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2007年6月

水無月、終わる

Fiore6月は不自由な時の羽

上手くいってるひとも、上手くいってないひとも、収支がとんとんくらいになるといいですね。
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われわれが接触によって、あるいはせいぜいのところ摩擦によってしか、しかもわれわれおたがいをひき離している堅い殻をとおしてしか心的交感をなしえないというこのことは、きわめて悲しいことである。確信をもっていえることだが、この殻は孤独において薄く、弱くなり、ついにはごく薄い皮膜に変わり、この幕は精神の浸透、浸出を許すのである。これをもってわたしは、孤独こそが人間をほんとうに社交的、人間的にすると考えるのだ。

ミゲル・デ・ウナムーノ「孤独」(杉山武訳)

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軽やかに海と砂の境界を

Dos_lineas 大学院に来て、2年以上が経ちました。大学という場所には色々な人が集まってきます。学生も先生も。そうした中で、僕が優れた人だな、と思う人は象牙の塔以外の場所でもきちんとやっていけると感じられる人です。普通の企業に就職しても、アルバイトしても、ジャングルで遭難しても、怪獣に襲われても。判断の的確さ、周囲の観察の正確さ、決断の早さ、そして何よりもやさしい人が多い。やさしいというか、寛容というか。

一芸に秀でているけれど、人として性格に問題がある、というタイプの学者はもう望まれていません。僕もそんな人とは関わりたくないし。人として立派でも研究者として駄目な人は、やっぱり研究者にはなれません。研究者として立派でありながら、人として尊敬できる人を周囲に見ながら、膝を抱える。飽きたころに、また歩き出す。乾ききった砂と、底知れぬ海の深さを想像しながら目を閉じて歩いていく。足元で砂が鳴く。

ああ、あの人も、あの人も、同じ気持ちで歩いていったのであるか。

まだまだ勉強しなくてはいけないことがたくさんあるな、と思って月を待っていました。

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モンタージュ

Montage犯人の顔が思い出せないため、急遽モンタージュを作成。

額面は5000+1000で6000円也。

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How can I say

How can I say

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「優くんは、恋人なんていらないと思ってるんだよ」
 映見にそういわれて、僕は少しうつむいたまま考えている。本当にそうだろうか、と考えるよりも前に、映見は僕が言い返したら不機嫌になるんじゃないだろうか、と不安に思っている。
 時間は11時を少し回っていて、もう電車に乗らなければ帰れなくなってしまうのだが、改札をまだ通ることも出来ず、僕はこんなところにいて、周りの人の邪魔になっている。目に映るのは疲労を浮かべた映見の顔で、彼女はそれを僕のせいだという。そして、彼女の言っていることを間違っていると否定するに十分な根拠を僕は持っていないのだ。
 人間は、生まれてからの数年間、あるいはそれからずっと後になっても本当に無防備で、そのため僕たちは拒絶されるということに強い恐怖を感じている。拒絶されて、庇護を奪われて、僕たちは生きてはゆけないから。だから、仮に恋人同士という関係を結んでいても、映見が僕に拒絶されていると感じているならば、それはつらいことだと思う。彼女は腹を立ててしかるべきだし、それを僕にぶつけて当然なのだ。
 しかし、もし今こうしてあるものが気に入らないならば、僕たちはそれを捨て去って、新しい形の生活を始めるべきだし、そうすることで誰に迷惑をかけるものでもない。僕と一緒にいて映見が苦しいというのであれば、僕が彼女を引き止める理由など、どこにあるというのか。だから、こうして居心地の悪い思いをしながら僕が考えていたことは、彼女の意見を積極的に肯定して、早くこの場を切り抜けることだった。
 ああ、これに似た経験が僕の人生には沢山あるな、と思う。とどまる必要のない場所に執着するために、人は自分の心を苦しめるのだから。僕は経験から学んでいないのかもしれないが、あるいは経験から学ばない人ばかりを相手にしているのだろう。だが、ここで映見を突き放して改札を通り抜けることの出来ない僕のどうしようもなさは、誓って弱さではない。これこそが、僕の他人に対する思いやりなのだと思う。
 一年もせずに映見は新しい恋人を見つけるだろう。それは僕も同じことだ。そして、何かの折にふと、過去に愛した人を思い出して、いやなことも、嬉しかったことも沢山あったな、と感じるときは、今この時間の感情の行き場のなさ、そして帰りの電車の中で僕が味わう寄る辺なさと、部屋に戻ってから映見がつくため息の重さからは50光年も遠い夜の出来事だ。そのための、一瞬の恋だったのだと。思い出すために、過去とされるべき現在だったのだと。
「電話するよ」といって、僕は改札を通り抜ける。僕は電話をしないことを知っている。映見もそれをよく知っている。けれど、そういって別れる以外に、どうすることが出来たのか、僕には分からなかった。Waiting_for_the_green

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好きなことから、好きなものから

これをしなくては、あれをしなくては、というときに限って、別な欲求が頭をもたげてくるもの。

Glencheckpattern_deformed 以前はそういう欲求に屈して後、反省すること頻りだったのです。けれども、一つの愉しみを終えて、充足した気分で本来のするべきことに向かえるのであれば、そのほうがよほど生産的。意外なところから解決の糸口やヒントが見つかる可能性もあります。何かが無駄になるということはないし、そもそも全部無駄だと割り切ることも出来る。気分良く何かに立ち向かう方がよほど快い。

好きなものから食べるようにしなくては。

今週木曜日までに読む本:
フリアン・マリーアス『裸眼のスペイン』
ミゲル・デ・ウナムーノ『スペインの本質』
メネンデス・ピダルほか『スペインの理念』

今週は大部が多くて苦しいでござる。このタイトル見ると非常に偏ってるね。まあ、今週だけ。

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ロシナンテをめぐって

 最近、気になっていることをメモしておかないと忘れてしまうことがよくあります。頭の中に留めておける情報の量が少しずつ減ってるような気がする。そんなわけで、アイディアなどは普段から手帳などに書き付けるようにしています。今日もその続きを、ここに。

 大江健三郎さんのおかしな二人組み三部作の二つ目にあたる『憂い顔の童子』では、物語の終わり近くで主人公の古義人が大怪我をして病院に搬送されます。その古義人をベッドサイドで見守るローズさんというアメリカ人の女性がこんなことをいっているのを床の上の古義人がふり返ります(引用ページは講談社文庫版による)。

 

 そうだ、ドン・キホーテと苦難を共にする運び手の名前はロシナンテ。そのスペイン語表記がRoci-と始まる以上、岩、Rocaとは結びえても薔薇、Rosaとは関係がないけれど、自分の名前と音では近いのが嬉しい・・・(596

 

ここを読んでいたときに、引っかかっていたことがあります。ロシナンテと岩、Rocaと結びえるのだろうか、と(Roca:ロカは英語のRock:ロック、ローズさんの名前はRoseで、スペイン語ではRosa:ロサ)。ロシナンテはキホーテの乗っている馬の名前で、Rocinanteとつづります。Rociという部分からRocaとの連想をしているわけですが、これは正しくないのではないだろうか、と躊躇。

 確かに書き言葉の表記では近しく見えるけれど、音韻の面から見るとRocaRoci-は関係がない。というのは、ieの前ではcは英語のthの発音(僕の場合)になるので、ロカに会ったようなカ行の音にはならない。もしRocaと関係があるとしたら、それはRoquinanteと綴らなくてはならないことになるのです(こう表記すると全然関係ないように見えますが、発音するとロキナンテ)。まあ、こんな単語はないのですが。

 ロシナンテの語源は「痩せ馬」や「価値の低い馬」を意味するロシン(Rocín)という単語です。のろまとか、とんまとか、ネガティヴな意味もあります。ここでは、訳すのは難しいのですが、「痩せ馬なるもの」といった感じで、「痩せ馬」であることを仰々しくした名前なのです。それから、キホーテ自身の弁に拠れば、ロシナンテの音の中に含まれる「アンテ」の部分が「以前」という意味なので、かつて「駄馬であったもの」という洒落にもなっているのだそうです。彼が自分の馬に名前をつける件はこんな感じで訳されています。

 

かくして記憶をたどり、想像をはたらかせて、数多くの名前をこしらえたり、消したり、削ったり、付け足したり、こわしたり、またでっち上げたりしたあげく、ついにロシナンテと呼ぶことにした。彼の見るところでは、崇高にして響きの高いこの名はまた、この馬が以前(アンテス)駄馬(ロシン)であったことを示すと同時に、現在は世にありとある駄馬(ロシン)の最高位にある逸物(アンテス)であることをも表しているのであった。(セルバンテス『ドンキホーテ 前編(一)』牛島信明訳、岩波文庫、2001,50。カッコ内は本当はルビです。)

 

では、ロシンの語源が何であるかが分かれば、それが岩と関係があるかどうか分かるのではないか、というものです。ところが、ロシンの語源は残念ながら分かっていません。よく分からない起原の言葉なのです。フランス語にも「駄馬」を意味するrosseという語があります。これと似ているのですが、ドイツ語で馬をRossといいます。ここからは僕の想像です。西ゴート時代、つまり6世紀から8世紀初めまでにイベリア半島の一部を支配していました。モーロ人の侵入より前の時代。この頃にRossやそれに類した言葉が入ってきたのでは?スペイン語の馬を意味する単語はラテン語からそのまま来ているCaballoというものなので、「馬」の意味ではこちらが存続したのだけれど、Rossに示小辞の-inがついたものがRossinとなり、音の似ているRocínとして、「駄馬、痩せ馬」の形だけ残ったのでは?

 すこしわき道に逸れます。ロシナンテは今日普通名詞としても使われているのですが、「のろま、とんま」などの意味も与えられていることに注意してみる。『キホーテ』を紐解くと、実はこの馬のモデルがいることが分かります。その名は、バビエーカ。スペイン文学史に『我がシッドの歌』という叙事詩があるのですが、そこに出てくる英雄の馬の名前です。バビエーカは駿馬ですが、もともとこの言葉の意味が「とんま」です。名馬に対しておかしな名前と思うかもしれませんが、実は優れたものに劣ったものの名前をつけるというような、こういうことはままあります。

 三国志通俗演義の中に曹操の配下で許猪という猛将がいます。彼につけられたあだ名が「虎痴(こち)」。ポチみたいで可愛いですが、字面を見る限りあまり良い名ではなさそう。ここではその剛勇を評する意味でこういうある種ネガティヴな名前がついているのだと思います。

 そうすると、優れた馬であるにもかかわらず、「とてつもない馬」というように、それを強める意味合いもあってバビエーカと名付けられているものに倣って、キホーテも自分の馬にネガティヴな含みのある名前をつけたということ。そして実際にその馬は字義通りの馬でしかない、というところが二重の洒落になっているのですね。

 脱線終わり。ローズさんの名前と岩が結びつかないのではないか、ということを指摘し、不十分ながらそのことを確認した上で何が言いたかったのか、というと、少なくとも大江さんが間違えてスペイン語を理解している、とかそういうことを言いたいのではありません。小説というのは何を書いてもいい芸術なので、準拠枠としてのスペイン語が小説内のスペイン語と同じである必要もないし(小説では660ccのポルシェが走っている、と書いても良いのです)、それが故意に間違われた結果である可能性があるためです。故意に、つまり作家の戦略として。この後者において、僕がそう思う理由を次に述べます。

 まずはじめに、大江さんがスペイン語もよく分からないのにこれを間違えて書いた、と思えない理由があります。大江さんの精通しているフランス語、英語、あるいはおそらくあまり縁のないであろうドイツ語ではロシナンテをRosi-、Rossi-というようにsで綴ります(確認していないのですが、多分イタリア語もcでは綴れないはずです。)。これだと、ラテン語の活用同様Rosa(Rose)との結びつきがとても強い。そんなわけで、ちゃんとスペイン語のオリジナルのかたちを確認していない限り、cで綴られるロシナンテに出会う可能性はゼロに近いのです。

 次に、ロシナンテと岩としてのRocaが結ばないことは音韻上はそうであるかもしれないけれど、綴りの上では必ずしもそうではありません。小説は書かれてあるものが読まれることによって機能するので、それを逆手にとってこういう仕掛け(文学的な駄洒落)をしているということもありえるのです。分かっていてわざとやっている、ということです。

 最後になりますが、このローズさんという人は博学で、多言語にも精通し、日常の日本語の会話を完璧にこなす学者です。その彼女がここでスペイン語を知っている人ならちょっと疑問に思うかもしれない間違いをしていることは、作品の最後で彼女の情緒が不安定になっていることの表れととることも出来るかもしれません(先の引用の部分から見ると焦燥感のようなものがありありと伝わってきます)。

 健全な批評家の態度として、作品中に引っかかるところで、現実のものとの齟齬があったときに、揚げ足を取って喜ぶことは控えるべきで、むしろそこから創作言語の決勝としての作品のより深い読みへシフトアップすることが望ましい。ですから、僕もこの箇所を大江さんが何か面白い仕掛けを残しているぞ、という風に読みつつ、愉しみました。

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忘れないうちに

こちらもメモしておきましょう。

BSアニメ夜話第8弾 (各日深夜24:00~24:55放送[BS-2])

  6月25日(月)放送 「母をたずねて三千里」(1976年/監督:高畑勲)

  6月26日(火)放送  「装甲騎兵ボトムズ」(1983年/監督:高橋良輔)

  6月27日(水)放送  「時をかける少女」(2006年/監督:細田守)

  6月28日(木)放送  アニメ夜話番外編「精霊の守り人」(2007年/監督:神山健治)
                                                                                                    
『時かけ』と『守り人』の回はぜひ見たいです。

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narcoleptic weekend

Teclado眠くて眠くて、どうしようもない。こんなにも無為に・・・。

何度目かの昼寝の後で、はっぴぃが枕元にたち、散歩に行こうという。最近は涼しくなってから行かないと歩きたがらない。帰りは抱いて帰ってくることもしばしば。この子のトリミングは来週の金曜日。忘れないようにしなくては。

しなくてはいけないことが、とりあえずみっつよっつ先送りになっていて、今は頭の片隅にあるからいいけれど、次のうたた寝の後にはもう思い出せないかもしれません。ちょっと、書いておこう。

1 今週木曜日までに読む本:
アンダーソン『想像の共同体』(済み)
ヴィローリ『パトリオティズムとナショナリズム』(済み)
ホブズボーム『ナショナリズムの歴史と現在』(済み)
ゲルナー『民族とナショナリズム』
ルナン『国民とは何か』(予約取り寄せ中)

それぞれの気になる箇所に付箋を挟む作業が残っています。

2 9月のスペイン行きに関係する書類を作り、一旦経理でチェックしてもらう(月曜日)。

3 指導教員の先生のオフィスに行く。借りているDVDを返却する。

4 読書記録を書く。

おまけ:

5 サブ・ノートにリナックスを入れてみる。

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夏のシマウマ

Zebra_de_verano夏のシマウマ

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 会社を今日は休んでみる。おなかが痛い気がする。頭も痛い気がする。8時55分に電話を掛ける。総務部のパートの女性が出て、休むという用件を伝えると、「ちょっとまってください、課長に替わります」といって、今度は課長に同じ説明をする。
 電話の受話器を置くと、僕の腹痛、頭痛は遠ざかった。

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地球冷却ロケット

雨が降っています。

ようやく梅雨入りした気配。今年の夏は暑くなりそうと言う新聞記事を読みながら、地球を冷やすにはどうしたらいいのか、と考えていました。たまたま、氷に塩を入れると、普通の氷よりも冷たくなるということを知りました。それと、厚い氷を作るために氷のタワーを作っている人の話を新聞で読んだことが相俟って、地球冷却ロケットのアイディアを思いつく。

塩水を凍らせて、20メートルくらいの高さのロケットの形を作る。水は海水でも良し。

砂漠に向けて一日5000本くらい発射する(人とラクダに気をつけて!)

ロケットが溶ける。気化熱でちょっと涼しくなる。周囲はもちろん水浸し。

人とラクダが溺れそうなくらい水浸しになったところに、マングローブの木の苗(あるいは種子)を投下する。

結局、地球云々よりも、きらめく氷で出来たロケットが空を切り裂いて飛んでいって、さらさらの砂に突き刺さる絵が見たいというだけのことなのですが、ロケットの推進力を得るにはどうするか、と考えると、火を燃やして飛ばすのではなくて(溶けちゃう!)、とんでもなく強力なカタパルトみたいなものを想定しています。リニアモーターカーの原理で、超低温のレールとトロッコを用意して、200メートルくらいの滑走路を作る。そこから放り投げる感じです。これで一番飛距離が出るところを計算して、人気のないところからガンガン撃ち出す。

水浸しのところがメインではなくて、実はロケットを作る工場とカタパルト部分を作るところで、国際的に巨額の投資をすることで雇用を創出することが第一歩。砂漠を対象としているので、これらを作るところも当然暑い場所になってしまいます。自転と風の力を最大限利用するには東から西へ打つ必要があるので、砂漠の東に設置することになる。海が近い方がよいので、海岸になるでしょう。赤道上が遠心力が強くなるので、ソマリアなどうってつけなのだが、どうも沿岸は緑が多いようなので、ちょっと南へ降りてタンザニアのタンガあたりから西へ、西へ!

製造途中でロケットが溶けては困るし、氷を作るのにエネルギーを使いすぎると本末転倒なので、地底30メートルくらいの深さで10キロ四方位の地下工場を作ります。これなら地表の温度変化も影響は少ないはず。

実用化の目処が立っていない日本のリニア技術も是非輸出しちゃいましょう。まずプラント作りで現地の人々に仕事を提供し、生活の質を向上させ、世界的なプロジェクトが進行している場所、として国際的な注目を集めます。

リニアモーターを応用しつつ、ロケットの平和利用目指して氷の槍を飛ばしてみたい気がする。

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Throwing things off

「ほうり投げた」

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 ヴェランダで雷の音を聴いていた。少しずつそれは近づいてきて、手にしたグラスさえ静かに振動を伝え聞くようだった。
 午後2時45分。見下ろす街は午睡の底に沈み、姿は見えないヘリコプターの音だけが、弱々しい文明の抗いを空に投げている。マンションの六階という中途半端な場所で、僕はつまらなそうな顔をしてワインを飲んでいるのだ。
 僕は何もしないことにした。すべての善への志向を諦めることにした。努力をして、より良い世界を作るためのささやかな希望を放棄した。それはよくよく考えてのことだ。
 『ザロメ』というイタリアの映画がある。ニーチェ、パウル・レー、ルー・ザロメ、宿命に結び付けられた3人の人間を描く作品で、ニーチェがイタリア語を話すという滑稽さを乗り越えさえすれば、それなりに評価できるところがある。わいせつなシーンが多くあるため、かつては修正されたものが公開されたけれど、数年前改めて修正しないものが公開されるというので、僕も見に行った。男女の裸にはそれでも修正のあとが残っていたけれど。
 正しくはなんといっていたのか、憶えてはいないが、僕の理解した中にこういうことがあった。善を成そうとすると、失敗したときに落胆を憶える。それならば、初めから完全な悪を成すように努めて、その失敗として善が仕方なしに生まれてしまうという方法論にしたがって、生を生きることも可能だ。
 野放しにされた僕達の理想や感情のモザイクが、この一瞬一瞬を形作っている。そこにはなんのコンセンサスもなく、ただ流れるものとして時間を模倣しながら、僕達の弱い意志がその場しのぎに言葉を選んでは、消費している。自分の存在に意味を見出しえないことに絶望する人間のどれだけが、単純に身の回りの友人の存在に、あるいは見知らぬ誰かの存在に、意味を見出せるだろう。存在意義という言葉それ自体が凶器なのだ。それに気がついたとき、僕は傷つくことを諦める。
 行使された暴力に対する救済は存在しない。クリップをグニャグニャと曲げることは出来るが、もう一度完全に最初のかたちに戻すことは出来ない。ただ、そういうことは出来ないようになっているのだ。
 ずっと以前に、恋人がくれたチョコレートを食べながら、ワインを飲んでいる。腕時計のアラームが3時になったことを知らせる。葉蘭をそよがせて、風が渡っていく。

 3時2分、僕はまだワインの残ったグラスを遠くへ、ほうり投げた。それから、どれほど耳を済ませても、ガラスの砕ける音は聴こえなかった。

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前の座席から

Autobusバスでお出かけ。

一番前の席が空いていれば、もちろんそこに座ります。

バスの運転手さんは、すれ違うときに手をあげて合図をします。

僕も傍らでこっそり。

モデルのはなさんもそうらしいです。


スーパーカーもいいけれど、はたらく車も大好きです。

車一台一台が、虫だか動物だかのようにルールにしたがって共生しているように見えるところが好き。

はなさんと僕はお誕生日が一緒です。

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女体大神

もはや何とお読みしてよいやら。

ありがたいやら、ありがたくないやら。

(さあ、ひと思いに写真をクリック!)

Nyotai_1

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孤立とは

isolationはsoloに成る(する)という意味の言葉で、僕にとって非常にポジティブな響きを持つ言葉です(i[n] + sol[o] + at{e} + ion)。

Isolataion人は多勢を成すと悪となるというどうしようもない習性があるように観念していて、高村光太郎なら「離群癖」と読んだであろうモノをひそかに崇める心持ちが僕の中にはあります。

人が仮に自分の思う道を選んで生きていくためには、どうしても裏切っていかなければならないものがある。それをどれだけ親近感や具体的な感触から切り離して実践していくことが出来るか、というディレンマ。僕にとって友愛とは遠くにあって思うもののように感じる。

ノートルダムの石柱に頬を寄せて涙を流した光太郎の数十年後に、僕は同じように柱に頬を寄せてみたものだけれど、その時に時間について感じた距離というものは、とても小さいものであったように錯覚していた。

朝から雷鳴が響き、ベランダの植物が大雨に見舞われ、それからカーテンを引かなければ耐えられないほど強い太陽の日差しに見舞われた日。


刺激的な雷の午後

ルノアールの画のように

淡い光に満つ

海底におぼれた

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新車

新車、買いました。

Cooper 新しいミニクーパー。古いミニクーパーも以前はトミカに入っていたのだけれど、もう入手は難しいのではないでしょうか。このほかに、ミニクーパー・セレクションといって、様々なカラー・ラインアップが楽しめます。

僕はこの色の普通モデルで満足しました。

Box 箱もやっぱりかわいい。トミカの箱は捨ててはいけないと思わせるのですが、さてどこにとっておいたらいいものか。

箱を折りたたんで、輪ゴムで止めておくのが一般的な方法ですね(背景に見えるのは僕の論文執筆計画です。これに従って作業をすればかけるはず、という僕の楽観視の賜物)。

Cars 僕の愛車をご紹介すると、左からミニクーパー、ワーゲンバス、ディズニーリゾートのバスとなっております。ヘッドランプが丸い(丸目と言いますが)車が好みです。





トミカは毎月第3土曜日に新車を発表しているのですが、6月はあの話題のスーパーカー、光岡自動車オロチが登場するそうです。楽しみ!

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The most depressing film of the Year (nominee)

The most depressing film of the Yearに難なくエントリしたのが『バベル』。今日見てきました。

そっか、これか、気分悪くなった人が出た映画。動員数も芳しい様で何より。すでに見た方たちからいろんなリアクションが返ってくるので、自分で見るのを楽しみにしていました。最近、芸術は人の心に傷をつける(動揺させる)力があるものが優れた作品だという思いがあり、その意味で優れた映画でした。

今年後半にものすごいのが来なければ、気分の落ち込む映画第一位を獲得する勢い。

サミット開催地のドイツで日本の首相の写真が違う人(最近農水大臣になった人)のものだったそうです。首相と加勢大周(元祖)はちょっと似てるよね。元祖はガリガリ君のCMキャラクターでもあるようです。

平和ボケしています。

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線路は続くよ

次第、次第に夏ですね。

今日はよその大学の図書館に資料を見せてもらいにいきました。女子大だったのですが、立地がとても素敵なところで、町に電信柱がない(これ、素晴らしいことです)。すごく計画して作られた町のようで、植物の配置も見事。

まず電車を降りると、プラットフォームに美味しいパンのにおいが立ち込めていました。それは改札を出たところにあるパン屋さんからくるもので、僕は着いて早々おやつをいただきました。

見せてもらった資料はちょっと分厚い本で、かなり広範にわたってナショナリズムを扱っている事典です。夏に一つスペインのナショナリズムに関して論文を書けたらいいな、と思っているので、今読むべき文献を集めているのです。日本ではせせこましい愛国心やナショナリズムの議論が大流行ですが(そしてその多くがほとんど批判に耐えられないような脆弱なものであるけれど)、僕は一般論としての民族国家(これを19世紀の専売特許だという人がいるけれど、大御所はだれもそんなことを書いてはいません。にもかかわらず、これが一人歩きしてしまうのは嘆かわしい)以前に、一瞬だけ現れた純粋なナショナリズムがあるということを書きたいと思っています。

フランス革命以前と以後ということで歴史を大別する人が多いけれど、フランス革命に至るまでに政治的テンションがあがっていった時代が80年近くあるわけで(もちろん18世紀のことです)、そういうことを曖昧にしてきた歴史研究というのは19世紀の自分勝手な学問の残滓に過ぎないと思います。たとえば、「啓蒙専制君主」というとても不思議な言葉に疑問を感じないまま歴史は作られ、教えられてきたということ。

その本のページをめくりながら、自分と同じように立ち止まって考えている人が遠い国にいるということ、そしてそれまでに自分が考えていたのと同じ道筋で説明を試みる人がいるということに強く勇気付けられました。そうだよね、やはりそこを俎上にしなければ分からないよね、と。

ふだん足を向けることが少ない方角だったので、往復も大変愉しみました。駅前でシュークリームを買ってご帰還。

線路はどこまでも続くんだなあ。

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こまったこと

とにかく、だらしない。

物の管理がきちんとできない。お金の管理も、時間の管理も、体調管理も。

何を困っているかというと、パスポートが見つからないのです。

なんだかんだ延び延びになっていたスペイン行きについて、9月に出発しようと心を決めました。予定を入れないようにしています。それで、航空券の発券をしようとしたときに、パスポートの有効期限は大丈夫ですか?と尋ねられました。僕はパスポートを使う機会がほとんどないのだけれど、今のは2冊目で、10年パスポートだったと記憶しています。作ったのは、2000年かなあ。多分大丈夫だと思います、と応えつつ、一旦帰って確かめてみることに。

そしたら、どこにあるのか、分からない。

僕は大事なものを変なところにしまいこむ性癖がありまして、以前は夏休みのレポートが冷蔵庫の冷凍コーナーから出てきたことがありました(提出前に見つからず書き直しました)。「これは大切なものだから・・・」とそこまではよいのだけれど、もう二度と出会えないようなところにしまっているのでは?

早く再会できますように。

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小さな喪失の記憶を

僕がいいな、とおもうもの、人、時間。

そういったものに別れを告げながら、離れてゆく自分の歩みを僕はとても残念に思っています。

でも、仕方ない。

ささやかな弔いを繰り返して、すこしずつ自分から自由になる努力を重ねるしか。それしか。

今日は世田谷線に生まれて初めて乗りました(日本では、ね)。以前から乗りたかったのです。チンチン電車と呼ばれていたものですが、いまやハイテクな感じのスムース・ドライブ・ヴィークルで、思っていたよりスマートでした。

三軒茶屋の商店街は失われた昭和のような風景を残していて、僕が外国人観光客を案内するなら是非選びたい場所。

東京や大阪といった都市はランドスケープが異常だと思っています。そのFlora(植生)とも言うべき、地面から突き出た様々の建造物の面白さ、美しさ。時にはそれを台無しにしてしまうものを含めて、街ほどカオス的に生成されていく構造物はないと思うし、東京や大阪の風景が僕にとってはいつも驚きをもって映るもの。

それなのに、カメラを持たずに出かけてしまいました。ざーんねん。

この手に取りこぼすものについては、もう悔やまないことにしよう。その言葉を、裏切る進み行きに僕が陥るとしても。

Royal_copenhagenささやかな弔いを繰り返して、すこしずつ自分から自由になる努力を重ねるしか。それしか。それぐらいしか。小さな喪失の記憶に報いられない。

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地図を眺めて

Rosenだんだんと暑さが本格的になってきています。

切花はもう、すぐしなっとしてしまいますね。なるべく涼しいところに入れてあげなくては。

チリのイサベル・アジェンデという作家のエッセイを読んでいます。テクストを読みながら、チリの地図などを確認することなどがあるのですが、本当に南北に長い国で、地形も起伏と変化に富んでいそうです。

気になるのは、南極側のフィヨルド式海岸で、最初僕は地図のミスプリントかと思いました。すごいなあ、たくさん島があって。僕の友達が先日島を買いたい、といっていたのだけれど、こんなに南では寒いから駄目かもしれない。

地図を眺めていると、時間があっという間に過ぎていくね。

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