あれこれ
辞書には載っていないけれど、この語はこう訳すとうまくいくことが多い、という感触は経験によってしか得られない。
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かつて固執していたものも、遠くなってしまうとそれほど関心を惹かないこともある。
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今日はセルビア戦。落とせないッ!
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辞書には載っていないけれど、この語はこう訳すとうまくいくことが多い、という感触は経験によってしか得られない。
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かつて固執していたものも、遠くなってしまうとそれほど関心を惹かないこともある。
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今日はセルビア戦。落とせないッ!
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講読の授業というのを持っていて、自分はこれがすごく好き。学生のころの自分が、文法なんかを1,2年で学んだ後に、講読の授業を受けて、これが大学の授業だな、とようやく認識した。そんな経験に基づくのかもしれないが、読み、考える、ということを90分という凝集された時間において実践して見せてくれるのが講読の授業だった。たとえば英語のあるテクストを読む授業だが、1週間近く(書き損じではない、one weekです)予習をしていってもこてんぱんにやられる(先生に、そしてほかのゼミ生に)という授業があったことを僕は覚えている。で、辛いとかそういうことはあまり思わなくて、ああ、ようやく自分は勉強することの端緒についたのだと思った。それが贅沢な経験であることは、まがりなりにも二十歳そこそこの僕にも理解されていたということ。
さて、自分の薄っぺらい知識で、かつて自分が仰天させられたような授業を再現できるとは思わない。けれど、僕にとっては、自分が教える側になってからも講読の授業は刺激的な経験なのである。読んで理解できることの論理性を如何に明瞭に示すことが出来るか、ということがひとつ。もうひとつは、誤った読みの論理性をいかに打破するか、ということ。それはつまり、こういうことだ。僕は雰囲気だけで読むことを学生に戒めるのだけれど、理詰めで読んで誤った、あるいは誤っていると思しい読みに到達した場合、それをどう訂正するか、というところが僕の仕事だと思っている。そして、これは案外難しい仕事だとも思っている。結局情報伝達は文脈に多くを依存しているのであるし、それを乖離してしまえば、解釈の柔軟性と自由さは誤謬へと安易に導くものであるから。
さて、同様に僕が当初思っていた読みよりも整然とした理路を持つ解釈が学生さんによって提示されることがある。うん、その通りだ、と兜を脱ぐ。そんな経験も意外と、しばしば、あるのです。
そんなわけで講読の授業が僕は大好きです。
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この週末はバレーボール女子日本代表を応援せねばならないので、日中できることはちゃちゃっと片付けたいのだが、なかなか。そんななか、2010年に出した『エクスクレイヴ』1号の自分の論文「薔薇と岩」に誤記を発見。ドン・キホーテ初版のページ数で305ページ表から306ページ表という引用箇所があるのだけれど(10ページね)、それぞれ裏が正しい。訂正してお詫び申し上げます。表裏って何よ、と思われるかもしれないけれど、当時の本はページが右上にしか着いていなくて、紙1枚につき1ページなので、○ページ表、裏という風に数えました。スペイン語ではrecto, versoという言葉。上の論文、日本で誰もこんなことを気にしないだろうなあ、ということを扱っているので、こんな誤記があるのはまずいです。近々書き直したいと思うのです。
ふと、Buck-Tickを耳にする。かっこいいじゃないか。
で、バレーボールは今日ロシア戦。僕の大好きなエカテリーナ・ガモワが出る。日本はスタート昨日変えたメンバーで行くのかしらね。とはいえ、この強敵には勝たねばならない。とすれば駒をさまざまに入れ替える必要もあろうから、今日は総力戦。た、たのしみ。
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負けてしまった。でもいい試合でした。というか、ロシアにはもう一人202センチがいるんだ。すごいね。
その後、ずっと見たかったDVDを見ました。そしてシャンパングラスでビールを飲んでいる。幸せです。
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同じ大学で続けて授業をしていると、以前自分のクラスにいた学生さんの数が増えていくので、時々はキャンパスで出会い、言葉を交わす。大学自体は入れ物なので、彼らはそこを通り過ぎていくばかり。でもそれぞれの学年で、ああ、こんなことがあったなあ、といろいろ思い出せる。ちゃんと記憶している。
そろそろ中間試験に向けて学生も先生もそわそわするころ。6月中ごろに、スペインに行く用事があるせいで休講が入る僕としては、なるべくササっと授業を進めておかないといけないのだが、なかなか。それでも、大体のクラスの雰囲気がわかってきて、それぞれにあったペースの授業が出来るようになってくる。うん大丈夫、と思えるようになってくる。
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予定より一月ほど遅れて(宮武外骨先生への敬慕と理解されたし)、『エクスクレイヴ』5号が完成しました。テーマは「最後から二番目」。今回も大変素敵な原稿が沢山集まって、ぜひ読んでいただきたいです。
本体200円です。送料80円です。合わせて280円です。2,3,4号のバックナンバーも多少あるので、あわせてご注文いただけたら同じ送料でお送りできます(1号は在庫がありません)。ご関心を持っていただけた方はこちらよりご連絡いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
追記:5号在庫がなくなりました。お求めいただいてありがとうございました。2,3,4号は引き続きバックナンバーございます。
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ご予約を頂いていた皆様にはすでに発送させていただきました。お手元に届くまで今しばらくお待ちください。
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僕の理解が浅薄であるのだと思うが、書きながらちょっと確認してみたいことがある。
大江健三郎の『「おかしな二人組」三部作』(『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなら、わたしの本よ!』)には長江古義人という主人公があって、この人物は『水死』の主人公でもある。『水死』の前に『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』という作品があって、これの主人公は長江ではないのだが、ほかの長江作品と名前を共有している人物たちがいる一方で、そうでない人物もある。
ところで、大江さんは2010年1月23日の『エル・パイス』のインタビュで "Para mí Muerte por agua es el final de una saga de cinco obras. "(「私にとって『水死』は五つの作品のサーガの締めくくりです」)と発言しているので、これらをそのように考えてよいのだろうか。
しかし「レイト・ワーク」としてではなく!
なぜそういうことに僕がひっかかるのかというと、ウィキペディアにこういうことが書いてある:
『燃え上がる緑の木』の後日談的総括ともいえる『宙返り』以外の「後期の仕事」は、すべてが自身を重ねあわせた小説家・長江古義人をめぐる虚実入り乱れた物語であり、自身をめぐる物語に虚構の騒動を交えて自身の思考を語りなおす、という手法が踏襲されている(この形式には大江自身も自覚的であり、『水死』の作中にも「老作家のあいも変わらぬ自己模倣」などといった韜晦のような表現がある)。また、全編にわたって先行する文学・芸術などからの放縦な引用に加えて、過去の自作の引用・再話・換骨奪胎・再構築が行われている。
でも『アナベル・リィ』は長江作品ではないよな、というそれだけのことなのだけれど。大江さんの発言自体には「長江サーガ」みたいなことが言われているわけではないので全然構わない。ウィキペディアのこの記載がされたのが『さようなら、わたしの本よ!』直後の時点だったという可能性もある。
追記1:2003年に『二百年の子供』という新聞に連載されていた小説が出版。ここでは登場人物の名前が少し変わっているし長江は出てこないけれど(子供たちから見ての「パパ」として出てくる)、舞台は四国の森の奥。『憂い顔の童子』最後で登場するウグイも数回登場しているし、メイスケさんという人物についても詳しい。新とカッチャンという人物も出てくる。では、これを含めて五作品なのか。
追記2:大江さんは『小説の方法』第七章で『ドン・キホーテ』を論じている。なんと、1978年の本。この内容は1994年スペインの『ABC』という新聞に翻訳紹介されているらしい(まだ見つけてない)。
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少し話が変わって、大江さんの作品はスペイン語にも結構訳されていて、2010年に『取り替え子』、2011年には『ヒロシマノート』が出ている。で、翻訳に付された著者名なんだけれど、Kenzaburo Oéと書かれている。このeの上のアクセント記号は必要ない。思うに、スペイン語にするときフランス語からの重訳から入ったためではないか。スペイン語ではoeが並んでもなんら発音は変わらないが、フランス語ではそこにアクセント記号を打たないと発音が変わってしまうためだろう。踏襲されてきた誤りではあるが、これはいずれ修正するべきものだとおもう。
奇妙なことだが、スペイン国立図書館はアクセント記号なしで登録している。正しいが、書誌情報の記載という原則からしたら大いにおかしい。
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連休が明けて、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、ペドロ・アルモドバル最新作 La piel que habitoが『私が生きる、肌』として公開されます。『抱擁のかけら』も大変美しい作品でしたが、こちらも素晴らしいできです。アルモドバルの気持ち悪さも全開。ぜひお足運びください。Elena Anayaの吸い込まれそうなくらい澄んだ瞳を見るだけでもお金を払う価値あり。
http://www.theskinilivein-movie.jp/
無用のことながら昨年の9月に紹介する記事を書いています。
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単純にスペイン語が話せるか話せないか、ということであれば、日常の生活に困らない程度のスペイン語を身に付けるのは難しいことではないかもしれません。けれど、教養のある話し方や、フォーマルな場での独特な言い回しや決まりきった表現については、実際にそれを目に見て、耳にしたことがないとなかなか身に付けることができないと思います。決まりきった表現というのは、状況に要請されて生まれてくるものなので、文法的に、あるいは語彙からの構築は難しい。知っているか、知らないか、という問題に終始してしまうのだけれど、インプットが多ければアウトプットできるものも多くなるはず。それからもうひとつは、そういった表現に敏感になること。
同じことを書き言葉で言えば、「この言い回しかっこいいな」、「キザっぽいな」という表現を見つけたときに、メモをとるまではしなくてもよいだろうけれど、それをどこで目にしたかを覚えておくとよい。
そんなことを最近つとに思う。
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人間仕事をするときはすべからく笑顔であるべし、というとても大事なことを教えてくれた素晴らしいピアニスト吉岡秀晃さんのトリオの演奏が今夜nhk-fmで放送される模様!23:00~。
ラジオ入んないしー、というあなたにはらじる★らじるがある!
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先日までの悪天候去ってこどもの日、快晴。ワンの散歩くらいしか外に出る機会はないけれど実感できた。
10年前に出た本を、5年ほど前に割りと熱心に読んだ記憶があるが、それを今読み返している。当時の書き込みなどは大いに助けにもなる。ある作家なり作品についてのモノグラフを著すという行為は、こういう計量しづらい専心に根ざしていると思いたい。
自分とまったく違うジャンルの人に会うと、面白いね。どのような意味においてであれ、必ず勉強になる。やっぱり外を歩かなくてはいけないんだと思う。
はや五月。ささやかに宣伝。当初予定より若干遅れていますが、『エクスクレイヴ』5号、2012年5月発行予定です。
本体200円です。送料80円です。合わせて280円です。バックナンバーも多少あるので、あわせてご注文いただけたら同じ送料でお送りできます(在庫のない号もあるのでお問い合わせください)。ご関心を持っていただけた方はこちらよりご連絡いただければ幸いです。
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最近アニメを見ていなかったのだが、今クールはNHKで『ふしぎの海のナディア』がやっていて、『エウレカセブンAO』と『坂道のアポロン』とともに毎週見ている。昔のアニメのほうがよかった、というわけではないのだけれど、安心感が違う。あと絵のやわらかさも今では望むべくもないもの。『エウレカ』はオリジナルの凝ったつくりが成りを潜めている。『アポロン』はオープニング曲もいいね。
『ナディア』はジュール・ヴェルヌの『海底2万マイル』ならびに『神秘の島
』で、澁澤などはヴェルヌをあまり評価していないけれど、僕は面白いなあ、と思って読んだ。
スペインの大きな古書市場に行ったとき「フリオ・ベルネはない?」と商品を探している人がいて、たぶん子供へのプレゼント用なのだろう。愛蔵版など種類も豊富なはず。
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雨が降って冬のような週末でしたね。皆様お元気でお過ごしください。
メールのトラブルはもろもろあるのだけれど、最近僕が目にしたものでは、参加している研究者メーリングリストでのこと。
このメーリングリストはスペインだけでなくスペイン語圏の18世紀研究をしている人にとってとても有難いもので、新しい研究の出版だとか、学術会議開催の周知に利用されている。さらには「○○で学位論文を書いてるんだけれど○○のこの年に出版されたこの作品について知ってる人はいませんか?」というような質問が投稿されて、とても著名な研究者が即座に「それはどこどこの大学の図書館にあった。それから・・・」と助言を与えていたりする。小さなコミュニティの掲示板のようでもあり、大変頼もしい存在だ。
ある方が会議の開催のお知らせメールを出していたのだけれど、それを見たイタリア人研究者が友人に転送したつもりでメーリングリストそのものに返してしまった。そこに一行コメント。
この会議、行って何か発表するだけの価値はあるかしらね?
というメールを不特定多数の人が目にしたのである。
お知らせメールを出した人は若干気分を悪くしただろうなあ、と余計な心配をしてしまう。
ちょっと余裕を持ってチェックすれば良いことなので、あて先や件名に気をつけなきゃ、と自分への教訓にしたい。
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