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2007年1月

野本かりあ DANCEMUSIC

かありい(野本かりあさん)の2ndアルバムが1月24日に発売されました。Dancemusic

予約していたのですが、提出する宿題があったのでお預けにしていました。

今回もかわいい写真のジャケットです。前回(『KARLY』)はミニ写真集でしたが、この度は初回版には素敵なものが入っています。これもいいね。

小西君のこだわり(?)BPM135で全編繋がっています。前作のようにコンセプト・アルバムではありません。『ダンスミュージック』と銘打っているとおりノリはいいですが、僕は・・・まあ、いいか。古くてでっかいJBLとかで鳴らすとまた違うのかな。アルバムの雰囲気はPizzicato fiveのOverdoseに似ています。野本かりあさんのルックスの魅力と音楽を上手く融合させるというのは難しいのね。シングル「東京は夜の七時。」「自由度。」も入っていますね。とはいえどうしても手放しの称賛は出来ない。んー。色々惜しい。残念です。

僕の一押しは「GIRLS IN LOVE」かな。ちょっと蛇の目の湯~名人に似てるけど。分かる?「遊び。」も悪くない。

小西君いつまでも若いなあ。よく働くなあ。

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おまけ:今月買ったCDから良かったものをいくつかご紹介。

Acoustic Alchemy, The Beautiful Game

倉橋ヨエコ, 『ただいま』

小島麻由美, 『スウィンギング・キャラバン』

小島麻由美, 『さよならセシル』

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curiosity killed the cat

Pajarito唐突な決意に驚いて、けれど熟慮の末の結果が一瞬のものだったのだと思い返す。

運動はひとつの方向に作用し、それに対して反作用の力が生じる。正の方向へのフィードバックを最大限活用し、負の方向への運動において反作用を。

好奇心が猫を殺す。その類のこと。僕は自分の命取りになりそうなことをよく知っているけれど、それが根深いものであることも知っている。あるいは知っているつもりでいる。

寒い朝、駅へ急いでる
君の姿が 目に映るようだ

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歯の文学?

Dental_literature ちょっと考えれば分かることなのに、「そっか、そういうジャンルが・・・」と思ってしまう落とし穴。

歯医者さん大活躍の冒険小説でもなければ、乳歯と永久歯のすれ違う恋を描いた抒情詩でもありませんね。

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大人ですから

失礼なことをされたら腹を立てます。

が。

私は大人ですから、相手に失礼なことをされたからといってその人に礼を欠くことはしません。


大人のくせにどうしようもないひとは沢山いるのですが、

私は大人ですから、「それが大人のすることか?」と心でつぶやいて、

3秒後にはさらりと流せるようにしたいのです。

ルソーを読んでるから。

ハイネを知ってるから。

加えて、

大人ですから。

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倉橋ヨエコ『ただいま』

Kurahashi_yoeko  ジャケットのインパクトも十分な倉橋ヨエコさんの『ただいま』というアルバムを拝聴しました。この作品、1年ほど前に出たものなのですが、全く存じ上げませんでした。僕の琴線に触れた要素を箇条書きで。

・効果的なファルセット
 気持ちのいいところにはいってくるというより、こちらを驚かすようなところで出てきたり。

・深く、深くネガティヴに沈潜する歌詞
 歌詞の世界は統一感があり、このネガティヴ加減、お嫌いな方はいるだろうなあ。あくまで自分を低く低く置いていく視点をどれだけ味わえるか。ありふれた恋を歌っているのではなくて、ありふれた人が口に出来ない苦痛に言葉を与えているのだと思う。あくまで自分を責めるタイプにオススメ。

・アレンジの妙、ジャズの知識も十分
 セルフプロデュースではないので、製作指揮を取った方が多岐に渡るアレンジを方針としたのでしょうが、それが吉。あと、これはご本人の趣味としてピアノのジャズフレーズが素晴らしい。古臭さと新しさを上手く融合している感じ。でも、あえてとってつけた感じが出ているのも、いいなあ。

・歌唱力が高い
 音大にいらっしゃった方なのでしょうか。歌が非常に上手いです。歌う声、と地の声を織り交ぜていらっしゃいますが、僕は歌う声のほうが好き。歌詞の雰囲気とおおらかさがマッチした「卵とじ」、聴いていると体がウキウキします。あと、音程の正確さが素晴らしい。小島麻由美さんも正確無比ですね。このお二方、かなり違うんですが、かなり似ています。

・わらべ歌のようなリフレイン
 これを効果的ととるか、マンネリと感じるかは意見が分かれるところでしょう。僕はこの方の作品を『みんなのうた』で聴きたいです。

代表曲「楯」がやはり素晴らしい。出だしでかつての矢野顕子さんを彷彿とさせますなあ。作品、演奏双方において彼女からの影響も大いにあるのではないでしょうか。ストリングスの入ったアレンジも素晴らしい。この一曲だけでも聴く価値はある、といえますが、それでもすべての曲をじっくり堪能していただきたい一枚です。どの曲も、一度聴いたら忘れられない強い印象を残すでしょう。そういう曲を作るのに、大変な苦労をされていると思います。

 先日先行シングルが出て、新しいアルバムもそろそろ発表されるということ。大変楽しみです。

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ボールペンの話など

最近筆箱を失くしてがっかり。

随分長く使っていたので、まだ失くしたとは思えず、どこからか出てきそうな感覚。

中には同じ種類のボールペンがいくつも入っているはず。拾った人は「なんで?」と思うだろうか。当然気に入ったもので書きたいからで、僕はボールペンを箱で買ったりもする。挙句の果ては、リフィル(ボールペンの替え芯)を箱で買ったりもするのです。

僕は早い時期から筆記具をボールペンにしました。削ったり、ノックしたりという面倒くささに加えて、消しゴムを使う習慣のない僕には、消せることはメリットではなかったのです。

中学生時代はけれんみたっぷりにすべての授業のノートを緑や赤のボールペン一色だけでとったりもしていました(使い切るまでそれで書き続ける、ということ)。目に痛いノートでした。そもそも授業でノートをとる習慣も必要も僕にはなかったので、「ノート提出」等という理不尽な課題を出す学校にささやかな反抗を試みたのかもしれないね。

昨年から4Bの鉛筆も筆箱に入りました。あと、青鉛筆。前者はお絵かき用、後者はスペイン語を読んでいて分からない単語をマークするときに使います。

意外なところから出てこないかな、とまだまだ未練たっぷり。

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不実の果実 such a such

不実の果実 such a such
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 目覚める。
 嘔吐する。
 目を閉じる。
 顔を洗う。洗面所で鏡に映る自分の姿を見るのが怖いので、そのまま寝室へ戻る。まだ朝が早い。こんな時間に目を覚ますことを呪いたくなる。強い酸のにおいがまだ残っている。
 心と体が一つの原理でつながれているとはとても思えないのに、体は正直に苦しみを外に反映する。だから、鏡を見ない。嘔吐する自分の繊細な臓物に関してはどうすることも出来ないのだ。
 長いトンネルをずっと言葉も交わさず通り過ぎて、気がつけば前の座席には誰も座っていなかったのだと分かったときの落胆。建物の火事があって、誰かを救いに火の中へ戻ったら、その人が自分よりも早く逃げおおせていたことへの落胆。自分が美しいと思っていたものが、いつしか人の足元で踏みつけられていたことへの落胆。
 世界は嘘でできているのではない。世界は複数の真実で構成されている。けれど、自分の声がそのドラマの中に含まれていないということへの落胆。誰かが語る私に関する物語に私が不在であることをだれも不思議に思わないことへの落胆。もはや何を言っても変わらないことに妥協を示す自分への落胆。仕方ない。
 世界はきれいな顔をした人間にやさしい。
 世界はきれいな見せかけのもの弱い。
 鏡を見ないように歯を磨いて、着替える。白い息を吐いてバス停へと向かう。
 案外天気も良く、案外世界はきれいだった。

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ジェミナイ

ジェミナイ gemini

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 眠る前にブランデーを飲む。ブランデーが飲みたいためではなくて、ブランデーしかないからなのだが、酔ってすぐに眠ってしまうということはない。グラスに二杯ほど、冷たい氷と水で割ったブランデーを飲み干して、本を読む。このときに読む本は、ゆっくりと活字を目で追いながら読める本がいい。
 三島由紀夫は『文章読本』の中で栄養を取るための文章と、鑑賞するための文章があると書いた。つまり、情報を摂取することが目的となっている文章と、たとえ何も伝えていないとしても、その文章の巧拙を味わうべきものとがあるのだろう。活字に耳を澄ます、といえばニュアンスは伝わるだろうか。そういう本を読む。
 二時間もすると、そろそろ眠ろうという気になる。眠気が訪れる前に、眠ろうという意志を自発的に確認することで、これまで活動を続けてきた脳に「そろそろ看板です」と伝えることが出来ているかどうか。

 そこで枕を替える。私の使う枕には読書用の枕と、睡眠用の枕がある。前者はプラスティックのパイプのつまった固めの枕で、少し上体を起こして本を読むのに都合がいい。眠るときにはテンピュールの枕に替える。
 まぶたを閉じて、眠りに落ちるタイミングを計っている。最近気がついたことだが、眠りに落ちる手前から、映像が多く立ち現れる。目に見えていないはずの映像を目にしているな、と自分で感じられるようになれば眠りまであと少しなのだ。生きることにおいて、食欲や性欲、排泄欲や睡眠欲といったものがいつまでも付き纏う。心を病めば、診察の段において食欲がありますか、と尋ねられる事が多い。本当は『性欲はありますか?』と質問したいのを迂回する。無論食欲も重要なファクターではあるが、性欲はより大きな意味で生きることへの拘泥なのだ。
 エロスとタナトスは双子のように入れ替わり立ち代り人間に訪れる。射精してしまった後で死んでしまいたい気分になる。深い自己嫌悪が訪れる。そして、隣に眠っているあなたと私の心の乖離を強く感じ、幻滅を顔に出さないようにささやかな演技を続ける。この心を支配して止まない双子は、一方が他方の死をあがなうように出来ている。
 いつの間にか雨の音が止んでいる。雨の音が拍手に似ている。私は以前あなたがくれた南米のお土産を思い出す。どこへしまっただろうか。私とあなたがまだ外で食事をしたり、お酒を飲んだりしていた頃のこと。私はもうあの店に行かなくなって久しいけれど、あなたはまだあの店に行くのだろうか。あまり目立たない店だった。店内の雰囲気が良いというのでもないけれど、妙に居心地が良かった。いや、きっとあなたもあの店にはもう行かないはずだ。なぜなら居心地が良かったのは私とあなたが二人であの店を訪れたから。その場所に私はもういないのだから。
 階段を上りきるとドアがある。藪を抜ければ崖があるように、それは決まっていること。縁をめくり上げながら朝がやって来る頃には、軽い足取りが廊下を通り過ぎる。もう二度と会えないということを忘れないために、もう一度会うことを私はまだ考えているのかもしれない。

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like a human

 学校からの帰り道、天狗を見た。天狗を見るのは初めてだったが、どこをどう見ても天狗というしかない格好をしていた。天狗は自動改札機をうまく通り抜けることが出来ずにいて、後ろには他の乗客がつかえていた。天狗は困った顔をしていたが、やがてえいっと声を上げて改札を飛び越えた。高い木下駄がカツカツッと小気味いい音を立てて着地し、天狗は満足そうに振り返った。

 携帯電話の料金を支払うためコンビニに立ち寄ると、ぬらりひょんが雑誌を立ち読みしていた。指につばをつけてページをめくりながら、ぬらりひょんは中古車情報誌に真剣に見入っていた。後頭部が飛びぬけて長いので、ぬらりひょんの後を通り抜けることが出来ず、客たちは別の通路を使用しなくてはならなかった。それから漫画雑誌に移り、よっこいしょと言いながら腰を下ろした。電話料金を支払って店を出るとき、店員がぬらりひょんに注意をしていた。
 「他のお客様のご迷惑となります。座り読みはご遠慮ください」
 ぬらりひょんは前後に長い頭をゆっくりと廻して、店員をにらみつけた後、
 「迷惑なもんか」と言った。

 家のそばまで来ると工事をしていた。道路に大きな穴を掘っているそばで、ぬりかべがヘルメットをかぶり、赤いライトのついた棒を振り回して通行車両の迂回誘導をしていた。まだ仕事に慣れていないらしく、ぬりかべの前にはちょっとした渋滞が出来上がり、現場の主任がぬりかべを叱った。ぬりかべは肩を落としてすいません、すいませんと何度も謝っていた。

 家に帰ると台所で母が小豆を洗っていた。風呂場では珍しく早く帰った父が浴槽の垢をなめていた。僕は制服をハンガーにかけて手を洗うと、コタツに入ってテレビをつけた。あ、お兄ちゃんお帰り、といって妹が居間にやってきた。玄関から呼ぶ子の音がして、出てみると宅配便で、ハンコお願いしますと化け猫が言った。荷物はずしりと重かった。妹と一緒にあけてみると大粒のたんころりんが入っていた。「お母さん、おばあちゃんからたんころりんが届いたよ」と妹が台所にいる母に言った。「あら、そう。早く食べないとね。足が速いからね」と母が答えている。風呂掃除を終えた父は「おう、お帰り」といってコタツで新聞を読み始めた。
 夕食の後、我が家はすぐに寝る。テレビも8時までと決められているのだ。パジャマに着替えた妹は枕を返しながら、自分のクラスに来た転校生の話をしている。
 「その子おかしいの。顔は可愛いんだけど、目が二つもあるのよ。まるで人間みたいなの」

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退職するまで

0.退職する?
 まもなく今年度も終わります。ちょっと気が早いか?とはいえ、1月はそろそろ人事異動も気になりだして、仕事の引継ぎなどに忙しくなる頃です。学生さんは関係ないですが、この時期は職場をやめる方も出てきます。自分の夢のため新たな道を踏み出す方も、セクハラ・パワハラ、現在の職業に不満がある方もあるでしょうが、経験から二言、三言。

1.退職の計画
 いつをもって退職するか、ということが重要です。例えば、僕は大学に戻るためという理由でしたから4月に入学するため3月末退職を目標としていました。転職される方は新しい雇用先で仕事を開始する日にちより前に今の職場を辞めて、退職証明書とその時点までの源泉徴収票を貰うようお願いしなくてはなりません。今の職場が嫌だ、次にすることは特に決まっていない、という方は経済的に生活していけるかどうかの判断がまず重要になりますが、『明日辞めます』というようなことはやめましょう。それぞれの仕事に忙しい時期というのがあると思うので、出来ればその時期は避けて、2ヶ月くらい余裕を見て切り出しましょう。3月末に辞めたければ1月末より前には上司に話だけでもしておく必要があります。少なくとも、『辞めよう』と決意した時点から3ヶ月くらいは今の職場にいるものと思ってください。末日に辞めなければならない必要はありません。

2.誰に話をするか
 家族などへの相談は別として、会社の中で誰に話をするかということですが、これは直属の上司に『最初に』話をしてください。同僚に話をして噂が広まった後に上司に相談するというのは最低のパターンで、会社の印象も悪くなります。何が何でも直属の上司への相談、申し出が最初。同僚や会社内の親しい友人への連絡は一月くらい前からと考えてください。
 上司との折り合いが悪い、あるいはその上司が原因で職場を去る(パワハラ、セクハラ、いじめ)場合は、一つ飛ばして上の上司に相談するか、総務部の人事責任者に話をするとよいでしょう。
 どうやって切り出すか、ということですが最近はメールが便利ですが、直接伝えることが何よりです。アポイントメントをメール等でとる事に問題はありませんが、退職の意向をメールで伝えるのは止しましょう。出来れば会議室や談話コーナーで他の人がいないところで切り出すのが良いでしょう。
 伝えることは単刀直入にどういった理由でいつ辞めたいということを伝えます。理由なのですが、転職やその他生活の上での理由(親の介護、配偶者の転勤など)は率直に伝えてよいと思います。逆に例えば今の仕事に対する不満や上司との不仲などが原因で辞めるなどの場合は、その理由をここで言ってはいけません。もしその問題を既に相談している上司であれば察してくれるでしょうし、また逆に何も知らない場合は今さら職場の悪口を言っても全然メリットがありません。憤懣やるかたない気持ちもあるでしょうが、そこは大人の余裕で抑えてにっこりと嘘をついてください。それから、退職の日付については、次の人材が見つかるまで残ってほしいと引き止められる可能性がありますが、それを見越して2月前に切り出しているので、その場では即答せずに翌日「やはり昨日お話した○日でお願いしたく存じます」と伝えましょう。会社があなたを必要としても、あなたにも都合はあるはずです。
 辞めるまでの期間に有給休暇を出来るだけ消化したいという場合、退職までにどういった理由でお休みをいただく必要が(どうしても!)あるのでご了承くださいと一言添えておきたいです。ただ、普通に有給休暇を完全消化(40日間連続お休みなど)することは出来ないと思ってください。そういうことが出来るのは天下りの人だけです。厚顔無恥といいます。それは会社への礼儀というよりは、一緒に働いている人たちへの心配りでもあります。

3.退職願

 退職願を書くことはあまり頻繁にあることではありません。人生でそんなに何度も提出する機会があるものではないので、正しい書き方を知っておくことがなおさら大事です。もちろん、退職願を提出するより先に退職についての相談はしているので形式的なものであることには違いないのですが。
 次のように書きます。

退職願
                                                私儀
○○年○月○日をもって退職いたしたく
ここにお願い申し上げます。

                                    ○○年○月○日
                        所 属
                        名 前 (印)

○○株式会社
社長 ○○ ○○殿

 最初の私儀は紙の下のほうから書き始めます。ここでは横書きで表示されていますが、便箋(罫線のみのもの)か半紙に縦書きで書いてください。実際に提出するのは直属の上司(部長クラスだと思います)になるはずですが、宛名は社長だとか事務局長としてください。筆記用具は万年筆かボールペンを使用して、出来るだけ丁寧に書きましょう。提出前に自分用にコピーをとって、封筒に入れて提出してください。

4.去り際は美しく
4.1.悪口は言わない!
 既に書いたとおりこれまで自分が勤めていた職場の悪口はとにかく言わないようにしましょう。深刻な問題点(パワハラ、セクハラ)などについては退職の問題とは別にそういう相談窓口に話をすることにしてください。

4.2.引継ぎはしっかり
 辞めるまでに仕事の引継ぎは完全にしておく必要があります。辞めるのは自分の都合なので、引き継いでいただく方には感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。というのは彼、彼女は通常業務をこなすのに忙しいのに、引継ぎで時間をとられてしまうからです。引継ぎをするためのスケジューリングは退職願を提出後上司が配慮してくれる可能性もありますが、それが期待できない場合は担当となるであろう方に(職務所掌が変更になる場合がある場合も誰かに必ず引継ぎをしてもらう。)一言お伝えして、お時間を作ってもらいましょう。現時点で分かっている問題点などもこのときに正直に話しておきましょうね。
 取引先の方たちに挨拶をする必要性があるかないか。それは仕事の上で懇意にしていただいた度合いにも拠ります。お世話になった方にはこれまでのお礼と挨拶の言葉を伝えましょう。また、自分の仕事で関係はあったが特に親しくない方には、やめる数日前に電話などで連絡をしましょう。これは自分のためではなく、次に仕事を引き継ぐ人への配慮です。

電話などで
「○○さんいますか?」
「○○は3月にすでに退職いたしました。」
「えー!!!」

ということのないように、ね。

4.3.お世話になった皆様へ(離陸準備!)
4.3.1.情報戦
 職場内のご挨拶も大切です。辞める一月前ぐらいにはお友達に伝えておきましょう。廊下、談話コーナー、トイレ、コピー機の側、シュレッダーの近く、どこでも構いません。親しい友人もそうですが、一人くらいお喋りな人に話しておきましょう。退職の知らせを皆に知らせてくれて、一人ひとりに言って廻る手間が省けます。後は自動的に「○○さんやめるんだって?」と相手から聞いてくれます。そうしたら、「ご挨拶が遅れてしまって申し訳ありません。そうなんですよ」と話をしましょう。

4.3.2.買出し
 次に挙げるように様々なものの買出しがあります。買い忘れないように心して読んでください。有給をとって買いに行くと良いでしょう。

4.3.2.1.ハンカチとか
 辞める当日までに、社内で良くして頂いた方に配るプレゼントを用意しましょう。これがあるのとないのとでは大きな違いです。配るものはデパートでハンカチを買いましょう。500円から1000円くらいです。気をつけなくてはならないのは、誰にどれを渡すか、ということです。男物と女物を間違えることはあまりありませんが、年配の女性にあまりきらびやかなものを渡しても嫌がられます。逆も然り!全部同じものを買うのも手っ取り早いですが、それでは使ってもらえなそうですね。
 どうすればよいか。まず、ハンカチはデパートで購入し包んでもらうときに各ブランドの袋が用意されています。こっちの部の人はバーバリー、あっちの部はランバン、というふうにブランドで分けておくと便利。ただし、3月にはこういう目的で購入される方が多いため袋が切れていることがあります。余裕を持って2週間くらい前に買いに行ってください。デパートの人はプロなのでちゃんと相談にのってくれます。どうしても袋がない場合はデパートの袋に包んでもらいます。この場合、シールの横に赤、青などの色分けのシールを付けてくれるようお願いできます。リボンはあるとかなりかさばって邪魔ですので、遠慮しましょう。
 どこからどこまで配るか、ですが親しくしていただいた方、仕事上否応なくつながりがあった方、仕事のつながりはないけど仲のよかった方などにはお渡ししましょう。そうすると、ものすごい量のハンカチを買うことになります。リストを作っておいて渡し忘れのない様にする必要があります。結構な値段となりますが、退職金はそのために貰っていると考えましょうね。
 また、リストに上げた人数分より5セットくらい多く用意してください。渡すつもりはなかったけれど、相手からプレゼントを貰ってしまったりする場合や、普段は意地悪な上司が思ったよりいい人である可能性もあります。もしも余ってしまったらその場で渡しきるように知恵を絞ってください。重要なのは、多すぎても構わないが、少なかった場合はどうしようもないということです。
 また、それぞれお渡しする人に宛てて一言メッセージをカードに書いておきましょう。渡すのを忘れる可能性が少なくなります。包みの中に入れるのではなく、別々にして包みに添えて渡すと良いでしょう。

4.3.2.2.おやつの時間
 それから、お世話になった方へのハンカチを配るという行事のほかに、同じ部の中でお菓子を配って歩くという素敵なイベントもあります。自分の部にいる人の人数を数えてそれよりも少し多めにお菓子を買ってください。値段は高いものでなくて結構です。気持ちが伝わればよいのです。ハンカチと同じで余るくらいがちょうどいい。余った分は中の良かった他の部の人たちへ。

5.いざ、当日
5.1.当日
 ついにこの日がやってきました。今までいろんな思いを抱えて勤めた会社です。通勤風景も二度と見ることはないかもしれません。心を静めて、さっぱりした身だしなみで出勤してください。一番おしゃれな仕事着の私で行きましょう。

5.1.1.忘れ物をしない

 健康保険証や社員章を返却する必要があります。その他、持ってくるように指示があったものは忘れないようにしましょう。そのためだけに後日来るのは大変です。

5.2.この日はすべて挨拶です
 はっきりいって、最終日は仕事になりません。会社の人、取引先の人への挨拶で終わります。ハンカチをお世話になった人のところへ持っていくと、かならず話をする羽目になります。励ましの言葉やお礼の応酬です。時間はどれだけあっても足りません。ですので、席に不在の方の場合、机の上においておきましょう。メッセージカードがあると良いのはこういうときのためです。
 3時くらいにおやつを配って歩くのは自分でやりましょう。箱を手で支えながら「今日まで○○さんには本当にお世話になりました。ほんの気持ちなんですが、お一つどうぞ」と笑顔で!笑顔、大事よ。

5.3.スピーチ?
 やめる日には終業時間に上司が部に呼びかけて退職の挨拶をさせられる可能性があります。ここでも悪口は絶対に言わないでください。3つの理由があります。

①悪口を言ってしまうと二度と出入りできない。
・・・もしその会社に用事が出来たり、どうしても必要な書類を取りに来る必要が出来た場合、気まずい!
②悪口を言ってしまうと辞めた後連絡してもらえない。
・・・もし退職した後に大切な連絡事項が発生して連絡してもらえなかったら大変です。
③悪口を言われた会社に残って仕事をする人たちがいる。
・・・仮に嫌な思いをしてやめるとしても、その悔しさをぶつけて辞めるのは良くありません。なぜなら、その悪口を聞く人たちはそこに残って明日からも仕事をしなくてはいけない人たちだからです。

その職場に誉められたところがなくても「ここでの経験を生かして今後○○したいです」と言いましょう。それが大人の余裕です。

6.花に囲まれて
 退職するときに花をもらえることが良くあります。ささやかなる留意事項を。

①背広を汚さない。
・・・花粉が付いてスーツがどろどろになった、などということのない様に。これは自分だけじゃなくて、電車の中で他の人に迷惑をかけないこと。クリーニング代を請求されたりすることのない様に。
②出来ればタクシーで
・・・巨大な花束を抱えて帰るのは大変。今日ぐらいタクシーで帰りましょう。長い一日ももうすぐ終わります。

 退職するまでいろいろなことがあったと思います。様々なことを考えたと思います。でも、今日まで良く頑張りました。自分を誉めてあげてください。出来ればシャンパンを冷やしておいて、家に帰ってからささやかに祝杯を挙げましょう。色とりどりの花に囲まれて、ゆっくり休んでください。本当にお疲れ様でした。

7.退職万歳!
 仕事をしているといろいろなことがあります。いやな目にあうことも沢山あります。でも、退職したときに幸せな気持ちになれたら、いいですね。僕はいろんな人に新しい門出を祝ってもらえて、お花に囲まれてとても幸せでした。
 前の職場の方でこれからも仲良くしたいと思う人には連絡先を伝えておきましょう。できればこちらから近況報告を添えて連絡しましょう。新しい出発をした人に対して、相手からは連絡しづらいものです。
 お疲れ様でした!

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『墨攻』

『墨攻』という作品を読みました。

僕の好きな読書サイトで、最近の中華ファンタジーが紹介されていたのですが、新刊を買う余裕もなく、でも雰囲気だけでも、と。今、中華ファンタジーといいましたが、勝手に僕がそう読んだだけです。日本にとって、中国大陸はやはり未知の国だったと思うので、冒険小説の舞台とする都合のよさもあるのでしょうが、中国文学に親しんだ人たちにとっては遠からず近からず入り込みやすい世界なのかもしれません。僕にとっては漢字での名前を出すことで「それらしく」見せてしまうこと自体にメリットがある気もします。

『墨攻』は『後宮小説』を書かれた酒見賢一さんの作品で、一人の墨家の活躍を描くフィクションです。墨家というのは墨子(子は『先生』くらいの意味)の教えを受け継いで、戦乱の世において守ることを主体とした戦闘集団です。攻めない、だけど堅固に守る。数にものを言わせるのではなく、知略で戦うという、策略に長けた集団です。

『墨攻』では強国の侵攻におびえる辺境の弱小国に派遣された墨家革離(かくり)が、一人指揮官として国中の民と力を合わせ、巧みにその国を守りゆく様子が描かれていきます。非常事態における国民皆兵をしき、にわか仕込みの軍隊システムをしきながら、効率的な防御に要する城壁の再建、兵器の開発などにあたります。数では比べ物にならない軍勢をよく守りますが、革離の本当の敵は意外なところに・・・。

攻めるばかりが戦略ではなく、よく守ることが重要視された墨家思想を知らなかった僕は、そのこと自体をまず面白いと思いました。発想の逆転というような。

小説の本体は革離の物語ですが、前後を墨子という人物についてのエピソードと、その謎に満ちた生涯についての作者の覚書に挟まれています。墨子という人のことはあまりよく分かっていないのですね。酒見さんは『後宮小説』でも架空の王朝の衰亡を描くといった常人には出来ないようなフィクションを成し遂げた人ですが、ここでもその想像力は健在です。

南伸坊さんの挿絵もかわいいです。

小説が元になった漫画があり、それを元にこのたび中国で映画化されるそうです。不思議な感じ。

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uFAQ

uFAQ

FAQとはFrequently Asked Questionsの略で「よくある質問」のことです。ここでは僕の架空unFrequently Asked Questions(uFAQ)を。こんな質問されたことがない、という。

「あ」から始まる好きな単語を教えてください。
アンクレット。

一番好きな国はどこですか?
ルクセンブルク。牛乳パックのデザインがいい。

午年だそうですね。
そうみたいですね。

エドガー・ドガの作品でお勧めのものがあれば教えてください。
その名前。常にフルネームで呼んであげたくなる。両親が偉大だった。

お気に入りのTシャツはありますか?
デトロイト・レッド・ウィングスのマークの入ったものがお気に入りですが、気がついたら捨てられていました。

かっこいいと思う英単語を教えてください。
Dendrochronologyという単語。

嫌いな花はありますか?
ハイビスカスが嫌いです。品がないというか、開けっぴろげすぎる気がして。

靴にこだわるタイプだそうですが?
迷子になって歩き廻ることが多いので。また散歩も多いので、長距離歩ける靴を買います。

結婚するって本当ですか?
嘘です。

子供のときに好きだった本は何ですか?
『るすばんかぞえうた』という絵本。絵が汚い!あと、押入れの冒険みたいな話。

3rd アルバムは結局出てこないのですか?
『Aquart』というタイトルでした。大したアルバムじゃなかったのでしょう。

人生で最も後悔していることは何ですか?
美しく生まれてくる努力を怠ったこと。やり直したいです。

図工の時間の思い出はありますか?
緑のチューブにビリジアンと書いてあるのが解せなかった。理解したのは相当後のことでした。

喘息治療薬がお好きだそうですね。
好きではないですが、日本で出たものはすべて味見したと思います。今は吸入薬がベストだと思います。

Salt'n'Pepaというと?
犬の毛並み。

耐え難いものといえば。
二本のクラリネット。意味がわからない人はビアスの『悪魔の辞典』を隅々まで読んでください。

朝食はパンですか、ご飯ですか?
コーヒーしか摂りません。

爪先立ちで電車を待つ?
姿勢が良くなるトレーニングです。

テンピュールの使い心地はどうですか?
素晴らしいです。もっと安くなって世界中の人に使ってほしい。

得意な料理は何ですか?
得意不得意の問題ではないですが、スパゲティは考えられる総てのバリエーションを試した気がします。

茄子について疑問に感じていることは?
どうしてエッグプラントと呼ぶのでしょうか。

ニルヴァーシュ(『交響詩篇エウレカセブン』)にご執心でしたが、なぜ?
サーフィンをするロボットというアイディアに心奪われました。

『ヌルハチ』はごらんになりましたか?
放送時間帯が遅かったので見ませんでした。子供でしたし。題名に騙された方も多いのでは。

ネコは嫌いなのですか?
僕は嫌いではありませんが、ネコは僕を嫌いみたいです。

ノアム・チョムスキをどうお考えですか?
気が付いたら文明論者みたいにもてはやされていますが、立派な言語学者です。まだ生きてるということさえ知りませんでした。

パソコンはお好きですか?
人類最強のツールだと思っています。人間との直接接続は時間の問題でしょう。

ビートルズの『ホワイトアルバム』から一曲選ぶとするならばどの曲を選びますか?
「I will」が一番好き。

プルーストはお好きですか?
食べたことがありません。どんな味なんですか?

ベルボトムはバイソンのものしか履かないそうですね。
はい。他のを履くくらいなら裸の方がマシです。

ホラー映画はご覧になりますか?
子供時代に嫌いで大人になってからもやっぱり嫌いなものに該当します。

まつげを抜くのですか?
眼鏡のレンズに当たるのがわずらわしいので毎晩抜いています。眼鏡の鼻に当たる部分を持ち上げるシリコンのシールも併用しています。

『ミスティ』の魅力を一言で言うと?
一言では言えませんが、芥川龍之介の『藪の中』を美しい映像で再現した日本の映画です。真相は藪の中という表現があるように、真実は誰の証言によっても得ることが出来ません。深夜に見てずっと忘れられない映画です。

ムルシア(Murcia)に行った事はありますか?
あります。観光ガイドに載っていない街に行ってみたいと思ったので。本当に何もなかったです。

免許はお持ちですか?
自動車免許、教員免許、それくらいです。

餅を食べるときの作法は?
子供のときは砂糖醤油でした。最近は海苔と醤油です。納豆餅だけは受け付けない。別々ならオーケーです。

山の付く珍しい苗字といえば?
焼山さん。どんな過去があったのか気になる。

湯葉を食べるときの歌を作ってください。
ゆーばーゆーばーゆばゆばゆーばー。

吉本ばななさんの作品で好きなものを教えてください。
「ムーンライトシャドウ」マイク・オールドフィールドの曲も素晴らしい。

ラテン語は読めますか?
読めません。僕がラテン語をすらすら訳していたらすべてスペイン語からの重訳です。

リチャード・ギアをどう思いますか?
かっこいいのに何故いまひとつと思わせるのか、不思議です。

ルバープは好きですか?
酸味とか色とかが好き。

例のベースを弾くのはやめたのですか?
肩がこるので、口で歌うようになりました。

ロールシャッハテストに思う恣意性を一つ挙げてください。
上下対称じゃ駄目?

ワンレングスをどう思われますか?
ワンレングスのショートの女性には全面降伏です。その魅力には抗えません。

ヲタクではないのですか?
以前は違いましたが、最近はそれらしくなってきました。

ん?
失礼だな、君は。

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Bose M3

Bosem3_2  去年論文を書きながら、提出し終わったら買おうと考えていたBose社のMicro Music Monitorが届きました。

 モニタースピーカーとしての位置づけをなされたPCスピーカーという不思議な製品です。iPodなどのmp3オーディオで手軽に音楽を楽しむ、パソコンに取り込んだ音楽を再生するという用途と忠実な音楽再生を堪能するという二つの楽しみ方ができるものです。これらはある意味両極端にある音楽の愉しみ方ですね。

 モニタースピーカーはスタジオなどのミキシングデスクの両サイドに設置されているスピーカーです。音楽CDなどを作るときにどういう音が出ているのか、どういう音が録音できるのか、ということを知るために必須のものです。子供のときに自分の声を録音したものを聞いて驚いた経験はありませんか。プロのミュージシャンであっても、自分の出している音、イメージしている音、自分の望んでいる音の間には乖離があります。僕はギターを弾くのですが、ギターはサウンドホールから音が前へ出て行きます。それをほぼ垂直の位置で聞いている自分自身と、他の人たちの聴いている音は随分違うものです。それと同じで、録音という作業をする中で、演奏者は自分の理想とする音と、実際に録音している音の誤差を修正していくためにモニタースピーカーは大変重要な役割を果たしているといえます。ですから、スピーカー会社がモニターと銘打って製品を発売するときにはその会社の威信をかけています。モニターのレベルが低い会社の製品は信用できないためです。

 一方で、PCスピーカーはデスク上の作業スペースをせばめることがない様にとコンパクトで手軽なものが多く、実際の音は低音をブーストすることによって迫力を補っているように錯覚させますが、低音を強調しすぎると音が歪みます。昔は低い音をきれいに再生するには大きな箱の大きなスピーカーでないといけないという風に考えられてきました。Bose社はこれに対して、小さいスピーカーから出た音を長い廊下を通過させることによって、より臨場感のある低音再生を可能にした特許技術を持っています。低音がきれいといいましたが、不自然に低音を強調している製品の場合、ヴォリュームを絞ると低い音ばっかりになってしまうのですが、このスピーカーはどこまでも歯切れがいい。ボディがプラスティックではなく金属でがっちりと固められているので高級感と安定感があります。漆をイメージした黒が昨年末に日本限定で発売されたのですが、自分のパソコンやコンポと合わせて僕はシルバーを。

 ヨーロッパの歴史的建築物などを見学するとBoseのスピーカーが多く使われていますし、日本では公共の場所(レストランや映画館、ショッピングモール、駅、表参道ヒルズもBoseでした)で沢山使われていますね。

 モニタースピーカーの特徴としてあまりにも生々しすぎる再生をします。ですから深く深く耳を澄ますという音楽の楽しみ方を与えてくれますが、雑な録音をされた作品は「あれ?」と感じるかもしれません。スタジオで、コンサートホールで、自分の好きなアーティストが目の前で演奏してくれているかのような錯覚を覚えます。オススメしたいのは60年代以前のクラシックなどの録音です。ピアニストのソロなどでは演奏者の息づかいが、比喩としてではなく、本当に聴こえてきます。難しいパッセージを演奏するときは息を止めたりね。ただし、BGMとして音楽を楽しみたいと思っている人にとっては、気に触りすぎるほど忠実に音を再生してしまうので、逆に不向きでしょう。それは音がいい、悪いとか耳がいい、悪いとは別の次元の問題です。

 一方で、大変大きい音も出ます。この手のひらサイズのどこからその音量が?という疑問。20畳くらいのリビングや小さい喫茶店での使用なら全く問題はないでしょう。使用に当たっては電源、入力、左右のリンクをさせるコードをつなぐだけなので簡単です。これらの配線をコンパクトに納めることができれば見た目もすっきりすることでしょう。

メリット:

音の再現力がすごい。

低音が生き生きしている。

ずっしり重く、見た目もいい。

小さい!

電池でも駆動できます。パーティなどでも活躍?

デメリット:

ちょっと高価。

隣近所に気を使う人にとっては、音量を絞っても低音がはっきりしすぎて逆に不便かもしれません。

スピーカーにも電源が必要というのが納得いかない人にはオススメできません。

入力はイヤホン端子一系統のみ。

 Bose社のWest Boroughというシリーズの125というスピーカーも好きなのですが、僕の場合今後引越しや留学する可能性を考えると、スピーカーも一緒に移動するのは大変だと思いました。入力が一つというのも考え方によってはデメリットですが、そんなに沢山のソースを切り替えて楽しむよりももっと普通のユーザーに向けて作っているような気がします。イヤホン端子というのもそのためでしょう(何にでも付いているので)。電池でも駆動できるというのは、mp3プレーヤとしてiRiverを使用している僕にとっては最高のメリット。世界中どこへ行っても電池で最高の音が聴けるという不思議な贅沢を手に入れました。まあ、電池駆動する可能性はないと思うけれど。

 最後になりますが、オーディオの知識や道具の性能によらず最終的にいい音を評価するのは使用する人の耳です。僕はむしろ、どんな音楽を、いつ、誰と、どういうときに、どうして耳にしたか、というようなことの方が大切だと思います。

 恋人と耳を済ませたメロディは、たとえ小さなラジオから流れてきたものでも、絶対素晴らしいと思います。友達と見たかっこいい映画のサントラは耳に残るでしょう。道具なんて、結局なんでもよいのです。聴く人の気分こそ大事。

 2007年もいい音楽にたくさん出会えますように!


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蛇足:ニア・フィールド・リスニングという言葉を僕が知ったのは5年位前のこと。雑誌でそういう特集があったのです。お座敷ステレオ、というか小さい空間にコンパクトにまとめられたシステムで、よい音を愉しむというアイディアです。

 従来のオーディオシステムは入り口から出口まで高級プレーヤ、アンプ、ケーブル、スピーカで固めて音を鑑賞させていただく、というようなスタイル。確かに、オーディオ好きの方には経済的に余裕のある方も多く、舶来の名機と呼ばれるコンポーネントを導入して音楽を愉しむ方もいらっしゃいます。

 ですが、日本の家屋はどうしても狭いので、外国でだだっ広い部屋で使用されることを想定された機材で小さい音を出しても、いまひとつ愉しめない。また、機材には臨界点と呼べるある一点を越えると音の抜けが突然よくなる、という箇所があります。分からない人は自分のアンプのヴォリュームを少しずつ上げていってみてください(ご近所に留意!)。どうしても小さいヴォリュームだと低音の方が前に出てしまいませんか。そしてあるときに高音と低音のバランスがよくなります。そこです、そこ!

 これはアンプでボリュームを上げている、というのは実際は抵抗をわざと挟んで音を小さくしているだけのことだからです。100パーセントで回路を通した音(つまり、ヴォリューム全開)が一番よくて、それに負荷をかけてやることで、音を小さくしていると思ってください。どうしても均一に音を小さくするということは難しい(抵抗はそんなことお構いなし)。人間の耳で聞くバランスというのは繊細なのです。

 かくして、はじめからこれくらいの音で聴くからね、というレベルを普段使いの目安にして出力は小さいけれど、音を損なわないスピーカ、途中に沢山回路を挟まないアンプ、純粋に信号だけを取り出すプレーヤの組み合わせで小さなシステムを組むことに関心が向けられました。ちょっといい値段のヘッドフォンを買って聴いてみると思いのほかいい音だった、ということはありませんか?多分ヘッドフォン(イヤフォン)は究極のニア・フィールド・リスニングなんですね。これと前後してパソコンの内臓オーディオスピーカーがJBLやharman/kardonといったオーディオの有名メーカーのものを採用し始めました。

 ニア・フィールド・リスニングの難しいところはユーザーのディレンマです。高いお金を出したオーディオが手のひらサイズ、もっと安い機種は大きな音を出すというのに、自分のシステムは一人用です。でも、オーディオは小さいものを作るほうが難しいのです。様々なメーカーからニア・フィールド・リスニングに特化した製品が発表されだしたのはここ2,3年のことですが、それも下火になってきたようで寂しいです。

 一方でiPodに代表されるmp3プレーヤーはポータブル再生機の主流となってきました。今もう一度、世界最小で世界最高の音を求めてみるのも愉しいと思います。様々な組み合わせが考えられますね。アナログレコードしか聴けないというシステムも夢がある。mp3プレーヤは画面表示などをしなければ消費電力が大変小さいので、すごくエコなシステムを作ることも出来ます。

 高いコンポーネント、難しい理論、豪華なオーディオルームがなくてもオーディオは愉しいものです。

 

 

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「ただいま」の夕焼け

Graduationはっぴぃを散歩させるために、少し早く学校から帰ってきました。リビングが一面ガラス窓なので、ちょうど美しい夕焼けのパノラマに出迎えられました。カメラを新しくしてから、花などもとてもきれいに撮れるので、大変嬉しく思っています。今日はカメラの携帯用ケースも届きました。

論文から解放されてからというもの、アマゾンでの通販が加速している私です。ものすごい件数の注文を出しています。ビバ、散財!大丈夫。お金は使えば使うほど入ってくるものだ!という神の声が聞こえました。

とはいっても、だらけているだけでは駄目で、今は博士課程に進んだ後の研究について色々と考えています。僕はロマン主義というものについて分からないままその言葉が使われているような状況に不満を抱いているのですが、それに拘泥しながら説明を試みようとしていることが、一つのロマン主義的な遊戯に陥っているような気がしてきました。

ちゃんと説明が出来ることを、ちゃんとやらなくてはいけない、というごくごく当たり前のことを思う今日です。

新年も既に10日を迎えました。明日は論文解放後のご褒美でカメラと並んで僕を魅了したあるものが届きます。愉しみッ!

あと10日するとセンター試験ですね。毎年ちょうど雪も降る時期です。今年高校3年生の方は、大変忙しい時期だと思います。時計や受験票、筆記用具を忘れたりしないように注意してください。センター試験は大学そのものが実施する試験よりも、より一般的な知識の体力(この人は興味のないことでもどれだけきちんと勉強できるか、勉強することが出来るか)を問うている側面があります。余裕を持って、普段の努力の成果を出せますように!よい結果を得られますように!

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ニルヴァーシュ

Nirvash_en_cielトラパーの薄い僕の勉強部屋を、ニルヴァーシュが飛んでいます。きれいに仕上がらなかったのでソフトフォーカスで。肩のリフボードは飛行中は装着していないはずですが、まあ気にしないで。


すごく疲れた。

Nirvash_in_the_darkこれで当面プラモデルを作りたいという病気にかかることはないと思います。

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冬休み、終わる。

Moss今日で長いお休みが終わる。

新成人の皆さん、おめでとうございます。

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阿 のほうです。

台風一過という感じで、先の大雨の後に美しい冬晴れ。それでも風が冷たい。せっかくカメラを買ったのだし、と近場の神社へ行って見る。

誰もいない、ひっそりとした空間で、狛犬を撮る。Komainu

そろそろお正月休みが終わる。冬休みは短いので、計画的に行動しないと何事もなしえない。

眠りすぎて頭が痛い。論文シーズンの後期、規則正しい生活を送っていたころが少し懐かしい。少しだけ授業の予習をして、三島由紀夫の『文章読本』を読む。僕は三島の文章は上手だと思うけれど、作品には一切感銘を受けないので、このくらいでちょうどよい。

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ぬくぬく

Happy_in_circle写真入りは久しぶり。

ぬくぬくと毛布の中でふやけているうちのワンです。寒いのは嫌いみたい。

論文書いたご褒美の一つ、デジカメが到着しました。これからは自由な時間も沢山あるので、カメラを連れてたくさん出歩きます。楽しみ。

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今年の手帳

今日からお仕事だった方も多いのでは。お疲れ様でした。

私は昨日から進学に関することでとても心配になることがあって、心と頭を悩ませていますが、様々な選択肢や可能性を書き出してYes-No式のフローチャート(心理テストみたいな)にしてみると、「なーんだ、その時が来るまで特になすべきことはなし」という結論に至る。不安は解消されませんでしたが、人事を尽くして天命を待つ?のかな。書き出されたものには、説得力がありますね。

昨年の12月頃から手帳を買いに行かなくては、という呟きを繰り返していましたが、『パプリカ』を見に行く途中、渋谷の伊東屋で買うことが出来ました。

僕は毎年カバーも合わせて新しいものを買うようにしています。が、今年僕の使っている台紙のモデルはカバーつきで販売されていませんでした(お店になかっただけで探せばあるようですが)。新しいタイプのものに駆逐されてしまった。あらー。仕方がないので台紙だけ買ってカバーは去年のものに。去年のものはベージュのレザーで、以前この日記でも紹介したことがあります。特に痛みなどもないので、よかったのですが、自分の好きな手帳のモデルがなくなったらちょっと困る。

手帳を買うのが遅かったせいで、今年に入ってからの予定などを把握できずにいました。少しずつ整理し始めていますが、それでも忘れていることが沢山ありそうです。

手帳は今抱えている問題を整理して考えるという意味で、精神衛生上よろしい。また、予定を書き込むことで、それに対する心構え、準備が出来る。その週楽しみな出来事などを、僕は色鉛筆などで塗ります。そうして、手帳がどんどん汚れて(使い込まれて)いくと、今年も頑張ったな、と年末に振り返ることが出来そうです。自分の作品という感じ。

去年は、ちょこちょこと絵を描いたりしたので、それを切り取って手帳に貼っていました。まあ、絵といってもほんと小さな絵なんですけど。

今年は、年末に見に行った舞台の入場券を貼って、いくつかの予定を書き込みました。図書館の開館時間(冬休みはイレギュラーなので)や、服の直しが上がる日なんかを。これだけでも、一週間色々することがあるなあ、と思います。

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オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』

(0)年末からどうも心身の調子が悪いと思っていたのですが、昨日がピーク。何もしていないのにすごく険しい顔をしているのを、後から自分で気が付いたりして驚く。この本は危険だ。この本はとても優れていて、今読むと危ないな、という感覚。しっかりと自分を確認していないと遠くへさらわれそうだ。『ドリアン・グレイの肖像』は怖い。

(1)The Picture of Dorian Grayは1891年に刊行されました。ワイルドは男色罪で告発されたりして不遇な晩年を送ったようです。彼は世紀の変わり目の1900年に死んでいるので、生前にこの本が出たのですね。この作品がどのように読者によって迎えられたのか分かりませんが、これを出版しようとワイルドが考えたことと、出版できたことにまず驚きを覚えます。

(2)アナクロニスムですが、ある時期、ある国で本を出すのには検閲を受ける必要がありました。恐らくとても広い地域で、恐らくごく最近までそうだったのではないかと思います。日本でも戦争中に厳しい検閲が敷かれた、という話がありますが、別に戦争という事態に限らず様々な理由で検閲はなされてきたと思います。たとえば、宗教的な理由、政治的な理由などから、同時代の主流となるイデオロギーに反発する考え方というものを伝播させないためには、そもそも出版の根元からその萌芽を摘んでおく必要があったのですね。

(3)僕の研究対象としている18世紀スペインで、出版事情がどうなっていたのか、残念ながらよく知りません。それでも当時の政府(カスティーリャ議会)に出版許可を申請し(ただし、街単位での出版許可という別の文書を目にしたことがあるので、小さなコミュニティで出版するには別のレベルでの許可で良かったのかもしれません)、それを判断する検閲官の任に当たる人が作品を読んで、その可否を判断します。出版してよい、という判断のほかに一部訂正を加えて出版することが出来るというものもあったようです。その中でこの本を出版すると王政に反抗する奴が出てくるだろう、とか自由主義的な(今言うリベラルとは異なって、もっと根本的に人間という生き物は自由だ、という発想がまだ斬新だった時代のことです)考え方が含まれていると、要注意だったのかもしれませんね。

(4)検閲に当たった人たちが正式な役人であったのかどうか、僕は知らないのですが、内容を判断するのに適任と思われる人物にその検閲を委嘱していたようです。国際法というものが割に広く議論されるような書物ではやはり国内法に通じた人が相応しいですし、数学や物理学に関する著作ならその研究領域に詳しい、あるいは関係がある人が検閲の任に当たります。ホセ・デ・カダルソという僕の研究している作家は、あるフランスの文学作品の翻訳について、検閲に当たっています。カダルソは公式の役人ではなく、単なる軍人に過ぎないのですが、彼がフランス語に堪能だったので翻訳の良し悪しを判断することが出来ると判断されたのかもしれません。面白いのは、カダルソが検閲を委嘱された本(オリジナル?)を紛失してしまって謝罪の手紙を書いていたりすること。

(5)内容的にまあいいですよ、という判断が下って出版されても、「この内容は神を冒涜する、信者を混乱させる、悪魔を崇拝する!」と悪口が流れると、異端審問所の出番と相成ります。出版許可が下りて世に出回った作品でも、異端審問所は対象として取り締まることが出来ます。というか、異端審問所に出来ないことはないのです。スペインのためによかれ、と思って出版した作品であったり、単なる恋愛詩集であっても「これこれの部分が不適切!」といわれると呼び出しがかかります。カダルソの同時代人で、仲のよかった友人も何人か異端審問所へ連れて行かれています。カトリックの国として誉れ高いスペインのことですから、信仰を守るため、という理由であれば大層真剣に取り締まるのですね。魔女狩り等で恐ろしいイメージを増幅された異端審問ほどに18世紀のそれは過激ではないように思いますが(政治的にもっと怖いんだと思う)、制度としての異端審問所の存続は、同時代の知識人が苦々しく思っていたもののようです。

(6)なぜ僕がこういうことを思い出していたのか、というとワイルドのこの本がよく出版されたな、と感じたからです。なるほど、作品の中に示されている反社会的な雰囲気、モラルが壊乱している感じは、「みんなのモラル」みたいなものが確立されている、あるいはあるはずだと思われている時代には危険なものとみなされる可能性があります。しかし「みんなのモラル」というのは珍しくて、宗教的な戒律と封建主義のルールを除外すると、どうしても各地域や国のパトロネジ関係という個別ルールに帰されてしまう。ある地方のリーダーが自分ルールを作ったら、みんなそれに従う、というようなことです。

(7)全員がいっせいに『至高の善』みたいなものを目指してそこへ走っていくという現象は、ある種の秘密結社的運動を除けば、18世紀と現在しか僕はないんじゃないかな、と思っています。現在?と思われるかもしれませんが、みんなで一緒に百科辞典をつくろうよ、という動きがある時代はやっぱりそう考えていい。もちろん、理想と現実の乖離はありますが、何か悪いことをしたときに『自分は悪いことをしているな』という意識を持てるのは、かなり新しい体験なのだと思います。それが広範に共有されているという意味で。

(8)19世紀は『至高の善』に向かっていくというより、個人個人の孤立がより明確になった時代です。ミハイル・バフチンという人が多声性(ポリフォニー)という言葉でドストエフスキーの作品に見られる登場人物間の志向の非均一性を説明しようとしていますが、それまでつながれていた制度的なくびきから開放された自由主義と科学と芸術とを享受することの出来た19世紀の人々にとって、個人であることは強く意識されたのではないかな、と思うのです。それ以前に個人がなかったというのではありません。いつだって個人はいました。ただ、選択と組み合わせが爆発的に過剰になったと考えるのです。歴史を振り返る視点はマクロ的なので、「何言ってんだ、共通性はこんなにもあるぞ!」といわれれば反論の余地はないのですが。

(9)脱線が続きますが、あらためてワイルドです。選択の余地が爆発的に広がった19世紀において、思想的な理由で危険な書物はありえないのではないでしょうか。いやなら、捨ててしまえばいいのです。取捨選択の自由がある。僕がワイルドを危険だな、と思うのはこのレベルではない。むしろ、思考の雛形、道順のようなものが危険だと思うのです。自らの内面を写す一枚の肖像、退廃的な思考を持つ登場人物、快楽と感覚の完成への興味。それだけなら、よそに同じ類型を探すことは恐らく不可能ではない。ただ、主人公ドリアン・グレイが対話よりもむしろ肖像を前にした自己との対話の中で思考を完成させていくその経路が恐ろしい。肖像は自己の外側を模倣したものに過ぎない。だから、それだけなら入れ物の写し絵に過ぎないのですが、残念ながらワイルドの作品ではこちらが内面を表象する装置となっている。つまり、生身のドリアン・グレイには内側の変遷が一切現れず、全く変らない静物のように存在し続けています。これは、肖像画の側から見た一人の人間の変遷です。ただ、ドリアン・グレイには変化に気づくための肖像画という装置が与えられているにもかかわらず、肖像画のレプリカに過ぎない生身の彼には変更を決断する一切の権利が欠如しています。

(10)どう、怖いか。ドリアン・グレイは醜く姿を変えていく肖像画の前で、果てしなく自分自身と対話することを余儀なくされるのですが、変化は常に一方向に向いて不可逆的に現れるものなので、変化そのものを留めることはできない。自分の思考の内面に閉じ込められたまま、醜くなっていく自画像を見つめ続けることを課された彼自身が、美しくあり続けることが怖い。

作品がどういう構造になっているのか、中心になっているのは誰か、ということがなかなか見通せないように書かれています。題名にもあるとおりそれはドリアン・グレイなのでしょう。ただ、思考自体の退廃性はドリアン・グレイの外部からやってくるものですし(ヘンリー卿)、それに対するアンチ・テーゼも外部に存在しています(画家バジル)。ですが、ドリアン・グレイ自身はその美しさゆえに誰からもとがめだてされることなく、あくまで深く落ちてゆくのです。彼だけは死なない。彼だけは損なわれない。

この段にいたって、彼は外部と遮断されます。もう、誰の声も彼には届かない。あとは、対峙する肖像画と彼だけが世界に取り残されているのです。肖像がは彼に思考を届けるものではありませんから(彼の苦悩、老いをキャンバスに写し出しているとしても)、ドリアン・グレイはいつ果てるともない自己対話のループに飲み込まれていきます。ここが、怖い。

(11)考えていることが悪い、という意味では人は恐怖を覚えません。それは悪人に過ぎないからです。悪い思想は非難の対象にはなっても、客観化の余地が残されている。あるいは、外側にある。対岸の火事です。重大な犯罪に私たちは恐怖しますが、それは思考ではなく行為です。ドリアン・グレイの不幸は考えることをやめることが出来ない不幸です。善悪どちらに転んでも、彼は自分自身の変化を自分自身の生身の体に負うことが出来ない。それはすべて肖像画に吸収されてしまいます。だから、彼は自分自身の考えと対峙しながら常に孤独であり、それでいて肖像画を前に考えをめぐらせることを停止できない。他者の介在がもはや期待できない。

不眠に似ている。眠りたい。なのに眠れない。朝が来る。それだけは確実に分かっている。眠らなければいけないと考えれば考えるほど、自分は眠りから遠ざけられていく。眠りは思考のインターバルであるのに、その中断を世界中で自分ひとりだけが享受できない。その甘美な休息は肖像画が担っており、自分は自分を外側に見つめること(自分は変化しない)を強制されている。自省は彼の外部にある。

不眠は作品のテーマではないのですが、次のような件が僕の関心を引きます。

われわれは、暁によって世界が昔そのままの型に創りあげられてゆくのをまんじりともせず見守る。ほのあかるい鏡がその模倣の生命を取り戻す。焔の消えた蝋燭は、昨夜と同じ場所に立ち、かたわらには、自分が勉強していた読みかけの本や、舞踏会で胸につけていたピンつきの花や、読むのが恐ろしくてそのままにしてある手紙、あるいは何度も何度も繰り返し読んだ手紙が置いてある。なにひとつ変ってはいないようだ。(福田恒存訳)

(12)疲れたら休めばいい。しかし、眠りのほかに思考を中断できるものが果たしてあるだろうか。人は娯楽に打ち興じる。気晴らしをエンターテイメントと呼ぶ。間を(インター)持たせるもの(テイン)。舞台の幕間劇(エントレメス)と類似したルーツを持つ言葉なのだろう。メスは舞台(メサ)だろうか。人生は、生と死の間の幕間劇。人生は長くはないが、短くもない。今日も会社で明日も会社、それなら明日何をするか、という心配は要らない。けれど、明日することも、今何をするかということも剥奪された主体は思考せずにいられるだろうか。

労働も義務も奉仕も、すべて考えることからの逃避なんじゃないだろうか。虚無から目を逸らすための雑多な思考。

どれくらい深いのか分からないくらいの深淵を前に「別のことを考えられたらよっぽど楽なのに」と思うことさえ出来ない。『ドリアン・グレイの肖像』は逃げ道ゼロの恐怖だ。

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座右の銘

座右の銘をお持ちでしょうか。

自分の目標だったり、テーマだったりするようなもの。年の初めだし。抱負とはちょっと違うんだけど。立派さとはちがうんだよね、きっと。

ふっと肩の力を抜いたときに思い出す言葉が、きっとそう。僕だと・・・

君子危うきに近寄らず

事勿れ主義みたいですが、なかなかどうして、これは難しいよなあ、と。僕はおせっかいな性格なのでことさらそう思うのかもしれないのですが。ある程度の距離と、果てしない客観化の精神を忘れずに生きていくのはなかなか難しいものです。

正月三が日はオスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』に沈潜している私です。

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お年玉

みなさま愉しい新年を迎えられましたでしょうか。

我が家でははっぴぃワンワンが台所から肉をくわえて逃走!自分の頭くらいの肉をくわえて、決して離そうとはいたしません。元旦にすごいお年玉をせしめたものであります。かくして、みかんやら、野菜やらをちらつかせて奪還を図りましたが、甲斐なし。

もはやご飯を二回抜いていますが、まったくお腹がすいていない様子。というか、動けない。

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痙攣するパレードの彼方へ

もう、なんだかな、というくらい盛り沢山だった去年。

もう、なんなのよ、というくらい愉しいといい今年。

街の目抜き通りを貫いて、騒がしいパレードはまだまだ続いていくのです。

窓から心羽ばたいて
見えなくなる頃までそのままで
浮かない顔をしてたらロルカさえ
多分 あきれちゃうんだから。


あけましておめでとうございます

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