習者に有益な配慮も十分であった。そして2005年には三省堂が『クラウン西和辞典』をもって小学館、白水社に挑む。英和辞典で名の知れたクラウンブランドの強さと、見出し語52千、二色刷りという強力なライバルの出現である。これからスペイン語を学ぼうという人にとって、最初に手に取る辞書として小学館のものを推す理由がますます小さくなった。見出し語の多さは魅力だが、当初は学習に役立つ情報が多く盛り込まれた丁寧な西和辞典を使用し、見つからない単語の意味については西西辞典を引けばよいということになってしまった。この状況では、小学館のものが西和辞 典として最良であるということは出来ない。

 2007年、小学館『西和辞典』は前二者の後塵を拝して第二版を世に問うた。主な変更点は新版のまえがきによれば次の通りである。

 

・見出し語の増強(類書中最大の8万語)

・二色刷り

IT関連の用語を初めとする新語の収録

・中南米やアメリカ合衆国での語彙用例の収録

・発音記号における音節区分の記載と中南米の発音の併記

・図版写真の大幅な拡充

 

結局のところ収録語数でしか太刀打ちできない状況が明確になっているが、すでに文法事項等を一通り理解したうえで、スペイン語のテクストを意欲的に読んで行きたい学習者にとって大変心強い伴侶となることは確かである。新たに収録された語がある一方で、以前収録されていたのだが必要性がないと考えられて消えた見出し語もある。動詞の過去分詞形を形容詞として収録していたものだが、これは継承するか削除するかという判断が執筆者によってなされたものであろう。これにより初学者にとっての使い勝手がますます悪くなったことは否めない。動詞の活用が理解出来ていれば必要ないというのは正しいが、それはスペイン語を一通り学んだ人間の言い分かもしれない。単語の意味が分からず辞書を引く、という本質的なところで学習者の意欲に水を差してはいないか。

 発音記号に音節の区切りを付したことは一定の評価は受けるべきであるが、そもそも見出し語で音節を区切っている以上その必要性がどれだけあったのか、とりわけ紙幅が限られているこのサイズの辞書でそれをする必要性がどこまであるのか、実際に使用する皆さんに吟味してもらいたい。

 図版はラルースのものに加えて写真が多数追加されている。なるほど、語義だけを見てそれが何か分からないという経験は外国語を学ぶものなら誰しも覚えがあるのだが、この写真にしても随分意味のないものが多く含まれているという感を禁じえない。たとえばタバコを吸うという意味のfumarに関連して禁煙の標識の写真が取り上げられているが、これがどれほど学習者の役に立つのか。文字や文学を示すletraを引くと、スペインのコンプルテンセ大学の哲文学部(Facultad de Filosofía y Letras)の看板が掲載されている。この看板を見てどれだけの知識が得られるのだろうか?なるほど本邦にない動植物や楽器をはじめ、実際に図版や写真があってはじめて理解されるものは数多いのだが、それは初版のときにすでに採録されていたラルースの図版(絵)で十分なものが多く、ここに例を挙げたように看板や標識の写真が多く含まれているのだが、それを見てどれほど学習の糧になるのか疑問を付したくなるものが多い。泥棒(ladrón)を引いて「泥棒注意」の標識が出てきたからといってどうしろというのか?さらに苦言を重ねるが、解像度の低い不鮮明な写真が多いのである。なぜなら、写真の提供が執筆者であり、素人が撮った写真を収録しているに過ぎないのだ。だから被写体として撮りやすい看板や標識などが中心となって、結局学習者は意味のない写真が掲載された辞典にお金を払っていることになる。今ひとたび写真掲載の基準について考えていただきたい。版が改まったときにこれら多くの写真が無駄であったということを私たちは知ることになるはずだ。

Diccionarios1 辞書の本質的なクオリティではないが、僕が優れていると思う点を挙げたい。装丁である。初版(左)は「なんですか、これは」という意味の分からない外箱に入っていた。持ち歩くのが恥ずかしいくらい意味の分からない箱だった。今回(右)それが改まっている。装丁をしているところが変わったようだ。ちょっとおしゃれになった。辞書の良し悪しなど、使ってみなければ分からないのであって、購入にあたって見た目はとても重要なファクターである。Diccionarios2大いに評価したい。前のがひどすぎた。まだまだよくなる余地はある。箱から取り出すと初版(左)は赤いカバーだったのが今回不思議な赤紫(右)になっている。これも意味の分からない選択なのだが、他の言語の辞書と混同されないようにユニークな色を選んだために、こうなったのであろう。

 値段のことを書いておきたい。初版は税別6120円であった。2版は6600円。見出し語が大幅に増えたのに値段はそれほど変わらない。このことについては、先に白水社、三省堂といったライバルが現われたこともあるが、スペイン語学習者の裾野が広がったことが大いに関係している。第二外国語としてのスペイン語の人気が上がることによって、より多くの購買層が想定されることからこの価格設定となっている。大いに喜びたい。購買層について言えば、もう一点付記したいのは、電子辞書フォーマットへの移行である。紙の辞書ばなれが著しい。複数の辞書が入った電子辞書が携帯にも便利だ。電子辞書に入る西和辞典は現在白水社のものだけのようだ。白水社のものでは収録されていない単語が数多くある。小学館が電子辞書版を出すメリットは大いにあるし、より多くのユーザーに訴えるところがあるはずである。まずはCDROM版の販売などで様子を見るなどしてみてはいかがか、と思い続けて10年が経ってしまった。すぐコピーされてしまうから出版社は軒並み及び腰なのは分かるのだが。PSPやNintendo-DSにスペイン語を学ぶソフトを入れるとかして様子を見てもいいかもしれない。相当売れると思うのだけれど。

圧倒的な収録語数を誇る小学館のこの新しい辞典がスペイン語学習にとって有益であることは間違いない。すでに述べたようにいずれの辞書にもメリット・デメリットはある。たった一つの辞書だけを使って勉強しようという姿勢には問題がある。その意味ではスペイン語文法の用法や用例については白水社や三省堂のものを、テクストを読んでいく道しるべとしては小学館のものを使用されることをお薦めしたい。

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Cervezas Alhambra

 梅雨も明けて、セミの声で目が覚めるようになりました。ビールが美味しい季節。電車のなかで僕をとても癒してくれる中吊り広告があって、サントリーの金麦というビール。イメージキャラクタに宝塚出身の壇れいさんを起用。なんてすてきな女性なの。会ったこともないのにそんなことを思う。おじさんたちも癒されているはず。僕は相当癒されている。そもそも宝塚出身に弱い。滅法弱い。

 ところ変わってスペインのビールはとっても気軽に飲めます。暑いところのビールは結構飲み易いものが多く、寒いところのは味わい深いのが多いみたい。スペインのビールは暑さも相俟ってかなりおいしいです。なにぶん水分補給が大事。生ビールが細長いグラスやワイングラス的なものに入って出てきます。100円から200円くらいです。とても安いです。

 僕の住んでいたグラナダにはアランブラ(Alhambra)という地ビールがありました。グラナダにアルハンブラ宮殿というのがあるのですが、アランブラはアルハンブラのことです。アラビア語で「赤い城」を意味すると聞いた事があるけれど、ほんとかな。オススメ観光スポット。まあ、グラナダに来る人はみんな行きます。

 そのビール会社、家のそばに工場があって、きっとホップを暖めている匂いなのでしょうが、毎朝僕はその変な甘いにおいを嗅いで坂道を登って大学へいったものです。アランブラはレセルバというのがあって、こっちの方がちょっと強い。住んでいたときは黒ビールなんかは見たことなかったけど、作っているんですね。

 スペインで瓶のビールを買ったときに驚いたことは、栓が普通のペットボトル同様もう一度蓋できる様になっています。日本だと栓抜きで空けたら元には戻せませんが(僕の友達は歯で開けていましたが)、スペインのはクルクルとまた蓋が出来ます。出来てどうなんだか良く分からないけど。

 アルハンブラ宮殿は入場料を払わなくても途中まで散歩できるところがあるのですが、アランブラビール(瓶)を買って夜中えっちらおっちら登っていき、朽ちた石壁の上で友達とビールを飲んだことがありました。ギター弾きが多いのもグラナダらしい風景です。昼下がり友達と暑さをしのいでバルに入り、ゆるゆると過ごした夏がもう何年も昔。グラナダには面白い店(バル)が沢山、沢山。いつまでも変わらずそこにあってほしい。

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ペルシアで涼しく。

暑いですね。ようやく夏らしく。こんな時は日中でもカーテンを引いておくと涼しく過ごすことができます。レースのカーテンを引くだけでもかなり涼しくなります。

スペインでは日中、窓についているブラインドを下ろします。日光が入ってくると暑すぎるせいです。これを下ろすとあら不思議、部屋の中はひんやりするのです。湿気がないせいかしらね。ブラインドを下ろさないでお出かけしてしまうとさあ大変。帰ってくると部屋の中がオーブンのよう。

このブラインドが随分頑丈で、日本で言うなら雨戸みたいなものです。なるほどオフィスなどに行けば日本で見るようなブラインドもあるとは思いますが、家々の窓についているのはそんな生易しいものではありません。屋内ではなく、窓の外についているし。結構分厚い板やプラスチックを重ねたものがあって、窓の脇についている平べったいベルト(細い紐では用を成さない)を使って開閉します。

英語ではBlind/Shadeと呼びますが、スペインはちょっと面白いです。ペルシアナPersianaと呼びます。よろい戸とかシャッターのことをそういうのだと思いますが、何故ペルシアなんでしょうね。フランス語でもそういうみたいなのですが、別にペルシアが発祥ということではなくて、「暑いときはこれだよ、ペルシアでも使ってるよ!」みたいなことを言った人がいたのでしょうか。不思議ね。ちなみに日本でよくあるアルミのぺらぺらしたブラインドはペルシアナ・ベネシアナpersiana venecianaといいます。ベネチア風?

僕はスペインでこのpersianaを見たときに良く出来てるなあ、と思いました。場所が変わると窓もブラインドも変わるんだなあ、と。太陽の光をさえぎらなくてはやってられないスペインで、窓に取り付けられたpersianaが発達したのは当然のことなんだけれど、スペインの人にとってはそれは自然なものなのですね。台風の訪れる沖縄で石垣が発達したり、モロッコで細い路地(影を作るため)が発達したりしたのと同じように。

ささやかな知恵で涼しく過ごす素敵な工夫だと思います。

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映画『ボルベール』について

Volver映画『ボルベール』について

 現在公開されているペドロ・アルモドバルの映画『ボルベール』を見てきました(公式サイトより画像をお借りしています)。スペインでは2005年に公開されたもので、ペネロペ・クルスをはじめ個性的な女優さんが魅力的な演技を見せています。
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 主人公ライムンダと姉のソーレが父母の墓参りに田舎に行き、叔母を訪ねるところから物語はスタートします。目も悪く、足腰も弱っている叔母が近所に住むアグスティナという女性に助けられながら生活しているのですが、ライムンダは彼女が心配なので引き取りたい、あるいは介護施設に入れたいと考えています。
 ライムンダはマドリードに夫のパコ、娘のパウラと住んでいます。ある日自分をレイプしようとした父親に、娘は抵抗して殺してしまいます。ライムンダとパウラは遺体の始末に困りますが、折りしも近所のレストランが閉鎖され、その鍵を預かっていた彼女は、パコを巨大な冷凍庫に隠します。遺体の隠蔽をしおおせたところへ、近所で映画の撮影が始まり、行きがかりから彼女は閉鎖されたレストランを再開させてしまいます。
 パコの殺害と同じ頃、田舎の叔母が亡くなります。ライムンダは遺体の始末に忙殺されるため葬式に顔を出すことは出来ないのですが、姉のソーレがアグスティナの手助けを得てことを運びます。ソーレは叔母の家で母親の幽霊を見たのですが、葬式を終えて帰ってくると車のハッチバックから母親の声が聞こえます。夫と共に火事で死んだはずの母は、妹(叔母)の家に身を潜めながら(田舎の人たちは彼女の姿を目撃して幽霊がいると噂していたのですが)彼女の世話をしていたのです。
 ソーレは死んだはずの母とのおかしな同居生活を始め、ライムンダは勝手に始めたレストランが大当たりし、お互いに奇妙な生活を始めるのですが、癌を患っていると分かったアグスティナがマドリードに現れ、ライムンダに頼みごとをします。それは、ライムンダの両親の焼死の日に姿を消したアグスティナの母親の生死を確認してほしいというもの。それもライムンダの母親(の幽霊)に確認してほしい、というものでした。荒唐無稽な願い事とライムンダは一蹴しますが、アグスティナは真剣です。
 事件の真相は、ライムンダの父親とアグスティナの母親は不倫関係にあり、事件の日も小屋で逢瀬を重ねていた。母は小屋に火を掛け、二人を殺すと共に山に身を隠したというものでした。そして、この父親はかつてライムンダを犯し、彼女を身ごもらせた人物なのでした(パウラはライムンダの娘でありながら、妹にもあたるわけです)。
 父親に犯されながらそれに気付いてくれなかった母親に対する反発を持っていたライムンダ。実の母を殺され、いまや癌に侵されているアグスティナ。母親が実際は生きていると知ってしまったソーレとパウラ。そして物語の中心で死んだはずのことになっている母親。女たちの間で、緩やかな和解が最後に訪れることとなります。
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 物語の中心で死んだことになっている母親が実は生きていたということはいくつかの伏線で示されています。目も悪く足腰も弱っている叔母を訪ねた折、自分たちのお菓子がちゃんとタッパーに分けられて用意されていることや、叔母の家にエアロバイクがあること、田舎の人たちが目撃した母親の幽霊談など。
 彼女の夫による娘のレイプと、パコによるパウラのレイプ未遂と、夫の殺害は親子の間で繰り返されるモチーフでしょうか。
 僕が素敵だなと思ったのは、スペインの田舎で人を痛む女達(老女達)の黒装束や挨拶のキスの応酬。スペインだなあ、田舎ではこんななのかなあ、と思っていました。あと、映画の最中で風力発電の巨大な風車が立ち並ぶ場所を通過するのですが、近代化されたドン・キホーテなのでしょうか。アルマグロ(カスティーリャ・ラ・マンチャ)で撮影した映画のようなのですが、こんな景色があるのでしょうね。田舎の街路の侘びさびた感じも美しいですね。叔母の家の中庭もいいです。こうやって、タイル貼りで実にプライヴェートな感じがする空間。
 そんなに重要なものではないのでしょうが、困窮したライムンダが料理をすることで立ち直っていくのも素晴らしいと思いました。そうそう。落ち込んでるときは(亭主が死んじゃったときはどうか知らないけれど)料理をすると気持ちの切り替えに拍車がかかります。物事を整理するのに非常に効果的なのですよね。
 風景などはとてもスペインで、映画の進行はヒッチコックなどのようにドキドキの部分もありつつ、きわめて繊細。そうでなければ死んだはずの母親が実は生きていたなどという荒唐無稽な話は描けないのでしょう。これがスペインの映画といえるかというと、ちょっと違うのかもしれません。

 スペイン映画の代名詞としてアルモドバルを語るには、やはり異様さが目立つ気がします。もっと地味なのがスペインぽい。アルモドバルの映画はリアルタイムで経験するクラシックのような喜びがありますね。冒頭のモンタージュなどどれも古めかしい演出だったりして、「映画が始まる」というワクワクする感じをこんなに憶えることは、現代の作品ではありません。アルモドバルは独特だな、ということを再確認した次第です。花が多くあしらわれているのですが、日本の着物などの文様を大いに参考にしたのではないかと思われます。なるほど、模様の空白をなくすとこういう雰囲気になるのですね。「間」があの日本らしさなんだ。

 ペネロペ・クルス以外の独特な雰囲気の役者さんたちも、葬儀に集まった近所のおばあさんたちも、絶対ハリウッドではお目にかかれませんね。キャスティングが出来れば映画は出来たも同じなのだそうですが、こういう審美眼が素晴らしい(きれいな人しか出ない映画とは一線を画していますね。ペネロペも随分容色が衰えてはいますが)。ヨーロッパの映画の重要な魅力だと思います。
 僕はそれほどアルモドバルを好きではないのですが、これまでに見た彼の作品の中で最良のものだったと思います。

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