スペインをひとつのネイションとして志向することと、その中に個別の構成要素を認めることは相反するものではない。これはスペインに限らずそうだと思っている。これを裏返すと、たとえ一枚岩であるという主張がなされる集団においてさえ、かならず異分子が含まれることになるので、差別や格差はなくならない。というのも、それを併せ持っていることが前提というか要件であり、さらに、集団の結束を強めるためにも、この異分子と目されるものは存在したほうが良い。
それはさておいて、スペインとはこういうものである、という規定が1812年のカディス憲法の中に出ていて、10条に「アラゴン、アストゥリアス、カスティーリャ・ラ・ビエハ・・・」と延々と地名が挙げられていくのだけれど、これはとりもなおさず現在の県や州などの単位、さらにはかつての王国、伯領や行政単位の名残であり(海外領、新大陸の領土も含まれている)、これを単に地名の列挙と考えるのは正しくなくて、「スペインとは」というその瞬間にスペインはその個別の構成単位を列挙することでそれぞれが異なるものであったことを明らかにする。そう思っていたら、最近別の研究者も同じ箇所を引用して同じことを述べていて、意を強くした。
しかし、気になったことがある。そのひとは「1820年の憲法には(En la Constitución de 1820)」、と書いているのである。カディス憲法は1812年に出来るのだが、フェルナンド7世が廃止。その後1820年ラファエル・リエゴの蜂起によって自由の三年間が達成されて、同憲法も復活する(再び廃止されて、さらに1836年にも復活)。たぶんこの二つ(あるいは三つ)の内容は同じはずなのだが、なぜ1820年という年のほうを挙げたのかがちょっとわからずにいる。1812年の公布の後、1820年にもあらためて発行(出版)、発効されていることは事実であるにしても。この憲法は歴史上重要性が高いものなので、この時代をやっている人の頭の中では1812年という年号は自動的に出てくる。だから、1820年という年号を挙げたのは故意に違いない。しかし引用の前後の文脈をみると1812年のものとして紹介したほうがしっくりくる論調な気がする。
ひとつだけ、気になるエピソードがあがっていて、もしかするとこれが1812年より後のことなのか、と思うところがある。その整合性のために1820年の年号を挙げたのか?そうだとしたら、正しくはないが、説明はつく。そのエピソードとは、スペイン政府の天然痘ワクチン普及の試みで、国内だけでなくアメリカ、アジア、アフリカにもそれを広めていったという話が出ている。スペインがイベリア半島の外、全人類の福祉のために世界へ旅立ったという心温まるというか、ちょっと我田引水めいたエピソードなのだけれど、桂冠詩人(マヌエル・ホセ・)キンターナの詩なんかも引用されていて、そこそこ感動させられる。ジェンナーもアレクサンダー・フンボルトも大絶賛した。
天然痘のワクチンをエドワード・ジェンナーが発表したのは1798年(ワクチンについては、ジェンナーの発見に先立ってそういうものがあるということは18世紀中ごろにはちゃんと知られていた。たとえばチェルケス(サーカシア)に関して書いたくだりでヴォルテールも言及している。)。ヨーロッパで広まったのは19世紀にはいってから。これがスペインの話としていつのことなのか、というと、単純にワクチンが国内に広まった年号ではなくて、ワクチンを世界に広めるための一大事業として王家の支援を受けて人類愛を謳ってワクチン普及の大遠征を行っていることが知られる。スペイン人医師フランシスコ・ハビエル・バルミスが世界中を回ったものだが、1803年に出発、1814年に終了している。この支援をしたのは王家であり、具体的にはカルロス4世が裁可している。
これを踏まえると、やはり前掲の年号は1820年ではなく、1812年のほうが正しい気がするのである。内容は同じだからどちらでもいいといえばそうだが、あえて1820年を挙げる必要はない。