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2007年4月

出演時間など

Gerbera 先日お知らせしたとあるイベント。

僕も友達と一緒に歌を歌います。出演時間がなんとなくわかったのでお伝えします。

イベントそのものは3時から。

僕たちが歌うのは5時くらいからみたい。

この連休も練習しています。人前でギターを弾いたり歌を歌うのはとても久しぶり。間違えてベースを持って行かない様にしなくては。練習風景はこちら


ぜひ見たいという奇特な方はこちらから御連絡ください。一緒に歌うAくんとは久々のユニット再結成です。28歳のキラキラソング満載。現在7曲練習しています。

演奏曲目など決まり次第またこっそりとご連絡させていただきます。

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『Salud!!』

5月13日(日)
15:00(open)~21:00(close)

■PLACE
新宿3丁目LOUNGE&BAR nano
LOUNGE&BAR nanoの地図はこちら

■TICKET
\1,500(1drink・カレー・唐揚げ・おつまみ付き)
※寸前で変更有り(¥2,000になるかも…)

■DJ
KONPEX(おもしろWORLD MUSIC)
IB(オーガニックラジオ)
BAKKU
TOMO

■LIVE
黒川さん荘、モヒ&アフロ
(弾き語りアコギLIVE)

■MUSIC
ROCK・PUNK・JAZZ・LATIN・JAMAICAN(SKA、ROCKSTEADY、REGGAE)・IRISHなどの激烈オーガニックミュージック

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インタビュについて

インタビュという形式は案外新しい文学形式だと思う。

そうか?

対話篇に見られるように、ヨーロッパ文学の一つの根源に他者(教師、神様、悪魔など)との対話を記すことでそこから教化的なアレゴリを引き出す文学形式はある。

けれども、着地点というものが教義的に、あるいは倫理的に想定されている対話と、絶対なる他者との会話というものは少し意味合いが異なるようなのだ。この場合、神は絶対的な他者ではない。

インタビュというのはインタビュされる側を理解の彼岸から此岸へ引き寄せる、引き戻す、引き下ろす作業である。学者、アーティスト、政治家、よく分からない言葉で語るものへの理解への努力といえるかもしれない。もちろん、形式的にインタビュというだけで、実際は用意されていた結論に向かっている場合もあるだろう。それよりも、インタビュをする側とされる側の理解の齟齬と、歩み寄りが感じられるインタビュは心地よい。

最近読んだ良いインタビュ:『DARKER THAN BLACK―黒の契約者』の音楽を担当されている菅野よう子さんへのもの。聞き手が音楽に造詣が深い人物かどうかは分からないのだが、菅野さんの発言をより深いところから引き出そうと、あえて矛盾や反対の意見を提示してから質問していく様が見事。

菅野さんは僕のとても好きな作り手さんです。

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電子ピアノ、その美しさ

僕は5,6歳からピアノを習っていたのだけれど、そのころからずっと電子ピアノが好きではない。教室に行くとちゃんとしたピアノ(ちいさめのグランドピアノ)があるのに、自分の家で練習するのは電子ピアノでした。

日本にはすぐれた楽器製作会社が多くあります。この国の住宅事情に鑑みても、電子ピアノというのはとりわけ需要がある分野であったことも理解します。また、ピアノではなくエレクトリックピアノの音そのものに独特の個性があることも認めます。

だーけーどー

こんなもん、弾けるかー!と練習しない自分を棚に上げて僕が悲しんだのは、その音、タッチ、見た目、要するにすべて。

ギターとかヴァイオリンの感動的なところはある不安定なテンション(張力)で張られた弦をはじくと空気が振動して、音楽を生み出すというところでしょ。それが、楽しめないのよね。

さらに言えば、今シンセサイザーなどで「E.Piano」という音源として入っているのは、電子ピアノ初期のもので、この頃の電子ピアノはピアノではなかったのです。

どういうことか。

簡単に言えば、ハンマーが中で鉄板を叩いて、それを(電気的に)増幅させて音を出す、というもの。すごく古い電子ピアノは電源を入れなくても弾いたら音が出ます。それはこのタイプ。コロムビアのエレピアンなんて、もう誰も知らないだろうか。

それ以降の「ピアノの音が出る」電子ピアノはハンマーの動きに対応してすでに内蔵された音源から出力します。たとえば、コンサートグランドピアノの音をテープに録音して、ボタン(鍵盤)が圧されたら、それを再生する、というような仕組み(簡単に言えば、ね)。こちらは「E. Piano」音源とは根本的に違う。

とかなり僕の悲しみを腑分けしたところで、電子ピアノに対してあまりよい印象を持たない僕が、心奪われた機種があります。

Pht_02_03 な、な、何でしょう。これは。

YAMAHAのMODUS H01というモデル。デザイン、そしてデザイン。音も出るけど、とにかくデザイン。

これがリビングにあったら、相当幸せになれる気がするのですが、完全受注生産で70万円ちょっと。ひゃあ。

おしゃれな団塊世代向けに3カラーラインアップ。僕はこの赤いのがいくつ売れるか気になります。

楽器の見た目がどうしても家具調になりがちな電子ピアノにおいて、革命的なデザインです。YAMAHAには決断力のある神がいると見た。

おそらく低音側の足についてはものすごく迷ったのだろうけれど、こうでなければならなかっただろう。

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certaines nuisances

Thorn 最近撮影した中でとても好きな一枚。なるべく大きいサイズでお見せしたいのですが・・・。

人と話をするにあたって、僕が気にかけていることの一つに相手に目線を合わせることがあります。

・相手の言葉で話す。
・相手の会話の内容で話す。
・相手の目の高さで話す。

常に出来ていることではないのだけれど。

相手の言葉については以前コードスイッチングに関連して書いたことがあります。

相手の会話の内容については、その人の興味関心に沿って話す、ということ。結果として広く浅い知識で世界を歩き回ることになった私。そして、相手の語彙で話すということ。当然ながら勝手に難しいことを言わない、言い換えられることや説明できることは最低限努力する。

相手の目の高さで話す、というのは物理的にそういうこと。立場じゃなくて、背の高さのこと。特に背が高いでもないですが、それでもなるべく視線とその高さを合わせるように。

加えて、断言する形で意見を言わないようにしています。こうして書いてみると、それが僕の曖昧さの根源になっている気もしますが、まあ仕方ない。人それぞれです。

一方で、これらのことがまったく出来ない人とは僕は上手く話が出来ない。

どういうことか。

会話において、自分のルールと相手のルールが異なる可能性を念頭においていない実践(対話行為)は暴力の様相を呈することへの反感なのだと思う。違うかもしれない、伝わらないかもしれないという不安や恐れを内包していない意見の表明は僕に不快感を覚えさせるのでしょう。

何故そのようなことを感じるかというと、その不快感の生じる源泉が僕の根源に持つ「違うかもしれない、伝わらないかもしれないという不安や恐れ」による反応だからということでしょう。

例えば、酔っ払いが何かわけの分からないことをいって、そのあとなぜじっくりと考えてしまうのかな、というようなささやかなことの原因としてそんなことを思っていました。

この不快感を感じなくなったら、僕が駄目になる。そんな気がする感覚です。

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ようこそ!

Tachikoma_in_circle_1とどきました。

待ちに待ったタチコマ・フィギュア。

3月末発売の予定で、2月から予約していたのですが、一ヶ月遅れの販売となりました。 それだけ人気があったのですね。値段は3000円ちょっとです。

 Tachikoma_in_the_boxまず、結構軽くて、大きな箱に入っていました。中ではワイヤーで動きを固定されたタチコマが囚われています。きっとマニアの人やオークションに出す人は箱のままで愉しむのでしょう。僕としては机の上だけでなく、外やテーブルの上で遊んだりしたいので迷わずタチコマを救出。

ようこそ!

・フィギュアの出来ですが、僕は 自分で作るのが面倒くさいからこれを買っただけなので、比較できません 。プラモつくりには墨入れという作業があって、プラスチックのパーツに黒い線を入れることです。質感を高める と共に、印象を鮮やかにさせるのですが、このフィギュアは墨入れが非常に上手です。それから、この写真よりも落ち着いた色彩です。そこもアニメに忠実。With_major

・稼動部は主に足です。関節が二つあるので、色々動かせますが、劇中になかったポーズを取らせてもイマイチなので、このりりしい姿で飾るつもり。右手、左手、共に回転します。素敵。色々なシーンを思い出せます。

・おまけとして草薙素子少佐もついてきます。タチコマ、人間より相当大きいですね。

ここまで来て「タチコマって何さー?」と思った方には、以前から僕が『攻殻機動隊 Ghost in the Shell』に入れあげていたことを。

タチコマは同作品中で非常に重要な役割を担う思考戦車です。AIを搭載していて、経験から学習していくロボット。

テレビシリーズでは最後の最後にタチコマが非常に重要な役割を持つのですが、いずれも「機械に人格、生命があるのか?」という問いに対する答えとなっています。

コンピュータはどんどん人間に近づいていくけれど、その途中ある段階で人間と機械の付き合い方について深く考えなくてはいけない時期がやってくるのでしょうね。浦沢直樹の『PLUTO』にも同じテーマが出てきています。人と機械を隔てているもの、その垣根が、どんどん低くなっていく。

我が家での最初の勤務は、お花畑のパトロールでした。In_fiori

今後は主に机の上で僕がちゃんと勉強するよう見張っていてもらいます。In_fiori_2

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緑を分けて、その先へ

Scenic_speedぐんぐんと、

緑を追い越して走る。

立ち止まっていても、動いていても、

立ち止まることもまた、一つの変化であるし、

歩き出すことも。

Everybody got something to hide except for me and my monkey...

ジョンが耳元で叫んでる。

今日はかすかに雨が降っていて、お昼前のキャンパスで傘をささずに歩いていました。

緑のにおいが濃いね。新緑の毒素、深く吸い込んで。

どんなに浪費しても、春は春。まもなく5月がやってくる。

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美しい人待ちわびて、若さを脱ぎ捨てた

彩り豊かな世界 移ろう人々

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こんにちは、Vista。

Fmv こんにちは、Windows Vista。XPから随分見た目も変わったようですね。はじめまして。

今年から少しずつLinux環境へ移行していきたいと考えている僕にとって、案外遠い話題だったのだけれど、ノートパソコンを1台買いました。僕のではなく、母の。

富士通のノートですが、富士通といえば僕が生涯最初に買ったパソコンも富士通のもの。FM TOWNSという機種があって、中学2年生のときに買いました。今のノートが2台買える値段だった(TOWNS II CX)。いかにもパソコンという感じのルックス。

世界初CDドライブ標準搭載、が売り文句のマルチメディアパソコンでしたが、「マルチメディアパソコン」って・・・何?まあ、絵も音もきれいで、ゲームなどの種類も豊富ですよ、ということでした。ゲームしない僕にとっては関係ないですね。

ただ、当時のパソコンは必ずしもマイクロソフトのOS(基本ソフト)で動いていたわけではない、ということを強く記憶しています。それぞれのパソコンメーカーが独自のOSを作っていました。それがまた使いよかったのです。けれど、DOS-V以降、相互に相乗りできるマイクロソフト製品の方が便利、ということになりました。僕もWindows 3.1くらいまではTownsで使っていました。

この時点でマイクロソフトに見ていた夢というのは、今僕がLinuxに期待しているものだった気がします。多くの人が共通のプラットフォームで仕事できることにメリットを感じていたはずなのですが、結局は新モデルへのヴァージョンアップ・スケジュールに翻弄され、マイクロソフト製品の中だけでも折り合いがつかなかったりしている。Windows Me搭載のパソコンを買った人など苦労が絶えないだろうなあ。

ただ、時間軸上でずっと同じ技術を使用し続けるのは進歩を阻むので、10年くらいのタイムラグがあったときに、共用性が低いことは仕方あるまい。問題はむしろ、だれでも気軽に使える、入手できるということなんだと思います。

マイクロソフトの製品はライオンのシェア(lion's shareで市場の大半、という意味)を持っています。だからどうしてもユーザは言い値で買うしかない。結構高い製品ですよね。ただ、それを入れていないと互換性がないということが大きな不安となる。

Linuxは誰でも入手できる、というメリットがあるけれど、誰でも簡単に使えるかというとそうでもなかったです。けれど、最近はWindows, MacともにLinuxに似たデザインが多くなってきました(僕はWindowsもMacも使ってきて、別にどちらでも使えるな、と思っていますが、それはどちらも操作性で大差がなくなってきたということです)。コマーシャル・ベースの企業から強く意識されているということです。最近のLinuxのユーザへの配慮もかなり評価できる。

あと10年くらいで、どれくらいユーザを獲得できるか、というのがLinuxには課題。Windowsにしてみれば、今まで囲い込んできた顧客にどれだけ長く使ってもらえるか、選んでもらえるかが課題。どちらも、技術革新において排他的にならなければ共生出来る気がする。とはいえ、Vista登場でさらにLinuxとの垣根を(故意に)高くしたのですが。

でも、結局はアプリケーションの問題なので、基本ソフトが何でも、自分に使いよいソフトが入っていればいいわけです。オフィス文書やインターネット、メールしか使わないよ、という人はどれを選んでも大差ないですし。音楽や映像編集をやりたい人は、使いたいソフトが対応している方を選べばよい。Linuxの場合はそれぞれの専門分野に合わせて別々の優れたソフトが用意されているので、それを適宜入れながら使っていけばよいというだけのことでしょう。

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海底

学校で友達と食事。春らしい陽気。最近とても寒かったから。

家に帰って、今日はとにかくパソコンで遊び放題。ホームページの走る電車は車内放送を新しく。一人でそんなにコーラス重ねてはいけません。何やってんだか。

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海底

傷ついた猫は
光をおびえて鳴いていた
煙の中で僕達は朝日を迎えた

いったいどこまで
走り続ければ答えがあるのか
生まれつきそれを知らずに
泣いたり笑ってる

理想的なサナトリウムで
鎖に繋がれたまま
道化の花として咲いては枯れてゆく

刺激的な雷の午後
ルノアールの絵のように
淡い光に満つ
海底に溺れたPractice

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森と

Laforet「シンと心が静まる」というときのシンは森であってほしい。

森の中を流れる時間は学校や会社を流れている時間と違う。随分ゆっくりしたな、と思って時計を見るとそうでもなかったり、一瞬心を奪われて何時間も経っていたり。

個別のFaunaがあり、取り巻くものとしてのSurroundings、それを浮かべているClimateが異なる。だが、すべての波形が絡み合って出来上がるノイズは、それでも案外どの森でも似ているに違いない。それを「シン」と表現したい、というささやかな願い。

深く森に分け入って歩むと、あなたはそこから先へ進んではいけないと気がつくはず。少し開けた場所かもしれない。帰ってきても、帰ってこられなくても、その経験は一回性のあるものだという、ただそのことだけで、重要だ。


あなたのように世界に出逢う誰にも、

世界はまだ出逢ってはこなかった。

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素敵な朝ごはん

「ねえ、今朝はとっても素敵な朝で
あなたがいたらと思ったわ」
僕も同じことを考えた
君と同じことを思った

窓から射す冬の日差しは嘘と
憂鬱をかき混ぜるraya
テラスから僕の住む街の景色を
君に見せたく思う

窓から射す冬の日差しに僕は
カーテン越しに目を伏せ
君と同じテーブルに腰掛けて
素敵な朝ごはん

「ねえ、今朝はとっても素敵な朝で
あなたがいたらと思ったわ」
僕も同じことを考えた
君と同じことを思った

 

(2001年 グラナダ)

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5月13日、人前で歌を。

あれ、僕の知らないうちに詳細が。0513

ライブをする日取りがアップされてる。母の日。

詳細は『オーガニックラジオ』参照。あぶなーい。見逃すとこでした。当日「今、どこにいるの?」と電話がかかってくる可能性大ね。

時間未定です。そもそも、ほとんど何も知らない。とりあえず行き先が分かっただけでも良し。

車イスOKの場所みたい。もちろん、車イスじゃなくてもOK。

「モヒ&アフロ」も大人になって、今では当たりさわりのない髪形になっていますが、音楽は若々しくいきます。出演時間など分かり次第、またこっそりとご案内させていただきます。

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『Salud!!』

5月13日(日)
15:00(open)~21:00(close)

■PLACE
新宿3丁目LOUNGE&BAR nano
LOUNGE&BAR nanoの地図はこちら

■TICKET
\1,500(1drink・カレー・唐揚げ・おつまみ付き)
※寸前で変更有り(¥2,000になるかも…)

■DJ
KONPEX(おもしろWORLD MUSIC)
IB(オーガニックラジオ)
BAKKU
TOMO

■LIVE
黒川さん荘、モヒ&アフロ
(弾き語りアコギLIVE)

■MUSIC
ROCK・PUNK・JAZZ・LATIN・JAMAICAN(SKA、ROCKSTEADY、REGGAE)・IRISHなどの激烈オーガニックミュージック

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土曜日は・・・アニメの日!

過日とある名画座で『時をかける少女』『パプリカ』という豪華な二本立てを見てきた私。もう、本当にいろんな人に見てもらいたいのです。『時かけ』は池袋の新文芸座で一週間だけやるみたい。オダジョーの『ゆれる』とカップリング。お時間に余裕のある方は是非・・・。

ところで土曜日は僕にとってアニメの日となっております。すべて録画してみるのですが、『Darker than black 黒の契約者』『精霊の守り人』『地球へ・・・』の三つがこの日に放映される。今のところ『精霊』が一番好きです。

元々僕はアニメやコミック、サブカルに偏見を持っていた人です。大学院に入って、文学研究、文化研究に視野が広がっていくにつれて、どんどん許容できるキャパシティが増えていきました。もし以前の私同様偏見を持って見ていない人があれば、無理にとは言いませんが、90年代から今日までが受容レベルの過渡期であるということだけ言わせてください。

今年もたくさん素敵な作品(文学、映画、音楽、評論、アニメ、なんでも)に出会えますように。

月末にタチコマ・フィギュア届くはず。楽しみ。

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ノイズ・ゲームのルール

この4月家を出るときによく聴いている元気の出る歌があって、昔からとても好きな曲なのだけれど、John FarnhamのYou're the Voiceという作品。オーストラリアでほとんどの人が歌えるアンセムなのではないでしょうか。同国を代表するヴォーカリストといえるでしょう。Whispering Jackという1986年のアルバムに収録されています。

歌詞の一部を引用します。

You're the voice, try and understand it

Make a noise and make it clear

うん。シンプルで分かりやすい。それでいてコミュニケーション理論の基本をついている気もする。

僕が最初の大学に進学した90年代後半には『異文化交流』が一つの学術的なテーマとしてもてはやされていた頃で、今振り返るとのんびりした時代なんだけど、その時に「そんな簡単に交流して理解できるものだろうか」という疑問を持っていました。相当な無駄と回り道と、時間をかけて初めて分かるもののように考えていました。

最近になって、共通した知識(オーソリティの与えられた)の共有が相互理解の必要欠くべからざるもの、とする意見を聞き、それもまた違うのでは、と思った。共通した知識、認識というのはその共通性を確認できない以上どこまでも不確かなものでしかない。僕が視覚に異常を抱えていて、青いものが黄色く見えるとしても、慣習として黄色く見えるアイリスを青いという限り、齟齬は生じ得ない。つまり、共通した知識の共有は、今あることをそのまま存続させるためのルールでしかない。

すると、個人個人の認識は人の数だけ孤立しているわけで、その孤独の中で他者と接触するという行為を、その一回ごとの出会いにおいて(都度ルールが生成される)ゲームとして演じるしかない。だから、共通した知識、認識に重きを置く議論は、何かを説明してはいない。

これは別に悲観ではなく、僕の中で一回ごとのゲームとしての生活があるというだけなのですが、ゲームを開始する方法については、これは自分がアクションを起こし、ノイズを発するしかないというところに行き着くと思っています。

以前教育実習先で非言語コミュニケーションの実験というレクのようなものをやったことがあるのですが、実際には言語=ルールという括り自体からは離れていないので、振り返ると「非言語」ではなかったと思っています。

これは、目隠しをして、言葉によるコミュニケーションを禁止して、次のミッション(使命)を完遂するというもの。

「参加者に番号を付与し、その順に手をつなぎあって一列に並ぶ。」

列が完成したところで、観察者が終了を告げてゲームの終了。始まりと終わりにはどうしても言葉は必要だし、上のルールを言葉で表していることは、まあ棚上げして。

このゲーム、今のところ僕は原則二つしか解決方法を知りません。いずれも聴覚あるいは触覚を利用していますが、一方では言語を介在させているので完全に正しい解決ではないのかもしれません。他方は数の数え方というものが言語的ルールの範疇にあるならば、それもまた正しい解決方法ではない。だれか完全な解決方法を見つけたら教えてください。

それはともかく、発話言語に頼らないという意味では、かなり効果的に楽しめるゲームです。これを参加者としてではなく、傍観すると面白いことに気がつきます。いちはやく列を形成できる人というのは、自発的にアクションを起こす人なのです。相手が自分の想定する(思いついた)解決法を知らない状態で、それを実践するという飛躍。相手に理解されず、黙殺されるかもしれないルールを実践するという飛躍。

では、ルールをつくり、それを周囲に押し付けるのが正しいか、というとそうではない気がするのだけれど、ただなにもないところからルールの徹底は生まれない。僕の知る限り二つの解決法があって、同時にこの二つの解決法を異なるプレーヤーが実践した場合、どちらに従っても解決には至るけれど、どちらを採択するか、ということについては民主的な話し合い(言葉による)が出来ません。結局のところ、同時に起こる可能性も低いし、最初に現れた解決法を他のプレーヤーが模倣することによってミッションは完遂される気がする。

ただし、最初はやはりノイズを出す、という絶対必要な条件があるところが僕の気に入っているところです。

それならば。言葉を使ってもよい世界に住んでいるのならば。

あなたのルールはゲームにおいて採択されないかもしれないが、口を開く理由はあるのではないか。

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ぱたぱた

新学期はばたばたすることが多いです。

教室移動、テクストの用意。あれして、これして。

ばたばたしているときこそ、心に余裕を。

『ぱたぱたくん』のCM。こんなにひとを優しい気持ちにさせるCM、他にあるかしらね。音楽も、映像も大好き!8分の3、8分の4、8分の6、が効果的に組み合わせられている。僕にとって、このCMの吉田真希子さんは理想の奥さんです。

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「やさしい恋人へ、僕から」

2000年のことだから、7年も前のこと。一緒に音楽をやっていた方がいます。

僕は高校時代にバンドをやっていたけれど、それ以降は余興以外でバンドを組んだりはしていません。ところで、高校生の頃から、「コピーよりもオリジナル曲」という変なモットーで曲を書いてきた僕にとって一番の衝撃だった人、そして衝撃であり続けている人がいて、「神様は不公平ね」と常々僕に思わせるほど良い曲を書く。

縁があったんですね。その人と1年ほど同じ家に住んでいたことがあって、自然二人で歌を歌っていたのです。

あの幸福な時代が7年も前か。本にうずもれて、屋根に上り、タバコの煙はやはり苦手で、ヴェランダでコーヒーを飲んで。猫が来る。蜂が来る。短すぎる夜を追って朝はやってきたし、空は途方もなく空でした。僕の人生で最もボヘミアンな時代だったのかもしれない。好きなことしかしなかったし、好きなことしかなかった。美しい言葉と、記憶と、音楽だけで染め上げられた過去というなら、それは美化しすぎているけれど。翌年僕はスペインの大学にいたし、そのあとは鳴かず飛ばずの尾羽打ち枯らした生活が続いているのだけれど。

で。

で。

で。

詳細はよく分からないのだけれど、とある機会にまた一緒に歌を歌うことに。最近でもっとも嬉しい出来事の一つ。

どんな曲歌おうかな、と思っていて自分が昔書いた曲などを振り返ると、今にはないようなキラキラ感のある作品が!

うらぶれて、やさぐれて、もはやカタギには戻れないという今の僕のすさんだ気持ちなどかけらもないなあ。

三月末からずっと治らない風邪ひきさんは、魔がさして仮録してみる。

そんなわけで、ホームページ本体のどこかに。

こんなに恥ずかしい曲調で、恥ずかしい歌詞で自信に満ち満ちていた蒼き日の自分を、僕は心から懐かしく思います。

でも、このときも辛いことは辛かったし、悲しいことは悲しかった。それでも今ここにいるのだから、なんとかしのいで来たのですね。

王子オーラ全開で、強気で、それでいて弱いと思う。

でも、今もまた楽しい。

なぜなら、こんな曲を28になっても歌うことが出来るんだから。

詳細はまた、決まり次第こっそりとご連絡します。

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春ですから

Lastline うとうととすることが多い昨日、今日。春だもの。

友達に贈られたブックマークはこのように使います。ここまで読みましたよ、というのが分かるようになっています。

そろそろ授業の始まる大学院。シラバス(授業案内)を眺めながら(シラバスの複数形はシラバイsyllabus-syllabi。ラテン語だったのですね)、夏学期の予定を考えています。

このシラバスを見て思うのは、どの授業もそれなりに敷居が高く見えるということ。実際にはそうでもない授業まで、こうかっちりと書いてあると「おいそれとは履修できないのではないか」と不安になる。が、そこはなかったことにして、いろんな授業を覗くことは意味があることです。

とはいえ、院生になってから「勉強は一人でするものだから」と強く思うので、授業そのものより自分の中での葛藤だなあ、とも。

ただ、いろんな授業に出てみると友達が増えるし、意外な発見があるものなので、なるべく外へ出ることを心がけたい春です。ただし、僕は6月くらいにスペインへ一月ほど行こうと考えているので、それを勘案して授業を決めないとね。

昨日エリザベス・コストヴァの『ヒストリアン』を読み終わり、長い長い旅が終わったような気がします。それからバロック建築に関する本を読み始めて、ベルニーニってすごいなあ、と布団に挟まってひとしきり感心していたら眠っていました。春ですから。

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『精霊の守り人』

去年の秋ごろから楽しく見ていた『コードギアス 反逆のルルーシュ』の最後の二つのエピソードはこの夏に放送されるのですね。どんな結末になるかとても気になります。でも、続編もある・・・?

4月は番組改編で気になる作品が多いです。

NHK-BS2で放送される『精霊の守り人』に特に注目したいです。サイトを見る限り風景が非常に美しい作品のようです。あるような、ないようなファンタジーの世界をどういう風に描くのか、期待しています。

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おいしそうな電卓

ビタミンカラーって、よく分からないけど元気出そうですね。多分ビタミンを多くふくんでいる(であろう)食べ物の色、ということなのだろうけれど。

Calculador_1 この計算機はとても元気が出そうです。見た目もかわいく、家計簿をつけるのが楽しくなりそうですね。他にもかわいい色がたくさんあります。カシオ計算機のもの。ボタンも大きくて、使いやすい。

「フルーツカラーのキュートなボディに機能満載。」と紹介されています。素敵。

4月は出費がかさみますね。

新生活をはじめる人は、身の回りのこまごまとしたものを。僕などは理由もないのにこまごまとしたものを。自分にご褒美をあげるのに日々忙しいです。定期を買ったり、財布を買ったり。何に使ったか忘れないようにしなくては。

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スタート!

月曜日から新しい職場や学校でスタートを切った方も多いのでは。楽しいことも、苦しいことも、全部まとめてあなたの人生です。愉しんで!

かくいう僕も場所は変らずですが、新しいスタートを。

Present「大学院博士課程への進学おめでとうございます。」

と祝ってくれる人もなかったので、自分で自分に進学祝をプレゼント。

ちゃんとギフト包装もしていただきました。

うん、これで祝祭ムードが出てきましたね。

さて、何を買ったのかというと、財布です。

仕事をしていた頃はキタムラK2の長札を使用していました。ブラウンにグリーンの糸でステッチがされているかわいらしいものです。

学生になって、背広を着なくなると、おや、財布を入れる場所がないのですね。内ポケットは偉大です。

リュックとかに財布を入れると取り出すのも面倒くさいし、他のもの(ノートやヘッドフォン)にあたって、傷がついたりしてしまうので、人知れず心を痛めておりました。

Wallet1 で、どんなものを買ったかというと、白の二つ折りのものです。

クリームがかったオフホワイトのレザーにブラウンで太目のステッチが入っていて、アクセントになっています。デニム、黒ジャケットWallet2、黒コート、どれとあわせてもまあいいだろう、と判断。

僕は小銭を持ち歩かないので、必要最低限の小銭入れがあればよく、一方カードは割りと大目に持ち歩くのでホルダーが多い方が好みです。この写真では分からないのですが、左のカードホルダーは二重になっていて、裏側に同じものがあります(素晴らしい工夫です。お見せ出来ないのが残念!)。よって、全部で8枚収容できます。

札入れ部分の裏地が素晴らしい。温かみのあるデザインが気に入っています。BMSという大阪発カジュアルバッグメーカーのもの(MASTER PIECEも大阪)。垢抜けないホームページが、逆に親近感をおぼえさせる?Wallet3

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仲直り

Tulips  ずっと以前にけんかをして口もきかなくなった方が、夢の中に出てきました。思い出したりすることも少なくなっていたのに、なんでかな?と思っていたけれど、僕の中にあるわだかまりが少しずつほどけてきたからなんだろう、という気がした。どっちにも理があるし、どっちにも非がある。でも、今の僕なら自分の非をきちんと受け入れられる気がする。随分時間がかかってしまったけれど。だから、なぜか仲直りしたような気持ちになった。もう二度と会わないけれど、最後にあったときに笑って別れただろうか、ということだけが気にかかって、でも、多分笑って別れたはず。

 これからもそういうことはたくさんあるだろう。直接間接にそういうことがあるに違いない。ただ、最後に笑顔で手を振った僕を記憶してほしいとは思う。

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不自由な言葉 鼻にかけて
やりきれないと弱音はいて
それでも あなたは行く
明日もまた あなたの戦場へ
いつか忘れるはずの恋も
きっとあなたは好きになるよ
「もう二度と」 と 思うたびに
それでも あなたは恋をする。

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ギターの弦を張り替える

素晴らしく豊饒な響きがします。

ギターの弦を張り替えました。僕の使用ギターはスペイン・バレンシアの工房で作られた手工ギターです。この度弦を張り替えました。

いつもそうだけれど、弦を張り替えたばかりの生き生きした音には感動させられます。それは、アップライトピアノにしか触れたことのない人が、初めてコンサートグランドピアノを弾いた様な感じ。張り替えたばかりの弦は音程も変りやすく、コンサートの前日に弦を張り替えるなどというのは御法度ですが、この新鮮な響きはなんとも魅力的です。

あまり書かないので、たまにはすこしギターの話も。

クラシックギターをガットギターなどと呼ぶことがありますね。これは元々羊の腸を縒ったもの(ガット)を弦として張っていたからです。テニスなどのラケットに張ってあるあの糸もガットと呼びますね。同じものです。現在はナイロンで作られていて、1弦から3弦くらいまでが標準的。もちろん、多い人も少ない人もいます。

ナイロン弦に比べて切れたり劣化しやすいのがスチールの弦で4弦から6弦くらいまでの低音部に張る弦です。張ったばかりのときに新鮮な響きをさせるのはこちらの部分。弦というよりもまだまだ鉄だな、という感触。なじんで、音程も狂わなくなるまですこし時間がかかります。芯になる鉄線の周りに別の金属の線が巻きつけてあります。鉄、ステンレス、合金などさまざま。錆びたりすることも多いので、長持ちさせるには汗や油をふき取るなど多少ケアするとよいかもしれません。

ゲージというのは弦の直径でこれが太いほど弦のテンション(張りの強さ)が上がります。響きも異なるので太いほどいいとか、細いからいいとかそういうものではありません。自分にとって演奏しやすいものを選ぶとよいでしょう。

チューニングをする場合に、低い音から高い音へ少しずつ合わせていくのですが、もし音程が行き過ぎた(高くなりすぎた)ばあいは、一旦少し緩めてやり直したほうがよいようです。経験的に、高い方から低い方へ緩めると音程が安定しません。

弦の若さを保つためには、弾かないときは少しだけ緩めてやるとよいようです。もちろん、張って2週間もするとあまり違いはないかもしれませんが、最初のうちはなるべくちゃんと休ませてあげましょう。

チューニングには便利なチューニングメーターというものがありますが、僕は音叉を使います。絶対音感がなくても、大体このあたり、という想像をつけられるように訓練するためにも、なるべく自分の耳でチューニングすることをお奨めします。

また、実際の音だけでなく、ハーモニクスでもチューニングするようにしたほうが耳の訓練にもなり、よりきれいに音程を合わせられます。3弦と2弦の間をやらない人も多いですが、出来ればやったほうが良いでしょう。3弦4フレットと2弦5フレットがBの音です。はじめは出しにくいかもしれませんが、慣れるとちゃんと出来ます。

クラシックギターは弦の張り方が難しいかもしれませんが、何回も何回も練習していると自然に出来るようになります。失敗することも多くあると思いますが、気をつけてほしいのは、弦がきゅっと曲がったり、折れたりする部分を出来るだけ作らないようにすること。そこに不必要な力が加わって切れやすくなります。

ギターの保管ですが、スタンドなどに置いてもいいし、普段ケースにしまう場合は一緒に乾燥剤を入れておきましょう。クッキーの缶などに入っているものでいいです。湿気の多い環境と、極端に乾燥した場所は楽器に良くないです。いつもエアコンが入っている部屋などではなるべくケースに入れておきましょう。

ギターはヴァイオリンなどと違って何百年も持つものではありません。50年くらいの寿命です。それは、フレットと弦が接触し、ボディを抱え込み、という具合に接触面が多いためです。また、強いテンションの弦を6本もはっているので、どうしても弱っていきます。ある瞬間に最高に美しい音を出すようになって、そこからはゆるやかに衰えていきます。そう考えると、人間と一緒ですね。だから、もし自分の人生の一本といえるギターとであったならば、どうぞそれを大事に弾いてあげてください。安価なものでもいいものはたくさんありますし、弾けば弾くほど楽器は応えてくれます。同じモデルでも弾き込まれているギターは全然違う音がします。

ギターを大切に!!

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